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第三章 三節  死神の犯した罪

     1


 十二月二十二日。私は再びリノバンス医院に運ばれた。ひと足冬の訪れが早いジェング市街で、何かの袋を片手に血だらけの状態且つ虫の息で雪に埋もれていたところを発見されたらしい。住民が通報し、近くの小さな病院に拾われ、病院経由でレーザン先生が引き取った。

「落合から聞いたが、わざわざ遠くのバーゲンに珍しいものを買いに行ったんだって?」

 ベッドで寝ている私の横にはレーザン先生と担当看護師がいた。アイリスの病室とは違い、ガスマスクはつけていない。いや、ワクチンが開発された今、アイリスの部屋でもその必要はなくなった。

 部屋は暖かく、昨日の凍えそうで失いかけた感覚が嘘のようだった。心臓の位置より高い場所に置かれた右足にはギプスが付けられている。そして、左肩をさすると、やはり腕がなかった。あれは夢でも何でもない。紛れもない現実だった。

「ええ、まぁ、そうですね」

「それが、義手と義足だったのか」

「良質なものですし、前に義手を作ってほしいとの依頼が来たことがあったので、参考にと」

「そうか……でもなぁゼクロスさん、悪いとは思うが、俺は正直その話が本当であれ嘘であれどうだっていい。どうしてそんな目にあったんだ」

「……」

「言えない理由があるのか? まぁ事故でそんな綺麗に腕がもっていかれるのは珍しいにもほどがあるし、複雑骨折した右足は握られた跡がある。強い握力で骨を折られたと判断していいものだろう。その上、あちこちに小さい傷や、全身打撲に背中から腹部を貫いた傷。その傷跡の形が爆発物の破片にも似ていたが……ゼクロスさん、あんた昨日ジェング市街で何に巻き込まれたんだ」

「……」

「……まぁ、思い出したくない気持ちも分かる。落ち着いたら話してくれと言いたいところだが、無理して話す必要はない。ただ、治るまで安静にしてくれ。母ちゃんからもらった大事な身体だ。大切にしろよ」

 そう言っては立ち上がり、部屋から出る。若い看護師が残るが、あまり快く思っていないのが目を見て分かる。死神はいつだって嫌われ者だ。好きな方がどうかしているほどに。

 カーテンの開いた窓の先。ここも少し雪が積もっている。木々はすっかり枯れ、積もっていたはずの雪は樹の微かな熱で溶け、濡れた樹は黒く変色している。

「看護師さん」

 あえて胸に取り付けてある名札の本名で呼ばず、そこにいたブロンズのミドルヘアの看護師に声をかけた。

「どうかしましたか?」

 嫌々と思いながらも、私の前では屈託のない笑顔で対応した。

「……雪、降らないですかね」

 雪はそこまで好きじゃなかった。

 だけど、今はそこまで嫌いではない。

 この気持ちの変わりようはなんなのだろうか。

 季節が変わるように、少しずつ、私自身が変わっていく。そんな感じがした。

 ちらちらと雪が降り始めるが、空は明るく、日が射していた。


     2


「緊急コールが鳴ったが何があった!」

「レーザン先生! アイリスの容体が……っ」

「データを見せろ」

「は、はい……っ」

「……! 馬鹿な……。再発してるだと……っ?」

「ですが、ワクチンは確かに効いたはずでは……?」

「――手術の準備をしろ! 俺が執刀する! 急げ! 死んでしまうぞ!」


     3


 真っ暗だ。

 目を開けても、周りを見渡しても、ただただ「闇」の一言に尽きる。

 だけど、不思議なことに自分自身の身体だけははっきりと見えていた。患者服を着た、私の姿。だけど、全身に違和感を感じる。むずがゆい。私の体の中で何かの拒絶が起きている。これは私の物じゃない。異物が入り込んでいる。取り出したい。身体がそう叫んでいる。

「――あぐっ!」

 私の体の中で何かが暴れている。ここから出せと言わんばかりに暴れている。今にも体を突き破って這い出てきそうな勢い。

「――ひっ」

 気がつかなかった。何十人いるだろうか、周りを見ると、変色した皮膚がボロボロになり、血だらけになっている裸の人たちがふらふらと私に寄ってきている。その目は完全に死んでいた。

 何かを呟いている。でも聞き取れない。そんな余裕がない。

「い、嫌……来ないで!」

 周りを囲まれている。逃げ場がない。どんどん近づいてくる。

「やめて! 誰か! 誰か助けてよぉ!」

 だが、状況は変わらないまま。体の中身はさらに暴れる。もう痛みに耐えられず、倒れてしまう。

「あ……あぁ、嫌……」

 抵抗する力も出ず、私は無数の手に覆われる。嫌だ。気持ち悪い。

 息すらできないほど屍の波に呑まれ、溺れていく。

 神様も救ってくれない。天使のお迎えも来ない。

 もう、誰も助けてくれない。


     4


 十二月二十三日。

 一日中安静にし、もうすぐで二十四日を迎える。

 暗い病室。私は突然目を覚ました。

 起き上がると、目の前には、あのとき見た鏡の中の赤い死神の姿がいた。だが、前見た姿とは異なり、黒いローブではなく、コートを羽織ったダークスーツだった。顔も筋肉繊維や神経、血管の絡まった悍ましいものではなく、ルビーのように真っ赤に染まった髑髏どくろの頭部と化している。鏡や液晶など、何かに映るものにしか出てこなかったはずが、今では現実の空間に何の違和感もなく存在している。

「……やぁ、また会ったね」

 私は嫌悪を示すことなく、笑みを向けた。

「『蜂』に会ったようだな。どうだ、これで自分がどういう存在か理解できたか」

 事務的に話したその死神の表情はわからない。髑髏の目の奥の深淵はどこか吸い込まれそうな不気味さを感じる。

「少しはね。それで、『シュレイティアの意志』とはなんだろうね」

 この死神は私のもう一つの姿。ということは、この幻覚は私の脳が作り上げたもの。私が知らないことはこの死神も知らない。そうとは知っていつつも、訊いてみた。

「既におまえはその『意志』に触れている。だが、それは『罪』だ」

「故意ではないんだけどなぁ」

 私は冗談交じりに笑う。しかし、その目までは笑っているつもりはなかった。

「あの『蜂』の言っていたことは少し間違っている。『意志』の存在を知るのも、それに触れるのも『罪』だ」

「結局、知るのでさえ『罪』なんだね」

「見るのも、聞くのも、知るのも禁じられている。理解しようとするな。これ以上、その領域を渡るな。『シュレイティアの意志』は生半可な覚悟で触れてはならない禁忌だ」

「真実が禁忌……?」

「だが、真実を知るに値する者はいつか現れる。おまえもその候補の一人、『シュレイティアの意志』に選ばれた者だ」

「偶然触れてしまったにもかかわらず、それも『意志』の想定内、ということか。おかしな話だな」

「常識に囚われるな。精神の壊れた狂人以上の不可解の先に解答はある」

「だとすれば、その解答自体ないという考えもできるが?」

「まぁ、そうだろうな」

「……同じ僕なのに、そんな曖昧な発言をするとはね」

「何を言っている。今のお前は放浪と彷徨っているではないか」

「……?」

 やはり訳が分からない。まるでギリアだ。それに表情が分からない以上、読み取れない。

「『蜂』につけられた傷はどうだ」

 この失った左腕のことか。砕けた右足のことではないだろう。

「まだ痛むだろう」

「……まぁ、少しは」

「直にその違和感はなくなる。ここまで踏み込んだからには、もう変化という選択以外はないのだからな」

 それはきっと『赤い蜂』に接したからだろう。ここまで来れば、もう後戻りできないということか。少し治ることを期待したが、やはり再生医療か最悪義手でなんとかするしかないか。

「ゼクロス」

 初めて名を呼ばれた気がする。

「なんだ」

「愛する人はいるか」

「……は?」

 耳を疑った。何を言ったこいつ。

「いや、訂正しよう。おまえにとって大切な人はいるか」

 聞き間違いではなかったようだ。それにしても、やはりこいつの意図がわからない。

 だが、それを聞いた途端、一瞬だけある人物の顔が浮かび上がる。

「思いついたようだな」

「だからどうした」

「いや、何でもないさ」

「……」

「ひとつ言うとすれば」

 死神は窓際へ歩き、窓に映る闇を見つめた。

「大切な人の望みは叶えることだな」

 窓には私の姿が映っていた。


     5


 手術を終え、手術室から出てきたレーザンはマスクを外し、勢いよく廊下の待合用ベンチに横たわる。

「はぁ~、今日って二十四日か? まったく、素敵なサプライズだぜおい」

 レーザンは軽く笑うが、すっかりぐったりとしている。後から別病棟の医師と香霧が出てきた。互いに軽く挨拶を済ました後、その場に残ったのは香霧とレーザンだけとなった。

「何か買ってきますか?」

「あー……そうだなぁ、いや、今はいいや」

 レーザンは目をつぶったまま話す。香霧は向かい側の緑のベンチに座った。

「わかりました」

「香霧、来てくれて本当に助かった。ありがとうな」

「いいですよ、困ったときはお互い様ですし、それにゼクロスさんも入院中ですからね」

「あぁ、あれは本気でびっくりした。大怪我負って、そんでもって腕なくなっているからな。どこの戦場を散歩してきたんだといいたいぐらいだ。フランとかジャドソンはどうした?」

「ふたりはー……あ、ほら、今日って聖夜じゃないですか」

「なるほど、それぞれ楽しんできているわけか。どっちも家族持ちだからなぁ……俺も家族持ちなんだけど」

「そ、それは……仕方ないですよ」

「だよな~、ちょっと寝て家に帰るとし……やべ、息子のプレゼント買ってねぇや」

「寝ているときに枕元に置くんですから、それまでに買えばいいですよ」

「んー、なにがいいかなぁ……そういや弟欲しいって言ってたな。今日作るか」

「さらっと言わないでください」

 淡々と言ったレーザンだが、香霧の声が引きつっていた。

「香霧は嫁さんいねぇのか」レーザンはいたずらに笑う。

「そうですね、彼女もいないです」だが真顔で香霧は答えた。

「見た目や顔はいいんだけどな。あれか、シャイボーイか」

「あぁいえ、ただ話の合う人がいないだけですね」

「話か……なにが好きなんだ?」

「深海魚とか害虫とか、形や生態が珍しい生き物が結構好きですね」

「変な生き物マニアってとこか……そりゃあ女にはあまり快く思われないだろうな」呆れた顔で笑う。

「ですよね……でも、アイリスちゃんもかわいい顔してミステリーやサスペンス小説好きなんですよ。フランさんはホラーアクションゲームを趣味でやっているそうですし」

「まぁそういう人も少なからずいるよ。つーかフランまさかのホラー好きか! 初めて聞いたぞおい!」

 驚いた声で首だけを香霧に向ける。

「グロテスクなゲームも結構好んでますよ」

「マジか、今度一緒に元研究メンバーでゲームするか」

 あっはっは、とレーザンは愉快に笑う。香霧も同時に笑った。

「あれ、レーザンさんも好きなんですか?」

「好きだよそういうの。今は卒業してやってないけど、今の話聞いたら急にやりたくなってきた。今のゲームは進んでるだろうな。あ、でもゼクロスはやめたほうがいいかもな」

「どうしてですか?」

「あいつ異常にゲームの名がつくやつ強い。トランプもそうだし、チェスも携帯ゲームも全部強い。俺一度も勝てなかったし、時々参加した初心者のアイリスでも容赦なしだ。泣かしてケンカになったときはひやひやしたよ」

「あー、なんか完璧に勝とうとする人に見えますよね」

「でもそういう奴いるぜ? それに勝てたらどれほど自信がつくんだろうな」

「でも完璧主義の人ってプライド高そうですよね」

「そりゃそうだろ、プライド無かったら完璧追求できねぇぞ」

 少し間ができる。この時を狙ったかのように、改まった表情で香霧は話し出す。

「……レーザン先生」

「ん? 彼女いないからどうすればいいかって? 今年は諦めろ」

「普通に違います。ってその回答もひどいです」

「なっははは! 冗談だよ、で、どうした?」

 疲れていても明るく振舞う。その様子を見て、香霧も少し疲労がとれた。

「アイリスちゃんの病気、なんで再発したのでしょう」

 レーザンの表情が曇る。再び静寂に包まれる。

「……詳しく調べてねぇから詳細は知らん。だが、かなりの確率で抗ワクチンのUNCへと変異した可能性が見受けられる」

「……」

「まぁ、とりあえず今日は安静しておけば大丈夫だ。またいつものように延命治療させて、検査は明日明後日にでもいいだろ」

「そう、ですね……」

 香霧は立ち上がり、それに気づいたレーザンは香霧を見上げる。

「それでは、お先に失礼します」

「おう、おつかれー」

「良き聖夜を」

 香霧は廊下の奥へと消えていった。レーザンは瞳を閉じた。

「……」

 レーザンは欠伸を一つした後、口を小さく動かし、呟いた。

「……なんとしてでも、絶対に死なせやしねぇぞ、アイリス」

 そのひとことを最後に、レーザンは眠りについた。


     6


 雪が降り始めた。

 さらさらと、銀色の柔らかい雪が降り積もる。その様子は病室のベッドからでも窓を通してよくみえた。

 目の眩みそうな暑さも、身を震わせる寒さも、春の暖かさも、秋の涼しさも忘れてしまった身体。取り戻しかけた自由が、病の再発で打ち砕かれる。

 先生は大丈夫だと言っていた。でも、それは元気づけるだけに過ぎない言葉。それを何年聞いてきたのだろう。大丈夫だったら、なぜこんなにも機械器具を体に繋ぎとめられて、絶対安静といわれなければいけないのだろう。

 入院続きで大した勉強さえできない、頭のよくない私でもわかる。本当はどうにもならないんだって。先生たちも必死でやっているけど、やっぱり難しいんだって。もうすぐ死んでしまうんだろうなって実感がわいてくる。でも、死にたくはなかった。

 せめて、一度でもいいから外に出たかった。外の空気を吸いたかった。外の風を浴びたかった。

 死神と呼ばれた男に余命二ヶ月と宣告されたけど、先生たちと、その死神のおかげで二ヶ月以上生きている。だけど、それでも、治りたかった。自由になりたかった。

 ここは白い監獄だ。みんなやさしいけど、自由はない。私は囚人。「病」という「罪」を背負って、「薬」という「罰」を与えられる。

 死ぬよりはよっぽどいい。だけど、とてつもなくつらい。まさに生き地獄。

 でも、身体が酷くなってもいい。死んでもいいから外へ出たかった。

 ただ、身体が酷くなってあの死神と話せなくなるのは嫌だった。どうしてかはわからないけど、今はあの真っ黒な死神と一緒にいるのが楽しみの一つになっていた。憎たらしい奴だけど、陰で見守っている。私の見えないところで何かをしてくれて、みんなの見えないところでやさしくしてくれる。一番距離があって、だけど一番接してくれている、変な人だった。

 だけど、新型の感染症のワクチンが普及したことで研究メンバーが解散したのを聞いた。もう、あの人たちに会えないんだ、あの死神に会えないんだと思うと、すごく寂しくなった。だけど、その死神が二度も瀕死になってここに入院したのは疑問に思ったが、心配だった。せめて死んではほしくないと願う自分がいた。自分以外でそう願うのはいつ以来のことだったか。

「……外に出たいな」

 手術後、気がついたときは夕方だった。今はすっかり夜に移り変わり、夜空からは雪が降っていた。

 時間は七時、八時、九時へと、今日に限って時間が経つのが早く感じられた。

 今頃町では家族やカップルが楽しそうに聖夜を楽しんでいるだろう。一人だけでもいいから、そんな景色を眺めて、ケーキでも買っていきたい。

 もしくはサンタにプレゼントを貰うか。いや、この年齢になってそれは流石にないだろうな。そういえば症状がひどくなる前はレーザン先生が毎年サンタに変装して、私以外の患者にもいろんなものをプレゼントしていたな。医者とは思えないくらい親しくて、本当に父親のような人だった。今もそうだけど、忙しいのか、最近あまり来てくれない。回診の時間も短くなって、あまり話せていない。

「……」

 今年はこのまま過ごすんだろうな。他の患者さんもそう思っていることだろう。

 明日が来ることを祈ろうと思ったとき、病室のドアが開く。いつもよりもゆっくりと開いていくので、少し不思議に感じた。

 もしかして聖夜記念の何かかな? と期待しながら深夜前の診査だろうと冷静になる。だけど、誰か来てくれるだけでもうれしかった。

 しかし、訪れた人はレーザン先生でも、ここの医者でも、看護師でもなかった。

「……ぇ」


     7


「おや、これはまた随分と見苦しい姿になったね」

「……うるさい」

 相変わらずの嫌味を私は言った。まだ元気があるのか、アイリスは返事をしてくれた。

 しかし、今までよりも機材の数が多い。まるで人体実験を連想させるほどだ。看護師の噂でUNCが再発したとは聞いていたが、まさか本当だとは。

「でもどうしたの? 落合さんからは瀕死で倒れていたって聞いたんだけど……」

 少しうれしそうな顔から心配した顔に変わる。普通の視点で見ただけではわからないだろうが、私の目で診る限り、容体は酷く悪化している。普通ならば絶対安静だ。この状態はいつ死んでもおかしくない。だが、今は少し落ち着いている。

「……アイリス」

「え?」

 彼女は呆然と私を見る。

「今日は何の日か知っているかい」

 彼女は目を逸らし、少し考え込むが、分かり切っている解答以外の解答を探しているようにもみえる。

「え、せ、聖夜の日、だよね……?」

「正解。何か願い事はあるかい」

「えっ?」

 アイリスは驚き、口が開きっぱなしだ。これでは阿呆の顔だ。まぁ、今日だけは指摘しないでおこう。

「あ、あるけど、絶対無理だと思うし……」

「ダメ元でもいいから言ってごらん」

 なるべくやさしい口調で言った。アイリスは躊躇いながらも、ぽつりと言った。

「……外に出たい」

「どこに行きたい?」

「え、と……あの」

「……よし、わかった」

 アイリスの答えを聞く前に把握した私はアイリスに近づく。

「え、ちょ、あの……っ」

 近づくほど彼女は顔を赤くする。意識の違いがここまで肉体的に影響を与えるのもつくづく関心する。

 私は彼女に繋ぎとめられた管や機材を丁寧に外す。鎖に繋がれた枷を外すかのように。

「えっ、ちょっと! なにやってるの!?」

「君の願いを叶えるんだよ」

 作業を続けながら私は答えた。

「で、でも、これは――」

「やっぱり死ぬのは怖いかい?」

 彼女の目を見る。金色の瞳は未だ輝きを失っていない。満月のように美しい瞳だ。

「君も感じているだろうが、君の体はいつ機能を停止してもおかしくない。その原因はわからないけど、耐性のついたUNCの形質が凶暴に等しいものだと履んでいる。絶対安静が第一だが、明日死ぬかもしれないのに、一度もやりたいことできずに死ぬのは流石に酷だ。それなら、望みを叶えてから死ぬ方がましだろう」

 すべてを取り外す。手順通りに行ったので、彼女の身体からはほとんど血は出てこなかった。

 アイリスは突然、微かに笑った。吹き出したように笑った。

「……? どうした」

「ゼクロスってやっぱり死神だね。そんなこと思っていても、普通の医者だったらやらないよ」

「まぁ下手したら法に触れるからね。この場にレーザン先生がいなくてよかったよ」

 私は壁際に置いてあったビニール袋から服を取り出した。

「そ……それって……?」

「外出用の君の服だ。まさかその患者服で外へ出ようとは思ってないよな。凍え死ぬぞ」

 私は服一式をベッドに置いた。

 ベージュのトレンチコートにショートサイズのスカート。黒のカラーストッキングとレディース用ニット帽、そして冬用アンダーウェアと手袋、下着等をアイリスに見せるようにベッドの上に広げる。

「こ、これって……全部買ったの?」

「そうだね、全部選んで今日買い揃えたんだが、お気に召さないものがあったかい?」

「う、ううん全然! そんなことない! でも今日ってことは……」

「思いついたら行動が早いんでね」

 笑みを浮かべ、そのひとことでアイリスは理解した顔つきになった。だが、それについては触れないでおこう。

「こういう服を着るのは久しぶりだろう。ダウンコートでもよかったが、僕としてはトレンチコートが似合うかなと思ってね」

「ええっと、全然服の名前とかわからないんだけど」

「ん、まさか縁がないと思ったのかい? 治ると信じてたのに? 調べてないってことは女を捨てて――」

「あーもう! ねちっこい!」

「ははは、少しからかっただけだ。じゃ、早速着替えてくれ」

「……」

 だが、アイリスは私をじっと見つめたままだった。

「どうした?」

「あの、着替えるからうしろ向いてくれない?」

 私は鼻で溜息をついた。

「別に十七の小娘の着替え程度で――」

「いいから見ないで変態!」

「……わかったよ」

 私は仕方なく後ろを向いた。「あんただって二十代の若造でしょうが」と愚痴を言いながら布の擦れる、着替える音が聞こえてきた。

 せめてデリカシーがないとでもいえばよかったのにと思ったが、これがアイリスらしいなと少し微笑んだ。

「……」

 私は振り返る。案の定、うまく身体の自由が効かないアイリスは服を着るどころか脱ぐことさえ苦戦している。

 私が見ていることに気がつき、顔を真っ赤にした。

「み、見ないでって言ったでしょ!」

 大して脱いでもいないのにどうして布団で身を隠す。恥ずかしがる理由が分からない。

「……はぁ、だろうと思ったよ。手伝ってやる」

「……へ?」

 唖然としている。本気でやるのかと言わんばかりの顔で訴えかけてくる。

「恥ずかしがったって、着替えられないんじゃあどうしようもないだろう」

「ほ、本気で!?」

 さらに顔が赤くなる。血圧に異状がなければいいんだが。

「本気もなにも、時間はないんだ。身を委ねた方が早く外へ行けるぞ。今だけ羞恥心捨てるのが賢い判断だと思うがね」

「うぐ……」

 何故か悔しそうなアイリス。とはいえ、看護師に毎回着替えさせてもらっているだろうと思うが、やはりそれは女性に着替えさせてもらっているからいいのであって、男性にされるのはどこか抵抗感があるのだろう。

「じゃあ、力を抜いて」

「……うん」


「アイリスには兄弟がいたよね」

「うん、三つ下の弟がいるよ。クラロっていう名前」

 服を着させてもらっているアイリスは傍に立てかけてある写真立てをみた。

 眼鏡をかけたやさしそうな父、アイリスに似た長い金髪の明るそうな母、元気いっぱいの弟、そして大人しそうに笑うアイリス。幸せそうな家族写真だといつも見ていた。

「ゼクロスは兄弟とかいるの?」

「兄と姉が一人ずついる」

「え、意外! ゼクロスって末っ子なんだ」

「よく言われるよ。はい、これでよし」

 何故か病室に鏡がないのもどうかとは思う。彼女自身に今、この綺麗な姿を見せられないのは残念だが、どこかの町でみせてやればいいとしよう。

「あれ、色違うけどこの服ゼクロスと同じじゃない?」

「ん? あぁ、そうだね」

 私はスーツのうえに少し大きめの黒いトレンチコートを着ている。少し形が違うが、ファッションに無縁だった彼女にすれば同じようにも見える。

「まぁ似合えばなんだっていいさ。じゃあ行くとしよう」

「え……っ、ちょちょちょ! ちょっと!」

 私はブーツを履きかけた彼女の華奢な身体を横にして抱き上げた。やはり軽かったが、自分一人で手術してレッドマーケットで手にした義手を取り付けたが、やはり一日ではあまり慣れない。その上、右足の自製ギプスにも限界はあり、痛みは感じていた。よく服を着せられたと自分で感心した。

「暴れるなよ、軽いとはいえこれでも患者なんだし、この抱え方は正直身体の負担もかかる」

「あっ、で、でも……お姫様抱っこなんてこんな……!」

 私は紅潮した彼女を運び、入口に立てかけてあった車椅子を足で展開し、そこに座らせる。

「……」

「ん、どうした。抱えられたままの方が良かったかい?」

「……なんでもない!」

 そっぽを向く。少し機嫌が悪くなったのは理解できたが、抱えたまま病院を出るわけにもいかない。それに、できるだけ負担をかけてはならない上、あまり目立った行動はできない。

 コートのボタンを留め、黒いハットを被った。


 廊下に出、エレベーターを利用する。

「な、なんか怖いね、真夜中の病院って……。誰もいないし、暗いし……」

「僕は落ち着くけどね」と本心を言う。

「ゆ、幽霊とか怖くないの?」

 恐る恐ると話す。幽霊で怖がるとはいくつの子供だ。毎日悪夢を見ていては無理もないが。

「……その年でまだ信じているのか。電脳界の場所によっては普通にいるが、君が思っているようなやつはいない。僕からすれば、幽霊よりも人間の方が恐ろしいね」

 実際にそれを見てきてしまったことを思い返し、私は言った。

「人間が……」

 アイリスの表情が変わる。少し禁句だったか。彼女の家族は人間に殺されたのだったことを思い出す。

 エレベーターのアナウンスと同時にドアが開く。一階に着いたが、深夜帯でも何人かの夜勤看護師の姿が見えるはずなのだが、聖夜のためか、ほとんどいない。


 正面入口は自動施錠オートロックされていたので、関係者用出入り口から出た。

「ひゃっ」

 アイリスが変な声を漏らす。久しぶりに体感する感覚に言葉で表すことができなかったようだ。

「十年ぶりの寒い感覚はどうだい?」

 私はにやりと笑い、アイリスを見る。

「……え、と、さむい……かな」

「具合が悪くなってきたら構わず言ってくれ」

 私は車椅子を手に、駐車場へと向かう。真っ暗な夜空、上からやさしく降り続けるほんのり冷たい粉雪。地は白く染まり、身が引き締まる程の寒く、柔らかい風が肌を撫でる。一歩外に出ただけなのに、アイリスはあちこちを興味津々に見渡す。暗くても、その目は輝いていた。白い息が出ることに対し、懐かしくも、面白がった彼女を見ては微笑んでいる私がいた。

「車でどこか行くの?」

「そうだね。とりあえず街にいってみるかい」

「うん!」

 助手席にアイリスを乗せ、エンジンをかけた。いつもよりも静かに感じられるのは、私もそれなりに緊張しているからかもしれない。


 時計を見れば十時を過ぎていた。今のところアイリスに異状は見られない。いや、高揚していて保っているだけに過ぎないのかもしれない。

 アイリスは車の外の景色を眺めては私に何度も聞いてくる。煉瓦街の中、少し道路が混んでいる。並木道の色鮮やかな小さなライトや飾り物、家の前に置いてある装飾された樅木もみのき、あちこちにある雪だるま。様々な店でイベントを開催しては盛り上がっていては、何人もの人が楽しそうに、幸せそうに雪降る町中で賑わっていた。

 この娘の目にはいったいどのような景色が映っているのだろう。私には毎年見慣れた光景だが、十年も経てば何かしらの大きな変化があるとわかるのだろうか。

「ねぇ、これからどこに向かうの?」

 輝いた目で私に訊いてくるが、何を考えているのかはこちらからお見通しだった。

「悪いが、ケーキは買ってやれない」

「えー」とアイリスは頬を膨らませる。その元気な振る舞いに私は少し安心する。

「流石にそれは完治してからじゃないと厳しいものがある。あくまで外に出ることが君の願いだっただろう」

「うぅ……もっと具体的にいえばよかった」

 そういえばアイリスが一度治ってから食欲旺盛な光景は見当たらなくなって、寧ろ少食気味になったと落合から心配そうな顔で聞いてきたと茜から連絡が来ていたことを思い出す。だが、今は関係ないことだとすぐに頭の中を切り替える。

「だけど、食べ物よりも気に入るプレゼントがある」

「本当に!?」

 私の顔を見て寄ってくる。素直だが、単純ともいえる。それが愛らしいと言えば肯定できる。

 広間の大きなツリーを最後に、私は車を飛ばし、街を出た。


 人々の賑やかさは嘘のようになくなり、辺りは静寂の地へと切り替わる。高層ビルなどのような建物はなく、見えるのは木造建築や石造りの一軒家がちらほらと見えるだけで、あとは氷結しかけているなだらかな川や、雪に埋もれた田畑が辺り一面にあるだけだった。

 眩しい程の街並みは後ろの地平線で輝きを放ったまま。真っ暗だが、白銀の世界は微かに光を灯し、道を示してくれている。雪は先程から止んでいるので、視界は悪くなかった。

「町から外れちゃってるけど、どこに向かってるの?」

「ここまで来たら気づくとは思うけどね、まぁ見てのお楽しみと言っておこう」


 数分後、目的地に着いた私は車を停める。

「さ、着いたよ」

 後ろの席から折り畳んだ車椅子を展開し、アイリスを抱えて、そこに座らせる。

「ここって……」

 アイリスは呆然と一面に映った景色を眺める。流石に気がついたようだ。

「家族みんなで来た場所だ……」

 アルモス教会。アイリスが幼いころ、家族全員で訪れたと話してくれた場所。今となってはあまり使われていないのか、少し廃れているようにも見えるが、そこまで古くはなっていないようだ。

 教会の前には四季と昼夜の移り変わりで変色するトリニオスの花畑が咲き誇っている。石膏の柵で囲まれた教会の周りの花園には薔薇に似た白く、蒼い花が燃えるように辺り一面に咲いていた。結晶のように煌びやかで、微かに発光している様は、幻想的な世界へと誘われた気分になる。

「綺麗……」

 囁くように感嘆の声を出したアイリスの顔を見ると、涙を浮かべていた。白く柔らかな頬を伝う水滴に微かな花の光が反射し輝く姿に、私は心を奪われた。

 彼女はこの暗くも輝いている景色を前に何を思うだろう。私の知る由はない。もう外の景色を見て感動することなど、とうに忘れてしまった。

 雪が降り始める。さらさらと、教会と花畑に振り注ぐ。花の仄かな光が反射し、雪はキラキラと白銀に輝く。冷たい風が舞い、花びらと粉雪が舞う。街中とは正反対の静かで、美しい青の世界。幻想の白の世界。二つの世界は夜の世界に交じり、切り離されたかのような独立した世界を生み出す。まるでこの場所だけ時間がゆっくりと進んでいるようだった。

「ずっとここにいたら身体が冷えるだろう。教会の中に入ろうか」

 彼女はゆっくりと頷いた。

 私は車椅子から彼女を持ち上げ、横抱えにする。

 教会の両扉をゆっくりと開けた。


 教会の中は静かな外よりも静寂に包まれていた。風はないが、冷え込んでいる空間は思わず身震いしてしまう。青白い床と壁、並んでいる柱には蔦が絡みつき、そこに葉や白い花が咲いている。右奥にはパイプオルガンが設置されてあり、左奥には大きな柱時計が置いてあった。奥の壁には二枚の大きなスタンドグラス、そして左右の窓は小さ目の装飾された窓ガラスが貼ってある。

 正面奥には教壇と金色の十字架があった。十字架には金色の茨のような植物が装飾として絡んでいる。その真上には壊れたような穴があり、そこから雪が光と共に降り注いでいる。

 深海の中のような独特の世界。夜の海を連想させるこの大きく、神聖な空間の中に二人の人間が足を踏み入れる。

「中に入ったことはあったかい?」

「……うん。でも、よく覚えていないの」

「そうか」

 赤い絨毯の上を歩き、金の十字架の前に立つ。近くで見るとかなり大きい。

「ゼクロス」

 小さな声で呼びかける。

「どうした」

「……ありがとう」

 囁くような、透き通った声だった。

「……君のためだ。なんてことはない」

 私は淡々とそう答えた。それ以外、言葉が思いつかなかった。

「……泣いてるの?」

「え……?」

 その言葉に少し驚く。しかし、両腕はアイリスを抱えているため、流れているであろう涙を拭い取ることはできない。

 しかし、その涙をアイリスが指で拭い取ってくれた。どうやら本当に涙を流していたらしい。どうして泣いているのかわからなかった。

「ふふ、死神でも涙を流すんだね」

「僕を何だと思っているんだい」

 アイリスはくすくすと小さく笑う。

「……」

 あぁ、知っている。この感情は知っている。どこか、懐かしくも、儚くも感じるこの気持ちを。

 しばらくの静寂。ただ、上から雪が降り注ぐのみ。

「……アルモス教はこの十字架の前で願いを唱えるらしい」

「ここでも願い事?」アイリスは笑った。

「あぁ。また願い事言ってみてはどうだ? 多少なら叶えられるかもしれないぞ」

「それって私が何かを食べたいって思ってる意味での言葉?」

 気づきの良い少女の言葉に私は笑う。それを見、アイリスは少しムッとした。

「もう、そんなんじゃないって。食べたい気持ちはあるけど」

「じゃあ言ってみなよ。この十字架に向かって」

 アイリスは私をじっと見た後、十字架に顔を向け、瞳を閉じた。


「――これからもずっとゼクロスと一緒にいられますように」


 十二時の時計が鳴る。空から流れてきた風が、教会に散った花びらと雪を巻き上げる。

 一瞬、頭の中が真っ白に染まった。考えることができなかった。

 さっきから湧き上がっているこの感情。懐かしくも感じるこの儚げな心の揺らぎ。

 愛おしかったのだ。彼女のことを。アイリスのことを。

 いつの間にか、既に私は彼女に惹かれていたのだ。

「アイリス」

 私はこちらに顔を向けた彼女の唇と自分の唇を重ねた。驚きはしたが、アイリスは目を閉じ、受け入れてくれた。

 時間が止まったように感じられた。寒さを忘れてしまうほど、私は夢中になっていた。何度も、何度も繰り返し、やさしく唇を重ねる。

「……」

 どれほどの時が経ったのだろうか。私は唇を離し、アイリスを見つめる。その顔は紅く火照り、何も語ることなく、じっとこちらを見つめている。

 風が収まり、雪は降り止む。一瞬が永遠に感じられる錯覚を覚える。

 言葉を交わさずとも、互いの想う心は通い合っていた。言わずとも、ちゃんと伝わっていた。

 見つめ合い、そしてもう一度、私は唇を重ねた。


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