Seal66 いっくよー!
「ましろんにもこれ、あるでしょ」
忍海が自身の仮面をコツコツ、とこぶしで軽くたたきながら言った。
ましろは手元の仮面に再び視線を寄せた。
現在、『Pieuvre』がランチタイムに提供しているメニューは、テュイルやリブィエール等のフールセックとフィナンシェやマドレーヌ等のドゥミセックをバスケットに盛り合わせたもの。他には、飲み物くらいしかない。
ランチタイムの客に関しては圧倒的に未成年が多く、歌を聞いたり、歌ったりしながら、口になにかものを入れるため、気軽に摘まめて食べられるものの方が需要があるのだ。
そして、菓子をつくっている安堂は、本場フランスで修業しただけあって、味については保証されていた。
ちなみに残った菓子は、ドギーバッグに入れて持ち帰ることが可能である。
このアイデアも、安堂がフランスで学んできたことを取り入れた結果であった。
ましろは、これまでキッチンで、バスケットへの盛り付けとドギーバッグの組み立て等客の前に出ないような仕事ばかり任されていた。
それもこれも仮面がなかったからだ。
「ついに私も舞台にあがれるんですか」
心臓の鼓動がやけに早い。
少しばかり耳の裏がくすぐったくなる。
「うん、あがれるよ! ってかあがらなくちゃ、もったいないじゃん!」
「はい!」
「って、言ってるそばからチャンス、チャンス! いま、舞台に誰もいないし、誰も曲入れようともしてないからチャンスだよ!」
忍海がバックヤードの隙間から店内を確認し、ましろを手招く。
彼女の言うとおり、舞台の上には誰もいなかった。
そして、選曲を伝えるところにも特段列はない。
「行っちゃえ、ましろん」
「はい!」
元気よく答えたが、ましろは一歩もそこから動けなかった。
「どったの?」
「えっと……」
足がすくんでいた。
そうこうしているうちに、選曲をして、舞台にあがってくるものがでてきた。
「あぁ、残念」
言葉とは裏腹に忍海が接客中の千歳を眺めながら、興味なさげに言う。
それから何度かチャンスが生じたが、タイミングをはかっているうちに、結局他の者が舞台にあがってしまっていた。
悔しさと自己嫌悪でましろの心がぐちゃぐちゃになる。
奥歯を噛み締めるように、唇を結ぶ。
「ましろん、大縄跳びしてるんじゃないんだからさ」
忍海のあきれた口調の中に、楽しげな音色が跳ねている。
「まっ、初めてだとしゃーないか」
ぽつりつぶやく。
忍海は突然ましろの方にくるっと身体を向け、指先で鼻の頭を軽くはじいた。
そして、彼女はパシッとましろの手を取ると、バックヤードから店内へと飛び出していった。
「ましろん、見ててね」
「えっ、ちょっと」
忍海が唐突に手を離した。
彼女は選曲を伝えると、バッと舞台の上に飛びのった。
客とは異なり、マイクを手に持っていない。
店側は従業員に対しては、インカムマイクを渡しているからだ。
「いっくよー!」
店内に目を転じる。
どの客も、視線は自然に忍海に吸い寄せられていくようだった。
イントロの間、忍海は客を煽っていた。
なんだかアグレッシブな曲で、曲を知っている者は拳をうえに掲げ、オイオイと掛け声を叫んでいる。
だが、それをとがめる者も、軽蔑するようなまなざしで見る者も、排除しようとする者もいない。
いたって平和な世界だ。
ここはそういう店だと来る者が理解しているからこそ成り立つ世界である。
イントロが終わって忍海が歌い始めた。
ましろの耳に届くのは、いかにも男好きしそうなアニメ声だった。
彼女の容姿に合っていて、かわいらしい。
けれども、ちっとも媚びた感じがせず、しかも音程の取り方が抜群だ。
ましろはこの歌を聞いたことがなかったが、本家と遜色ないのでは、と思わされたほどだった。
「まだまだみんないけるよね!」
サビの手前で、掛け声とともに忍海がとんぼを切る。
天使にさえ飛ぶことのできないはるか成層圏の高所。
そこから地上に舞い降りた神仏のたぐいかと思えるほどだった。
トン、と舞台に降り立った忍海が、サビを歌い始める。
音がましろの身体中に浸透していく。
と、そのとき耳に雑音が紛れ込んだ。
いま、いいところなのだから、邪魔しないでほしい、そう思っていた矢先に再び雑音が紛れ込む。
音のした方へ目を向ける。
そこはレジであった。
客が卓上ベルを鳴らしている。
レジには誰もいない。
目が合った。
ましろが目をそらそうとしても、追ってくる。
完全にロックオンされている。
あわてて、千歳を目で探した。
忍海が歌うまではいたはずなのだが、見当たらない。
他の従業員も対応中であり、実質フリーなのはましろだけであった。
が、ましろはレジ打ちをまだ習っていない。
背後から、耳に歌が飛び込んでくる。
まだ聞いていたかったが、諦めてレジの方へ歩を進めた。
レジにたどり着く。
数名の客が会計待ちをしていた。
しかし、レジスターを前にしても、当然のことながらやり方がわからない。
「どうかしましたか?」
客層が悪くないため、舌打ちされることも、怒鳴られることもないが、怪訝な表情はしている。
このままではだめだ、ええい、ままよ、と思い、レジスターをたたこうとしたとき、ましろは横あいからでてきただれかに手首をつかまれた。
「お待たせしてしまい、大変申し訳ございません。このコは新人でして、まだレジ打ちを教えておりませんので、私が代わりにいたしますね」
枢だった。
ましろの隣で、彼女は次から次へとレジ前にたまっていた客をさばいていく。
(あれ?)
その姿を見て、ましろは再び既視感に襲われた。
(やっぱり菰野さんと私、どこかで会ってるよね)
彼女の対応を見ながら、ましろはそんなことを脳髄の一部で考えていた。
結局、ものの数秒でレジ前の客は誰もいなくなっていた。
「菰野さん、ありがとうございます」
「クックックッ、なぁに、我の力は人に使うためにある。気にするな」
黒いマスク越しにそう言うと、枢はポンとましろの肩をたたいて、キッチンの中へと消えていった。
しばらくその背中に目が引き寄せられていたが、はっとして舞台の方に目を向けた。
「みんなー、ありがとう!」
ちょうど曲が終わったらしく、忍海が高々と手を掲げていた。




