それぞれの想い
リンの結婚式が終わり、とんぼ帰りしたキャリーは、夜明け前に漸くカルデアに戻った。
皆が寝静まる寄宿舎の廊下を忍び足で進み、レイシーとアニーが寝ている部屋に音を立てないようにこっそりと入っていく。
そして荷物をベッドに下ろすと、ふぅっと息をついた。
カルデアの復興作業は、あれから順調に続いていた。
オリビエの提案で現場に出たライアードは、その後あっという間に夜の作業の中止を決めた。それは彼に言わせると上からの指示だそうだが、真相は分からない。どちらにしろ夜にちゃんと休養をとれるようになった兵士達は体力を取り戻し、不眠不休で働いていた時よりも作業の効率は上がっていた。
結局侍女は追加されなかった。余裕の出た兵士達が手をかしてくれるようになったので、キャリー達の状況も改善し、その必要も無くなったのだ。
だがあの日以降、アニーとレイシーは本格的に口を利かなくなっていた。
キャリーが休暇をとることで、2人は暫し2人きりで過ごすことになる。その間に少しでも距離が縮まっていてくれるといいのだけれどと、キャリーは密かに期待していた。
だがとりあえず今は2人とも夢の中だ。
キャリーは仮眠をとるため着替えを開始した。
◆
朝になり、キャリーは短い睡眠から自然と目を覚ました。
隣のアニーが支度をしているのを見て「おはよう」と声を掛ける。アニーは「おかえり」と笑顔で応じた。
「ただいま」
キャリーも微笑みを返す。
レイシーとアニーの溝とは裏腹に、キャリーはあれからアニーと普通に話せるようになっていた。
少し怖いと思っていたアニーは話してみると裏表の無い気持ちのいい子だと分かった。はっきり物が言える性格は、キャリーにしてみれば憧れだ。そんな彼女が羨ましくも思える。
キャリーはベッドを出て、ふと自分の上段に居るレイシーの姿を探した。
そこに彼女の姿は無いようだった。
「…レイシー、もう仕事行ったの?」
「そうじゃない?知らないけど」
突然アニーの口調が険を含んだものになる。その反応からして、どうやらキャリーの期待する展開は無いようだ。アニーはひとつ溜息を洩らし、ぽつりと言った。
「完全に決裂しちゃった」
キャリーの胸がどくんと嫌な音を立てた。アニーは絶句するキャリーに、苦笑を見せる。
「あんたが居ない間にさ。ちょっと一悶着あって。まぁ、あたしがキレちゃったんだよね」
言葉が見つからず、キャリーはただ顔をしかめた。距離が近くなるどころか、その逆だったとは…。躊躇いながら問い掛ける。
「…なんで?」
アニーは肩を竦め、「昨日さ…」と話し始めた。
―――
――――――
キャリーが居ないその日、アニーはレイシーと2人で夕食の支度に取り掛かっていた。
普段アニーからレイシーに声を掛けることは無い。正直、苦手なタイプだからだ。
けれどもキャリーが居ないとそうもいかず、なんとなく事務的な会話を交わしつつ仕事を続けていた。
アニーが話しかけると、レイシーは分かりやすく緊張する。そんな反応に苛立ちを覚えつつも、手際が良く仕事ができるのは確かだと改めて感じていた。
少し見直しかけていたその時、厨房に兵士が1人入ってきた。
「お手伝いしまーす!」
カルデアの若い兵士でタースという男だった。
アニーは思わず顔をしかめた。タースは真っ直ぐにレイシーのもとへ駆け寄って行く。
兵士の手伝いは有難いのだが、正直タースはいらないとアニーは思っていた。なぜなら彼の狙いは明らかにレイシーで、いつも手伝いと言いながら彼女の傍に張り付いて、色々話し掛けては邪魔をするだけなのだ。それに応えるレイシーの手は遅くなるし、こちらからもレイシーにものを頼めなくなる。
正直、いい迷惑だった。
今日もタースはいつものようにレイシーの傍にくっついて、下らない雑談を始めた。
レイシーが笑顔で応対する。それがなおさらタースを舞い上がらせる。
キャリーが居なくて仕事の手が減っている今、アニーの苛立ちは募る一方だった。
「レイシーってお酒好き??」
「お酒ですか?そういえば飲んだことないです」
「そうなの??あー、でもそんな感じだよねー」
「そうですか?」
「うんうん、でももう大人だしさ。試しに飲んでみたら好きになるかもしれないよね」
「そうですね。興味はあるんですけど…」
「ほんと?!それじゃぁ、今度さ…」
「――あぁ、もぉ、うるさいんだよっ!!!!」
遂に、厨房にアニーの怒声が響き渡った。
タースとレイシーが驚いて振り返る。ただ目を丸くする兵士と違い、レイシーは明らかに怯えていた。
やってしまった。こうなったら開き直ることにする。言いたいことを言わせてもらおうと、アニーはタースとレイシーに向き直った。
「しゃべりたいなら外でやってください。気が散るんで!レイシーもやる気ないならイラナイから出て行って!好きなだけ話してこればいいでしょ!!」
レイシーはさっと青くなった。傷ついた顔で硬直する。タースはそんなレイシーを庇うように前に出ると、アニーを睨み据えた。
「何見て言ってるんだよ。レイシー仕事はちゃんとしてるだろ?俺の手伝いが大した役に立たないのは仕方ないけど、レイシーにまでそんな言い方おかしいんじゃないか?」
「大して役に立たないっていうか、邪魔です!!」
タースは屈辱に顔を赤くした。
アニーは、そんなタースを無視してレイシーに目を向けた。彼女は何も言わずにタースの後ろで隠れている。それが気に入らなくて、アニーはレイシーに直接詰め寄った。
「あんたはどうなのよ!横で張り付かれて、ずっと話しかけられて、仕事できてるわけ?!全然迷惑じゃないわけ?!」
全く納得がいかない。もとはといえば、タースへの文句はレイシーが言うべきことだ。
レイシーは逃げるように俯く。それが更にアニーの怒りを煽って行く。タースはレイシーを振り返ると、彼女の顔を窺いながら問い掛けた。
「…俺、邪魔だった?」
レイシーはとっさに「そんなことは…」と首を振った。
「――あ、そう!」
アニーに言葉を遮られ、レイシーはビクッと身を強張らせた。
それに構わず、アニーはさっと厨房の出口を指差す。
「じゃぁ、出て行って!!」
レイシーが衝撃に目を見張る。その目にはみるみる涙が浮かび、遂には顔を覆って泣き出した。
そんなレイシーをタースはおろおろと慰めていたが、見当違いな正義感が芽生えたようで、キッとアニーを睨みつけた。
「最低だな。ひがんでアタってるのが見え見えだぜ」
「…誰が何をひがんでるって?」
「自分が誰にも相手にされないからってさ!原因は自分にあるってことに気付けよな!」
アニーの中で何かがぶちっと音を立てて切れた。
「――ばっかじゃねーの!!」
ほとんど反射で、アニーは声の限り怒鳴り散らしていた。
「女の尻おっかけるしか能が無い男が偉そうに語ってんじゃねーよ!あんたに興味なんてこれっぽっちも無いわ!!出てけ、このすっからかん!!!」
――――――
―――
結局その後タースはレイシーを連れて厨房を出て行ったらしい。レイシーは泣きながら引っ張られていったそうだ。
唖然とするキャリーの前で、話を終えたアニーは罰の悪い顔で髪を掻いた。
「ちょっと、言い過ぎたかもしんないけどさ…」
そんな姿は、まるで親に怒られた子供のようだった。
「すごい…」
思わず感嘆したキャリーに、アニーは虚を突かれたらしい。「は?」と尻上がりに返す。
「絶対言えない、そんなこと…」
「いや、つい…」
「尊敬しちゃう」
「――はぁ??」
どうしてそうなるという顔で、アニーはまた声を上げる。彼女にとっては、今の話に尊敬される要素は無いのだろう。
でもキャリーにとっては違う。
誰を相手にも臆することなく自分の意志を通すアニー。強くて真っ直ぐで揺るぎない――そんな人には心底憧れる。
「…でも」
キャリーはふっと肩を落として呟いた。
「私はレイシーの気持ちも分かるの」
◆
キャリーとアニーは、支度を終えると2人で厨房に向かった。
朝の厨房はひんやりとしている。その中に、野菜を刻む規則的な音が響く。
レイシーの小さな背中が、そこにあった。
キャリー達の足音に気付いて、レイシーはぴくりと肩を震わせた。恐る恐る振り返ったレイシーに、キャリーは明るく声を掛けた。
「おはよう、レイシー!」
「あ…おはよう」
キャリーの姿に、レイシーの顔には安堵の色が浮かぶ。けれども後から入って来たアニーを見て、また表情を硬くした。
キャリーはアニーの腕を掴んで引っ張りつつ、レイシーの傍まで連れて行った。仏頂面のアニーをレイシーと向き合う形で立たせると、薄紫色の瞳が戸惑いに揺れた。
「なによ」
アニーが顔をしかめてキャリーに向く。
「謝れっていうの?私、自分が悪いとは思ってないけど」
彼女の怒りが収まっていないことを感じてか、レイシーはふと俯いた。
「ちゃんと話をして。アニーはわりと言いたいこと言ったから…」
キャリーはその目をレイシーに向けた。
「レイシーの番ね。何か言いたいことあるよね?」
キャリーを見返すレイシーの目には困惑が滲む。アニーは腕を組むと、レイシーに向って挑むように言った。
「何よ、言いたいことがあるなら言えば?」
レイシーはぐっと息を呑む。キャリーはすかさずアニーの肩を叩いて抗議した。
「そういう言い方しないのっ!」
「はぁ?」
「言いたいこと言うのって、アニーにとっては簡単かもしれないけど、それが難しい子も居るのっ。自分が言うことで相手がどう感じるかとか怒らせちゃうかもとか、色々考えちゃって言えない子もいるのっ」
それはまさにかつてのキャリー自身のことだった。――いや、昔の話だと言ってしまえることでもない。
「……私もそうなの。昔からそうなの。今も…本当はまだ怖いの」
アニーとレイシーは黙ってキャリーの言葉を聞いていた。2人とも口を開こうとはせず、その場にはふと沈黙が流れた。
ひとつ息をつき、キャリーは静かに口を開いた。
「この前…、オリビエさんがライアードさんに意見したとき、アニーもはっきり言いたいこと言ってたよね。2人とも凄くかっこよかった。羨ましかったよ」
「あんただって言ったじゃん」
アニーが目を丸くしてそう返す。その話はレイシーにとってはまだ痛いのだろう、何かを堪えるように顔をしかめた。
「私はあの一言を言うのに物凄い勇気を振り絞ったの。本当は体中震えてたし、すっごい怖かった。……誰かを怒らせるのって、怖いよね」
キャリーに語り掛けられ、レイシーは目を伏せた。けれども小さく頷いて応える。
「もしかして…」
その先の言葉を続けるのにキャリーは一瞬躊躇った。今にも泣き出しそうなレイシーの顔が、胸に痛くて。それでも今は必要なのだと自分を奮い起こす。
「…レイシーも、いじめにあったことがある…?」
予想もしなかった問い掛けだったのだろう、アニーは目を見開く。
レイシーは答えなかった。薄紫色の瞳に涙が盛り上がり、やがてぽたりと雫が落ちる。
その涙が全てを物語っている。
答えなど、聞くまでもなかった。
レイシーの抱える傷は、まだ過去のものとして癒えていない。今もその時の恐怖を引き摺っているのだと思ったら、彼女の行動の全てが腑に落ちた。
アニーは黙ってレイシーを見詰めている。その目にもう好戦的な光は無かった。
「私…」
キャリーは2人を見て言った。
「ほんと言うと、最初レイシーもアニーも苦手だったよ。アニーは怖そうで協調性無さそうだったし、レイシーはちょっと出来過ぎで八方美人に思えたし」
嘘偽りの無い彼女達の印象を語ると、アニーも負けじと言い返した。
「私も苦手だったけどね。レイシーは点数稼ぎばっかりだし、キャリーははっきりしないし。…まぁ、この前ライアードに文句言った時にちょっと見る目変わったけどさ」
キャリーは俯いたままのレイシーを覗き込むようにして問い掛けた。
「レイシーは?どう思ってた?アニー、なんか怖かったよね」
返事を促すように問いかけると、レイシーは涙を拭き、やはり黙ったまま小さく頷いた。
「よく言われます~」
アニーがおどけて返す。不意にそれまで黙っていたレイシーがぎこちなく口を開いた。
「…私…、どうしても嫌われちゃうんだ…」
それはとても弱々しく、小さな声だった。
「昔からなの。どこに行っても…。嫌われないように気を付けてるつもりなのにダメなの。…表面的に仲良くなれても、本当の友達なんて出来たことない。新しい土地に行ったら今度こそって思ったけど…、やっぱりダメだった。――でも…」
レイシーは両手で顔を覆うと、堪え切れない嗚咽を洩らした。
「――もうどうしていいか、わからない…!!」
悲鳴のような声だった。
声を上げて泣き出したレイシーを、アニーは僅かに動揺を滲ませた瞳で見守る。キャリーはまるでそれが自分の痛みであるかのように、眉根を寄せていた。
人の悪意が怖いから、嫌われないよう上辺を飾る。怒らせたくないから、自分の気持ちに嘘をつく。そして結局、自分自身を封じ込める。
そんな方法を選んだ彼女を、責めることなんてできない。
キャリーとて、人との関わりから逃げることで解決しようとしたことがある。
方法としてはどちらも間違っているが、レイシーの方がまだ前向きだった。
「…ばかみたい」
ぽつりと、アニーが呟いた。彼女ならそう言うと思った。キャリーは黙ってアニーの言葉を聞いていた。
「無理して好かれても仕方ないじゃん。別に嫌いっていうなら嫌いでいいじゃん。あんただって本当は嫌いな人居るでしょ?誰も彼もに好かれようなんて、はなから無理じゃん。欲張りじゃない?」
「アニーは自分に自信があるからそういうこと言えるんだよね」
「……なんか間違ったこと言ってる?私」
「間違ってません」
キャリーは首を振って応じた。
「でも私もその結論に辿り着くまでに、すごい時間がかかったの。その結論はね、まずありのままの自分を好きになってくれる友達の存在が無いと出せないと思う。私もいじめにあってたけど、その時は自分が悪いんだって思ってた。私が悪いところがあって、そこを直さないと受け入れて貰えないんだって思って……、でもレイシーと同じで、どうしたらいいのか分からなかったの」
いつしか激しく泣いていたレイシーも落ち着きを取り戻していた。キャリーの言葉に黙って耳を傾けている。
キャリーはレイシーに向き直ると「でもね」と言葉を続けた。
「私、本当に親友って呼べる存在ができて分かったの。ほんとアニーの言うとおり。本当の自分を隠してまで、無理して色んな人に好かれる必要なんて無いの。たった1人でも分かってくれればいいんだよ。…それに、無理していい子のレイシーより、本音のレイシーの方が私は見てみたいよ。ねぇ、アニーは意外と話聞いてくれる人だから。言いたいこと言ってみて」
「意外とって何よ」
アニーが苦笑する。けれどもそこにもう棘は無く、アニーはふぅっと吐息を漏らすとレイシーに向き直った。
「…言ってみて。意外とあたし、怖くないから」
その言葉に、レイシーが小さく吹き出す。「なによっ」と言いながらも、アニーも笑っていた。
その場の空気が和らぐ。キャリーの顔にも穏やかな微笑みが浮かんだ。
「昨日ね…」
精一杯の勇気を振り絞り、レイシーが口を開く。
「本当は、私も困ってたの…」
「…タース?」
レイシーがこくりと頷く。
「そうでしょぉ?!」
「でも…、邪魔だなんて言えない…。だから我慢してたの。…ちゃんと仕事はしてたつもりだったし…。でもアニーにいらないって言われて…」
レイシーは一瞬目を上げて、アニーの顔を窺う。けれどもまた直ぐに伏せて、続けた。
「…傷、ついた」
「――はい、すみません!」
即座にアニーがそう返した。レイシーがぎょっとして口を噤む。アニーは短い髪をくしゃくしゃと掻きながら捲し立てた。
「分かってんの!言い過ぎたの!いつもそれで失敗すんのよ、あたし。――あんたたち羨ましいとか言うけど、口が出ちゃう方だってそれはそれで悩みだったりするんだからね?!どっちもどっちなのっ。でもね!」
そしてまたレイシーに向き直る。
「言わないと伝わないこともあるじゃん。タースにはせめてちょっと嫌そうな顔くらいして欲しかったの。キャリーはまだ顔に出るから同じ気持ちなんだって分かるけど、レイシーは本気でタースとおしゃべり楽しんでるようにしか見えなかったもん」
”顔に出る”と言われてキャリーは赤面した。確かにキャリーは口に出来ない代わりに顔にははっきり気持ちが現れてしまう質なのだ。いつでも誰にでも笑顔で対応出来るレイシーのことは、本当に尊敬してしまう。それが今回のように裏目に出ることも確かにあるのだが。
アニーの言い分には納得できたのだろう、レイシーは「ごめんなさい…」と小さく呟いた。アニーは頷きつつ「うん」と返す。
話を終えたらしい2人の目は、なんとなくキャリーへと向かった。
この場を締めろという意味に捉え、キャリーは「あ、えーと、そういうわけだから…」と言葉を探す。
「改めて!これからもよろしくね!」
そんな挨拶を交わし合った少女達は、少々気恥ずかしい空気の中、気持ちを新たに朝の仕事へと取り掛かったのだった。