手を伸ばす
たき火のバチバチとなる音と温かな熱気、背中を包む柔らかな感触に身を委ねる。疲れている自覚はなかったが眠気はすぐにやってきた。意識が深い底へと沈んでいく。
視界が、意識が、真っ暗に染まる。
気づいた時駆は別の場所に立っていた。辺りは暗いのに床は微かな光を放っている。ドライアイスのような湯気が地面を漂い広大な空間に駆一人だけ立っている。
ふと左手を見ると仲間の指輪がない。さらに背中に付けている反射のマントもなくなっている。駆は慌ててどういうことか左手や背中を触るがないものはない。
「駆」
そこで、声が駆を呼んだ。
正面を見る。
「――――」
その姿にハッとした。
そこには一花がいた。制服姿の一花が立っている。怪我もなく、駆を見て微笑んで。
一花がいる。目の前に。
駆は走った。すぐに彼女を捕まえようと手を伸ばす。
しかし一花はなにかに引っ張られるように後ろに進んでいった。走っても走っても距離は縮まらない。
「駆」
自分の名前を呼ぶ彼女の声。その表情は微かな笑みから悲しそうに変わり、頬を涙がこぼれ落ちていく。
「ごめんね」
一花の体が黒い霧に覆われていく。瞬間、霧は晴れ悪魔と一体化した姿に変わっていた。羽と尻尾、服装も黒のボンテージ調のものになっている。
一花は泣きながら片手を差し出す。駆も必死に手を伸ばすが届かない。この手を、この手を掴むんだと懸命に走るもあと少しが届かない。
途端に背後に進む速度が上がり一花は遠のいてしまう。そして一花は止まり床に仰向けで倒れた。
「!?」
すぐに一花の下へ駆けつける。
一花は血を流し倒れていた。胸には人の腕ほどの穴が開いておりそこから血が留まることなく流れている。
「ごめんね、駆」
一花が見上げる。血で濡れた手を弱々しく掲げ、駆は両手で掴む。
駄目だ、駄目だ。そう思うのにどうすることも出来ない。彼女は血を流し死にかけている。
それを、駆は見ていることしか出来ない。
「駆……」
一花が呼びかける。
駆も両手を力強く握り声に応える。
そうしていると地面からいくつもの腕が生えてきた。赤黒い腕は一花の体を捕まえ、さらに地面は水面のようになり一花の体が沈んでいく。
腕に引っ張られる一花を離すまいと駆も引っ張るがみるみると一花は沈んでいく。腕が、足が、胴体が、さらには顔までも地面に消えていき、掴んでいる手だけになる。
その手も引きずられ駆の腕までも床に飲み込まれていく。すさまじい力に抗えない。一花は完全に飲まれ、自分の腕、肩、ついには顔まで床に沈む。
そこで、駆は向こう側を見た。
真っ黒な空間。そこに、無数の人間がいた。どれだけいるのだろう。分からない。地面に人がいるんじゃない。人が折り重なって地面になっている。全員服はなく、それどころか頭髪も皮膚もない。全身が焼け爛れている。その全員が断末魔を発し終わることのない苦しみにもがいていた。
痛い。痛い。痛い。触れ合っていることがいたい。生きているのが痛い。全身を襲う苦痛と無限の時間に知性は潰え悲鳴しか出せない動物になっている。
その人間たちが互いに登り合い、歪な塔となって何十メートルと続いている。そうして辿り着いた先端の数人が一花の体を捕まえている。まだ生身の、肌もある体を必死に捕まえ放さない。その形相は形容しがたいものだった。取り憑かれているように彼らは必死だった。この肌を手に入れれば助かると信じ込んでいるように、誰もが一花の体を欲し手を伸ばしては奪い合っている。
このまま、一花が連れていかれ地面に到着したらどうなるのだろう。一花の体を奪い合い、手を、足を、頭を、皮膚を求めてバラバラにされてしまう。
「駆……」
彼女を救えるのはこの手だけだ。この手の繋がりだけが彼女の命綱なのだ。自分だけが彼女を救える。
しかし、手は離れ、一花は引っ張られ無数の亡者の中へと落ちていく。
「アアアアア!」
手を伸ばす。手を伸ばす。
だけど届かず、落ちていく一花を見ていることしか出来ない。
「ああああ!」
駆は叫びながら目を覚ました。体を起こし夢と同じように右手を伸ばす。
「うわっち! あち、あち、熱いズラ!」
「マスター?」
駆の叫びにガイグンが覗き込む。遠くでは火を扱っていたポクが驚いた際に服に引火した火を慌てて消している。
「はあ、はあ」




