始まり始まり、ね
駆はゆっくりと伸ばした手を下げる。夢? 現実を認識し今までのことが夢だと理解する。
恐ろしい夢だった。今でも心臓が高鳴りを続け額を触れば汗で濡れている。
一花がさらわれる夢。これから待ち受ける惨劇を目の当たりにする夢。
自分に向けられる無力感と罪悪感。彼女が迎える結末をまざまざと見せつけられた。
あれは夢だ。だけど現実の一花だって今は囚われ同じ目に遭っているかもしれない。
駆は立ち上がった。それでガイグンも立ち上がる。
「どうしたのよマスター、いきなり騒いじゃって」
「なにかあったか?」
この騒ぎに指輪にいたリトリィとヲーも出てくる。
「いや。どうやらうなされたようだ」
「ちょっと大丈夫マスター?」
心配に聞いてくるリトリィに駆は左手を掲げ手首を指で叩く。
「なにそれ、腕時計? 時間はざっと四時間ってとこよ。もっと休んでもいいんじゃない?」
十分だ。それに今は眠れるような気分じゃない。
駆はみなを無視して歩き出す。
「ちょっとマスタ~」
そんな駆に皆も仕方がないように目合わせして指輪へと戻る。
駆は歩いた。早くこの森を踏破して一花の元へ行かねばならない。思いが燃料となって足を動かす。走る一歩手前の状態で使命感が駆を突き動かしていた。
「マスター、ちょっと待つズラ~」
背後からポクが駆け足で追ってくるものの駆には待つ余裕すらない。
そうこうして歩き続けていると森が晴れてきた。そのまま突き進み木々から出る。
そこは大きな渓谷となっており崖下を覗いてみると数百メートルはあろう高さがある。向こう側までは数十メートル離れているが肝心の橋が壊れており修理もされるぶら下がっていた。
「そんな、これじゃ通れないズラ」
ポクの言うとおりこれでは無理だ。駆は歯がみして対岸を睨み付ける。
『ケルちゃんがマスターを乗せて飛び越えるっていうのは?』
『この距離はさすがに私でも跳べん』
「それを言うならお前がマスターを運ぶのはどうなんだズラ」
『それ本気で言ってる? 自分よりも数倍重いもの掴みながらこの距離渡れって言ってるならあんたの頭を治療する方が先ね』
『打つ手なしか』
ここにきて足止めをくらうことに駆は舌打ちする。こうしている今だって一花がどんな目に遭っているのか分からないというのに。
『他の道を探してみよう』
駆は来た道を戻り別の進路を進んでみる。
時間がかかっている。急がねばならないと思っているのにしていることは遠回り。要らぬ時間を費やし当てもなく森を彷徨う。
「…………!」
地面を踏む足取りも自然と荒くなる。
焦りは気を急かせ急かされれば焦りが生まれる。それは苛立ちとなってさらに駆を焦らせた。
道を歩く。直進し、曲折し、代わり映えのしない木々をかき分ける。ゴールが見えないのがまた忌々しい。自分が歩いているこの道が正しいのかも分からない。今はただ信じて進むしかない。
それでも、時間は無情にも過ぎていく。
『ねえ、マスター』
そこでリトリィが声を掛けてきた。なにやら不穏な話し方だ。
『気づかない? この道さっきも来た気がするんだけど』
そう言われ駆は足を止めた。正面を改めて見たあと左右を確認してみる。
同じ景色が続いているため気づかなかった。というよりも視界を気にしていなかった。そのことを自覚して歯がみする。
「でも道は一本だったズラよ?」
『うーん、なんとなくなんだけどね? なんか来たような気がして。ねえ、なんか目印でも付けとかない?』
そういうことならそうした方がいいだろう。駆は身近にある木に近づき指輪でバツ印の傷を付ける。これでまたここに来れば分かるはずだ。
歩みを再開する。もし同じ道を来ているなんてことがあれば今までの時間が無駄だったということだ。一刻を争う時にそんなことあってはならない。
駆は道を進んでいくが、その足が止まる。
目の前には、さきほど付けた目印の木があったのだ。
「どういうことだヅラ?」
『始まり始まり、ね』
このことにポクは驚きリトリィはぼやいている。
『私も気にして見てはいたが道が大きく曲がったことはない。それでこの短時間で同じ場所に戻ってくるのは不可解だ』
「単純に道に迷っているわけではないってことズラ?」
『恐らくは幻術かその類いだな。それで同じ景色を見せている方が自然だ』
『あー、私がピンときたのはそういうことかな。一応いたずら悪魔としてそういうのかじってるし。とはいえこんな大規模なの無理だけど』
『ガイグン、なにが見える?』
『お前たちと同じだ。目印のついた木で止まっている』
『ケルベロス種すら掛かる幻惑か』
おそらくは何者か、もしくはこの森そのものが持つ特性か。どちらにせよ自分たちは同じ場所を回る幻覚に陥っている。これをどうにかしなければこの森からは出られない。
『マスター?』




