Seal64 会いに行けるアイドル
黄金が出ていき、紫歩と二人で残されたましろはソファーに腰を下ろすと、口を開いた。
「さっき、黄金さんが言ってたのって、どういう意味ですか?」
『どのこと?』
「かつきさんっていう人が、私と境遇が似てるって話のことです」
『あぁ、そのこと』
「そのことです、そのことです」
『ましろが輝赤の妹だとすると、勝樹はつかさの妹』
「つかささん……? ってまさか、--」
『そう、VOTの緑担当、北浜つかさ』
VOTというグループのメンバーはファンとの距離感が、過去に存在したようなアイドルとは大きく異なる。
その姿を生で見ることができる機会はライブぐらいであった。
ただ、一人の例外を除いては……
そのメンバーこそが、北浜つかさ、言葉どおりの会いに行けるアイドルである。
とは言うものの、一時期流行した、劇場にパフォーマンスを観に行き、その後握手会やチェキをアイドルと一緒に撮れるといった意味のものではない。
そんなものより、ある種最も距離感が近い。
彼女に会うためには、北海道札幌市中央区に所在するいわゆる、『すすきの』と呼ばれる地域に足を延ばさなければならない。
日本三大歓楽街にも数えられるこの街では、日々多くの風俗店がしのぎをけずる。
そんな魔境のとある有名なニュークラブに彼女は所属していた。アイドルになる前もアイドルになった後も。
彼女は所属する大手ニュークラブグループにて、最年少で最高売上を樹立し、その後数年間にわたり頂点に君臨した。
伝説を多く残し、二十歳の誕生日には一晩で、九千万円の売上もたたき出している。
こういったナンバーワンには、うそかまことかは定かではないが、基盤や円盤、果ては同伴やアフターとは別で、店の外で会って客を増やしている等といったうわさが立つことが多いが、つかさにはそれが一切なかった。
大手ニュークラブのような選ばれた店で働く者は、容姿に自信のあるものが多く、また、小さいころからちやほやされていることが多い。
そのため、容姿の美しさでは差がつかないと言い切ってしまうと疑義が生じるが、そこまで大きい差がつくことはない。
それ以外の部分で大きく差がつくのだ。
つかさは美しさ以外の部分が、他の追随を許さないほどに優れていた。
格好は周りが谷間を強調するような華美なドレスを身にまとう中、一人抹茶色の鮫小紋。
世相に詳しく、教養がにじんだような話し方。
食べ方も上品で人を不愉快にさせるようなことはなく、文字も基礎がしっかりしているためか、お手本習字のような美しさである。
性格も穏やかで、まじめな人柄であり、最年長ではないにもかかわらず、VOTのお母さんとファンには呼ばれるほどであった。
そもそも、色恋営業すらしていない。
そんな人間をつかまえて悪いうわさを流しても、誰も本気にしない。
むしろ、流した本人の人間性が疑われる。
だからか、『すすきの』ではレジェンドと呼ばれ、北浜つかさの名を知らない人間はいないといっても過言ではなかった。
『つかさを追いかけて、勝樹はうちに入ってきた』
その文字を見て、ましろは同じ境遇の人間がいると知り、なんだかうれしくなった。
ただ、懸念事項があった。
「でも、アイドルに対する考え方は真逆なんですよね?」
『そう』
紫歩の手が一瞬、止まった。
なにか書くのをためらっているかのようだった。
だが、覚悟を決めたのか、再び手を動かし始める。
そして、書き終えると、ましろの方に見せた。
『あのバイタにだってなれる汚いもの、勝樹はアイドルのことをそう言った』
「バイタってなんですか?」
『売春婦』
「えっ」
『って意味で使ってると思う』
すぐに付け足す。
『つかさが働いてるニュークラブのお店に私もいったことある』
「ニュークラブ?」
『北海道ではキャバクラのことをニュークラブっていうの』
キャバクラなら、ましろにも聞き覚えがあった。たしか、父親が接待かなにかで連れていかれた大人のお店だ。
翌日母親に謝罪していた姿が、頭の片隅にふっとよみがえる。
「って、そういうお店って女性でも入れるんですか?」
『つかさに訊いたときは大丈夫って言ってた』
「はー、そうなんですね。なんだか、大人の男性が行くようなお店だと勝手に思ってました」
『正直、私もそういう偏見持ってた。でも、いるにはいた。少なかったけど。そのおかげで、私も輝赤も大して浮かなかった』
「お姉ちゃんも行ったんですか!?」
『うん。私と輝赤だけが誘われたから』
「そうなんですか?」
『つかさに対してのメンバーの考えは人それぞれだったから』
呼吸が少し苦しくなった。
『やっぱり風俗って時点で、ちょっぴりエッチなお店をイメージしてなにか汚らしさとかを感じてしまう人もいるから、それは仕方ないのかもしれない。だから、身内である勝樹がそう言ったのもわかるような気もする』
その文字がましろには意外だと思えた。
『でも、私から見て、キャストをしているつかさは汚くなんてなかった。むしろ輝いていた。つかさを指名した人たちがみんな笑顔で帰っていってて、純粋にすごいって思った』
ましろは本気で感心した。
『たぶん、ニュークラブって場所もつかさにとっては、自分が輝けるステージだったのかもしれない』
紫歩はしばらく物思いに沈んだような表情をしていた。
北浜つかさについて、ましろ自身いろいろと聞きたいことがあるにはあった。
が、紫歩の表情を見ているとこの話題をこれ以上続けるのは得策ではない、と判断し、思い切って話題を変えてみた。
「あっ、そういえば、VOT関連でもう一つ訊きたいことがあるんですが……」
『何が訊きたいの?』
「貝塚橙子さんってどんな人か教えてもらえませんか?」
紫歩の唇の端が一瞬、鋭く歪んだ。
彼女は一応うなずいたが、すぐには頼みに応ずる気配がなかった。
完全に手が止まっていた。
文字を考えているのではなく、放心しているだけのようにましろには見える。
穏やかにもう一押しすることにした。
「えーっと、紫歩さん?」
はっと我に返った紫歩は、怪訝そうな目でましろを見た。
『どうしていまごろ、そんなこと訊くの?』
「えーっと、なんとなくです」
黄金に忍海とまだ会っていない主旨の言葉を投げているにもかかわらず、場に居合わせていた紫歩に矛盾めいた話をするのも、なんだかおかしいと思ったため、ましろはそう答えた。
『どっちの?』
「どっちの?」
『普段かアイドルのときか』
「どっちでも」
ましろがそれだけ言うと、紫歩はスケッチブックの上にフェルトペンで書きなぐった。
『漫画家』
ミットで受けたボールをあっさり投げ返すような回答である。
「えーっと、それだけですか?」
『不満?』
「いや、そんなことはないんですけど……」
ましろは、居心地悪げにソファーの中の尻を二、三度動かした。
「もう少しなにかないのかなーって」
『別に同じグループに所属していても、細かいところまで知らない』
紫歩の表情が硬くなった。
生々しい感情が、鋭い光を放つ片目の奥に漂っていた。
その視線の冷たさに、背筋がすっと冷えた。
「別に細かいところじゃなくてもいいんです。例えば、普段どんな感じだったかとかでも」
しばらく待ったところ、フェルトペンが少し動き、また止まった。
部屋に静寂が広がる。
と、それを壊すかのように、バン、という音を立て、紫歩の掌中からフェルトペンがこぼれ落ちた。
フェルトペンがましろの足元まで転がってくる。
拾って、紫歩に渡そうとする。
そこで彼女の異変に気付いた。
「紫歩さん?」
心臓の襞がなにかで擦られるような嫌な思い。
紫歩の全身が震えていた。
顔色が青い絵の具を一刷けしたように変わっていた。
まるで、鋭い棘となって突き刺さる記憶を思い出してしまい、怯えているように。
嫌な予感がした。
バタン、という音が唐突に響いた。
今度は紫歩の膝から滑り落ちたスケッチブックだった。
字の書いてあるほうが上になっている。
ましろの視界に文字が飛び込んできた。
生唾を呑み込む。
そこにはこう書かれていた。
『私はなにも知らない』、と。




