夢
荒廃した世界を歩き続けていく。人のいない町。空虚で希薄な世界。
俺たちは廃墟となったテナントの隅に腰を下ろしていた。コンクリートの床と空っぽの棚、辺りに散らばったなにかの破片。でもやつらの気配はない。心休まる時なんてないけれど歩き続けた体にはうれしい空間だ。
『大丈夫か?』
隣に座る香織にそっと声を掛ける。食べ物は見つけられなかった。それに体力的にもたいへんなはずだ。
『うん。大丈夫だよ』
だけど、彼女は気丈にも笑顔を浮かべる。俺に心配をかけたくないんだろう。彼女の笑みは無理しているのが分かった。
『……ごめん』
なんとかして見つけたかった。なんでもいいから食べさせてあげたかった。それが叶えられず申し訳ない。
『謝らないで。聖治君が謝ることなんて一つもないよ』
『でも』
『そうでしょ?』
俺は言うけれど、なおも香織は笑顔で言ってくる。
『うん、そうだな』
そう言われては違うとは言えず、小さく笑う。
『私こそ、ごめんね』
『ん? なぜだ?』
彼女が謝る理由が分からず素で声が出る。
『聖治君が私のために頑張ってくれてる。なのに、私はなにもできてないなって』
『そんな』
俺は正面を彼女に向け肩に手を置いた。
『それこそ香織が気にすることじゃない。俺がしたくてしてることだ』
『それを言うなら、私のこの気持ちだって同じだよ』
彼女は俺の顔に向けそう言った後下を向いてしまった。顔は見えなくなるが声から辛そうなのが伝わってくる。
『聖治君のそばにいたい。でも、聖治君の重しにはなりたくないよ……』
『香織』
なんでそんなこと。俺はそんな風に思ったことなんて一度もない。
『香織。俺は君が重しだと思ったことなんて一度もない。むしろ救われてる。こうして俺のそばにいてくれて何度心が救われたか』
『それは!』
香織は振り向き俺の顔を見る。彼女は泣きそうな顔をしていて、そして、悲しそうに表情を歪ませる。
『それは、私だって同じだよ。聖治君がいたから今まで生きてこれた』
彼女の言葉に、俺の胸が熱くなっていくのが分かった。
俺も、香織も、互いがなにより大切なんだ。相手のことを自分のこと以上に心配してしまう。それくらい、大切なんだ。
俺は香織の肩に置いていた手を放し、彼女の手を掴んだ。
『ずっと一緒にいよう』
『うん』
『約束だからな?』
『うん!』
俺たちは並んで座り、彼女の頭が肩に寄りかかってくる。繋いだ手の平から彼女の温かさを感じる。
彼女を感じるすべてが、俺の生き甲斐だった。これだけで、この世界でも生きていくんだと思える。
彼女の髪が頬に当たるのがくすぐったい。
静かな時間が過ぎていく。人類が敗北し、地上はやつらが跋扈する地獄に変わったなんて思えないくらい、ここは静かだ。
『私たち以外にも、人はいるのかな』
『どうだろうな』
彼女のつぶやきに俺もつぶやく。
『こういう時、携帯があれば便利なんだけどね』
『衛星は落とされ発電所は壊されちゃったけどな』
『もしまだ使えたら、聖治君は話したい人いる?』
『んー……』
『まさか私以外に女が!』
『あのなあ』
そのたくましい想像力には頭が下がるがもっと違う方向に向けてくれ。
話したい相手、か。聞かれても、どうだろうな。欲しいとは思うのに、なぜかパッとは浮かばない。俺は誰と話がしたいんだろう。
『そっか、そうだよね。お父さんやお母さん、クラスのみんな。全員、いなくなちゃったもんね』
答えはなかなか浮かばない。その理由を香織が代弁してくれた。
そう。連絡手段があったって、今更かける相手もいない。
みんな死んでしまった。それを知っている。無知が罪なら既知は罰ってか。知っているから夢を見ることもできない。辛い現実を押しつけられるだけだ。
『じゃあさ』
そこで香織は声を明るくして言ってきた。
『天国に繋がる電話なら、誰と話したい?』
『天国?』
『うん。天国』
『はは』
ずいぶん現実とはかけ離れた設定だな。でもそのくらいファンタジーな方が会話も弾むか。
『天国、か。そうだな』
知り合いは死人の方が多くなってしまった。だからこそ話をするなら誰がいいだろうか。両親。友人。迷ってしまう。
『一人だけだよ?』
『それなら』
一人だけ。一回きりのテレホンだというのなら決まってる。別れてしまった人と話せる最後のチャンスなら使い道は一つだ。
『俺は、兄さんと話がしたい』
『お兄さん?』
香織の確認に頷く。
俺には一人の兄がいた。年は十離れている。兄さんには心残りがあって、それを解消したかった。
『言いたいことがあるんだ。別れ際、それを言いそびれてな。むしろ、ひどいことを言ってしまったんだ。それを謝りたいなって』
その時のことを思い出ししみじみと思う。最後の別れになるかもしれない。それが当時の俺も分かっていたはずなのに、なぜ素直になれなかったかな。
『……そっか。いいお兄さんだったんだね』
『ああ、自衛軍にいてさ、志願兵だったけど。入隊すると手当が出ただろ? 何度も俺を守ってくれた。いい兄貴だったよ』
この世界で生きるためには悪魔から身を守るだけじゃない。厳しい生活にも耐えなくちゃならない。そうした中で両親は他界し俺を養ってくれたのが兄さんだ。いろいろ苦労もあったと思う。それは感謝していた。
『ただ、頑固だったけどな。それに口数が少ないからなに考えてるのか分からないし、怒ると怖いし』
が、人間いいところばかりじゃない。むしろ家族だからこそいろいろな面が見える。仕事場じゃ優秀だったんだろうけど、家庭でも高い評価と聞かれればそれはノーだ。
『強情で融通が利かない。隣にいると息が詰まる』
家庭が身も心も休まる場所だと言う人もいるだろうが、それは自室の中だけでそこから一歩外に出れば兄さんがいると緊張感が走る。気が気じゃない家というのは堪えるものだ。
『ふふ』
いつしか愚痴になっていたが香織は笑っている。
『なんだ、おもしろいか?』
見れば香織は口に手を当て微笑んでいた。
『聖治君、お兄さんの話になるとよく喋るから。よっぽど好きだったんだなって』
『そうか? てか、感謝もあるが文句だってあるぞ。言うほど好きってわけじゃ』
『ううん。ほんとに嫌いな人なら、そんな風に言わないよ』
本当にそう思っているんだろう、彼女は嬉しそうに笑っている。
『そう、かもな』
兄に対する思い。いろいろあるけれど、なんだかんた好きなのかもしれない。
『いろいろ、世話になったからな』
地獄のようなこの世界で俺は兄さんに守られてきた。養ってもらったという意味じゃない、本当に命を救ってもらったこともある。
怖い人だったけど、でも。
あの人の力と態度には出さない優しさに、俺は憧れていたのかもしれない。
『だけど、死んでしまった。死亡通知書が届いてさ』
『そうなんだ……』
このご時世珍しい話じゃない。探すまでもなくそこら辺に転がっている話だ。
『あ』
しまった、つい暗い話になっちゃったな。
『悪い、楽しくなかったな』
『ううん。聖治君の話が聞けて私は楽しかったよ』
『そうか』
こんな話だけど、香織は笑顔で俺に話しかけてくれた。
『もう寝よう。明日も周囲の探索をしないと』
『そうだね』
俺たちはそのまま床に横になった。布団やベッドなんて贅沢は言ってられない。落ち着いて寝れるなら岩の上でもいい。
床が冷たい。コンクリートなので固く寝心地はよくないがそれに文句をつける気にはならない。もう慣れたものだ。
それよりも彼女が隣にいてくれること。その方が嬉しい。
『おやすみ。聖治君』
『ああ、おやすみ』
俺は彼女の顔に声をかけ瞳を閉じた。
一日が、終わる。