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巣立ち

 都市カルデアへの旅立ちの日、キャリーはローラとともに港街へと向かった。

 キャリーが乗る船はそこに到着していた。

 大きな客船の停泊する港で最後の別れを交わす。


「忘れ物はない?」


 もう何度目か分からないローラのその言葉に、キャリーは苦笑しつつ「たぶん」と返した。忘れ物があったとしても、既に手遅れだろう。

 ローラはふとキャリーの片手を取ると、その掌に小さな布袋を載せた。ずっしりとした重みで、中身がお金であることはすぐに分かる。


「なにか足りない物があったらこれで買って」

「大丈夫だって!」


 キャリーは慌ててそれを突き返した。


「住み込みで食事も出るし、普段お金なんて必要ないんだよ?最初のお給金も10日で出るし!」

「でも何があるか分からないもの。使わなければ返してくれればいいから持っていって!」


 ローラに押し切られ、キャリーは結局お金を受け取った。それが鞄に仕舞われるのを見届け、ローラは安堵の表情になる。姉にとってはまだまだ自分は庇護下にある子供らしいと、キャリーは内心で苦笑した。


「何か嫌なことがあったら、手紙で知らせてね。無理しないで…」

「嫌なことが無いと、手紙書いちゃいけないの??」


 おどけてそう返すと、ローラは「そういう意味じゃなくてっ」と顔をしかめた。キャリーは分かってるよと笑って言う。

 やがて辺りいっぱいに鳴り響く汽笛が、船の出港時間の訪れを報せた。

 キャリーは一度船を振り返ると、また姉に向き直った。

 ローラはまだ何か言い足りなさそうな顔でキャリーを見ていた。


「…行くね。次は、リンの結婚式だね」

「…そっか」


 ローラは気が抜けたように笑顔になる。


「そうね。どうせまたすぐ戻るのね」

「”どうせ”戻ってきますから」


 2人で顔を見合わせ、笑い合った。

 キャリーは改めてローラと別れの抱擁を交わすと、大きな荷物を肩にかけ、乗船口へと歩いて行った。


 

 間もなく船は出港した。

 いつまでも港に佇んだまま見送る姉に甲板から手を振りながら、キャリーは込み上げる涙を堪えていた。

 ローラの姿がどんどん小さくなっていく。

 やがて見えなくなると、キャリーは堰を切ったように嗚咽を洩らした。


 なんとか笑顔で別れることができたけれど、本音を言えば寂しかった。

 生まれてからずっと一緒だった姉。これからは本当に1人なのだ。

 新しい土地、初めて会う人達。――不安は尽きることがない。


 ”何か嫌なことがあったら…”


 ローラの言いたいことは分かっていた。人見知りで友達をつくるのが下手な自分が新しい環境に馴染めるのかと心配しているに違いない。

 だがキャリーも昔のままではない。あの頃よりきっと、うまくやれるはず…。願望にも近い想いを抱きながら、キャリーは涙を拭って船の向かう先に目を向けた。

 顔を撫でる暖かい潮風は、濡れた頬を優しく乾かしてくれていた。


 ◆


 船を降りると馬車に乗り継ぎ、出発から半日という時間をかけてキャリーはやっとカルデアの離宮へと到着した。

 離宮は小高い丘の上に建っていた。

 すでに日は傾き、宮殿は夜の闇に包まれようとしている。黒い雲に覆われ始めた空は、天気の崩れを予感させていた。

 広い敷地をぐるりと囲っているだろう白い柵はキャリーの背の高さをゆうに超えている。

 その隙間から見える内側の景色には美しい庭園が広がり、その奥に遠く見える宮殿と合わせてシンメトリーの形を成していた。

 宮殿の入口と思える場所から一本長く続く道は、柵についている門にまで届いている。

 キャリーがそこに近寄ると、衛兵らしき男性が声を掛けて来た。


「きみは?」

「あ、あの、キャリー・ワイルダーと申します。新しく侍女として採用された者で…」


 答えながら、キャリーは以前届いた手紙を取り出した。

 国印の押されたその手紙は、キャリーの身分証明書としての役も果す。

 衛兵はそれに目を通すと「門を開けるから宮殿の入口でまたこれを提示するように」とキャリーに手紙を戻して言った。


「はい」


 衛兵が門の鍵を開けに行く。そして重厚な門がゆっくりと開かれていく。

 衛兵に促されてキャリーが中へ進んだ時、不意に背後から「すみませーん!」という声が聞こえてきた。

 振り返ったキャリーの目に、1人の少女が走ってくるのが見える。ふわふわの淡いプラチナブロンドが揺れている。門の側まで来ると、少女は肩で息をしながら「私…私も入りますっ」と言った。

 彼女の手にもキャリーと同じような手紙がある。

 ――仲間だ!

 それを確認し、キャリーは軽く目を見開いた。



「レイシー・サンティスっていうの。よろしくね」


 宮殿への道を並んで歩きながら、少女はそう名乗ってにっこり微笑んだ。

 白い肌に薄紫色の瞳がとてもよく似合う、絵本に出てくる妖精のような雰囲気の可愛らしい子だった。


「私はキャリー・ワイルダーっていうの…」


 初めて対面する子を前に少し緊張しながらも、キャリーも笑顔で自己紹介した。

 レイシーはキャリーと同じで新しく採用された侍女だという話だった。

 仕事仲間が感じのいい人で良かったと嬉しくなる。とりあえず幸先が良い。


「早速仲間に会えてよかった。仲良くしてね」


 レイシーの言葉に、キャリーは「うんっ」と頷いた。こんなに早く友達ができるとは思ってなかった。

 安堵感に包まれながら、キャリーは足取り軽く宮殿へと向かった。


 ◆


 宮殿に辿り着くと、早速住み込みのための部屋へと案内された。

 大部屋に8個のベッドが左右4個ずつ対称に並べられている。ずいぶん大勢での集団生活となるようだった。

 レイシーも同じ部屋での住み込みらしい。一緒に案内された。

 他のベッドも使われている様子があるが、人の姿は無い。1人だけ、若い少女がベッドに腰掛けて荷物の整理をしているところだった。


「あなたはここ。あなたはこっちね」


 かなり年上であろう侍女がテキパキとベッドを振り分ける。黒髪をきっちり頭の後ろで纏めているせいか、気難しそうな印象の女性だった。

 名前は、クレアというらしい。

 クレアは1人先に来ていた少女に「アニー、この2人も新しい侍女よ」と紹介した。

 少女はこちらを見遣ると、ベッドから腰を上げる。

 そしてキャリーとレイシーのもとへとやって来た。


「アニー・ジェイキンズです。よろしく」


 にこりともせずにそう言ったアニーは、背が高く、髪はさっぱり短く切られた、どちらかというと男の子っぽい女の子だった。

 第一印象では、少し怖い印象を受ける。


「レイシー・サンティスです」


 アニーの無表情を前にしても、レイシーはにっこりと微笑みながら挨拶する。

 キャリーも慌てて「キャリー・ワイルダーです…」と続いたが、多分顔は引きつった。


「この部屋の新人はあなたたち3人だけだから。あなた達の指導は私が行います。今日は身の回りの整理をして休んでちょうだい。後で他の者に食堂や風呂場を案内させるわ。明日からはそれぞれ先輩について仕事を始めてもらいますから、そのつもりで」


 流れるような口調でクレアが説明する。


「――なにか質問あるかしら?」


 一呼吸おいて、そう問いかけた。

 キャリーの頭にとっさに浮かんだのは来月の親友の結婚式のことだった。


「あの!」


 キャリーが手をあげると、全員の視線が集まった。


「来月一度帰省したいんですが、お休みを取る時は誰の許しを得ればいいですか??」


 キャリーの質問に、クレアは形のいい眉をひそめた。その表情に、キャリーの胸がドクンと嫌な音を立てる。


「…早速、休みの心配?」


 呆れたような声だった。

 クレアの言葉に、自分の顔から血の気が引くのが分かる。とっさに謝ろうと口を開きかけたが、クレアの言葉に遮られた。


「その時の仕事によります。帰省というと数日穴を開ける気かしら。その間を埋める人の手配もあるだろうから、事前に周りの人たちに伝えてちょうだい。連休は年に2度ちゃんと用意されるんだから、あまり自分勝手な都合で人に迷惑をかけないでね。大人として、自覚をもった行動をお願いします」

「……はい」


 そう返すのが精一杯だった。

 羞恥に身を縮こまらせながら、キャリーは挙げていた手をゆるゆると下ろす。クレアの目から逃げるように、そっと俯いた。


「あのぉ」


 不意に隣でレイシーの可愛らしい声が聞こえた。


「なにかしら」


 クレアが不快感を引きずった声で問いかける。その声音に、キャリーの鼓動はますます煩く高鳴った。


「一緒にお部屋を使わせて頂く方々にご挨拶したいのですが、その方達はどちらにいらっしゃいますか?」


 レイシーの質問にキャリーは自分の頬がかぁっと熱くなるのを感じた。キャリーの中にそんな発想は全く無かった。


「――あぁ…」


 クレアは険の取れた声で応じる。


「それぞれ仕事中で今すぐは紹介できないわ。食事の時間も寝る時間もばらばらだし。あなた達が来ることは皆知ってるから、ゆっくり知り合ってちょうだい」

「はい、分かりました。有難うございます」


 レイシーがにっこりと微笑む。それにつられるように、クレアも笑みを浮かべた。


 それ以上質問は無いことを確認して、クレアは部屋を出て行った。

 後には3人だけが残される。ぼんやりその背中を見送ったキャリーの耳に、クスッと笑う声が聞こえた。


「…早速連休って、すごい度胸」


 アニーの独り言のような呟きに、キャリーはまた身を竦ませた。

 そんなキャリーに構う様子は無く、再びアニーはベッドに戻って荷物の整理に取り掛かる。その場を動けないキャリーの肩に、レイシーがぽんっと手を載せた。


「何か大事な用事があるんでしょ?」


 穏やかな問いかけに涙が出そうになりながら、キャリーはこくりと頷いた。


「なら仕方ないよね。…準備、しようか」


 レイシーに背を押されるようにして、キャリーは俯きながら自分のベッドへと向かった。



 夜半過ぎから、カルデア一帯には雨が降り始めた。


 消灯された部屋のベッドの中でキャリーはその音を聞いていた。眠気は訪れない。周りの人達はすでに眠っているようで、方々から規則的な寝息が聞こえる。

 キャリーは目を閉じることもせず、暗闇の中で天井を見つめていた。

 結局あの後、準備と食事とお風呂と次々に追われているうちに一日は終った。

 アニーとはもちろん、レイシーともろくに話ができないまま消灯となった。

 アニーと友達になるのは難しいかもしれない。でもレイシーが居るから…そう自分を励ましても、気持ちが上がって行かないのは何故なのか。


 どんどん激しさを増す雨音が、心まで暗くする。

 遠い所でたった一人になった現実を、知らしめるかのようで――。

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