再現
うそ、だろ? 彼女まで、俺のことが分からないのか?
「あ」
なんて言えばいいのか分からなくて、言葉がひっかかる。
「俺のこと、分からないのか? 俺だよ、聖治だよ!」
「え!? ごめんなさい。そう言われても」
「落ち着け落ち着け」
俺たちの間に星都が入ってくる。
「さっきも言ったけどお前怖いくらい必死なんだから少しは考えろって」
納得できなくて、そんなはずないって思うのに、
「…………」
彼女は俺を、戸惑いの眼差しで見上げている。
全身から力が抜けていく。そのまま彼女から距離をとった。そんな顔をさせたかったわけじゃない。でも、そんな目で見られたら、俺がとても惨めな存在なんだと思えてくる。
俺はみんなに背を向け屋上の柵へと手を置いた。グランドを見下ろし心を落ち着ける。
「沙城、お前はもう帰ってろ」
「え、ちょっと待ってちょっと待って。彼私のこと知ってるの? うそ! もしかして子供の頃公園で遊んでその時に婚約してたのを今でも覚えてるとかそういう」
「いいから帰れ!」
「でも」
「か、え、れ!」
「そんな~」
背後でなにやらやり取りがされているがそんなことに気が回らない。それから星都が近づいてきた。
「沙城も覚えてないってよ。どうだ、満足したか?」
「……ごめん。時間をくれ」
彼女なら覚えているかもしれない。現に前の世界では覚えていたんだ。
だけど、この世界では違う。覚えているのは俺だけ。
誰も俺を知らない。あんな悲劇があったのに、それすらもなかったことになっている。心も頭もパンク寸前で、ろくに考えがまとまらない。
三人には先に帰ってもらい俺は一人屋上に戻った。まだ感情の整理がつかない。とりあえず落ち着かないと。
状況を整理しよう。
俺は香織と別の世界にいた。そこは今のような平和な世界じゃなくて荒廃し誰もいない世界だ。そこで俺たちは一緒に生きていた。前の世界で香織は私たちは未来から来たと言っていたがあれが未来の世界なんだろう。俺はそこで五本のスパーダを得た。そこまでは覚えている。
次に分かるのは前の世界のことだ。そこに俺たちは未来から来た。目的はロストスパーダと呼ばれる二本のスパーダを未来に持って帰ること。しかし未来の記憶を俺は持っていなかった。その後香織を含め三人は魔来名に殺されてしまい、俺は香織の魂に触れたことで未来の記憶を断片的ながら思い出せた。しかし俺も殺されてしまう。
しかし俺は生きており、さらにその世界ではみんなと初対面だ。このことから単に過去に戻ってきたというわけじゃない。ではなんだ?
とりあえず分からないのは、なぜ俺は生きているのか。そしてなぜ世界が微妙に違うのか。この二つだ。細かいことは他にもあるがこの二つは特に重要だ。俺はしばらく考えてみたが結局答えは分からなかった。
その後教室へと戻る。それからのことはよく覚えていない。淡々と時間が過ぎていき、気が付けば放課後となっていた。
昇降口で靴に履き替え、夕焼けに染まり始めている空を見上げる。
茜色がきれいだ。雲が模様を作って色合いに濃淡がある。空の景色なんて気にも留めなかったのに、なんでもないこの景色がどこか美しく感じる。
でも、そうか。
夕焼けか。そんなもの、未来の世界じゃ珍しかったもんな。
あの場所は、いつも灰色だったから。
今日は、夕焼けが赤い。
顔の位置を元に戻した。この気持ちを夕暮れで黄昏ていても仕方がない。自分が立たされている状況はだいたい分かった。でも実際にはなにも解決していないんだ。
この世界は俺の知っているものとは部分的に違っている。教科書やスマホで調べたが歴史や一般常識は同じだった。日本の首都は東京だし消防車は赤いしチョコ菓子ではたけのこ派が優勢だ。世界の真実はなにも変わっていない。
前の世界を終わらせたセブンスソードも、覚えているのは俺だけなんだ。
「ん?」
そこで歩き出していた足を止めた。
「ちょっと待て」
しまった、馬鹿か俺は!
今はあの日から三日前なんだから、セブンスソードはまだ始まっていないんだ。ならこれから始まるかもしれない。
なんてことだ。世界の異変に気を取られてこんなことを見落としていたなんて。
でもどうする? セブンスソードは始まっていない。でも、始まると決まったわけでもない。俺のことを誰も知らないように、セブンスソードもこの世界ではなくなったことになっているんじゃないか?
「くそ!」
どっちだ? あれはこの世界でもあるのか? どうなんだ?
なければそれに越したことはない。でも、もしあれば。
迷っている暇なんてない。
俺は通話アプリから聞いていた星都と力也にチャットで文を送る。
『星都、力也。帰り道だけどフードを被ったやつに気をつけろ。それと今日はすぐに帰ろ』
送信するとすぐに星都から返信があった。
『は? なんのことだよ、今朝の続きか?』
『聖治君、その話は終わったんじゃなかったのかな?』
『頼む! これで最後だから。もしなにもなければそれでいいんだ。違ったら絶交でもなんでもいい、だから頼む!』
文を送る。待ち時間が心苦しい。頼む、分かってくれ。
ピ。返信の音がきた!
『だからこえーよ(笑)。なんでそんなに必死なんだよ。別にいいよ、どこにもいかねーよ。その代わりなにもなかったらお前明日なにかおごれよ』
ピ。
『聖治君がそこまで言うなら僕もいいんだな~。それにそんなことで絶交なんてしないから安心して欲しいんだな』
力也……。それに星都も分かってくれたか。
『分かった、二人ともありがとう。それと沙城さんの番号は知らないからどっちか伝えといてくれ』
二人は了承してくれた。とりあえずホッとする。香織の番号は聞いていなかったからな。
たしか俺が魔卿騎士団、あのフードを被った槍男と出会ったのは今日だ。そこで俺は襲われた。星都と力也は話をされただけのようだからこの世界でもし起こっても大丈夫かもしれない。
分からないのは香織だ、彼女はどうなる?
まさか、俺と同じように襲われたりするのか? あの時は彼女が助けてくれたから無事だったが。
ピ。星都から送信がきた。
『沙城にも送ったけど返事がないな、たぶん切ってるわあいつ』
「くそ!」
なんてことだ!
どうする? いや、決まってる。こうしてはいられない。
前の世界では香織も学生寮だった。転校生と在学生という違いはあるが、転校生の俺が学生寮で目が覚めたんだ、彼女もきっと同じはず!
なら帰り道は分かる。
俺はカバンを捨てて走った。全速力で体を動かす。夕焼けに染まった通学路、いつしか周りは閑静な住宅街になっていた。
間に合え、間に合ってくれ。
また君を失うなんてこと、絶対に!
させないって、誓ったんだよ!
道を走る。すると彼女の後ろ姿が見えてきた。
しかも、その先にはフードを被った黒の外套服、槍を持ったあの男が立っていた。
男が槍を香織に向ける。
「神剣!」
走る中で叫んでいた。
「パーシヴァル!」
煌めくスパーダ、俺だけが持つ魔法剣を手に取り男の突きを防いでいた。
「きゃあああ!」
「なに?」
間一髪で二人の間に入る。槍を剣で払い構える。フードで顔は見えないが声と中から覗く白い髪からあの時と同じやつだ。
「出たな、魔卿騎士団!」
やはり変わっていなかった。この儀式は世界が変わっても不変のものとして続いているんだ。
「ふざっっっけやがっててめえら!」
セブンスソードという非道な儀式の管理人、俺たちをこんなものに巻き込んだのがこいつらだ。この世界に来てからの鬱憤も合わせてぶつけてやる。
「ほう、お前はちゃんと分かってるって感じだな」
「忘れられるか!」
こいつは知らないだろうが俺はお前に一度腹を切られてるんだぞ。
「えっと、君はたしか」
俺の背後には彼女がいる。姿は見えないが声が震えているのが分かる。
無理もない。俺だって最初はそうだった。
「転校生の、聖治君……?」
「香織」
「え」
「君は下がっててくれ」
フード男から目を逸らさずに、俺は剣を構え続けた。
「君は、俺が守る」
「ふぁ……」
あの時果たせなかった思いを、今度こそ果たすために。
「ハッ、どうもやる気満々だな。だが剣を向ける相手が違うんじゃないのか? お前が斬るべき相手は後ろだろ?」
「いいや、お前で合ってるよ」
「ほー」
男が呑気に声を上げる。でもさすが魔卿騎士団の幹部だけあってか隙もなければ荒々しい戦意は肌に刺さるほどだ。こうして対峙してみるが、勝てる気がまるでしない。
でも、ここで退けるか。
こいつと彼女は戦ったんだ、俺を守るために。
そして、俺は一度戦いから逃げてしまった。そのせいでひどいことになった。
俺はもう、戦いから逃げない!
「まあいい」
すると男が槍の構えを解いた。槍を地面に立てている。
さらには踵を返し歩き出していった。
「なんであれお前も参加者だ。どういう思惑かは知らないが最後まで生き残ればそれでいい」
「逃げるのか!?」
「そもそも戦う理由なんてないんでね。それに」
男は足を止め、フードに隠れた顔を俺に向けてくる。
「あんま調子のんな。てめえを殺すのなんてわけないが、趣旨じゃねえんだよ」
そう言うと男は波紋のように揺れる空間に中へと消えていった。ここにあった強烈な存在感がなくなり緊張が緩む。
俺は重い荷を下ろすように気が緩む。だがすぐに悔しさがわき上がる。今の俺ではあいつは倒せない。
「……くそ」
「あ、あの! ありがとうございました!」
それで俺は背後へ振り向いた。彼女は頭を大きく下げている。すごいな、九十度くらい下がってるんじゃないか?
香織が顔を上げ俺を見てくる。
「ほんとうに助かりました」
「ううん。それよりも無事でよかった」
彼女を守れたことに自然と笑みが浮かぶ。自分の力のなさを嘆きたくなるが、彼女が無事だったことは喜ばしいことだ。彼女を守れたんだ。俺の手で。
「あの、それで、あれはいったいなんだったんですか? それに、その手に持ってるものは?」
「それは」
当然だよな、いきなりあんなのに襲われて俺まで剣を持ってたら気にならないわけがない。思えばあの時の俺も今の彼女と同じだった気がする。
「あれは」
どうしよう、なんて答えればいいんだろう。あれは魔法も使える秘密組織でその儀式に君は巻き込まれているんだって? 屋上での繰り返しになりそうだ。
「大丈夫です」
俺が困っていると彼女はしっかりした表情で俺を見上げていた。
「信じられるかどうかは聞いてみないと分からないですけど、頭ごなしに否定しようなんてしませんから」
言いにくいことだと察している。だから彼女は言っている。
そう言ってくれて、俺も話す気になれた。
「実はなんだが」
「やっぱり、公園で……」
「公園? いや、それは関係ないな」
「あ、そうですか……」
それから俺は彼女に話をした。屋上では彼女には話していなかったから長くなってしまったけれど、これまでの経緯を俺は伝えた。
彼女は、考え込むように俯いていた。
「信じ、られないよな」
「…………」
彼女は答えない。まだ迷っているみたいだ、すんなり納得できるような話じゃない。
「すぐには信じられないと思う。でも、これが俺の知っていることだ。今日はすぐに帰った方がいい」
「はい……」
彼女の声に元気がなかったが俺は歩くことにした。今日はさすがに寄り道せず帰るだろう。あのフード男が改めて襲うとも思えない。
「あの」
と、彼女から呼ばれ振り向いた。
「どうして、聖治君は私を守りに来てくれたんですか?」
「…………」
質問に答えられなくなるのは俺の方だった。
彼女と俺のこと、未来のことはあえて伏せていた。セブンスソードの危険とは関係ないし、要らぬ混乱を与えたくなかったんだ。
でも、聞かれてしまうと別だ。
君とは昔つき合っていたんだ。そう言いたい気持ちがのど元まで出掛かっている。もしかしたら思い出してくれるかもしれない。そんな甘い期待が後押しする。
でも、それで引かれたり、さらに混乱されるのは嫌だ。
「ロストスパーダ、って聞いて、なにか心当たりはあるか?」
「え、ロストスパーダ?」
前の世界で彼女が探し求めていたもの。これを覚えているだろうか。
祈る気持ちで彼女の答えを待つ。
「いえ」
「……そうか」
答えは予想通りだった。
それだけ分かれば十分だ。俺は彼女に背を向けて今度こそ去っていった。




