Seal92 信奉者
「どこか、パーティーにでも出席してきましたの?」
「いえ、今日の用事は針中野さんとお会いするだけでした」
「そうですの……」
言いながら、針中野は目線を下げた。
平端は黒サテンのストラップレスドレスを身に着け、胸元には黒蝶貝のペンダントが光っている。
そんな格好をしているのに輪をかけて、グラビアアイドルであった母親の遺伝子を引き継いでいるのか、胸に関し蠱惑的なボリュームと芸術的な均衡美を両立させている。
であるから、同性であってもいやでも目を引く。
胸のあたりを見ていた視線をくっ、とあげる。
針中野の視界に、緊張気味の平端の表情が映る。
格好とは対照的に化粧の方はおとなしく、アイラインは目尻にだけ軽く入れられており、ベージュ系の落ち着いた口紅を塗っているのみだった。
控えめな化粧をしているにもかかわらず、場にそぐわない派手な雰囲気がした。
カバンと紙袋を片手に持ちかえ、平端がドレスの裾をひっぱりながら、媚びたような視線を針中野に向ける。
「あの、……似合いませんかね?」
「そんなことありませんの、銀杏さんにぴったりですわ。すてきですの」
針中野の言葉に平端は花が咲いたように、表情を明るくする。
「お褒めいただき、大変光栄です。針中野さんのお宅にお呼ばれするということで、ご用意いたしました。私の普段着では貧乏くさくて、この家に足を踏み入れるのさえ恐れ多いですしね。こちらのリビングなんて、私の住んでいる部屋がそっくりそのまま入りそうです」
平端がへりくだって言う。
にしても、限度があるだろう、と針中野は思う。
決して、パーティに来ているわけではない。
あくまで上司の家を訪ねているだけだ。
貧乏くさくてもなんら支障をきたすことはない。
にもかかわらず、そこまでめかしこんでくるのは、それほどまでに彼女が慕ってくれている証なのかもしれないが。
「それにしても、本当によかったです。男どもの気持ち悪い視線に耐えながら、たどり着いた甲斐がありました」
会話を返しながら、平端は時折針中野から視線を外し、背後に控えている秘書をチラリ、と盗み見ている。
しかし、あえてその存在に触れようとしない。
どうやら、存在を無視することに決めたようだ。
「たしかに、その格好で電車にお乗りになっていれば、ジロジロ見られそうですわね」
「はい、大変ぶしつけな輩が多かったですよ。しまいには、ナンパ目的で声を掛けてくる馬鹿もいましたし。下半身が脳っていうんですかね? そういう人間に限って、男を挑発するような格好の女性は遊んでいると決めつけますし、地味な格好で控えめな話し方をする女性はウブで、優しいなどという幻想を抱き、自分は女を知ってるって勝手な思い込みをするんですよね。実際、そんな公式通りの女性の方が珍しいのに」
「ヒートアップしていますわね」
「お見苦しいところを申し訳ありません。ですが、男の勝手な思い込みで被害にあってきたのは一度や二度じゃ済みませんので」
熱を帯びた目に憤激がほとばしる。
ピアスが照明をちかちかと反射する。
平端の唇の下には強くかみすぎたためか、赤い線が走っていた。
「そもそも私の場合、身体の線が出ないように、肌の露出が少なく地味でおとなしい服装をしてもそういう扱いを受けるんですよ、この余計な脂肪の塊のせいで」
平端は自身の胸を両手で抱え、持ち上げた。
その声には、激しい憤りがにじんでいるかのようだった。
「それなら、自分が好きな服を着たいですし。そもそも、そんな有象無象のためにおしゃれするわけじゃありませんしね。自分がしたいからするだけです。ほんとうに余計なものですよ。ここだけは母親譲りではない方がよかったんですがね」
失われたなにかを悲しむような表情だった。
平端が胸から手を離した。重力に従い、落ちる。
彼女のなかで膨張したなにかが吐息とともに消散した。
「せっかく久しぶりにお会いしたのに、私のことばかりですみません。再会に暗い話は似合いませんよね。男とかいう下等生物はここにはいませんし」
針中野は苦笑で応じた。
「にしても、銀杏さんは大人っぽくなりましたわ。前回会ったのは何年前になるのでしたか?」
「一応、いまや私もアラサーで係長ですからね。最後にお会いしたのはたしか六年前ですね。針中野さんが海外に異動になってから、一度もお会いできませんでしたので……。本来であれば、VOTの7thライブは海外で開催予定でしたから、現地でお会いできるはずだったんですけど、あの事故が発生してしまって……」
事務方とはいえ、VOTに曲がりなりにもかかわっていかたらか、思い出してしまったのだろう、平端が顔をゆがめる。
が、すぐに首をぶんぶんと振り、話題を変える。
「針中野さんはお変わりになりませんね」
「そんなことありませんの。白髪は増えてしまいましたし、体力の衰えも酷いものですわ。身体のあちらこちらにガタがきていますの。人生も最終コーナーへと差し掛かったことを自覚し始めましたわ」
「なにをおっしゃることやら。針中野さんはまだまだお美しく、女を捨てておらず、誰にも媚びず、かっこいい私の一番尊敬する方のままですよ。針中野さんがあの地獄から救い出してくださってなければ、きっと、いまごろ私は……」
そのまま言いよどみ、言葉を呑み込んでしまった平端に目をやる。
彼女は自身の爪先を見つめていた。
唇がかすかに震えている。
ふと、彼女の母親の唇と似ていることに気付いた。
やはり、親子なのだ。
思えば、黄金もそうだった。
ハッと気付いた平端が軽くせき払いをする。
「そうそう、針中野さんはあの当時、海外のグループ会社でヴァーチャルリアリティーを用いたプロジェクトにたずさっておられたんでしたよね。なんでしたっけ? あのエリ、エリ、エリンギではなく、エリ、エリマキトカゲでもなくーー」
「至福者之島プロジェクト」
「そうそれです!」
いままでふたりの会話に加わっていなかった回答者に視線をぶつけ、目が合った瞬間、平端はばつの悪そうな顔をする。
それに対して秘書は、自身の言葉の波紋をまったく気にしていないようだった。
彼女が続ける。
「至福者之島プロジェクト。生前に肉声、姿形、匂い、その人間が持つ癖などをデータ化しておき、死後、仮想現実で死者に邂逅することができるデジタル・コンテンツプロジェクト。古くはオーストラリアの会社が立ち上げたプロジェクトが元になったと言われています」
秘書の話し方は妙に丁寧で、回想記でも朗読するように淡々としていた。
「当時から、当該プロジェクトに類似するものに対しては、倫理的に悪であるだとか死者に対する冒涜だという声もありました。が、その後も類似するプロジェクトは世界中で続けられ、2019年には韓国において、ほぼ生前と同じ人間と交流できるヴァーチャルリアリティープロジェクトが現れ、耳目を集めました。このほぼという理由は、見た目や声、動き等については高い再現率を誇ったにもかかわらず、生前の人間が持つオーラや雰囲気までは再現できなかった点からです。姿かたちは全く同じでも、まったく違う人間ができてしまったのです。結局、その後もあまたのプロジェクトが乱立されましたが、どれだけ精巧なホログラフィックを構築することができても、そのうちの誰ひとりとして、オーラや雰囲気と言ったものまでは克服することがかないませんでした。……弊社のグループ会社も例にもれず」
秘書は話し終えると、また口をつぐんだ。
沈黙が流れる。
平端は秘書の頭の先から足元まで、視線を二回ほど往復させる。
かなり時間がたって、口を開いたのは、平端の方だった。




