Seal77 なぜ、ういに頼まなかったのか?
ましろとの通話を終えたういは、ポケットからピスタチオの袋を取り出すと、殻を外してひとつ口の中に入れた。
コンピューターの画面に目を向ける。
表示されているフォルダのなかには、彼女が依頼していたものに加え、オマケというファイルが入っていた。
そのうちのひとつを開く。
ういは問題がないことを確認すると、カラー印刷ボタンを押した。
プリンターから、ジー、ジーというかすかな音ともに用紙が吐き出される。
一枚、二枚、三枚、四枚といずれも人物ひとりずつのスナップショット。
印刷の品質はまずまずで、色味も悪くはない。
だが、一枚足りない。
コピー機が赤く点滅している。
紙切れを起こしているようだった。
ピスタチオをもう一粒口に入れると、ういはコンピューター横の棚に買い置きしていた紙束を手に取り、コピー機にセッティングする。
ようやく最後の一枚が出てきた。
五枚を整え、重ねると、一枚一枚取っていった。
手許にあったボールペンでぐるぐると試し書きをする。
インクが出ることを確認すると、ファイル名を見ながら、それぞれのポートレートの主の名を書き込んでいった。
忍海桜
桜坂千歳
美旗紫歩
漕代ひばり
明星黄金
ファイル名に従い明星黄金の後ろに括弧書きを付け加えようとして、やっぱり辞める。
椅子に座ったまま、伸びをして、ペンをころんと机の上に投げ出した。
主要と考えられる登場人物はすべてそろっていた。
ういは再びマウスに手を伸ばし、メール画面を開くと、請負人に問題なかった旨返信する。
それを終え、メール画面を閉じたところ、ふと、フォルダの中にあるオマケという名のファイルが気に掛かった。
クリックして開く。
「ん?」
思わず、ういは小さな声をあげ、瞬きした。
画面いっぱいに開かれたのは、ましろの着替え中の写真であった。
×印へとカーソルを持っていこうとし、直前で気を変え、他の五枚と同じように、印刷をかける。
ジーという音を立て、すぐに出てきた。
印刷したそれに手を伸ばした、まさにそのとき、端末からういに対し、声がかかった。
「ういさん、そろそろ話してもよろしいでしょうか?」
一瞬、ういは驚いた。
あまりにも反応がなかったせいで、ましろと通話している最中も他の人間と通話をつないだままにしていたことを忘れていたのだ。
殻を剥いでピスタチオを口に放り込む。
かたわらに置いたままのイヤホンを、たったいま声が聞こえた端末に挿し込み、彼女は返答した。
「うん、いいよ……アイル」
「ういさん、お疲れさまです。うちはあまりに放置されすぎて、あやうく大切にとっておいたクルボアジェをフライングして、開封しそうになりましたよ。なんとか、いつも飲んでる日本酒を飲んで耐えてましたが、おかげで一升瓶が空になってしまいました」
そう言って、小月蒼月が苦笑した。
「待たせてごめんね、アイル。お疲れさま」
ういは棒読みめいて、軽くねぎらう。
「別に待たされるのはいいんですよ。ましろさんと会話なされてましたしね。けれど、問題はその通話後です。すぐに話掛けられると思いきや、数分間、言葉が飛んでこず、忘れさられたかと思ったぐらいです」
「わたしがアイルのことを忘れるわけない」
「過去幾度も忘れたことがある人間が言っても、まったく説得力がないんですけどね」
「そうだっけ? 昔のことは忘れた」
ういはそらとぼけて、答える。
「まぁ、その話はいいとして、……感謝していますよ、ういさん」
「しろに引き続いて、アイルもいきなりどうしたの? 酔っぱらった?」
「見くびってもらっては困りますよ。うちが、一升瓶程度で酔うわけないじゃないですか。まだまだしらふです。いまのは、ましろさんに言ってくれた言葉に対してのお礼ですよ」
「言葉?」
「『嫌ってないです。きっと、アイルがしろに質問されたらそう言うと思う』、って言ってましたよね」
「言ったかも。ただ、別にアイルならそう答えるって思ったから言っただけ。それ以上でも以下でもない。だから、感謝される筋合いもない。あと、ものまねのクオリティが恐ろしいほど低い」
「それでも、うちが感謝したい、って思ったから、感謝の意を示したんです。だから、素直に受け取ってください。あと、ものまねのクオリティは放っておいてください」
何もかもわかっているような笑いだった。
ういは、自分の頬が急激に熱くなっていくのを感じた。
机の下に置いていたミネラルウォーターをひとくち含む。
冷たい刺激が喉を落ちていく。
「それにしても、ましろさんはういさんの言葉に何も突っ込んできませんでしたね。ふつう、ご自身が教えてもいないのに近況を知り尽くしていたら、疑念を抱くと思うのですが……」
小月の言うとおり、うい自身もましろと会話をしていて、失敗したと思った言動はひとつ、ふたつどころでなかった。
いささか、ひやりとしたぐらいだ。
だが、ましろはなにひとつ疑問を抱かなかったのか、紫歩の話もアイドル事業部の話も会話のひとつとして、流していた。
うそをつかれている、誰かの手のひらのうえで踊らされている、そう思うことがきっとない。
広い世間にはどんな悪意が渦巻いているかということに想像力が及ばないのであろう、とういは結論付ける。
「しろは、わたしたちと違って何色にも染まってないから、人を疑うことを知らない。愚かで人畜無害な女の子」
「だからこそ、ういさんの脚本どおりに事が運んだと。うちとういさんが実は連絡を取っていることさえ、疑いもしませんでしたしね」
脚本どおりに事が運んだ。
結果論としては、そうなのかもしれない。
たしかにましろがアイドルになるという目標は達成できたといえるだろう。
けれど、ういが当初描いていた脚本とは到底違う。
請負人からの情報によると、ましろは最初、旧住所のほうに足を運んだらしい。
そして、そこで初めて事務所が移転していることを目の当たりにして、挙句の果てにカフェで財布をすられた。
請負人は犯人を見たらしいのだが、名は教えてもらえなかった。
彼女から得られた手がかりといえば、いずれ関わってくる登場人物だということぐらいだ。
その後、漕代ひばりと偶然出会い、新住所を訪れ、あとはましろと通話したとおりだ。
現実は、思い描くなめらかな話運びにならない。
それもこれも、ういが与えようとした情報の一部しかましろが受けとらなかったからだ。
そのとき交わしたやりとりが自然と頭に浮かぶ。
「夢への階まで他人任せにしてしまったら、それは自分で夢を叶えたことにならない、か」
「なにか言いました?」
「独り言」
芝居がかったため息をつき、ピスタチオを口に放り投げる。
「そうは言っても、ましろさんは心配になるほど純真ですね」
「でも、そんな性格だからこそ脚本における、いい役者だと思う、しろは。わたしが思ういい役者っていうのは繊細で、たえず良心の呵責にさいなまれ」
そして、ーー
「適度に狂ってる人間」
空のくずかごは、ういが投げ入れたピスタチオの殻をはらぺこの怪獣のようにスルッと呑み込んだ。
「これが難しい話で、大半の人間は自分が狂ってるかどうかなんてわからない。普通の人間が自身を狂ってると評価することもあるし、逆に狂ってる人間が普通だと評価することもある」
「そうですね。大体の人間は自分を客観視することなんてできませんから」
「けど、他人が見たら一目瞭然」
「で、ましろさんはういさんのお眼鏡にかなった、と」
「そう。きっと、普通の人ならこう考えるはず。初めから手を出さなければ、失うことに対し、怯えなくていい。だから、しない、って。でも、しろは失うことがわかりきってっても、手を出して、その結果、失うことに対し、怯えてる。まさしく、狂気の沙汰」
「たしかに、うちから見てもましろさんは狂ってますよ。ういさんもうちもですけどね」
「否定はしない」
「だからこそ、仲良くなれたと思うんですけどね。うちも、そして、愚妹も」
「そうかも」
なんと言えばいいのかわからずに、ぼやけた相づちを返す。
沈黙がとろり、と耳に流れ込んでくる。
ういは、大きく息を吸い、そして吐いた。




