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数年前、まだ駆と一花が幼い時。
二人には親がなく、小学校から帰るのは小さな孤児院だった。身寄りのない子供たちがここに数人住んでいる。
彼らはどこかで感じていた。
同じなのに、どこか違う。
周囲の人たちとの見えない隔壁を。
理由は様々あれど、事実は一つだ。
親がいない。
目を逸らすことも出来ない、それは欠損に似た心情だった。それをどこかで、そして常に感じている。周りとは違うという虚ろな穴が付きまとう。世界からの孤独感というのがどこかにあるのだ。
それは、駆も同じだ。
他の人との違い。みんなにはいるのに自分にはいないという違いはどうしても意識してしまう。意識してしまえば線引きがされる。線引きがされれば区別される。少数派という立場に置かれ、それだけで畏縮してしまう。子供ならなおさらに。
そのためか、駆は一人を好いていた。誰かを意識して自分に足りないものを自覚するくらいなら初めから誰もいない方がいい。それは同じ孤児が集まるここでもそうで、駆は孤児院の隅で一人座っていた。なにをするでもなく、ただ一人の時間が過ぎていく。
そんな時、駆の元に一人の女の子が近づいてきた。
「ねえねえ駆、なにしてるの?」
内向的な性格の駆にも臆面もなく話しかけてくれる女の子。
相川一花だった。
二人ともまだ小学低学年で、彼女の愛くるしい瞳が駆を見る。駆とは対照的に明るく活発な女の子だ。そこには境遇を感じさせない、道路の隅で咲く花のような力強さと美しさがある。
一花の声掛けに駆は顔を背ける。
そして、『喋った』。
「別に。なんでもないよ」
なにもする気はない。後ろ向きな駆の発言に一花は両手を腰に当てる。
「もーう、駆は暗いなあ」
「そんなこと言われても……」
一花の明るさから顔を背けるように駆は目線を下げる。そんな駆に一花はやれやれといった様子だったが、おもむろにスカートのポケットに手を入れる。
「そういえばね、駆の机にこれがあったんだけどさ」
「勝手に開けないでよ」
「いいじゃんかー」
「よくないよ」
奔放な一花にいじける駆。
「それでさ」
一花はポケットからあるものを取り出すと、それを駆に差し出した。
「これ、ハーモニカ。駆これ吹けるの? わたし聞いたことない! 吹いてみてよ!」
珍しいハーモニカに一花は興奮気味だ。ワクワクしているのが顔色からも伺える。
一花が差し出すハーモニカ。それを見た瞬間駆の表情は強張りさらに差し出された手を振り払った。ハーモニカが手から離れ床を滑っていく。
「なにするのよ!」
突然叩かれたことに一花が怒鳴る。いきなりこんなことをされ大きな目が吊り上る。
「いやだ、吹きたくない!」
駆の激しい拒絶。体を丸め下を向いている。それは単に吹きたくないというだけではなく、なにか特別な理由があるとしか思えないほど強いものだった。
「どうかしたの?」
一花が尋ねると、駆は少し間を置いてから話す。
「お母さんが……」
その言葉に一花も察する。彼に同情し、聞いてみる。
「駆のお母さんがどうしたの?」
一花は屈み駆と同じ目線の高さに合わせる。駆は下を向いたままだったが、小さな声で答えてくれた。
次第に、体は震え出していた。
「公園で、お母さんが、これの練習をしてなさいって。そう言ってくれたんだ。ぼく、ずっと練習してたのに、お母さん、来なくて。ぼく、ずっと、何時間も練習して、頑張ったのに……! でも、来てくれなかった……!」
駆の瞳から涙がこぼれる。辛い過去が駆の心を揺らしている。
ハーモニカは駆にとって家族との決別の思い出、自分が捨てられた時の、プレゼントだったのだ。
公園で一人きりで演奏していた。けれど通り過ぎていく子供や大人たち。しまいには母親すら聴いてくれなかった。
誰も。ただの一人も聴いてくれなかった。
その音を。自分の必死な思いを。練習していればきっと迎えに来てくれるという、子供ながらの必死の願いを。




