Seal98 なんにも知らない
(あれはなんだったのかな?)
職務終了後、ましろは更衣室で着替えながら、忍海と一緒に舞台で歌ったことを思い出していた。
あれからしばらく忍海はぼぅとしていたが、少し経ってからハッとして、またパフォーマンスを始めたのだった。
その後、舞台を降りてから理由を訊こうとしたが、忍海と話す機会がことごとくなかった。
わざと避けているようにましろ自身思わされたほどだった。
そのため、なぜ忍海がパフォーマンスを中断したのかいまだにわからない。
とともに、一緒に歌っていて抱いた、喉に魚の小骨がひっかかったような違和感。
どれだけ考えても頭のなかにクエスチョンマークが積み重なるだけだった。
本日何度目かわからないため息がましろの口からもれる。
「ましろん、ため息ばかりだと幸福が逃げちゃうよん」
「お、忍海さん!?」
「やっほー」
そこには私服に着替え終わった忍海の姿があった。
「なにか悩み事? アタシでよければ聞くけど」
「悩み事っていうより、今日の舞台の上で忍海さんが歌っていなかった時がありましたけど、あれはなんだったのかなぁって考えてただけです」
「あー、あれね。直接訊いてくれればいいじゃん。いや、ちょい歌詞とんじゃってさー。焦った、焦った。パイセンらの曲歌うの地味に久々だったし。でも、ましろんがつないでくれたおかげで復帰できた。ありがとね、ましろん」
忍海が笑みを浮かべる。
言い分は、一応筋は通っていた。
そう言われればその通りだが、なぜか心に引っ掛かるものをましろは感じた。
「そう言えばましろん、千歳になんか言った? アイツなんか今日ちょっと変だったからさ」
ましろはしばらく考え、覚悟を決めたように口を開いた。
「はい、男の人なんですか、って訊きました」
「それで、か」
忍海がはぁ、と息を漏らす。
胃液の代わりに香水がたまっているのかと思うほど芳しい。
「忍海さん」
「なに?」
「千歳さんって男の人なんですか?」
やや間があった。
「ましろんに訊きたいんだけど、それじゃあアタシは男か女どっちに見える?」
そう言われて、ましろは改めて忍海を注視した。
胸元がざっくりとあいたカットソーからは鎖骨がのぞき、肩ひもが緩んで斜めにずれた薄い黒色のキャミソールが透けている。
ボトムスはベージュのワイドパンツ。
足の甲にクロスが入ったウェッジソールサンダルの間からは、ピンクのなまめかしいペディキュア。
鼻先をくすぐるフルーティーな香り。
その香気に思わずましろは眩惑される。
「女性です」
きっぱりとましろは自信を持って言い切った。
「なにで判断した?」
「見た目ですかね?」
「見た目かぁ……」
「忍海さんはもしかして、男のひとなんですか」
「違う、違う、女だよ。アタシは誰が言おうと正真正銘女。それで千歳は男。そして、アタシの王子様」
「そうですか……」
「なんか納得がいってないって感じだね」
「だって……」
「そもそも、ましろんはさぁ、男と女ってどうやって分けてるの」
「さっき言ったように主に見た目ですかね。考え方も違うって聞いたことがあります。あとは……女性のひとしか子供を産めないですよね」
忍海の頬に一瞬、寂しげな翳がよぎった。
「その純真さは食べちゃいたいくらいに憎たらしいね」
忍海がぽつり、とこぼす。
「ましろん、ひとつだけいいことを教えてしんぜよう。世の中、目に見えていることだけがすべてじゃない。それだけは肝に銘じてたほうがいいよ」
会話が途切れた。
底無し沼の表面のような謎を秘めた静けさであった。
ましろが着替えに戻ると、忍海が口を開いた。
「ねぇ、アタシからもひとつ訊いていい?」
「なんですか」
「ましろんは、なんのためにアタシらに近づいたの?」
唐突な質問にましろは一瞬、息をするのを忘れた。
「いや、どんだけ考えても、それだけがわかんなくてさー。ほんとうにriwegが必要なんだったら、もっと早く接触してただろうし。このタイミングで近付いたわけがわからないんだよね」
自身の爪をいじりながら、忍海が口にする。
こんなにあっさりとした調子で、訊かれたくはない質問だった。
「考えられる筋としては、ましろんがアイドルとして活動するために、千歳に戻ってくるよう仕向けるために接触した、かな。アタシが活動を再開すれば千歳が戻ってくるだろうって黄金さんなら考えてもおかしくないし」
返答が遅れた。
嫌な汗が吹き出て頬を伝う。
「おっ、その反応マジかー」
「ち、違います。それに黄金さんは忍海さんの名前しか言ってません!」
余計なことまで喋りすぎたとすぐに悟り、ましろは口をつぐむ。
「黄金さんとましろんのつながりをアタシは知ってんだから、そんな失言みたいな反応しなくていいよ」
忍海がちょんちょんとましろの頬をつついた。
「それにたぶんアタシの名前しか出てきてないのは、アタシをダシに千歳を連れ戻すためだと思うよん。アタシの存在はおまけ、おまけ」
「なんでそこまで忍海さんは自分を卑下するんですか? 私、riwegの曲を聴いて、そして、ここで忍海さんのパフォーマスを見て、この人と一緒にアイドルをやりたいって私自身思ったんです。きっかけは黄金さんから言われてかもしれませんけど、それが今の私の気持ちです」
「ふーん、で、それは本当にアタシじゃなきゃダメなの?」
尖った言葉だった。
見つめられるとたじろぐような、強靭な意思を瞳に秘めていた。
「ましろん、アタシのことどれだけ知ってる?」
「えっ」
「たかだか数週間でアタシの何がわかった? そもそも、riwegが休止した理由知ってんの?」
「それは……」
自身の声から、力が失せるのを感じ、次の言葉が続かなかった。
「それにあれだけ舞台の上でアタシとの距離があっても、ほんとうに一緒にやりたいって思った?」
裸の言葉が胸に突き刺さる。
石を投じられた水面の波紋のように胸に広がっていく。
忍海もましろ同様にそう感じていたことを知り、ただ唇をかむことしかできない。
忍海がわざとらしくため息をつく。
「ましろん、何にも知らないじゃん。はっきり言って、いまのましろんの言葉は薄っぺらいよ。一緒にやろうとする人間のいいところも悪いところも含めたうえで、それでも一緒にやりたいと思える相手じゃないと
ただの数合わせにすぎない。相手にとってそれは失礼なことだよ」
その声は、ふいに恐怖を感じたぐらい冷ややかだった。
ましろはひゅっと内臓が縮み上がるのを感じた。
目と鼻の先で冷たく硬質な眼光が瞬いている。
「アタシ、アイドルは好きだよ。今でもその気持ちは変わんない。でも、誰とでも一緒にやりたいわけじゃない。ましろんはね、忍海桜が欲しいんじゃなくて、アイドルになってくれる誰かが欲しいだけなんだよ」
視線のなかに茫漠とした寂しさが寒々と広がっていた。
「アタシのすべてを知ってから、それでもアタシとアイドルがやりたいっていうんなら、真剣に考える。けど、いまの感じだとアタシは一緒にしたいと思わない」
忍海の声から拒絶の針が幾本もつき出していた。
その迫力に無意識に半歩後ろに下がってしまう。
お疲れさま、それじゃあね、と告げ、忍海はそのまま更衣室から出て行った。




