三度、師を裏切ること
真善きもの、最も強きもの、完全に純なもの、あらゆる意味で完璧なもの、如何に言葉で表すとも足りないが、我等の短き人生に於いて、そのようなものに出遭うことは有り得ない、と言っても過言ではない。
この穢れきった世界で、いや、人ある故に、生命あるが故に穢されたこの地で、そのようなものは存在しないし、もし仮に居たとしても、あまりに稀なため、我々がそれを見出すことはどれ程困難か。我々がこの世に生を受けたことと比しても、それは奇跡的と言える。
私は世の倣いに飽き足らず、一人の人物に我が身、我が民族、人の世の未来を託した。いや、それは誤謬があるかもしれない。私には結局それができなかったとも言えるから。
言葉にするのも畏れ多いことだが、あなたは「神」に会ったことがあるだろうか。夢の中でも何でも良い。その言葉を聞いた、と思ったことがあるか。あるいはその存在を感じたことがあるだろうか。もしくはそのような主張をする人物と会って、話をしたことは。
何を言うのかと怒ったり、または笑い出してしまった方は、私はある意味では正常だと思う。例え自分の前に、己が神である、と言って現れたものを、本気で信じる者がいたとしたら、それは白痴か本当にどうしようもない馬鹿者だろう。どうしてそれが紛い物であったり、逆に悪魔などでないと言えるのか。それらが詐欺師、あるいは邪な者だ、ということは明らかだろう。
誤解を恐れず有体に言うと、我が師は自身が神、またはそれに準じる者だと常々主張していた。私は師を、私が知る限り最高の人物だとわかっていたが、結局その言葉は信じなかった。それは代弁者としても天才的だった師なりの方便だ、と考えていた。私は結局自分自身の判断を、理を重んじ捨てなかった。これが師に対する私の第一の裏切りだろう。
我々は師と我ら弟子による少数のグループを核として行動していた。我等の民族の主流派とは対立しつつあった。そして、師ご自身の力により、その人気と信頼は目に見えて大きくなってきていた。師は、良くも悪くも原理的であり、純なだけに劇物でもあった。つまり、我が民族の権力者達にとって無視できない目障りで危険な存在となった。私は師こそ我等の王にふさわしい、と考えていたが、師の考えは全く違っていた。私はこれには甚く失望した。
このままでは恐らく我らは師もろとも全員消される。文字通り、元も子も。どこにも逃げる先はない。敵は我々の「同胞」だから。異民族よりもむしろ身内が最悪の敵、という皮肉な情勢であり、我らに安寧の地はもはやこの世になかった。もし私に、私達に生き延びる道があるとしたら、師を売り渡すぐらいだろう。
驚くべきことに、師は私がこのようなことを考えているのを見抜いておられた。私は口にしたこともなかったはずだが。普段から智や理を拠り所にしがちだった私だが、師のそれは私などをはるかに凌駕していた。逆に他の弟子達はそのようなことは思いもしなかったのだから、愚かだとも言えるし、私などより余程、純真で無垢だった、とも言える。
師は普段からおっしゃっていた。実際に行動に起こさずとも、その悪しき行為を思うだけでも罪であると。私はその便利ではあるが小賢しい、危険ではあるが恃むところでもあった智力によって、つい師を売り飛ばす大罪を犯していたのだった。私は戸惑い、畏れた。これが私の師に対する第二の裏切りになる。
私は師に断罪され、破門されることも覚悟したが、師の下した言葉は私の想像を絶するものだった。私が考えたように、私達が生き延びるとしたら、という仮定の下で、簡単にできる、決して実行されるべきでないはずの計画を、今すぐに為せ、と。つまり師を私の手で売れと。
私は師の命に抗わなかった。それがまちがいなく師の意志だとわかっていたから。私は師の僕に過ぎなかったから。師は自らを贄として我らを生かすつもりだった。
私は捕らえられた師が処刑されることを知って震えた。師は既に私の前にない。私の轡と手綱を持つ者は誰もいない。私は事ここに至って自らの弱さと愚かさを悟った。私は師の弟子の中でもそれなりに優れた者のつもりだったが、そうではなかった。
私は、購えぬ自らの罪を購うため、命を絶った。だが結局のところ、私の人生の殆んどすべてでもあった、最愛の師を失って色を失くした、この穢れた世から逃げ出すための口実に過ぎなかったかもしれない。これが第三の、私の師への最後の裏切りとなった。
あくまでも物語、ということで・・・ 「彼」はその衝撃的な行動、孕む矛盾故にピックアップされてくる人物ではあります。
「彼」はそのクズムーブに相応しい俗物であり、「師」の死後なぜか他の弟子達が聖者になったように、「彼」も善人になった、と考える方が自然かもしれません