なに、止めはせん。しょせん番犬、この門を守るだけだ
ここに駆を置いておくのは危険だ。少しでも遠くへ、さらに言えば敵地が望ましい。
作戦や準備なんて悠長なことは言っていられない。ここは今、最大級の危険に晒されている。
「デスザルを使い過ぎたんだ」
ヲーが悔しそうに言う。
「私を助けるために……くそッ」
ヲーは拳を作り苦々しく言うが、あの状況では致し方のないことだ。それが僅かなインターバルを生むだけだとしても駆に見ているだけなんてことは出来なかった。
自分の不甲斐なさが悔しい。仲間を助けるために頑張った駆は、そのせいで自身の衝動に苦しんでいる。俯き誰も見ようとしないのもそのせいだ。
「サラ、マスターが今から未来王のところへ向かうことを君たちの仲間に伝えられるか?」
「はい、それは。私の言葉を空気中の水分を介して走らせれば仲間には伝達可能です」
「では頼む。それと急いでそこから避難するようにも伝えてくれ。君はここで留守を頼む。警備にはガイグンも残していく。ドトール湖には私たちだけで向かう」
「ですが、それでは盟約と違います。これは私たちの領地を奪還するための戦い。それに私たちが参加しないでどうしますか」
サラもこの戦いにかける思いは強い。自分たちの故郷を取り戻そうというのだ、傍観者ではいられない。
「分かっている。だが分かってくれ。今のマスターは自分を抑えるので精一杯だ。いつその渇望が破裂するか分からない状態なんだ。そんなマスターが、戦闘を開始した時どうなるかは一切予想が付かない」
今はなんとか暴走しないように抑えられている。あふれ出ようとするどす黒い欲望に蓋をして抑え込めている。だがいざ戦闘が始まったら? その蓋を開けた後で制御が出来るだろうか。
おそらく、止められない。その勢いが弱まるまで噴水にも似た衝動は出続けるだろう。
そしてその水流は、ウンディーネ族すら飲み込んでしまう。
「君たちは後方で待機を。なにかあれば援軍を寄越してくれ。それが最大限の譲歩だ。これ以上は君たちにまで被害が及びかねない。それは私も、なにより、マスターが望まない」
その犠牲を、最も悲しむのが誰かを知っている。
「頼む。マスターに、これ以上後悔を与えるようなことは、したくないんだ」
駆だって、したくて命を殺しているわけではない。
いや、それは正確な表現ではない。本能ではそれを望んでいるが、理性ではそれをとても嫌っている。
欲望の傀儡になるか、理性の檻になるか。
本能に屈し、殺戮に身を任せた自分をあとでどう思うか。
とても傷つく。そんな言葉では言い表せないほどの深い悲しみと後悔が心をズタズタに傷つける。
そんな思いを、させたくない。これ以上。かすり傷ですら。
「……分かりました」
ヲーの説得に彼女も理解を示してくれた。
「ですが、あなた方は? その話し方では、ヲー様たちも危ないのでは?」
今の駆に敵味方の区別が付かないというのならその危険性はヲーたちも同じはず。
「私たちはマスターと契約した悪魔だ。マスターがどんな状態であろうとも側に仕える」
「ずっと一緒にいると約束したヅラ」
「一人っきりには出来ないでしょ」
「そうですか」
その言葉に感服する。彼らの結束はここまで固いのかと感動すら覚えるほどだった。
ヲーたちが話している間、駆は正門までやってきていた。当然その背中をヲーたちも見てはいる。
駆が近づいてきたことで寝そべっていたガイグンが起き上がる。眼下には苦しそうに頭を抱えた駆がおりそれを静かに見つめていた。
「行くのか、マスター」
ガイグンの声に立ち止まる。ヲーのように制止は言われなかった。
「なに、止めはせん。しょせん番犬、この門を守るだけだ。魔王がどこでなにをするかまでは管轄外よ」
それは彼らしい物言いだ。門番が口を出すことではないと弁えている。
「帰りを待っている、マスター」
そして、決して無関心というわけでもない。
心配する思いは仲間と同じ。決して駆に興味がないわけではない。
立ち止まっていた駆は右手を上げた。意図を察したガイグンは頭を下げ顎を地面に付ける。駆はガイグンの撫でた。左頭の目が嬉しそうに細められ他の二頭が睨みつける。
駆は歩き出した。それをガイグンは見送る。その後に続いてヲーたちがやってくる。
「話は聞こえていた」
「そうか」
鼻だけでなく耳まで良いようで話す手間が省ける。
「あとを頼む」
「当然だ」
簡単な挨拶だけ交わしヲーたちも駆の後を追う。そのまま指輪の中へと入った。
湿地帯を歩いていく。湿った土を踏み地面から伸びる草が揺れる。うっすらと立ちこめる霧のせいで若干視界が悪い。
ここには駆しかおらず自分の口が漏らすうめき声が時折聞こえるくらいだ。
「ずいぶん苦しんでいるようですね」
声に立ち止まる。
仲間たちではない。では誰か? 今の駆は導火線に火がついた爆弾のようなものだ。そんな彼に誰が声を掛けるか。
顔を上げる。その先にいたのはシュリーゼだった。腰まで届く金髪とグレーのストライプ柄のスーツ。




