Seal67 いつ異世界転生してもいいように鍛えてる
空に夕焼けが赤く消え残り、あたりは薄暗くなり始めていた。
逢魔が時という言葉がふさわしい、非現実的な雰囲気が漂っている。
そんな空気の中、ましろは『Pieuvre』の裏口付近にある壁にもたれながら、心地よい風を身体に受けていた。
(忍海さん、まだかな)
ましろは忍海を待っていた。
彼女に、舞台に立てるようになったことの祝いとして、食事に誘われたのだ。
千歳も歯茎から血が出るほどに行きたそうにしていたが、ディナータイムの方も少し手伝いがあるとのことで、その願いはかなわなかった。
そのため、二人で行くことになった。
だが、ほぼ同時刻に更衣室に入ったはずであるにもかかわらず、忍海はまだ姿を現さない。
(忍海さんが祝ってくれるのはうれしいけど、結局、私舞台に立ててないんだよね……)
ましろはため息をついた。
最終的に、仮面をつけて、舞台の上に立つことができなかった。
機会の問題ではなく、意思の問題でだ。
機会自体は両手を使って数えなければならない程度には、あった。
しかしながら、そのたびに足が床に縫いつけられたかのようにまったく動かなかった。
(アイドルになったら、もっといっぱいの人に見られることになるんだよね。私、本当にステージに立てるのかなぁ……)
心配になった。
すぐにそれを打ち消すかのように、憂悶を吹き飛ばす何かを記憶の中から探しはじめた。
(それにしても、やっぱり忍海さん、すごかったなぁ)
ましろは忍海のパフォーマンスを思い出して、目を輝かせた。
千歳だけはパフォーマンスをしているのを見たことがないので、度外視するとして、ランチタイムに入っている従業員の中でも頭一つ抜きんでるように思えた。
明らかに彼女の背には羽根が生えているような錯覚をましろは受けた。
それほどまでに彼女のパフォーマンスは、ましろの心をかき乱した。
(私も大勢のお客さんたちの前であんな風に歌って踊れるのかなぁ……)
また、同じような悩みに戻ってしまった。
と、ましろが考えを巡らせていると、目の前に影が差した。
顔をあげる。
「宅配便です。印鑑やサインは不要なんで」
そう言って、こちらの言葉を待たずに手渡してきた。
断る余裕も与えられない。
「ありがとうございましたー」
「えっ、ちょっと」
ましろの言葉むなしく、宅配の者は、目的を達成したからか、すぐに去っていってしまった。
荷物を持つのはなんとかできたが、大きいものであるため、ましろの視界には箱しか入らない。
地面すら見えなかった。
その場から一歩でも踏み出したらどうなるか容易に予想がついた。
そもそも、舞台の上にあがるのとはまた別の意味で、その場から一歩も動けそうになかった。
(忍海さん、そろそろ来るよね)
その時に中に運ぶのを手伝ってもらおう。
そういったたぐいの希望を抱きながら数分待っていたが、忍海はおろか誰もでてこない。
腕が悲鳴を上げ始めていた。
限界だった。
そんな矢先に、足音がましろの耳朶を打った。
しめた、とばかりに声をあげる。
「すみません。少し手伝ってもらえませんか?」
足音の主が止まった、
「手伝う? あなた、何をしているのかしら」
聞き覚えのある声だった。
けれども、どこで聞いたかまでましろには思い出せなかった。
「箱を持っているんです」
「見ればわかるわよ」
なら、聞かないでほしい、という言葉をましろは呑み込む。
「……あなた、なんで地面におろさないのかしら?」
「えっ、地面におろしてもいいんですか」
「別に中身がなんだろうと、一応箱に入ってるんだから、おろしても構わないでしょう、たぶん」
わざとらしく付された、『たぶん』という言葉が厄介だった。
「もっとも、あなたが地面におろしたとして不都合なことが起こったとしても、私はそれに対する責任は持たないわよ」
地面に置く気がそがれた。
そうこうしているうちに、バタンとドアが閉まる音が耳に入る
またもや、ましろはひとりになった。
地面におろすかどうかを再度考えていると、それよりも前に腕の方が限界を迎えそうだった。
ふいにがちゃり、と裏口に続くドアが内から開いた。
「すみません。手伝ってもらえませんか」
先手必勝とばかりにましろは言葉を繰り出した。
返事はなかったものの、急に腕への負担が軽くなった。
同時に、唐突に視界が開けた。
「って、菰野さん!?」
そこに立っていたのは枢だった。
ましろの細腕と同程度で、背丈もあまり変わらないにもかかわらず、彼女は軽々と箱を持っていた。
「おぉ、届いていたのか。感謝するぞ、小娘よ」
黒マスクの中で鼻が動いた。
「重くないですか?」
純粋な疑問が口をついてでた。
「この程度、重さのうちに入らんぞ」
「すごいです。私、正直菰野さんが来てなかったら、箱を抱えてられなかったと思います」
「間一髪というところだったわけか。なぁに、彼我の差があるのは当然だ。我はいつ異世界転生しても構わぬよう、日々鍛えているからな」
「異世界転生?」
あまり聞きなれない言葉だった。
枢がふんす、と鼻から息を漏らす。
彼女をじっと見つめる。
やはり、どこかで会ったような気がした。
記憶のインデックスを検索してみる。
だが、わからない。
「私たち、やっぱりどこかで会ってませんか?」
「会っているぞ」
「本当ですか!? やっぱり、会ってたんですね! どこで会ってましたか?」
「あぁ、……前世でな」
あっさりとした答えに、拍子抜けしたが、実に枢らしい答えだと思った。
これ以上は何も得られないだろうと思い、ましろは口角をあげた。
「でしたら、この世界でも仲良くしてもらえたらうれしいです」
枢はきょとんとした表情になり、それから微笑んだ。
「貴様は面白いな」
一言漏らし、そのまま店の中に戻っていこうとした。
「菰野さん」
ましろの呼び掛けに足を止める。
「ん、まだなにか用か?」
「今日一日、本当にありがとうございました」
ましろは深々と頭を下げた。
枢はそれに対し、返答することなく、店の方に戻りながら、ましろに手の甲が見える形で片手を振った。




