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レオ

作者: Ao

 深夜2時すぎに、スマホが鳴った。


 友人のミィからだ。


「アンナ、あした、ひま?」


「ひま」 


「頼みたいことがあってサ」


「用件による」


「おるすばんを頼みたい」


 ミィはいやにもったいぶってそれ以上くわしいことを話さなかった。


 多少気になったものの、あたしは深追いしなかった。布団にくるまってホラー映画のDVDを観るのにいそがしいからだ。「別にイイよ」と言っておいた。


「じゃ朝9時に待ち合わせ」


「早っ」


「あとでスイーツおごるから」


「まあいいか」


 こういうワケであたしはミィに会いにいくことになった。



 あたしは生き霊を生み出す念力が、人並み以上に強い。


 小学校の頃、両親が平日にふたりきりで日帰りの旅行にいった。


 その日、あたしは登校した。


 体育の授業がいやでいやで、ノンキに旅行を楽しんでいる両親をひたすら呪った。


 すると後日、両親が旅行先で撮った写真にあたしの生き霊がぼんやり写っていた。


 また、高校のとき、好きな男子に迷惑をかけた。


 オクテだから告白できずに、うちの布団のなかでひたすら好きです好きですと念じていたら、あくる日にその男子からストーカー扱いされた。


 前の晩、かれの枕もとにあたしの生き霊が現れ、猛アタックされたらしい。


 いまのところ、ミィに対してはそういうトラブルはなかったけれど、そのうちバレるかもしれないと不安と恐怖におちるときもたまにあった。


 ミィとあたしは1年ちょっとの付き合いだ。


 おたがい大学2年生で、経済学部に所属。あたしは栃木から、ミィは福島からこの地方都市《しもぺ市》に越してきた。


 将来的な展望はいまのところナシ。この夏休みはともに両親のスネをかじりつつ、ゲームをしたり、DVDを観たり、まんがを読んだり、とダラダラ感まるだしで過ごしていた。週3日TSUTAYAでバイトするのがあたしなりの背伸びと苦労だ。



 朝日がまぶしかった。


 あたしは自転車をこぎ、ミィとの待ち合わせ場所のガスト前へ向かった。


 アクビが出た。寝足りなかった。


 ミィは先に来てた。白いカットソーにくるぶしまでのジーンズを履いている。


 ミィのうちまで徒歩で5分。行くのはハジメテだ。


 家賃6万円のマンションはなかなかに快適そうだった。オートロック、南向きで日当たり良好、ウォシュレットつき。けれど契約の決め手になったのはペットOKなことだとミィは言う。


 ミィは黒猫を一匹飼っている。あたしは実際に見たことはなかったけれど、いかに可愛いかミィから話はきいていた。


 名前はレオ。


 オス。


 まっ赤な目にまっ赤な首輪をしている。


「捨て猫だったの。1年くらい前に、情に負けて拾ってきたんだ。まっ赤な目って珍しいでしょ。泣きはらしたように見えて」


 と、ミィは言ってた。


 レオをはじめて目にして、あたし、


 「猫か。へー」


 というくらいにタンパクな気持ちしかなかった。もとより動物に興味のないたちだ。


「おるすばんしてレオのようすを見ていてほしい。理由はそのうち分かる。わたしの勘では」


 とミィは言った。


 かのじょが出してくれたお菓子をつまみながら、あたしは軽いノリで了解した。


「冷蔵庫にいろいろあるから好きに食べてよ。あ、こっちにいろいろDVDあるから」


バスルームの前にピンクの洗濯籠があった。洗濯物が山盛りになっている。


「洗っておこうか?」と、あたしはきいた。


「あ、それいじらないで。他のものもできるだけそのままにしてて」


「何時ごろもどる?」


「それがさぁ、わかんない」


「ふうん」


「あ、メールするかも」


「うん」


 と、あたしは小さく答えた。ミィに気を使っているじぶんがいる。


「じゃレオをお願い。この棚にえさを二回ぶん用意してあるから、メモに書いた時間になったらあげてほしい」


 あたしはミィを見送った。しばらくモヤモヤにとらわれた。


 9時22分。


 黄緑色の座イスに座って、レオを眺めた。


 《レオくん、こっちは猫初心者ですよ。悪いけどあつかい方なんて知りません》


 レオはタンスの前であちらこちらに目を向けていた。


「挙動不審じゃん」


 とレオに声をかけた。レオはあたしを見さえしなかった。


 それにしてもミィは一体どこへでかけたのか。


 隠すってことはやっぱ……

 

「カレシできたのかなあ。いいなあ」


 と無意識につぶやいた。


 レオはすましてバスルームのほうへ行った。追いかけようと思ったけど、面倒の衝動にあっさり負けてやめにした。


 黒いTVが置いてあって、あたしの目に新鮮に映った。きほん、スマホでドラマとアニメしか観ないニンゲンだから、うちに置いていないのだ。


 たまには観よっか、とリモコンで電源をいれる。


 すぐに消してしまった。プールの映像が映ったからだ。プールを見るだけで吐き気がする。


 友人の部屋とはいえ、なんだか居心地が悪くなってきた。


 寝てしまうことにした。


 ぱるるるるっ!


 とスマホが鳴って目が覚めた。


 確認してみると、ミィからのメールである。


《レオ、今何してる?!》


 と、ひとことが書いてある。周囲を見たらレオがいなかった。時刻は午前11時11分。けっこう寝てたらしい。


 バスルームの前に行ったらレオがいた。洗濯籠に山盛りになった洗濯物の上でぐったりしている。あたしをじろりと見ていた。


 ミィにメールを返した。レオの写真を添付して。


《レオ、ぐったりNOW 》


 送信後、すぐにミィから電話がきた。


 「レオ、どうしてた!?」


 息があがっているようだ。


「えっと、え?」


「レオ、なにしてた!?」


 あたしはぼうっとする頭で考えた。


「ちょっと、アンナ!ちゃんとレオを見てた!」


「ええと」


 一瞬、見てたよとウソをつこうと思ったけど、


「寝てました~。なはは」


 と、おどけてみせた。


 ミィは怒ったものの、興奮冷めやらぬらしく、


「スゴイ!スゴイ!」


 を連呼している。


 よくよくきいてみると、ミィの声の奥から駅のアナウンスが届いてくる。それから、まもなく電車が発進することを告げる朗らかなメロディが届いてくる。


 ミィは今、地下鉄《しもぺ駅》のホームにいるらしい。そこは《しもぺ線》が走っている。開通したのは一年ほど前だ。


「アレハ、ぜったいにレオだよ!スゴイスゴイ!」


 そんな意味不明な台詞をききながら、あたしはレオとにらめっこをつづけていた。

 

 それから30分後、慌ててミィに電話した。


「急用ができた。帰っていい?」


 止められるかと思いきや、ミィはすんなり受け入れてくれた。


「オッケー!これから帰るから!いろいろありがと!アンナ、やっぱレオってただの猫じゃない!」


 なんのこっちゃわからない。


 とにかくあたしは預かっていた部屋のキーをミィの部屋の郵便受けに入れた。


 いそいで自転車に乗り、しもぺ駅をめざす。


 マツヤマさんから、こんな呼び出しのメールが入ったのだ。


《山下さん!


 ぼく、いま、しもぺ駅にいます!


 ちかぼう、きた~!


 山下さんってしもぺ駅の近所でしょ!?


 助手を頼みます!


 スマホの充電がきれそうでやばいです!


 よかったら14時にしもぺ駅で!》


 内容のはんぶんは理解できなかったけど、あたしはかつてないほどの速さで了解メールを送った。


《行けます!


 よかったらあたしのスマホ使ってください!》


 マツヤマさんは心理学部の3年生で映画サークルに所属している。いままでサークルの仲間とスマホの短篇映画を何本も作ってきた。あたしは映画が大好きだからかれの映画制作にできるかぎり協力しようと決めていた。かれもそれを理解してくれて承諾していた。


 あたしはペダルをこぎながら、ふと思った。


 《ちかぼう》


 って、なんか1年前くらいから噂になっているアレか、と。


 しもぺ線ののぼり列車。


 走行中に窓の外を見ていると、闇に満ちた壁に、とつぜん光輝く半透明の化け物が現れる。


 化け物は列車とおなじ方向へ移動しているように見えるらしい。


 それはいつ現れるかわからない。


 乗客が驚くのもつかの間、化け物はすっと消えてしまう。


 化け物の目撃談はおもしろいように食い違った。

 

 ニンゲンのように見えた、いやいや、エイリアンのように見えた。けれど各メディアで盛り上がるだけで、結局のところ正体はわからずじまいだった。


 航海中のニンゲンを驚かす海坊主になぞらえて人びとは、化け物を


 《地下鉄坊主》


 と呼んだ。


 それがいつのまにやら略され、


 《ちかぼう》


 になった。


 あたしがちかぼうについて知っているのはこれくらいだ。興味なかったし、ばかばかしいなと思っていたから。


 地下鉄しもぺ駅は人びとでごったがえし、まるで東京のラッシュアワーのようだった(実際に体験したことはないけれど)


 みな、ちかぼうが現れるのを待っている。見たがっている。駅員たちが混雑やメディアの対応に追われていた。こんなに活気のあるしもぺ駅は見たことがない。


「山下さん、こっち!」


 人混みのなか、マツヤマさんがこちらに手をあげている。あたしは人をかきわけ近づいた。


「いやあ、きたね!ちかぼう!でるって噂はホントだった。今回はハッキリ見えたってね!スマホ持ってる?」


「はい、充電バッチリです」


「よし!次の電車に乗ろう!出来るだけ窓際へ行くんだ」


 しもぺ線ののぼり車両がゆっくりやってきた。


 ぎゅうぎゅう詰めだ。乗客はみなホームとは反対側の窓に向いていて、スマホをかまえている。


 電車が到着し、扉から吐き出された人びとが口々に、あ~今度は見れなかったよ、次はいつだよ~、などと文句を言っていた。

 

 ここまできたらあたしはちかぼうにお目にかかってみたいと思った。


 あたしとマツヤマさんは、ひとに揉まれながらもなんとか5番車両に入り、なんとか奥の窓際へやってきた。


 マツヤマさんは不恰好な体勢で、手首だけでスマホの撮影準備をした。


「テレビの速報、みた?」


 あたしは不恰好な体勢で首をふった。


「えっ、じゃ視聴者の投稿動画みてないの?」


「みたんですか?」


 マツヤマさんはうなずいて言った。


「まさか、ちかぼうが猫だったとはね」


 駅員のトゲのあるアナウンスを機に、電車が動き出した。


 

《……猫、だって?》



 電車内は意外にも静かだった。人いきれが充満するなかで、ちかぼうが現れるのを待つ。


 電車は通常どおりつぎの駅、さらにそのつぎの駅にとまった。


 けど誰ひとり降りはしない。


 変化が起こったのは乗車開始から25分後だった。


 乗客が一気にざわめいた。


 あたしはしかと見た、窓の外で光に包まれた黒猫が進んでいるのを。


 《レオだ!》


 と、すぐにわかった。


 真っ赤な目に、真っ赤な首輪。


 それがレオであるしるしだった。


 やがてレオは消えた。1分も現れなかった。


 マツヤマさんと電車を降りたあと、あたしはミィに電話した。


「やっぱレオでしょう!ちかぼうはレオでしょう!」

       

 ミィはまた興奮した声を出す。


「どういうこと…」

 

「とにかく!も一回うちに来て!」


 そうミィは言った。


 マツヤマさんだって興奮している。あたしはかれのスマホに、撮影したレオの動画を転送した。そうして別れた。


 動画を何度見ても、ちかぼうはやはりレオだった。



 1時間ほどしてあたしはミィの部屋にいた。


 テレビを観るふりをして、横目でレオの動きを見守る。


 レオはあたしの周りをうろうろしていた。けど、あたしが寝たふりをすると、バスルームのほうへきえた。


 あたしは抜き足差し足で、レオの行き先をのぞいた。


 レオは例の洗濯物の上で何やら必死にじたばたしていた。


 《なにしてんの?》


 バスルームの隣のトイレに隠れているミィも同じキモチだったろう。ミィはトイレのドアの隙間から興味しんしんのまなざしでレオを見ていた。


 やがてレオは疲れたのか、ぐったりした。


 と、いきなりトイレからミィが出てきてリビングに走った。それから、たち上げてある端末をみて、わあ、と声をあげた。


 あたしも画面をのぞく。わあ、と思わず言った。


 ツイッター上で、ちかぼうがしもぺ線の窓から見えたという目撃情報がつぎつぎに更新されていた。テレビのニュースをつけたら、ちかぼうの情報が大々的に報じられている。


 あたしとミィは、理由はともかくちかぼうはレオだと結論づけた。


「予想どおり。レオがじたばたすると、しもぺ線の窓の外にちかぼうが現れる。レオはどうもあたしが見ていないときによくじたばたやるみたい。どきどきあたしがいるときもやったりしてたけど、遠慮してるみたいだった。


 遠慮してると、しもぺ線の外に現れるちかぼうはぼんやりとしか見られない。でもレオは今日みたいにあたしに見られてないと思いっきりじたばたする。で、ちかぼうがくっきりと現れる」


 ミィはそんな法則を導きだし得意顔だ。あたしは驚きに流されるままだ。


 気がつけば、20時を過ぎていた。


 レオは身を小さくして寝ていた。


 ミィは近くのコンビニにいって夕ごはんを買ってくるといった。


「今日はとまっていきなよ」


「そだね」


「ふと思ったんだけど」


「うん」


「レオの動き、クロールしてるみたいだった」


 ミィが表に出ていったあと、あたしはイヤな思いに沈んだ。

 


 ふいにプールの光景が浮かんだからだ。


 あたしは幼少の頃にプールで溺れかけ、死にかけた。それ以来、水の中で泳いだことは一度もない。学校でもプールの授業中は隅で眺めていた。


 ただ、泳ぐことへの憧れは強烈にあった。

 

 とくにクロール。あの動きはあたしにとって言い様のない魔力があった。


 プールがイヤなのに強烈に泳ぎたい。そんな思考に何度とらわれかけて避けてきただろう。


 あたしはなにげなく、バスルームへいった。


 洗濯物の山はまだそこにあった。あたしは山を平らにするとうつぶせに寝てみた。


 本気でここでクロールしたらどうなるんだろう?


 あたしは衝動にうながされるまま、カラダを伸ばしてクロールしてみた。もちろんお腹に違和感があったが、続けた。


 右、左、息継ぎ、


 右、左、息継ぎ。


 そのうちバタ足をくわえた。


 それが弾みとなってあたしは妄想のプールの中を泳いだ。



 《あ、このプール、いい》


 《あたしに優しい》


 そのときだ、


「わ、なにしてんの?」


 うしろからミィの声がした。がさがさと買いもの袋の音もする。


 とっさにあたしは寝たふりをした。


 なんてこった。いちばん見られたくない姿を見られてしまった。



 やがてミィは驚きの声をあげた。つづいてツイッターの画面ををみたらしく、その瞬間にさらに大きな驚きの声をあげた。


「起きろ起きろお!」


 とミィにオシリを叩かれ、促される。


 恥ずかしさに鞭打って、ミィを見ないように立ち上がった。


 端末をみるとあたしは唖然とした。


 投稿動画だった。しもぺ線、のぼり車両内の窓の外で、光に包まれたあたしが空中を泳いでいたのだ。


「これ、あたし?」


 動画は数分前にあげられたものだった。ちょうどあたしがクロールしていた時間に。


 あたしとミィは顔を見合せ、声を合わせ、


「ヤバい!」


 と口走った。



 生き霊としか考えられない。分身、ドッペルゲンガー、呼び名はなんでもいい。


 あたしの水泳への執着心が、しもぺ線に現れたアレを生み出したンだ。それ意外に思いつかない。


 あたしはぽつりぽつりミィにプールで溺れかけたトラウマを打ち明けた。さらに生き霊についてのあれこれも惜しみ無く話した。家族以外のひとを相手にそうするのははじめてだった。


 これまでミィを友人と言いながらも、ミィに素を見せるのを怖がっていた自分。けれどいちばん見られたくない姿を見られたのだ。ミィのレスポンスが怖かったけれど、どうにでもなれ、となんだか開き直ってしまった。


 と。

 

 意外だった、ミィにくすぐられるなんて!


 あたしは笑った。


 ミィも笑った。

 

「まったく、アンナもレオもあたしに遠慮しすぎだ。ちょっと落ち着こう」


「そだね」


 あたしたちは騒がしいメディアをいっさい遮断した。そうしてまたコンビニにいってお酒とお菓子をを買ってきた。そういえばこうして飲むのもはじめてのことだ。


「生き霊にカンパイ」


 と、ミィはビールの缶をあたしに差し出し、


「や、ドッペルゲンガーって言ったほうがクールかな。いいや、略しちゃえ。ドッペルにカンパイ」


「ドッペルにカンパイ」 


 と、あたしは自分の缶をミィの缶にくっつけた。


 こんなときにノンキなことをしている自分がおかしかった。



             ●



 みなさん、あの猫はわたしが飼っていたのです。


 猫を捨てる気はなかったのに、わたしが目を話した隙に誰かに拾われてしまったのです。


 あの猫は泳ぐことが生き甲斐でした。


 わたしは毎日毎日あの猫を小さな池で泳がせておりました。けれどその池は、しもぺ駅の建設にあわせて埋め立てられました。


 同時にあの猫は元気をなくしました。泳がせる場がなくて、わたしも苦悩しました。


 わたしはホームレスゆえ、猫に風呂場も提供できません。そんなときにあの猫はだれかに拾われてしまいました。


 《ちかぼう》を実際にこの目でみたとき、わたしはすぐにあの猫だとわかりました。


 同時にあの猫の怨霊が、泳ぎを断念したあの猫の怨みが、ちかぼうをうんだのだと解釈しておる次第です。ちかぼうが出現するのは決まってあの池があった場所なのですから。


 わたしはどうしても知りたい。あの猫がどうやって現世を去ったのか。それだけは知りたい。


 飼い主のかた、もしこのワイドショーをみておりましたら、どうぞわたしにご一報ください。



             ●



「いやいや、レオは死んでないから、お爺ちゃん」


 と、ミィがテレビに映っている白髪の老人に言った。老人は昼のワイドショーにゲストとして出演し、レオへの想いを全国へ訴えていた。


「でも、ナットクって感じだな」


 と、ミィは二日酔いのあたしにつぶやいた。それから膝にレオを乗せて、背中を優しくなでている。


「そっか。おまえ、やっぱり泳ぎたいンだ」

 

 しみじみした口調だった。


 ミィはやがてあたしを見、


「アンナ、レオを返しにいこっか」


 静かにそう言った。


 あたしは言った。


「返す前にやりたいことがあるんだけど」



  2時間後、あたしはミィの部屋にいた。水泳用の水着を着て、横目でレオの動きを伺っている。


 近くにはミィのふかふかの布団が敷いてある。


 しばらくしたら、レオがバスルームのほうへ消えた。例の洗濯物の山は準備してある。


 あたしは水中眼鏡を目に当てた。布団の前で前かがみになり、ジャンプする姿勢をとる。


 ミィはいま、トイレに隠れてレオが洗濯物の上で泳ぎ出すのを待っている。


 あたしは集中した。


 目の前に、青く透き通った水面をみた。


 美しくて優しい色。


 恐くない。


 レオと一緒に泳いでみたい。


 そんなわくわくだけがあたしの胸にあった。


 と、


 そばに置いてあるあたしのスマホがバイブした。


 ミィからの合図だ。レオが泳ぎ出したのだ。


 あたしはプールに飛び込んだ。



 数日後、


 もとの飼い主のお年寄りに、レオを返した。


 その帰り道、あたしとミィはしもぺ線ののぼり列車に乗り、レオとの思い出話にハナを咲かせた。


 乗客はまばらで悠々と座れた。レオもあたしの生き霊も、日に日に忘れられていく。

 

 レオの生き霊は最近現れない。ようやく泳げる場所をみつけたのかもしれない。

 

 それでよかった。


 レオとともに地下鉄しもぺ線のそばを泳ぎ、ひとびとをビックリさせた投稿動画は、いつでもみることができる。けれど動画を見なくたって、こうして地下鉄にゆられるだけで、あたしはカンタンに思い出せる。


 あの優しくて、美しい水を。


 あの愚直な猫の、情熱的な目を。

 

                     (終)




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