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(1)vuddy


 ヴァイプとディンプは双子であったが、昼夜のように似ても似つかない双子であった。二人の相違は出生のその瞬間から始まっていた。産室中に響き渡った力強いヴァイプの産声に対して、ディンプの産声はまるで詩歌を謳っているかのように壮麗なものであった。彼らを取り上げた産婆もとても双子だとは思えないと、彼らの身体に付着した血液と粘膜を優しく拭き取りながら口にした。

 彼女の述べた通り、二人が共通していることといえば透き通るほど淡いブロンドの髪くらいであり、その相違は成長するにつれてより顕著になった。

 心臓から湧き立つ血潮を外界へと放つことを好んだヴァイプは、鬱陶しい頭髪を嫌い、動作の邪魔にならないよう庭園の芝のように刈り上げていた。対してディンプの頭髪は、秘境の奥地にある幽谷へ流れ込む小さな滝を切り取ったかのような滑らかな長髪であり、ヴァイプと違って外に出ることを嫌い、室内で読書をして過ごすことが多かった。

 そのように異なった性向であったため、同じ洞穴から産まれた二人の体つきは日々の累積とともに路を違うように変化した。危険意識が希薄なヴァイプは大人でも脚が竦むほど高い樹木から悠然と飛び降り、幾百年もの流形に削られた鋭利な小石が散乱する川縁を素足で歩き回った。そのためヴァイプは頻繁に大小の怪我に見舞われたが、その傷が癒える度、裂けた皮膚は厚革のように変貌し、折れた骨は剛健な骨格となって彼の身を強固にした。年を経るごとに強靭な肉体をまとっていく彼は、村中の子どもたちの憧れの的であると同時に恐怖の対象でもあった。

 一方、四六時中屋内にいて読書に耽っていたディンプは、軽く衝撃を加えただけで砕けてしまう硝子細工のように線が細かった。日照時間の少ない肌は卵白のような白みを帯び、椅子から立ち上っただけでもその下を走る血管が薄っすらとこめかみに浮いて見えた。しかし繊細な彼は、村にいる同年代の子どものなかでいち早く語学を収得した。そしてそれだけに留まらず、彼は内包する抽象的な事柄を絵や文字としてこの世に現出させる能力に長けていた。幼い彼が描いた絵画は教養のある大人たちに称賛され、創作した詩歌は畑仕事をする農夫たちが思わず口ずさんでしまうほどの精緻さと妙味があった。

 まるで双子とも思えない外見と内見を有した彼らには、髪色以外の共通点がまだ潜んでいた。それは、野を行く子猫の首を何食わぬ顔で切断するような残虐性であった。しかし、その秘事を見抜けたものは皆無であり、彼らを出産した母親ですら、光彩の異なった二つの星を繋ぐ薄い線分の淡色を観測したのみであり、二つの星の関連性を導くまでには至らなかった。

 彼らの母親がその性質の一端を垣間見た最初で最後の瞬間は、息子たちが初等教育を終えて中等教育へと移行した年のある夏日のことである。

 学校から一緒に帰宅した二人は荷物を共同部屋に置き、まるで産まれる前から示し合せていたかのように家の内外に別れた。ヴァイプは友人たちと遊ぶため旋風のように陽光に満ちた外界へと走り去り、ディンプは帰りがけに図書館から借りてきた書籍を満足げに床へと広げて室内に籠った。

 ここ数日のディンプには関心を持っていることがあった。それを文字で表すのならば、色彩は濁った深紅であり形状は不定形、時が経つと饐えた臭いを発する物体だった。

 物語の世界では幾度も登場していたその物体をディンプはまだ一度も目にしたことがなかった。だからといって、積極的に目にしたいとは思っていなかったが、いずれどこかしかで垣間見ることになるだろうそれを、まだ見ぬ純粋なうちに想像の筆を使って絵や詩として表しておこうと思い立ったのである。

 ディンプはナイフでよく削った鉛筆をわら半紙に突き立てる。そして、心臓とも脳とも違う個所で徐々に形を見せ始めるその物体の影を、鋭利な先端を通して目の前の紙片に書き写していく。

 それから数刻の時が過ぎ、部屋の前を通りかかった母親は窓辺で創作に耽っているディンプを見付けると、驚かせないよう足音を忍ばせて接近した。内在する世界に入れ込んでいたディンプは背後から覗く母親の気配に微塵も気付かなかった。

 母親がディンプの肩越しに見たものは、とても鉛筆一本で描いたとは思えないほど複雑な絵であった。

 数百も塗り重ねられた三角形の輪郭から滲んだ月の暈を思わせる淡く儚い靄。内角から内向きに伸びた線分の交点にある菱形のなかにある格子状の縦線を正確に区分する横線。その図形を中心に据え、周囲を囲む泡沫のように不安定な球形は星空のように複雑に配置され、それらは書き手にしか解らない法則に則った線で結ばれている。彼女がその絵から連想したものは生まれたばかりの混沌とした夜空であった。人が死ぬと星になるという逸話に従うのなら、彼女の着想は限りなくディンプの深奥に差し迫っていといえよう。しかし、彼女はそれ以上の詮索を行わず、ディンプの絵からそっと目を離し邪魔をしては悪いと無言で部屋を後にした。

 日が没し、熟し切ったオレンジのような夕暮れが村を包んだ。

 傷と泥だらけのヴァイプが帰宅し、間もなくして村の広場にある小さな役所に勤めている父親が帰ってきた。双子とその両親の四人はパンとシチューが並んだ質素な食卓に着く。母親と父親の前だけには真紅のワインが注がれたグラスが、息子たちの前にはミルクを揺らしたカップが置かれていた。四人は夕食に手を付ける前に祈りを捧げる。右手と左手を網のように結び付け、その網に接吻するくらい顔を近づけて静かに祈る。

 父と母はいついかなる時も自らが信仰する神霊に祈りを捧げたが、双子の息子は密かにそれぞれの片割れに祈りを捧げていた。

 ヴァイプはディンプの感性を信奉していた。夜空に浮いた月から、日光を照り返して白波を立てる川面から、新緑が芽吹いた山々の樹木や草花から、詩や絵を通して物語を産出する彼は、まさしく創造を行う神に当たるとヴァイプは確信していた。

 ディンプはヴァイプの活力を信奉していた。堅固な拳で岩盤を砕き、折れぬ胆力で寒中の河川を横断し、強靭な脚腰で蔓草を物ともせず草原を疾駆する。自然がもたらす厖大な量感を意に介さず突き進む彼は、まさしく破壊を行う神に当たるとディンプは確信していた。

 互いに祈りを交わすように言い交したことは一度もないというのに、彼らは神よりも己の片割れを崇拝し、そして、信頼していた。

 束の間の祈りが終わり、食事が始まる。

 父がディンプに最近体調は悪くないかと訊ねる。ディンプは平気だと頷く。次にヴァイプに勉強をしっかりとしているかと訊ねる。ヴァイプはしていないと言い、白く健康的な歯列をのぞかせておどけた態度を取る。母が口元を隠して小さな笑い声を立て、父は眉を顰めながらワイングラスに口を付ける。会話が途切れるとスプーンが食器を鳴らす音が静々と室内に響く。ヴァイプはその神経質な音が大嫌いであったので、なるべく会話を続けるため今日の出来事を話し出した。

 今日、北の森に行ったんだ。そこに真っ白なウサギがいたんだ。俺はダレンたちに、あのウサギを掴まえてみないかと提案した。ダレンたちはすばしっこくて無理だと言った。だから俺は、もし俺が一人であのウサギを捕まえることができたら、今度チェリーコークを奢れてと返した。ダレンたちは、さすがにお前でも無理だから構わないと言って賭けに乗った。俺は無理だと言われて頭にきた。上着と靴を脱いで、できるだけ腰を屈めながら木陰で一休みしているウサギへと背後から襲いかかった。ウサギは簡単に掴まった。ダレンたちは手の平を返したかのように俺を称賛し始めた。俺はころころと考えを変えるダレンたちに無性に腹が立って殴りたくなった。でも俺の利き手にはウサギがいるから殴れなかった。俺は腕のなかでもがいているウサギが邪魔だと思って近くにある岩に頭から叩き付けた。レンガが割れたかのような音がして手の平が温かくなった。ウサギは息絶えていた。その代わり、手には赤い泥みたいな血液がたっぷりと着いていた。突然、ウサギを殺した俺を見たダレンたちは面食らって逃げていった。おいて行かれた俺は、一先ず汚れた手を洗うために木々の間から見えた池へ向かってそこで手を洗った。ダレンたちは賭けを忘れていないだろうか? ちゃんとチェリーコークを奢るだろうか?

 ヴァイプの話を聞き終えた父親は悪くなった気分を洗い流すようにしてワインを喉に通した。母親は顔を白くして食事中にそのような話をしてはいけないとヴァイプをたしなめた。何故叱られたのかよく分からないが取り敢えず殊勝にヴァイプは頷いた。ディンプだけが、ウサギが撲殺される瞬間を草陰から覗いているかのようにヴァイプのことを見つめていた。

 夕食を食べ終えたヴァイプは、日課のランニングをするために夜の村へと繰り出していった。その間にディンプはシャワーを浴び、自室の窓辺にある椅子で小説を読んだ。

 40頁ほど読んでディンプはベッドへと向かった。折を合わせたかのようにヴァイプが帰宅した。クローゼットで代え着を探しているヴァイプの背に、ベッドに横たえた身を起したディンプはこう訊ねた。

「ウサギを殺したとき、ヴァイプは何か感じた?」

「あまり覚えていないけど、簡単だなって思った」

 服を見付けたヴァイプがシャワーを浴びにバスルームへと行ったのを見送り、ディンプは部屋の明かりを落とした。

 カーテンの隙間から射した鈍色の月光が室内を綺麗に分断していた。片側にはヴァイプのベッドが、もう片側にディンプのベッドがある。月の刃に切り取られた半分の場所でディンプは瞳に瞼を掛けた。そして今日描いた絵をヴァイプに見せ、何が足りないかどこが可笑しいか明日訊いてみようと思いながら眠りに落ちた。

 二人の母親がこの日にあった二つの出来事から双子の共通点を見出し、それを危険視して早期に手を打っていれば、後に訪れる運命の指針を多少なりとも変じさせることができただろう。けれど彼女の落ち度を責めることは誰にもできない。あの複雑怪奇なディンプの絵と、ヴァイプが初めて生き物を殺害した出来事を結び付けることは恐らく誰にもできなかっただろうし、関連性のない星と星を結んで星座を生み出す夢想家であったとしても、これから起きる悲運を止めることは叶わなかっただろう。


 これは『vuddy』と題付けられた未完結小説の冒頭部である。

 自ら未完結であると認めているこの文字の連なりに小説という名称を冠していいのか疑問視する想いもあるのだが、未完結という形を取らざるを得なかった経緯は追々語るので、どうかこの場では深く追求せず軽く流してもらいたい。

 ここで、この未完結小説の概要を今一度語っておこう。

 とある村に内外の面が異なる双子がおり、彼らは己にない要素を持つ相方に対して信仰とも言える想いを寄せて生活している。異なる二人には残虐性が通底しており、その暴力的な性向は周囲の人々を巻き込みながら悲運へと突き進んでいく、というものだ。

 文書作成ソフトで書いたこの文章は、デスクトップパソコンの『小説』フォルダに数年前から眠っていた。最終更新日を確認してみたところ2012年11月14日となっていたので、約2年間は日の目を見ることもなくパソコンのなかに沈んでいたことになる。

 僕のパソコンにはこのように、いわゆるお蔵入りになった小説のなり損ないがいくつかある。そうなってしまった理由をいくつか挙げておくと、激情に駆られ書き始めてみたものの落ち着けどころを見失い手が止まってしまった、想定していた内容に至るには力量が足りず書き上げることができなかった、題材に魅力がなくなり書く気がなくなった、などである。

 ちなみにこの未完結小説は前記したどの理由にも当てはまらない。それならばどんな理由で? とお思いになるだろう。それを話す前に僕の小説の書き方について話しておきたい。

 僕はプロットというものを作らない。もちろん、なんの構想もなく書き始めるわけではないのだが、僕はプロットという物語の全体像をあらかじめ作ってから小説を書き出すことが好きではない。

 そう思い至る前は、僕もプロットを作成してから小説を書いていた。時系列順にシーンを並べ立て、登場人物のセリフや伏線まで、その構成を事細かに書き並べていた。しかしそのように緻密な見取り図を作ってから小説を書くことに、ある日唐突に嫌気が差したのだ。

 そう思った時期と、僕の好きな作家が『プロットができた時点で小説は書き終わったようなものだ』というようなこと――申し訳ないが正確には覚えていない。しかし伝わるニュアンスは合っているはずだ――を述べていた記事かなにかを目にした時期が重なっていたかどうかは覚えていない。どうであろうと、僕が小説を書くこと――敢えて執筆とはいいたくない。その理由もいつか話す日が来るのだろうか?――に魅力を感じる瞬間というのは、なにもない白紙の暗闇を文字の明かりだけを頼りに埋め進んでいくその瞬間なのであり、見取り図のように完成したプロットを見ながら小説を書き進めることではないのだ。

 つまり僕は、見取り図を書き終えてから再びそれをなぞる行為の果てにあるものが小説になるという工程に疑念を持つようになったのだ。

 以上が、僕がプロットを作らない理由、しいては、僕の小説の書き方である。そしてそれは、この未完結小説が未完で終わった原因に繋がる。

 簡単に述べてしまえば、この小説が未完結なのは、プロットが出来あがっているということなのだ。プロット上では、双子の兄弟とその家族、友人、村の人々は、悲運に取り込まれてしまったということなのだ。

 しかしながら、そのことはこの小説が未完結に終わった一因にすぎない。未完結で終わった最も重大な原因、というよりは未完結という形をとることになった引き金はこれとはまた別なのだ。

 それを述べる前に、『vuddy』の冒頭に続く章を折角なので読んでもらおう。




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