伝えたい想い
翌朝、ローラはいつもより早く家を出て仕事へ向かった。
まだ冷気の残る朝の風を感じながら、力強く足を運ぶ。――早く城へ着きたかった。
何度思い返しても、昨夜の自分の言動は子供じみた我侭だった。
くだらない嫉妬で、オリビエの想いすら否定するようなことを言った。
いい大人のくせにろくに恋愛経験も無い、そんな自分を知られたくなくて、一度も話したことはなかった。
そして肝心な時に怖気づいた。
何もかもが、ローラを自己嫌悪に陥れていた。
それでもこれで終わりだなんて耐えられなかった。一生懸命謝ろうと心に決めて、今日は家を出て来たのだ。
彼は話を聞いてくれないかもしれない。それでも諦めたくはない。
固い決意を抱いて歩みを進めるローラの顔に、もう涙の痕は残っていなかった。
◆
城に到着して着替えを終えたローラは、仕事の前に寄宿舎内のオリビエの部屋へと向かった。
昼食時に会えるのは分かっていたが、それを待ってなんていられなかった。
オリビエの部屋に辿り着き、その扉の前に立つ。
心臓が口から出てきそうな程暴れて、体中が震える。
でも絶対に泣いたりしてはいけない。泣いて許してもらうのは、卑怯だから。そう自分に言い聞かせながら、ローラは震える手で、部屋のドアを叩いた。
力が入らなかったが、ちゃんと音は鳴った。覚悟を決め、彼の応答を待つ。
しばらくの間、ローラは自分の鼓動だけを聞きながら、そうして立っていた。
張り詰めた時間を暫く過ごし、やがてローラは大きく吐息を漏らす。
オリビエの部屋からは何の応えも無かった。
―――居ないんだ…。
緊張が激しかったぶん、落胆も大きかった。
もう仕事に出てしまっているのだろう。やはり午後まで待たないとならないらしい。
こんな想いを抱えたまま…。
ローラは額に手を当てると、力無く溜息を零した。
◆
仕事には思った通り身が入らなかった。
掃除をしていても、洗濯をしていても、心はオリビエを探していた。寄宿舎に入るたびにきょろきょろと辺りを見廻し、彼の姿を見付けられずに肩を落す。そんなことを繰り返していたら、流石にデイジーに「オリビエさんを探してるんですか?」と気付かれてしまったが、何も答えられなかった。
そして結局、昼の休憩時間になった。
今日に限って厨房は忙しく、ローラはなかなか持ち場を離れるきっかけを掴めずにいた。
一刻も早く食堂に行きたいのにと、焦燥ばかりが募って行く。
そんなローラのもとに、不意にデイジーが現れて言った。
「ローラさんっ!オリビエさん、来ましたけど」
ローラの心を覗いていたかのようなその報告に、心臓がまた跳ね上がる。応える声が僅かに上擦った。
「ほ、ほんと…?」
「ほんとでーす。仕事代わりましょうか?ローラさん食堂の片付け担当します?」
「――うん!!」
一も二も無く頷き、ローラはデイジーと交代した。
「デイジー、有難う…!」
「いえいえ~、いってらっしゃいませ~」
いつものからかい口調が今日は頼もしく聞こえる。強い味方の存在に感謝しながら、ローラは慌てて厨房を駆け出して行った。
食堂に出ると、ざっと辺りを見廻した。目の届く範囲に、オリビエの姿は無い。
ローラは人の熱気でごった返す食堂を、オリビエを探して歩き出した。
あちらこちらに視線を巡らせながら進んでいく。
そうして暫く広い空間を彷徨ったローラの瞳は、不意にある一点を映し、凍りついたように固まった。
思い掛けない存在に、ローラの足が竦む。
見付けたのはオリビエではなかった。
そこに居たのは、一昨日会ったばかりの金色の髪の女性だった。
シンシアはローラより先に、ローラがずっと探していた彼を見付けて歩み寄って行った。
席に着こうとしたところで声を掛けられ、オリビエの動きが止まる。そして2人は、会話を始めたようだった。
こちらに背を向けていて、オリビエの表情は見えない。そのぶん彼を見詰めるシンシアの笑顔は、嫌でもはっきりと目に入った。
大人の女性の、嫣然とした微笑みが――。
くだらないと、封じ込めたはずの想いが、また頭をもたげる。
シンシアの手がふと動いて、オリビエの腕に触れる。――その瞬間、ローラの中で何かが弾けた。
「――いや!!!」
ローラの叫び声は、一瞬辺りに響き渡った。
周りから一斉に集まった視線を気にする余裕も無く、ローラは次の瞬間駆け出していた。
そして気がついた時には、2人の間に割って入り、オリビエを背にシンシアと対峙していた。
「触らないで!!!」
考えるより先に、そう怒鳴っていた。
ローラの剣幕に、シンシアが目を見張る。
驚きと困惑がその綺麗な顔に広がるのを見て、ローラはハッと我を取り戻した。
血が昇っていた頭が、急激に冷えていく。
「…あ…」
自分の仕出かしたことに今更気付いても、後の祭りだった。
戸惑いながら、シンシアの目はふと助けを求めるように動く。それに応え、彼女の傍に居た黒髪の上級兵士が割って入った。
「ローラ、違うって」
オリビエの友人の、ジミーだった。
彼は笑い出しそうになるのを堪える顔でローラを宥めた。
「そんないきなり噛みつかなくても…。シンシア、今度結婚するんだってさ。その報告だよ。オリビエに”ローラさんと幸せにね”って言ってたとこだよ」
子供に言って聞かせるような彼の言葉が、ローラの羞恥に火をつける。返す言葉も無く俯くローラに、シンシアはにっこりと微笑んで言った。
「そうなの。ごめんなさい、誤解させちゃって。別に心配するようなことは何もないから」
その微笑みが、ローラの胸にまた暗雲を生む。
いつかと同じ台詞だった。
”気にしないでね”と言いながら、自分のもののように彼の話をしたあの時と――。
「だったら…」
ローラはシンシアを真っ直ぐ見据えて言った。
「だったら、報告もいらないです。オリビエに…関係のないことなので」
「ちょっと、ローラ!」
シンシアの綺麗な眉がまた上がる。ジミーが困ったようにローラを諌めた。
おかしなことを言っているのは分かっていた。
それでもここで謝れるほど、大人にもなれなかった。
背後の彼の存在が、ローラを苛む。
オリビエが見ているのに。こんなにも醜い自分を。それなのに――。
「そんなに悪いことしたのかしら、私…」
シンシアは少し悲しげに眉を下げて、ふと視線を上に向けた。
それがオリビエに向けた問い掛けであることを感じながら、ローラは凍りついたように立ち尽くしていた。
謝るはずだったのに。
子供みたいな自分を、反省したはずだったのに。
―――何、してるんだろ…。
自己嫌悪に耐え切れず逃げるように目を閉じたその時、ローラの体はふわりと温もりに包まれた。
驚いて再び目を開ければ、オリビエの腕がローラを抱いていることに気付く。
シンシアが、呆然とそれを見ていた。
「――確かにその通りだ」
同時に穏やかな低い声が耳に届く。いつもと変わらない、ローラの大好きな声だった。
「別れてからろくに口もきいてなかったのに、今更誰と結婚しようと俺に関係無いし、興味もない。下手なことしてローラに嫌な思いをさせないでくれ。――はっきり言って、迷惑だ」
衝撃に、シンシアが声を失う。
「こら、オリビエ!おまえはまた、なんつー…」
慌てたジミーが、横から口を挟んだ。だが言葉を呑み、代わりにシンシアに声を掛ける。
「あ~!シンシア、気にすんな!こいつ、ローラのことになるとおかしいんだよ!悪いのはこいつ!」
ジミーが宣言してオリビエを指差す。
そんな彼の言葉も耳に入っていないのか、シンシアは硬い表情でただオリビエを見返していた。
「――二度と声かけないわ」
そう吐き捨てて、シンシアは不意に踵を返した。怒りを露に、足早に食堂を去っていく。その姿を、ローラはただ呆然と見送った。
彼女のすらりとした肢体が視界から消えると、高鳴っていた鼓動も徐々に鎮まっていく。
「ローラ…」
ローラの耳元でオリビエが小さく囁いた。
それだけで、息が止まりそうになる。
「ごめん…。昨日は…俺が悪かった」
苦しげに続いた声に、喉が塞がれた。
突き上げる思いを堪え、ローラは千切れそうなほどに首を振った。
「ち、がう…!」
振り返れば、オリビエのダークブラウンの瞳がローラを見返す。
ローラは彼に向き直ると、その目を真っ直ぐに見つめて声を絞り出した。
「違うの…私が悪いの…、ごめんなさい…、ごめんなさい、私…」
眉根を寄せた彼の顔が、涙で霞んでいく。
伝えたいことを一生懸命考えていたはずなのに、言葉にならない。溢れる涙に邪魔されて。
―――泣かないって決めてたのに…!
声を詰まらせた瞬間、ローラはオリビエの腕に強く抱き締められていた。
温かい胸に頬が触れると、堪えていたものが溢れ出す。
子供のように泣き出したローラを、オリビエは何も言わずただ包み込んでくれた。
「ったく…」
ジミーの呆れた声が聞こえる。
「あそこまで言う必要あんのかね。シンシアに恨まれたぞ」
「どうでもいいよ」
「そうでしょうとも」
ジミーは肩を竦めて応えると、オリビエの胸に縋るローラの姿に微笑を洩らす。
「男冥利に尽きるね」
「…ん…」
2人のやりとりを遠くに聞きながら、ローラは暫くただ涙を流し続けていた。
やがて涙が落ち着くと、ローラはオリビエの胸からそっと顔を上げた。
気付くとジミーはもう先に食事を始めている。
現状を思い出し、ローラはオリビエを振り仰いだ。
「ご飯、食べないと…」
その目がオリビエの優しい瞳と出会う。
「忘れてた」
胸がきゅぅっと苦しくなる。
失ってしまうかもしれないと思ったその微笑みに、また涙が出てしまいそうだった。
「今日、うちに来てくれる…?聞いて欲しいことが、いっぱいあるの」
「うちでいいの?お洒落で上品な店じゃなくて?」
ローラは赤くなって言い返した。
「あなたに似合わないでしょ、そんなところ」
「悪かったね」
「――ちょっと、お二人さん!」
不意にジミーに声をかけられ、ローラとオリビエは同時に彼を振り向いた。
ジミーは心底呆れた顔でこちらを見ている。
「いい加減にしてくれませんかねー。公衆の面前でいつまでそうやってるのー?」
それで漸くローラは自分の居る場所と状況を思い出し、オリビエから飛び退いた。
周りから集まる好奇の視線に、一気に耳まで赤くなる。
ローラはうろたえながらオリビエに言った。
「あ、わ、私、仕事があるからっ…」
オリビエがぷっと吹き出しつつ応じる。
「そうだね、じゃぁまた」
「またね!!」
ローラはそれだけ言うと、逃げるようにその場を去った。
もう食堂で仕事が出来る気がしない。
デイジーにお願いして、再び厨房の仕事に戻してもらわなくてはと思いながら。




