神野秀明
月明りの外側、影にいたその人物が姿を表した。
赤味のある渋いブラウン色のスーツに身を包んだ男性。年齢はおそらく四十代から五十代。しかし正確には分からない。見た目以上に彼は若く見える。まず一目で高級だと分かるスーツの着こなしに主張し過ぎない腕時計と磨かれた革靴。やや長めの髪は中央で分かれ、特徴的なのはこんな暗がりでも外さないサングラスだ。
その見た目、この雰囲気、それだけで堅気でないと分かる。毒花のように危険な香りを漂わせ群がる獲物を捕食する。
この事態を生んだ黒幕は屍となった男には目もくれず河瀬の隣を通っていく。
「では出ましょう、車の用意をお願いします」
「ここは? このままでいいんですか?」
河瀬は部屋を見る。そこには月明りを避けるように左右の壁に異形の者たちが潜んでいる。「ええ、構いません。彼らももっと遊びたいでしょうし」
が、彼が言うのならばそれに従うまで。どう考えてもまずいが彼の言葉は絶対であり河瀬は頷くと扉を開け廊下に出た。続いて神野も部屋を後にするが、その間際振り返ると、残した者たちへ小さな笑顔を向けた。
「どうぞ、ごゆっくり」
扉がゆっくりと閉まっていく。瞬間、扉越しに羽ばたきの音と共に甲高い声が聞こえてきた。生贄の宴、漏れ聞こえる音からずいぶん楽しんでいるのが伝わってくる。
「急ぎましょうか」
「え」
「すぐに来ますよ、そこまで鈍感な連中ではないので」
神野の意図、河瀬は一瞬分からず固まってしまうが、危険だということだけは瞬時に理解した。
「分かりました、先に車用意してきます」
廊下を走りホテルの外へ、車を動かし廃ホテルの前で神野を待つ。
そこへ余裕のある歩みでやってきた神野が乗り込んだ。この車も高級車で椅子の座り心地一つとっても他とは別格であり静音性は扉を閉めた瞬間別世界に入ったみたいだ。
「飛ばします」
神野が乗り込むなる河瀬にはアクセルを踏み込んだ。
山中に作られた廃ホテルからの帰り道というだけあって木々が生い茂った道を走っていく。ライトが夜の闇を照らし河瀬は細心の注意を払いつつ運転していった。
無事逃げれたことにホッとしつつバックミラーで神野を見る。相変わらずこの人はこちらの気も知らずリラックスした様子でくつろいでいる。
しかしそれはいつものことなので気にしていない。それよりも廃ホテルのことだ。
「不完全な悪魔召喚儀式。放置した悪魔。これが狙いなんですか?」
今回の悪魔召喚はそれ自体が目的ではない、別の狙いがあると河瀬は見抜いていた。
「ええ。ヨーロッパの片田舎にまで来たのはただの遊びですよ。今回は一介の召喚師が儀式に失敗した、ということで処理されるでしょう」
「なぜそんなことを?」
基本、この人はなにも教えない。悪魔召喚師というのがそういうものなのだろう。河瀬の頭の中にある犯罪者の特徴にも一致する。特に知能犯に多い傾向だ。
ただし、今夜は特別のようだ。
「世界中でね、ちょっとした悪戯をしようとメッセージが出回っているんですよ。かなり珍しいことです。私も経験がありませんね」
「神野さんですら、ですか。よほどのことみたいですね」
「ええ、もしかしたらあの噂は本当だったのかもしれません」
「噂」
夜中のドライブ、タイヤの音すら聞こえない、その静けさは美徳ですらある。
「河瀬さん、あなたは正式なメンバーではありません。ですのであまり喋るべきではないのですが、まあこれくらいならいいでしょう」
河瀬は神野にとって見習いでありお手伝いさんだ。同じ組織の人間ではなく部外者でしかないが、こうして話してくれるのは気に入ってもらえているのだろう。
神野はもたれていた体勢を正した。
そして、彼は話し出す。世界の裏側、その奥を。
「最近ホットな噂が二つまことしやかに囁かれていましてね。一つが魔卿騎士団の団長が亡くなり組織的な動きが取れていない、というものです」
それは魔卿騎士団のこと。点と点が結びつき、出来事は物語へと連なっていく。
「魔卿騎士団というのは言ってしまえば警察気取りの野蛮な組織です。ですがその規模はでかく油断出来ません」
「聖法教会以外にもあるんですね、そういうの」
「以前からその性質はありましたが今の団長になってその方針が強くなりました。その団長が亡くなったのなら喜ばしいことです」
「私たちからすれば動きやすくなった、と?」
異能や魔術、いわゆる異常を扱う組織は知られていないだけで数多くある。そこには当然様々な活動方針があり治安維持を目的とする組織もあり、代表として聖法教会や魔卿騎士団がそれに当たる。その一つが機能不全となればその他組織としては喜ばしいことだ。
逆を言えば、世界は不安定な状況に陥る。




