よう寝坊助。昨夜はゆっくり眠れたかい?
「おーい、マスター。起きてるかー?」
声はリトリィだ。どうやら起こしに来てくれたらしい。
「起きてるなら返事しろー。あ、喋れないんだっけ? じゃあ手話で教えて。え、それじゃ見えないだろって? ピクシージョーク」
扉越しでも彼女の得意げな表情が想像できる。
起きるのは億劫だが親しい仲間のジョークに免じて起きることにする。マントを羽織り駆は扉を開けた。
「よう寝坊助。昨夜はゆっくり眠れたかい?」
元気な彼女がまぶしい。憂鬱な気分も彼女の明るさのおかげで多少まぎれる。
「なによ、元気ないわね。もしかしてあまり眠れなかったとか?」
顔を振る。睡眠自体はばっちりだ。
「そう? ならいいけどさ。それならもっとシャキッとしなさいよ。今やあんたは魔王よ魔王? ほんっと信じられないわ」
自分が魔王。今更だが思い出した。とはいえ実感はほとんどない。魔王らしいことなど一つもしていないからだ。血の入ったワイングラスを回しもしていないし邪悪な笑みの練習もしていない。
リトリィは廊下を進んでいき駆もついていく。魔王だなんだと言ってもこうして一緒に進む様はなにも変わっていない。
「あの時出会った人間が魔王で私がその側近、ねー? ほんと人生ってなにが起こるか分からないわよね。これからは石が喋ると言われても頭ごなしに否定しないようにするわ。石(意思)、だけにね。なーんちゃって。ピクシージョーク」
ずいぶん上機嫌だ。ジョークの内容はともかくそのテンションに釣られ小さく笑ってしまう。
「ふーん」
そんな駆を横目に見ていたリトリィが近づいてくる。
「なんか、マスターまた雰囲気変わったよね。元に戻ったっていうか。昨日はギラギラしていたのが丸くなった感じがする」
リトリィの感想はきっと正しい。駆自身昨日の自分はおかしかった自覚はある。ひどく攻撃的で暴力的だった。今は反対に悲観的で自虐的だ。なかなかちょうどいい位置にならない。躁鬱病、とは違うがアンバランスなのだ。
「ま、私はどっちのマスターでもいいけどね。それよりもお腹空いたでしょ? ここの食堂すごくてさ、設備も食材も超サイコーって感じ? さすが魔王城だよね」
上機嫌な理由はそれかと納得する。進んでいる道がエントランスではないことは分かっていたが食堂に向かっているようだ。
そうしてたどり着いた扉を開け中へと入る。その光景に少し面食らう。
中は一言で表せば黒の大聖堂といった内装だった。ノートルダムやケルン大聖堂を悪魔が作ったらこうなるだろうか。高い天井に大理石のように透明感のある黒。教会の参列席はないがその代わり長方形の長いテーブルが一つ置かれている。上座に当たる壁面には悪魔と人間と思われる者たちが戦う巨大な彫刻が掘られている。
「さあさあ魔王様、お席へどうぞ」
リトリィのわざとらしい仕草に案内されるまま席へ着く。なんとも落ち着かない空間だ。正直な感想もっと狭くていい。
優雅な椅子に座り心地の悪さを感じているとコック帽を被ったポクがお盆を両手に入ってきた。中身は蓋がされていて分からない。
「マスターおはようズラ!」
彼の珍しい格好をまじまじと見ながら元気なあいさつに頷く。
「昨日は大丈夫だったズラか? いろいろあって疲れてたはずだズラ」
駆は小さく笑い親指を立てる。体力も気力も今は十分。シャキっとしている。
「はい、マスターの分ズラ」
持っていたお盆をテーブルに乗せる。両手を頭上に掲げて乗せる様は見てて不安になった。
そこで扉が開きヲーも中へと入ってくる。
「ん、みなすでに集まっていたか」
彼も昨日の激闘を経て疲れているはずだがピンピンしている。元気そうでなによりだ。
ヲーは駆に近づくと頭を垂れる。
「おはようございますマスター。それか魔王とお呼びした方がよろしいですかな?」
駆は小さく笑いながら顔を横に振るう。そんな自覚はないしなりたいという気持ちもない。今まで通りマスターと呼んでくれた方が駆としてもしっくりくる。
そうしてみな席に着いた。ポクは駆の右側。リトリィは左側、ヲーはその隣だ。ポクとリトリィは背が小さいので高めの椅子に変わっている。
「それじゃあオイラたちの分も」
ポクは両手を叩きボンという音と煙が三体の前で現れると駆と同じお盆と蓋が現れる。厨房がどこにあるか分からないが何度も往復する必要がないのは便利な技だ。
「あれ、ケロちゃんは?」
「彼は門番を継続中だ。特に理由がない限り動くことはない」
「ならあとで差し入れしとくズラ」
「それはいい。きっと喜ぶ」
仲間が一体いないのは寂しいが仕事中なら仕方がない。
そういうことでここには全員集まったことになる。
食事の時間だ。駆にとっては久しぶりとなる。
「厨房にあった材料でオイラが作ってたズラ。今日は魔王になったお祝いだズラ。とびっきりのを作ってみたズラ」
「それほんとでしょうねー?」
「ほんとだズラ! なぜ疑うズラ!?」
「とびっきりか、それは楽しみだな」
「特にマスターは人間だからなおさら食べて欲しいズラ」
ポクの言葉が引っかかり小首を傾げる。人間だからというのはどういうことなのか。
「人間は食事をしないと生きていけないズラよね? 悪魔は食事をしてもしなくても大丈夫だズラけど」




