救出
聖治は香織に背を向けエンデュラスを掲げた。悪魔の手がエンデュラスを浸食していき刀身にヒビを入れていく。本来のリミッターを超えた負荷、それによってエンデュラスの力を発揮した。
頭上に光の輪が現れ聖治の空間が歪んでいく。聖治の姿も不確実なものなっていき、この時代から姿を消していった。
部屋から聖治がいなくなる。その時、香織の腕が聖治のいた場所に伸びていた。
聖治は自分の半身、その反応を頼りに過去へ飛び現れたのは青空の下、学校の屋上だった。まだ平穏な世界の一場面。けれど彼にはそれを懐かしく思う心はすでになく。絶望の中で手を伸ばす。
それから時間が経った。
聖治は、戦っていた。香織を奪おうとしてくる敵だ。剣を振るい攻撃してくる。
それがもうなんなのか、今の聖治には分からない。姿がうまく認識できない。なにを言っているのかも分からない。
ただ、この敵は強かった。
(こいつ、今までの敵とは違うッ)
スパーダを操り戦っていく。意識が薄れ破壊衝動に呑まれたその攻撃は精彩を欠いている。それでも戦う。もう少しで叶うのだから。だから苦しい思いも我慢できる。
ずっと一人だった。ずっと孤独だった。だけど心には大切な人がいて、記憶を振り返ればいつだって彼女は笑顔でそこにいる。
思い出す。数々の素晴らしい記憶たち。七色に輝くほどの。
その一つ。それは彼女との始まりの記憶だった。
『ねえ、聖治君ってさ、好きな人いるの?』
今だって胸がときめく。その時は間違いなく人生で最高の瞬間だったから。
放課後の屋上。茜色に染まった空の下、彼女は桃色の髪を揺らしていた。照れと恥ずかしさの中に確かな勇気を込めて。彼女は告白してくれた。
『私と、付き合わない?』
嬉しかった。幸福の最大風速が吹き荒れて、彼女と過ごす未来にどれだけ心がワクワクしたか。
『ほんとに!? しゃー! よっしゃー、おい~』
彼女は自分以上に喜んでくれていた。その大げさな反応につい苦笑交じりの笑みを零してしまう。
『ねえ、聖治君』
懐かしい。その全てが。ずっと眺めていたい。ずっと浸っていたい。この気持ちに。
瞬間だった、見える景色が突然と色褪せていく。音が遠のいて動きは通信速度の悪い映像みたいにカクカクしていく。
記憶が、失われていく。思い出そうとすればするほど消えていく。
嫌だ、忘れたくない。大切な記憶なんだ。大事な思い出なんだ。そう思うのに。
彼女の名前は?
彼女の髪の色は?
彼女は、誰だ?
駄目だ、思い出せない。すべてセピア色に潰れていく。
彼女が口を開き、なにかを言おうとしている。なのに、思い出せない――
思い出そうとしても空虚なだけ。ただ剣を振っていく。戦う理由も分からないまま。能力を使い、痛みに耐えて。
なぜ、自分は戦っているのか――
(どうして、俺は戦っているんだ?)
痛みだけが伝わってくる。
(もう、諦めていいんじゃないか?)
辛さだけが募っていく。
(もう、止めていいんじゃないか?)
迷いだけが浮かんでくる。
剣を振り回す。目的はただの破壊に成り下がり意識と体が乖離していく。自分がどんどん怪物になっていく。
(俺は、今までなにを――)
自分は今までなんのために生きてきたのか。そこには誰がいたのか。なにも無くなってしまった暗闇に答えを探す。なにかあるはずだ、どこかにあるはずだ。自分が自分でいられる記憶が、きっとどこかに。
その時だった。暗闇の中、なにも映らない、なにも聞こえない空っぽの記憶に光が灯る。
温かい光で、それは自分を見守ってくれていた。
見つけた。大切な記憶。まだ失われていない、ほんの少しだけ残っていた宝物。
(そうだ、俺は。彼女は!)
色褪せていた記憶が蘇り、セピア色だった映像に色彩が戻る。
茜色の空、学校の屋上。そこで色を取り戻した彼女が自分を見る。満面の笑みを浮かべて。言うのだ、自分に向けて。
(香織!)
思い出せなかった、最後の言葉を。
『これからは、ずっと一緒だね』
記憶の中で、彼女はいつだって笑っていた。
忘れたりしない、無くしたりしない。
彼女だけは。
それだけで、戦える。
「カノジョダケハ、タスケルトキメタンダァアアア!」
身も心もボロボロで、それでもなお力を入れる。錯綜し、錯誤し、それでもスパーダを操った。
(辛かった。本当は苦しかった。何度も嫌になって、何度も投げ出したくなった)
その道のりは苦難の連続で何度も心を引き裂いた。涙は枯れて、それでもなお進むのは。
(だけど! 俺は!)
その心には、いつだって君がいたから。
(救われたんだ、それ以上に! 諦めてたまるか、負けてなるものか!)
諦めない決意が、力になる。
(二十年ずっと一人でもいい! 苦しくてもいい! 悪魔に命を狙われたっていい!)
目の前には強大な敵。だけど諦めない。
(それでも!)
戦った。剣を振り能力を使う。苦しくたって前へ出る。
――変わらぬ思いが閉じた世界を突き進む。
(君だけは守ってみせる!)
――たとえそれが破滅でも。
(絶対に!)
――最後に君が笑うなら。
「ガアアアアアアア!」
そこで凶刃が胸を貫いた。
痛みが襲う。傷が治らない。流れる血が止まらない。焦りと混乱、思考が溺れていく。水面に向かって手を伸ばすけれど、その手は暗い底に沈んでいく。
(ああ……俺は)
終わり。全身から力が抜けていく。負けたのだ。それを意識した時、悪魔に侵されていた意識が正気を取り戻す。
倒れる間際、記憶が走馬灯となって流れていく。
『ねえ、聖治君ってさ、好きな人いるの?』『私と、付き合わない?』『ほんとに!? しゃー! よっしゃー、おい~』『ねえ、聖治君』
茜色の空を思い出しながら、聖治はゆっくりと漆黒の空に手を伸ばす。
『これからは、ずっと一緒だね』
そこには、なにもないのに。
「カオリ……すまない」
腕が、地面に落ちる。
そうして聖治は倒れていった。
その目に、小さな涙を浮かべて。




