Seal53 悪意の矛先
ましろも含めた三人がたった今その音を発した人物に目を向けた。
「ごめんね、戸田さん。いきなりだったからびっくりしたよね」
安堂がいたずらっぽく、ふふっと笑った。
「カテゴライズして救われる人もいれば、何か型にはめられるのをひどく嫌う人もいる。そもそも、そんな話以前の問題を抱え込んでいる人たちもいる。ここにはいろいろな人たちが働いてるの」
「いろいろ人たちですか?」
「そう。でも、特別なこととしてとらえることは全然ないの。例えば戸田さんは自分の身体がいやになることってあるかなぁ?」
「もう少し身長があれば良かったって思います」
「うん、うん、身長もそうだよね。でも、考えてみて、身長ひとつとってもそう。身長が低くて戸田さんみたいにもっと身長が欲しいって人もいれば、身長が高くて、もっと身長が低ければって思う人もいる。はたまた、身長が高くても身長が低くてもそれに満足している人もいる。そもそも、身長の高い、低いの感じ方も人それぞれだよね」
安堂の言葉にましろの頭の中はこんがらがった。
「ちょっと、いろいろ言いすぎちゃったかな? とりあえず、ここで働くにあたっては、世の中にはいろいろな考えを持っている人たちがいるってことだけは、理解しておいてもらえるとうれしいかな」
安堂はましろにじっと視線を注いでいた。
その瞳には何か直接心に訴えかけてくるものがあった。
しかしながら、その心地よい感情は、ぶしつけな声とともに、一瞬にして、吹き飛ばされた。
「オーナー、本当に採用するつもりですか? 僕はこの娘がここで働くのは反対です。ふさわしくない」
全身に緊張をみなぎらせて、不審者を見るような目つきで赤い狐はましろを見る。
「ふさわしくない、かな?」
「ふさわしくないですよ。彼女はストーカーの類です」
呆れて言葉をなくした。
いつになったら、その疑いは晴れるのか、と。
しかし、そのまま黙していると、事実を突きつけられ言葉に窮していると思われそうだと気付き、ましろは慌てて言葉をつむいだ。
「だから、私はストーカーじゃありません! 何度言えばわかるんですか!」
「これまで、ストーカーは狡猾な手口で、証拠も残さず、忍海に恐怖を与えてきました。けれど、彼女はついにしっぽを見せました」
ましろが感心するほどのきれいさっぱりとした無視だった。
「けれども、ばれたことに悪びれる様子もなく、あまつさえ、煙に巻こうとし、一緒に働き、時期をうかがっている。これがふさわしくない以外にどう言うんですか!」
発言に粗暴な憎悪を感じさせる。
ただ、どこか変だった。
出来事を無理につなげてそれが真実だと自己暗示しているような。
まるで、自身の怒りにひどく当惑して、逃げ場を探しているような苛立ち方であった。
人差し指が、苛立たし気に机を打っているのが目に入る。
だからか、逆にましろの頭は冷静に物事を考えることができた。
その結果、法律に長けている地元の友からもらった助言を思い出した。
「そこまで私をストーカー呼ばわりするなら、なにか証拠を示してください」
動じることなくましろは正面から見返して言った。
「なに?」
赤い狐がましろをねめつけた。
その瞳にはたやすくねじ伏せる自信のようなものがただよい、ましろは一瞬不安をおぼえた。
「それなら、逆に問うが君がストーカーでないという証拠を示すことができるのか?」
「できません、というよりも、できたとしてもしたくありません」
「なぜだい?」
「パーソナルな部分だからです。実際、証明するなら、忍海さんがストーカー被害を受けていたと思われる時期に私が何をしていたかを答えなくちゃなりません」
「……君は結構頭が回るな。その通りだ。それが一番てっとり早く君の無実を証明する。なのに、拒否するのか?」
ましろは無言で、顎を引く。
「埒が明かないな」
ましろを一瞥してから小さく舌打ちする。
「僕が示す君がストーカーだって証拠はこれだよ」
そう言って、赤い狐はポケットから一枚の紙片を取り出し、机にたたきつけた。
勢いは、忍海がカップをたたきつけたのといい勝負だった。
紅茶が机に飛散し、安堂が無言で拭く。
紙片にはかわいらしい丸字で
riweg
忍海桜桃
桜坂千歳
と記載されている。
「君のポケットから、これが落ちたというのが動かぬ証拠だ」
ましろはそれを聞き、むしろほっとした。
証拠がその紙片だけであることに。
頭が冴えてくると、どうしてあの場から逃げ出そうと思ったのか、とたっぷり後悔した。
深呼吸をひとつして、応じる。
「仮にそれが私が書いたものとして、ストーカーの証拠になるんですか?」
「なるだろう」
「どうしてですか」
「君が嘘をついたからだ」
「嘘をついたら、ストーカーになるんですか? それだと嘘つきはみんなストーカーになってしまいますよ」
「それはその……そうだ。今回のケースは、君がライブに行くほどの熱心なファンでありながら、それを隠そうとした。忍海に近づくためだ。それがストーカー行為だと僕は言ってるんだ」
赤い狐はしどろもどろになってごまかした。
どうやら、攻めるのは得意ではあるが、いざ守備に入るとあっけないほど弱かった。
「でも、仮に私が忍海さんをストーカーしているんだとしたら、桜坂千歳さんの名前は書かないと思うんですけど……」
ましろの言葉に赤い狐はびくり、と反応を示した。
「そ、それは君が桜坂千歳のストーカーでもあるからだ」
顔を真っ赤にして、赤い狐が言う。
忍海はそれを見て、なぜかニヤニヤしていた。
「と、とにかくだ。君はストーカーなんだよ」
そこから先は推定の域をでないため、発言は終始茫漠としている。
「はぁ」
こうもストーカー呼ばわりされて、不愉快でないはずはなかった。
ただ、これ以上言い争うのは疑いをごまかすための糊塗と受け取られそうな気がしたため、ましろはそれっきり口をつぐんだ。
再び、沈黙が部屋の中を支配する。
ふいに、ビリ、という音が空間にこだました。
忍海は、開封したスティックシュガーを紅茶に入れながら言った。
「アンタの負けだよ」
「なっ」
「真菅弁護士も言ってたでしょ、『疑わしきは被告人の利益に』って」
頬づえをつきながら、カップの中の液体をかき混ぜ続ける。
「アンタもストーカー規制法の構成要件聞いたんだよね」
「もちろん。目的、対象、行為の3点を満たし、なおかつこのつきまとい等行為が繰り返されたときのみストーカーって判断できる」
「だよね。そんなら、そもそも繰り返してないし、ストーカー行為にはならなくない?」
忍海は紅茶を一口含んだあとかすかに唇を舐めて言った。
「言葉は正しく使おうね」
忍海に指摘された後、赤い狐はわざとらしい咳ばらいをして、言い訳がましく言葉を並べ立てた。
「そう考えると、現段階ではつきまとい等行為だ。まぁ、今後、ストーカー行為に発展しないとも言い切れないがな」
自分を落ち着かせるかのように赤い狐が長嘆息した。
「オーナー、証拠がないので、ここは引き下がります。オーナーの好きなようにお決めください。ただし、僕は疑ってますから」
舌打ちをして、ぷいとそっぽを向いた。
忍海がため息をつく。
「ましろん、さっきからずっと怖がってるでしょ。見境なく敵意向けるのやめなよ」
ましろ自身は精一杯抵抗した気でいたが、うわずっていたらしい。
忍海がかばうように言う。
「それより、名前、赤い狐でいいの?」
批判するでもなく、疑問をさしはさむでもなく淡々と気楽な様子で安堂は聞く。
「僕は赤い狐で十分です」
「そっか。でも、戸田さんが呼びにくいんじゃないかな?」
「それなら、『なぁ』でも『おい』でも構いません」
拒絶はにべもなかった。
「戸田さんも、それでいいかな?」
安堂が微苦笑交じりに訊ねた。
「えっ?」
いきなり問われて、ましろは恐る恐る赤い狐に視線を寄越した。
「詮索するな」
唾でも吐きかけそうな調子で言う。
いきなり眼前でピシャリと戸を閉められた感じだった。
「あ、赤い狐さんで大丈夫です」
満足する回答が得られたからか、赤い狐はふん、と鼻を鳴らした。
「アンタの場合、アタシと違って安全衛生推進者なんだから、すぐに名前なんてばれるじゃん」
「そうかもしれない。ただ、それにそこの戸田ましろが気付いたならの話だがな」
なぜ、安全衛生推進者になるとすぐに赤い狐の名前がわかるのか、ましろには到底思いつかなかった。
そもそも、安全衛生推進者という言葉の意味さえ知らなかった。
と、そんなことをましろが考えていると、赤い狐が席を立った。
「それでは、僕は仕事に戻ります。忍海が僕の代わりに安全教育をしてくれるみたいなんで」
赤い狐はやけに素直に出ていった。
不適な笑みを残しながら。




