Seal72 愚か者の演技
「なにその反応、チョーウケる。だって、ましろんってSEXY NOVAに所属してるんだよね」
きちんと相手の言葉を聞き取っているにも関わらず、意味がわからない。
冷水を浴びせられたかのように、両腕に鳥肌が立つ。
はったりかもしれないという気はあった。
忍海と目が合う。
彼女はほほ笑むと、突如として自身のバッグを漁りだした。
「あれどこいれたっけなー」
心臓が強烈に、胸の内側の扉をたたく。
「あった、あった」
忍海は薄い紙のようなものをバッグから取り出すと、またましろに確認の言葉を放った。
「じゃあ、もっかい訊くね。ましろん、SEXY NOVAに所属してるでしょ」
よくわからない嫌な予感がさっきから続いていた。
ましろにできた唯一の反応といえば、目を不安げに泳がせ、首を横に振ることくらいだった。
「そっか、じゃあ、これは他人の空似ってことかな」
片目をパチンと閉じると、忍海が人差指と中指で挟んだ紙のようなものの表側をましろに見せた。
紙と思っていたものは一枚の写真だった。
近くの街灯が切れかかっているのか、ちかちかと不規則な点滅を繰り返している。
唾を呑み込むと小さく喉がなり、背筋にざわめきが走る。
忍海が見せた写真の中でましろは、SEXY NOVAを出入りしていた。
そんなことも警戒していない自分を撮るのはプロでなくても、簡単なことのように漠と思えた。
けれど、問題はその次の写真だった。
「あっ、そうそう。もう一枚あったんだった」
忍海が先刻の写真をバッグにしまうと、新たな写真を指で挟んで見せた。
ましろは、全身の肌がしだいに泡立っていくのを感じた。
不吉な凶鳥のひしゃげた声がどこかで聞こえる。
目の縁の筋肉が細かく痙攣する。
膝頭に小刻みな震えが来た。目が合った。忍海が先ににやりとする。
「きれいに撮れてるでしょ」
ましろの目に映ったのは、自身がSEXY NOVAの更衣室で着替えている最中の写真だった。
「これも他人の空似ってわけじゃないよね、さすがに」
震えはやがて全身に広がる。ましろにはそれを止める術がなかった。
全身から変な脂汗がにじんでくる。
どんどん悪い方向に行っているのは間違いない。
忍海がほほ笑む。だがそのほほ笑みは、どことなく冷たかった。
「いまのスーさん風に言えばーー」
忍海が顔を五指で覆うポージングをとりながら、続ける。
「『諦めろ。貴様は梟に目を付けられた』ってな感じかな」
意味が分からなかった。
「ねーねー、ましろん! いまのメチャクチャ厨二病っぽくなかった?」
忍海が場違いにはしゃいだような声を出す。
目の前がだんだんと真っ白になっていく。
現実という膜が不意に破れたような感覚。
羞恥で身体が熱を持つ。
「汗、すっごいよん」
はっとして顔に手をやる。てのひらがぐっしょり濡れるほどの汗だった。
忍海が顔を近付け、小声で言う。
「これましろんだよね」
周りの風景がどんどん見えなくなるなかで、忍海はましろが目をそらしていた現実を露にしていく。
「ってなってくるとアタシらに近づいたのも偶然じゃないよね、もちろん」
少し間を置いた忍海は、確信をこめて口を開く。
なにかを言おうとしたが、声がでなかった。唇がまったく動かなかった。
忍海がやっぱり、ね、と低くつぶやく。
沈黙がとろり、と耳に流れ込んでくる。
どくん、と心臓の鼓動が耳にこだました。
盗撮という手段まで講じられるのは予想外だったが、ここで反論してはならないと思った。
反論する資格はないと感じた。
忘れそうになっていたが、ましろは黄金に言われて、忍海たちに近づいた。
その事情を彼女らには隠していた。
楽観的に考えてしまっていたが、それらはいずれ明るみに出る。考えてみれば、当然のことだ。
そのことに対し、ありとあらゆる言葉で罵倒されても致し方ない。
ましろはうつむいて唇を噛み締めた。
ふと地面に亀裂のようなものが走っているのが見えた。
亀裂はもぞもぞと動き、しばらく見つめてから、それが蟻の行列であることに気付く。
蟻は一匹の羽虫をまさしく運んでいるところだった。
「いやぁ、別にましろんを責めようなんて気はさらさらないよん。アタシにそんな資格ないし」
たまらず、忍海に視線をぶつけた。
「アタシもましろんにうそついてるから」
彼女はけろっとした顔で言った。
「ストーカーの件に関して、ね」
背筋がぞわり、となった。
「あっ、誤解しないでほしいんだけど、ストーカー自体はいたよん。それはうそじゃない」
忍海はわざわざ、「いた」という過去形を使った。
「ただ、梟は有能集団だから、ストーカーの正体なんてすぐわかったし、念書書かせてからは一切そういったことはされてないんだよね」
犯人はriweg時代のオタクだったよ、と付し、けらけらと笑う。
「それ、千歳さんは知ってるんですか」
鳥の種類でないことは間違いないものの、梟の意味は依然としてわからなかったが、話が脱線しそうだったので、ましろはそれだけ訊いた。
忍海は、しばらく考えてから、さぁ、と漏らした。
「言ってないから、知らないんじゃない」
耳を疑うような突拍子もない響きに、ましろは思わず、どうしてですか、と訊ねた。
「男の子はね、案外、単純な生き物なんだよ」
返答になっていなかった。
「リスクアセスメントとは、設備や作業方法又は作業手順書等を新規に採用又は変更したとき、その他、機械設備等の経年劣化や新規に得た安全衛生に係る知識等によりリスクに変化が生じ、または生じるおそれがあるときに実施することとされています」
瞬時に忍海の語る意味を図りかねる。
「61ページだよん」
ましろは、ぽかん、と自分が口を開けたままでいることに、数秒経ってから気付いた。
忍海がテキストに記載されているリスクアセスメントの項目をそらんじて見せたことを理解したとき、目の前にいるのが、安全教育の時に頭がオーバーヒートしていた人物とほんとうに同じなのか、と疑いたくなった。
「その顔は心外だなー。馬鹿を演じるには何がわかっていないと馬鹿に見えるか、どの程度の馬鹿だと引かれないレベルかまである程度理解しとかないといけないから、アタシも日々勉強してるんだよ、こう見えても」
困惑ぎみに彼女を見る。邪気の一点もない、無垢な笑みを浮かべていた。
「そもそも、いまはどうかわかんないけど、昔は千歳のほうが圧倒的に知識なかったしね」
ただ木々が風にしなる音が、我が物顔で駆け回る。
頭上から、瑞々しい葉が一枚、風にあおられてましろの膝に落ちてきた。
「さっき言ってた、アマモちゃんのVなんちゃらの一番最初の動画なんか、安衛法と労基法の違いもわからずに動画作ってったみたいだし。労働災害なくすっていうんだったら、働き方改革関連法案も関係あるっちゃ関係あるけど、どっちかっていうと労働災害防止計画の話持ち出した方が当を得てるし。たぶん、アイツにとって黒歴史なんじゃないかな、あの動画。地味に最後に地声とかも入ってたし」
瞳は、風のない湖のように静かだった。
しかし、湖の底には、得体の知れない何かが棲んでいそうだった。
「ましろん、いいこと教えたげる」
忍海はウインクをすると、唇の前に人差し指を一本立てて小声で言った。
「女の子はか弱くて少しお馬鹿さんなくらいのほうがいいってよく言われるけど、それは真実じゃない。
本当の意味はね、女の子は男の子にはなんらかの役割を与えてあげましょうってことなんだよ」
「役割ですか?」
「うん。例えば、ちょっぴりお馬鹿な女の子に、知らないことを教える優しい役だったり、女の子にはすんなりと持てないものを軽々と持つ頼りがいのある役だったり、女の子が他の人と仲良さそうに話してるのに焼きもち焼いちゃう役だったり、ーー」
ーーストーカーから女の子を護る誇り高き騎士の役だったり、ね。




