Seal85 大根役者
「いったい何の話だ?」
反射的に尋ねた次の瞬間、馬鹿なことを聞いたと黄金は激しく後悔した。
真っ向から見つめる瞳が、さらに失意の色に沈んだのに気付いたからだ。
「やはり、まったく気付いていなかったのですわね」
「好きだからつけてたんじゃねぇのか?」
「ええ、白檀の香りは好きですわ。それは否定いたしませんの。けれども、一応わたくしも女。本来、人と会うときに毎回同じ香水ばかりつけませんの」
「だったら、なんで」
「気付いてほしかったんですの」
「気付くだぁ?」
黄金の反応に針中野がため息をつく。
「そうですわ。ときにココちゃんは、白檀という花の特徴を知っていますか?」
「知らねぇよ」
「だと思いましたの」
「なら、最初から訊くなよ」
「白檀は発芽してしばらく、自分の力で養分をとって育ちますの」
針中野は黄金を無視して、話を進めた。
「植物なんて大体そうだろ」
「ええ、おっしゃるっとおり植物は大抵そうですわ。けれど、白檀はしばらくすると、他の植物の根に寄生して、そこから栄養を吸いとり始めますの。まるで、吸血鬼のように」
言葉がこぼれ出た薄い唇の間から、小さく並ぶ歯がわずかにのぞいていた。
それを目にして、前触れもなく黄金の膝頭が小刻みに震え出してくる。
「決して白檀だけでは生きていけず、周りに寄生して、寄生先がだめになったら、また新しいところへ寄生いたしますの」
針中野が言葉を切る。
「誰かにそっくりだと思いませんか?」
多くを言わなくてもわかるだろう、というような顔を針中野はした。
誰のことを言っているのか、当然黄金にもわかった。
「先程の質問に答えられなかったことで、確信いたしましたわ。あなたは役者になりたかったのではなく、ただ寄生先が欲しかっただけですの」
「……違う」
「『望月項子』に寄生し、彼女がだめになったら、お父様。そして、お父様もだめになった」
針中野が歌うように言う。
「いまは誰に寄生していますの?」
針中野が自分に何を言わせたいかが、黄金にはわかる。
空気がやけにねばつくように感じる。
「オレは役者で居続けたかった。だから、今もこうして『明星黄金』でいんだよ」
「でしたら、わたくしが役者の道も用意したにもかかわらず、なぜ断りましたの?」
「紫歩のためだよ。アンタひとりの相手を紫歩ができるわけがねぇからな」
「質問を変えますわ。でしたら、なぜあの事故のあと、紫歩さんにあのような選択をさせましたの?」
触発されたように、ある一場面が脳裏によみがえる。
「でしたら、なぜアイドル事業部の再建をしようといたしませんでしたの?」
絶望がひたひたと浸水のように、胸に広がる。
「でしたら、なぜアイドル事業部移転のときに、その計画を阻止しませんでしたの?」
窒息しそうで、何回も深く息を吸った。
「あなたが本当に役者で居続けるために、『明星黄金』でいたのなら、そんな選択はきっと出てきませんでしたの。それはお父様と約束をしたご自身が一番わかってると思いますわ」
左右の耳から冷水が注ぎ込まれたように、一気に頭の中が冷たくなる。
なぜ、父親とのふたりだけの約束を知っているのか?
携帯を握る手にさらに力が入った。
「自分ひとりで生きられないから、美旗紫歩が求める『明星黄金』でいようとしてるだけですの」
なにかを考えることを、身体が拒否していた。
「個人の努力じゃどうにもならねぇことだってあるだろ」
黄金の口から漏れ出たのは、無意味な言葉だけだった。
一瞬場が静まり返った。
が、すぐにその静寂はやぶられた。
まるでくすぐられてでもいるかのようにヒステリックな笑いによって。
何かの拍子でスイッチが入ったように笑いが制御できなくなることはある。
しかしながら、針中野のそれはどう考えても愉快で笑っているのではないように黄金は思った。
「何がおかしい」
不自然な哄笑がぴたりと止まる。
「面白いことをおっしゃると思っただけですわ」
「オレはなにも面白いことを言ったつもりはねぇがな」
針中野が、黄金の顔を見据えた。
胸の奥底まで見通すような眼つきであった。
「努力じゃどうにもならないことなんてありませんの。脚本なんて自分の意思でいくらでも書き直せますわ」
非難とも失望ともつかぬ声色で、針中野は続けた。
「事故の件のときも、アイドル事業部を形だけ置くことに決定されたときも、事務所移転のときもやりようはいくらでもありましたの」
どこかに止まっていた蜂がまた動き出した。
「むしろ、真実を明らかにしたほうがよかったですし、アイドルが下火とはいえ、募集をかけるぐらいはできましたし、アイドル事業部を再建するためには、あれだけ音響にこだわったレコーディング室を手放してはだめですの」
「言葉ならなんとでも言える。オレが属してんのは組織だ。アンタは会社をつぶす気か」
「資本金数千億の会社がつぶれるのを見るのもいいかもしれないですわね」
針中野の瞳が柔らかく溶け、いたずらっぽい笑いがにじみ出す。
震えを通り越して、身体が痺れるのを感じた。
「あなたはペンを与えられる立場でありながら、努力と呼べるようなことは一切せず、紫歩さんの思う『明星黄金』を演じるだけの永遠に同じことを繰り返すつまらない脚本を書き直さなかった。ただ、それだけですの」
針中野がトン、と黄金の胸あたりに人差し指を突き付けた。
台詞の入らないままに舞台にあがった役者のような惨めな心境。
なにも言えなかった。
針中野の言うとおりだった。
父親との約束を果たすために『明星黄金』でいたのに、いつしか昔の自分に戻っていたようだった。
相手が持つ答えに一致していただけの演技をしていたころの母親の操り人形にすぎなかった自分に。
父親ならどうしていただろうか、と考えたとき、なにも思い浮かばなかった。
「かわいそうですわね」
突然、針中野に手首を握られ、無理やりポケットから手を引き抜かれた。
抵抗しようにも、力が入らない。
ガラパゴス携帯を握る五指が順にほどかれる。
「わたくしがその苦しみから解放してあげますの」
針中野がささやく。
黄金の掌中にあったガラパゴス携帯が、針中野の手に渡った。
次いで、ガチャン、という音がした。
落下の衝撃で携帯のカバーがはがれ、電池パックがあらわになる。
それを見て、黄金の身体全体から空気でも抜けるように、支えが失われていく。
視界がぐらりと傾いた。
一瞬、気が遠くなり、本能的に近くにあるものに手をのばす。
「どうかなさいましたの?」
掴んだのは針中野の腕だった。
彼女は空いているほうの指先を黄金のあごにかけて、無理やり上を向かせた。
そこには、冷笑しているようにゆるく閉じられた唇があった。
針中野が瞳に喜色を浮かべる。
「わたくしがあなたに最高の寄生先を用意してさしあげますわ」
じわじわと言葉が、自分を見る目が、心を支配しはじめる。
胎内へのひとときの回帰を誘うかのようにさえ思えた。
あごの下に添えられた指から針中野の体温が伝わり、黄金の体温があがる。
いつしか、あごにあった指は、首に移動し、さらにするするとおりて、黄金のネクタイに手を掛けた。
「やはり、こういうのは、あなたには似合いませんの」
耳のなかに直接言葉を落とし込むように、口をその耳に近付けて針中野が言う。
彼女はスッと顔を耳から引くと、そのまま、グイ、と黄金のネクタイを引っ張りーー
--唇を奪った。




