とある闘技士の追憶
人生なんてクソみたいなもんだと思った。
人は誰だって自分が幸せになりたいと思ってる。だけど、その願い通りに幸せな人生を送れるヤツなんて一握りだ。そう、一握りの幸運なヤツだけ。殆どのヤツは、意に染まない人生を送ってる。この俺も含めて。
俺の人生も、まあ一言で言えばくだらない人生だった。
俺のオヤジは腕利きの傭兵だった。でも傭兵なんて仕事は長くやってられるもんじゃねぇ。一応おふくろと一緒に引退後の人生設計ってヤツをちゃんと考えてたみたいだったけど、切った張ったの傭兵稼業で、そんな人生設計の通りにうまくいくはずがない。
全ての始まりは俺のオヤジが利き腕に傷を負った事だった。それは普通に暮らす分には大した事のない怪我だったが、腕利きの傭兵とすれば致命傷で、オヤジは傭兵業を引退せざるを得なかった。
だが人間は金を稼がないと食ってはいけない。オヤジたちは引退後に夫婦で食堂を開こうと思っていた。だが予定していた時期よりも早い引退の為に、開業資金にはわずかばかりの金が足りなかったのだ。それで仕方なくまだ所帯を持っていないおふくろの兄にその金を借りる事になった。その結果、ほとんどがオヤジの稼いだ金で開いた食堂だったが、少しばかりの金を貸してくれた叔父が、共同経営者として加わる事になった。
最初はそれでもまずまずの稼ぎがあった。
オヤジが料理を作って、おふくろと叔父が給仕をする。オヤジは傭兵として各国を回っていたから、食堂では異国風の料理を出した。それが評判になって、客足が途切れる事はなかった。
食堂はにぎわった。
それが良かったのか悪かったのか。
食堂の経営が軌道に乗ると、小金が入るようになってきた。
うちは俺と妹と弟がいたから儲けも食費に消えていったが、独り身の叔父はその金で娼館に通うようになった。
そしてそれまで相手にもされなかった高級娼婦に叔父ははまった。やがて手持ちの金がなくなると、金貸しに借りてまで通った。そうして身を持ち崩すまで、1年とかからなかった。
借金を抱えた叔父は、相愛だと信じていた娼婦に門前払いを受けて、その娼婦の目の前で油をかぶって焼け死んだ。巻き添えを食った娼婦は、死にはしなかったが顔にひどいやけどを負って、もう商売ができなくなった。
その結果がどうなったか。
死んじまった叔父の抱えた膨大な借金は、俺たち家族にのしかかってきた。借金だけじゃない。金を稼げなくなった娼館への賠償金もとんでもない金額になった。
せっかく軌道に乗った食堂を売っても、到底払える金額じゃねぇ。
オヤジはまた傭兵稼業に戻ったが、利き腕を故障した傭兵にまともな仕事なんて来るわけがない。でも金を稼がないといけないオヤジは危険な仕事を引き受けて、そのまま帰ってこなかった。
残されたおふくろと俺たちは、それでも何とか借金を返そうと昼も夜も働いたが、どんなに働いても借金が減る事はなかった。
特別に優れた何かを持っているわけでもない俺は、人の嫌がる仕事でも何でもやった。肉屋の屠殺、糞尿場の清掃。それでもやっぱり借金は減らなかった。
そんな時にうちに女衒がやってきた。妹を娼館に売らないかって。
でも提示された金はほんのわずかな金額だった。たったそれだけで売られていく妹が、哀れで仕方なかった。
だから俺は俺自身を売る事にした。といっても俺みたいなごついのが男娼になったって稼げる訳がねぇ。俺がなったのは闘技士と呼ばれる、コロシアムで命をかけた戦いをする奴隷だ。
家族に支払われた支度金は、妹を売るよりも少ない金だった。でも、闘技士として戦いを生き延びる事ができれば。人気のある闘技士としてコロシアムで戦う事ができるようになれば。莫大な金が手に入る事もある。その金で自分を買い戻す事も可能だ。
俺はわずかなその可能性にかけた。
幸い、オヤジに似て体格に恵まれた俺は、闘技士の訓練所でも好成績を収めることができた。そして男らしい風貌とかで、そこそこ人気も出て、実際にコロシアムにデビューした時には貴族の後援も得ていた。
そこからは自分でも驚くほど順調だった。俺の所属する訓練所は、闘技士を扱う訓練所の中でも力のあるところだったらしく、人気のある闘技士は、たとえ負けてもよほど無様な試合をしていない限り殺されることはなかった。
命をかけた試合とはいっても、実際には裏で金が動く。
人気も実力もある闘技士を、たった一度負けたからといってどんどん殺しちまったら、訓練所の経営が成り立たない。だからそこらへんは訓練所同士でなあなあの関係がまかり通っていた。
見ごたえのある試合をしていれば、よっぽどのヘマをしない限り殺される事はない。
試合の度に緊張はしていたが、それでも勝つたびに家に金を送れるし、会う事ができなくても幸せに暮らしているだろう家族を思って、いつか借金を全部返したら、今度は自分を買い戻そうと考えていた。
でも闘技士の人気なんて、あっという間に移り変わる。俺をひいきしていた貴族のババァは、新たに闘技士になった悲劇の騎士とやらに乗り換えやがった。俺みたいに男妾みてぇな事もしない。お綺麗な闘技士サマだ。
そいつは神様を怒らせたとかで、奴隷の身分に落ちた騎士だった。
端正なツラと騎士らしい正道の剣さばきに、観客の女たちは黄色い悲鳴を上げた。
そいつは自分に負けた対戦相手にすら慈悲を請い、それがまた女たちに大受けしていた。
だが俺たち生え抜きの闘技士からしたら、そいつは鼻もちならないヤツだった。
確かにヤツとの戦いで負けてもそこで命を奪われる事はないだろう。だかそんな事が何回も続けば、行きつく先は猛獣相手の戦いだ。あれは基本的に犯罪奴隷が出る見世物だが、なかには怪我をして使えなくなった闘技士を処分するために出すことがある。
戦いに負けて栄誉の中で殺されるのと、生きながら獣に食われるのと。どっちがマシだなんて言うまでもないだろう。
ヤツは俺たちとは違う訓練所にいたが、それからしばらくして、うちの訓練所にも似たような経歴のヤツが入ってきた。今度は悲劇の王子だそうだ。なんでも滅ぼされた国の王子だそうで、攻めてきた国の奴らにここに売られたんだとか。
正直、それを聞いてざまあみろと思ったね。
今まで王子様王子様って、チヤホヤされてきたんだろうから、その分ここで地獄をみやがれって。
きっと、相変わらず自分はお前たちとは違うっていう態度を隠そうともしやがらないヤツと同じように、特権意識の抜けない嫌な奴だろって皆で話していた。
だけど違った。
そいつの目は俺たちと同じ、絶望を知っていた。
あのお綺麗な騎士サマとは違って、俺たちみたいな男妾みてぇな真似も、生き残るために必要なら厭わないっていう覚悟があった。
おもしれぇ。
最初は食事の皿をわざとこぼされたりとか意地悪もされてたが、そのうち訓練所の奴らもそいつに一目置くようになってきた。そしてそれに比例するように、コロシアムでのそいつの人気も上がっていく。
あいつの兄貴と同じ年だっていう俺に、なぜだか懐いてきて、俺も残してきた弟に似ても似つかないはずのそいつを、いつしか弟みてぇに可愛がるようになっていた。
十分に金を送っていると思っていたのに、いつのまにか妹が娼館に売られちまっていた時も、借金はもう返したはずなのに弟までが闘技士に売られそうになった時も。そいつは荒れる俺に助言してくれた。
娼館に売られた妹さんは買い戻せばいい。売られてしまった以上、もう売られる前には戻れないんだから、そこからどうするかを考えるんだ。自分も滅びた国の民を買い戻している。そして彼らは小さな村でひっそりと暮らしている。よければ妹さんも、買い戻した後にそこで暮らすのはどうだろうか。弟さんに関しては、兄弟で戦う事はできないと、この訓練所の所長に直談判してはどうだろう。俺と君の二人がやる気をださないとなれば、所長も手を貸してくれるんじゃないだろうか。そして憂いがなくなったら、弟さんや母君も、その村で暮らしてはどうだろうか、と。
そいつのいう事はもっともだった。
いくら妹を娼館から買い戻したとしても、娼婦だったって汚名は一生ついて回る。きっとまともな結婚はできないだろう。
でもその村だったら大丈夫かもしれない。妹はあんなに優しくて器量のいい娘なんだから。
弟の事も、なんとかしてみると言ってくれた。さすがに元王子だけあって、俺にはない伝手があるみたいだった。
数日後、俺は闘技士になって初めて家族と再会した。記憶の中よりだいぶくたびれたおふくろは、涙を流して俺の無事を喜んでいた。ずいぶん会ってなかった弟は、いつの間にか同じ目線になっていて、男のくせにワンワン泣いてやがった。
二人から話を聞いたら、妹は騙されて娼館に売られたらしい。もう借金はとっくに返していたのに、まだ完済してないと言われて泣く泣く娼婦になったのだと。
金貸しの後ろには貴族がいる。だからそう言われてしまえば、俺たち平民に抗うすべはない。
俺はすぐに妹を買い戻してやるから、先にこいつの言う村に行って待ってろと告げた。おふくろと弟は、何度も何度も俺とこいつに頭を下げて村へと向かっていった。
それを眩しそうに、羨ましそうに見送るこいつに、ああ、こいつの家族はもう皆死んじまったんだなと思い出して、その黄色い髪をぐしゃぐしゃとかきまぜた。
その日から俺たちの関係はちょっと変わった。俺はそいつを「親友」と呼び、そいつも俺を「親友」と呼んだ。
命のやり取りをする毎日の中で生まれたそれは、本物の友情だった。
俺の親友は瞬く間にコロシアム一の人気闘技士になっていた。
例の悲劇の騎士とやらは、お高くとまった性格が貴族の女たちに飽きられてきたらしい。まあ、いくらひいきしても閨の相手もしれくれないんじゃ、女たちも張り合いがないんだろう。試合の後、その闘技士の勝ちに一番金を賭けた女には、その闘技士を閨に誘える権利があるっていう暗黙の了解があるんだが、ヤツは閨に誘われても奉仕をしないって噂だった。
それに比べて親友はどんな女が相手でも、ちゃんと奉仕してやった。金さえ払ってくれれば、誰が相手でもいいんだそうだ。最初の頃は閨に呼ばれた後には吐きまくっていた親友が、ずい分成長したもんだ。
たまに二人一緒に呼ばれる事もある。豚みたいなババァが相手でも、肌の白さが素敵だ、とか目の色が美しいとか、とりあえず褒めときゃいいとその場は褒めまくって、後で二人でよくこなしたな、と慰めあう。奉仕するのもなかなか大変だ。
それに比べて元騎士の奴は、以前、慈悲をかけて助けた男に顔を切られてからは、どんどん人気をなくしていった。さすがにそれからは倒した相手に慈悲をかけることはしなくなったみたいだが、段々と怪我を負う試合が増えていった。
そいつの最期の試合は、親友とだった。
怪我が治りきっていない状態での試合は、結果の分かっている見世物だった。
親友は、見事にその場を盛り上げ―――
一思いに終わらせてやった。
闘技士である俺たちには、それが、それこそが慈悲であると分かっていた。
あともう少しで妹を買い戻せる金が貯まるって頃。俺たちは敵対する訓練所の闘技士と2対2の試合をすることになった。
最初は順調だった。力量的には俺たちの方が上だったから、普通に戦えば勝てる試合だったからだ。
でも相手の奴らはしびれ薬を塗った針を隠し持っていた。バレれば訓練所がつぶれるくらいの問題になるが、その訓練所は例の元騎士の闘技士が死んでからは人気のある闘技士を出すことができなくなっていたらしく、卑怯な手を使ってでも俺たちに勝ちたかったらしい。
おかしい、と気づいた時には、親友が膝をついていた。そしてその首を狙う剣。
考える間もなく体が動いていた。
左肩に、灼熱を感じた。
自分の肩に刺さった剣を見ながら、俺は相手の首をはねた。吹き上がる血しぶきが、ゆっくりと俺の顔に降りかかる。
なんだか時間の流れが遅くなったかのように、全ての光景がゆっくりと見えた。
振り返った俺の目に、もう一人の敵が映る。
手にした剣を投げれば、それは狙いたがわず相手の顔に命中した。ぐぎゃぁ、と人の物とは思えない声が聞こえたが、そいつはそのままドウと後ろへ倒れた。
「ライル!」
フラリと傾いだ俺の体を親友が抱きとめる。
「なんでこんな―――なんで!」
親友が泣く。なぜ泣いてるんだ。俺たちは、戦いに、勝った、のに。
いつものように髪をぐしゃぐしゃとかきまぜようとして、腕が上がらないのに気付く。
「大丈夫だ。そんなに大した怪我じゃない。大丈夫だ。だから―――死なないでくれ」
ああ、そうか。俺は―――もう死ぬのか。
不思議と後悔も何もなかった。
俺の一生は、クソみてぇな人生で。
自分が生き延びるためにたくさんの命を奪ってきた。それが今度は俺の番になったってだけだ。ただ、それだけ。
妹を買い戻す事ができなくなったのが唯一の心残りだったが、渡した金があれば年期も短くなってる事だろう。
それにしても、なぁ。この俺が誰かを庇って死ぬなんてなぁ。世の中ってのは、本当に分からねぇもんだ。
だが、なんでだろうな。後悔はないんだ。
俺が死んでも世界は何一つ変わらねぇが、お前が死んだら世界が変わりそうな気がするんだ。
だがらお前はこんなところで死んじゃいけねぇ。
生きて、そしてその手に国を取り戻すんだ。
「クリス……お前の国を……みたか……ったな……」
「見せる。見せるさ。だから死ぬな!」
駄々をこねるように泣く弟分に、冷える体とは逆に、心の奥に暖かい何かを感じる。
本当に俺の人生はクソみてえな人生だったが、それでもお前に会えて良かったよ。
こんな人生も悪くない。
ああ、悪くないな。
「たの、む……とど……め……を……」
だから最期はお前の手で終わらせてくれ。獣の餌に堕とされないようにしてくれ。
「ライル……また、会おう」
人の魂は、死んで天に還ると、またこの地に戻ってくるという。
だから、またいつか会おうぜ、親友。
また、な。
目を閉じる寸前に、泣いている親友の顔だけが見えた。