マスター、魔界はオイラ悪魔たちからしても恐ろしい場所ズラ
「グアアアアアアア!」
巨体が悲鳴を上げる。並の叫びではない。ミノタウロスを襲ったのは力だけじゃない、駆の左手がもたらす魔業がなにもかもを破壊した。衝撃が全身を貫く一瞬に一万回の死を経験するかのような呪い。
ミノタウロスは駆に殴られた瞬間に無限の死を押しつけられたのだ。
ミノタウロスの悲鳴が止む前に、体は黒い灰となって霧散していった。
駆は打ち出したままの拳をゆっくりと下ろしていく。敵は消えた。倒したのだ。自分の身長を優に越える巨体はどこにもなく、影すらなく、ここに立っているのは駆と仲間たちだけ。
揮発した赤い気体が消えていく。左手を開閉し力がもとに戻ったことを確認してから、ようやく戦いが終わり勝利したことを実感した。
「やったああああ!」
「勝ったヅラぁあ!」
いきなり左顔面にリトリィが突進してきた。痛い。
「やるじゃんマスター、あんなやつに勝っちゃうなんて少しだけ見直しちゃったかも?」
憎きレッド種のミノタウロスを倒せたことにおおはしゃぎだ。駆の頭上を飛び回ったり頬をひっぱったりしている。
「いや、むしろ私の見る目に狂いはなかった、的な? やっぱり分かっちゃうか~。さすが私。さっきの戦いも私のナイスアシストのおかげだし、このチームの柱は私に決定ね」
「そんなことないズラ」
「なによぉ! べつにいいじゃん自分がどう思おうが」
「今のはみんなのがんばりの結果ズラ。それに最後を決めたのはマスターズラ」
「そりゃあゴールを決めたのはマスターだけど~。でも~、わたしもがんばったし~」
ニ体がなにやら言い合っている。主に彼女の悪のりが原因なのだが。
駆は言い争いをしているリトリィとポクの頭に手を乗せた。
「わ」
「お」
ニ体とも驚く。
なにかと見つめてくるニ体を前に駆はしゃがみ込む。そして柔らかい笑顔で二体を見つめた。
この戦いはみんなで掴んだ勝利だ、自分一人では決して勝てなかった。
ありがとう。口に出せなくてもそれは変わらない。
その代わり駆は右手を拳にして小さく突き出した。それを察した二体も同じように拳を出す。
駆の拳と二つの小さな拳がくっついた。
晴れやかな表情で拳を合わせるこの時間を嬉しく思う。仲間の絆。それを感じる。人と悪魔という違いはあれどそれでもこの三人は仲間で力を合わせ戦いに勝ったんだ。
しばらくしてから駆は立ち上がった。勝利の余韻に浸っていたい気持ちはあるが気を切り替えなければ。目的はまだなにも達成していない。むしろ気がかりなことが増えたくらいだ。
やつら。
ミノタウロスが言っていたことを思い出す。あれほど強い悪魔ですら逃げ出すほどのことが魔界で起きている。それも人間たちの行いのせいで。
いったい、あの二人はなにをしているのか。
まだ会ってもいないのに彼我の差を思い知らされる。駆はまだリンボで手こずっている段階だというのに。
果たして、この調子で一花を救うことができるのか。
「それでマスター、これからどうするズラ?」
駆の表情に陰が差した時、ポクの陽気な声が聞こえハッとしてすぐに振り返る。
「そういえば言ってなかったけど、マスターには助けたい人がいるのよ」
「そうだったのかズラ」
しゃべれない駆の代わりにリトリィが答えてくれる。なんだか通訳みたいだ。
「それで、その人はどこにいるズラ?」
分からない。
「分かんないってさ」
両腕の中で消えたきり彼女の居場所はつかめていない。あの女は魔界で永遠の責め苦に合うと言っていたが。魔界のどこかにいるのだろうか。情報が足りない。
「そういえばあんたに聞きたかったんだけどさ、最近二人のニンゲン見なかった? マスターとは別で。なんでもその二人を止めなきゃいけないみたいなんだけど」
「いいや、オイラは知らないズラ」
秋和と千歌のことはポクも知らないようだ。
もしかしたらリンボに手がかりはもうないのかもしれない。ミノタウロスが言っていたことも気になる。それで駆は決めた。
魔界に行くこと。そこで一花の救出と二人との決着をつけよう。
駆はリトリィを見る。なにか言いたそうにしている駆に「えーとなになに」とリトリィが読心の魔術を使う。
「え、マスターそれ本気?」
「なんて言ってるズラ?」
「魔界に行きたいってさ」
「魔界ズラか!?」
駆の考えにニ体とも驚いている。その反応から乗り気ではなさそうだ。ポクが申し訳なさそうにしている。
「マスター、魔界はオイラ悪魔たちからしても恐ろしい場所ズラ。こことは比べものにならないほど強い悪魔がうようよしているし。何体もの魔王によって支配されていて力のない悪魔は奴隷みたいに生活しているズラ」
魔界。駆には知る由もない場所だがそこを知っているポクからすれば近寄りたくない場所のようだ。悪魔ですら恐れる世界。駆の想像以上に弱肉強食のようだ。
「もしオイラたちも目を付けられたら捕まえられて奴隷送りにされてしまうズラ!」
「それはい~や~だ~」
ポクの説明にリトリィも頭を抱えている。いつにも増してリアクションが激しい。
ニ体の主張はよく分かる。恐ろしい場所だというのも分かった。
だけどそこに一花がいるのなら。駆に迷いはない。