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友人として

 翌日、ローラはいつもと変わらず朝から兵士寄宿舎で働いていた。

 いつものように掃除や洗濯など、積み上げられた仕事を端から片付けていく。そこにあるのは見慣れた日常の光景だが、ローラの目にはまるで世界が突然色を変えたかのように新鮮に映っていた。

 大量の洗濯物を籠に入れ、それを抱えて表に出る。

 庭の物干し場で籠を置き、ローラはふと空を仰いだ。今日は雲ひとつない快晴だ。まるで自分の心を映したかのように。

 そんな気分は久し振りで、ローラは1人微笑んだ。


「…さて、仕事しよっ」


 そう口に出して気合を入れると、洗濯物に向き直る。

 そこから一枚取り出そうとして、ローラはふと遠くから歩いてくる兵士の集団に気が付いた。

 皆寄宿舎へと向かっている。もうお昼の休憩時間のようだ。

 手にした洗濯物を振って広げながら、ローラの目は無意識に深緑色の軍服を探す。やがて上級兵士達の姿も見え始めると、胸が期待に高鳴り始めた。


 手を動かしながらも、意識は遠くに向かっている。ふと上級兵士の一群にひと際大きい短髪の男を見付け、ローラの心臓は元気良く跳ね上がった。

 黒髪の上級兵士と談笑しながら、オリビエは真っ直ぐ寄宿舎へと向かって行く。ローラの居る場所はその入り口から離れているので、彼の目には入らないだろう。

 ローラは遠くから、その姿をぼんやりと眺めていた。

 見つけたら話しかけようかと思っていたが、他に人が沢山居る中に駆け寄っては行けない。なにより昨日の今日なので、顔を合わせるのも照れくさかった。

 物凄い醜態を晒してしまった。あんなに誰かに弱音を吐いたのは、思えば初めてだった。思い出すと、埋まってしまいたいくらいに恥ずかしい。

 さすがに呆れられたんじゃないだろうかと、今朝になって不安になった。


―――制服、直さなくていいのかな…。


 そう思いながらも突っ立ったまま見送っていると、まるでローラの思念が届いたかのように、オリビエがこちらを向いた。

 ローラは思わず、ビクッと肩を震わせた。

 オリビエがローラを認めて足を止める。彼は一緒に居た人達に何かを言って離れると、ごく自然にこちらに向かった。

 ローラは思わず固唾を呑んだ。


―――こ、こっちに来る??こっちに来る??


 どぎまぎしつつ、落ち着き無く辺りを見回す。周りには他に誰も居ないし、自分以外の目的地は無い気がする。

 そんなことをしているうちにオリビエはローラのもとに辿り着いた。


「お疲れ様です」


 ローラはぎょっとして彼に目を戻すと「お、お疲れ様ですっ」と上擦った声で応えた。


「なにきょろきょろしてるんですか?」

「え、いえ、別に」

「丁度良かった。今、渡してもいいですか」


 そう言って、オリビエは軍服のボタンを外していく。深緑色の軍服の下からは、真っ黒なシャツが現れた。

 破れた制服を渡しに来ただけらしい。ローラは頭の中で仕事仕事と唱えつつ、それを受け取った。


「あ、はい。替えは、ありますよね」

「あります。自分の部屋にあるんで。後で取りに戻ります。右の袖なんで、お願いします」

「はい。えっと、直したらお洗濯してお返ししますね」

「有難うございます」


 オリビエがにっこり微笑む。

 そんな優しげな笑顔に、またもやどぎまぎしてしまう。どうやら変に緊張しているのは自分だけらしいが。


 ”ずっと…あなたが好きでした”


 本人を目の前にして、昨夜の彼の言葉が甦る。

 けれどもあまりに普段通りなオリビエを見ていると、あれが夢だったような気になってくる。

 用事が済んだオリビエは「それじゃぁ、メシ食ってきます」と踵を返した。


「あ……はい」


 肩透かしをくった気分で、ローラはオリビエを見送った。

 今日はこれで終わりなのだろうか。お仕事をもらっただけだけれども…。僅かに落胆しつつ、腕に抱えた制服に目を落とす。と、同時にオリビエが足を止めた。


「――あ」


 慌てて再び顔を上げる。こちらを振り返った彼と、目が合った。


「…次、いつがいいですか?」

「あ…!」


 ローラは思わず背筋を正した。


「えっと、いつでも…!」


 聞かれたら言おうと思ってた答えを口にする。オリビエは「いつでも?」と聞き返した。


「はい」

「今夜でも?」

「はい!」


 ローラの返事に、オリビエはニッと笑みを浮かべた。


「じゃぁ、今夜で」

「――はいっ…!」


 時間と待ち合わせ場所を決めると、オリビエは今度こそ去って行く。

 遠ざかる広い背中を、ローラはしばしぼんやり見送っていた。


 ◆


 なんとなくそわそわしながら仕事を終え、いつもより髪や服を気にしつつ着替えを終えたローラは待ち合わせ場所である寄宿舎の入り口へと急いだ。

 オリビエはまだそこに来て居なかった。

 ふっと肩を下ろし、壁にもたれかかる。どうも落ち着かない自分を持て余しつつ、ローラはオリビエが来るだろう方向を気にして目を遣った。

 不意に寄宿舎のドアが内側から開いた。

 ビクッと振り返ったローラの前に現れたのは、長い黒髪の少女だった。


「あれぇ、ローラさん!」


 デイジーがローラに気付いて目を丸くする。


「あ、お疲れ様…」

「なにしてんですかぁ?」

「…ちょっとね」

「え、誰か待ってるんですか??」


 できればそっとしておいて欲しい。

 そう思いつつ、ローラは「うん、まぁ…」と曖昧に答えた。


「オリビエさんですか!?」


 デイジーは即座にそう訊いてきた。どうやら他に思いつかないらしい。…無理もないのだが。

 ローラが返事に窮すると、それを肯定と受け取ったらしい。「え~!どうしちゃったんですかぁ!」と盛り上がり始める。


「ちょっと、お食事するだけから…」

「逃げ回ってたくせに~!」

「そういうのやめたのっ」


 更に何か言いかけたデイジーが、ふと遠くから近付く足音に気付いて振り返った。

 暗闇の中、1人の上級兵士が寄宿舎へ向かって歩いてくる。それがオリビエであることを認識し、ローラの体がまた緊張した。

 デイジーは嬉しそうに「オリビエさぁ~ん」と手を振って見せる。楽しい玩具を見付けた子供のようなその顔に、ローラはうんざりと溜息を吐いた。

 呼び掛けられたオリビエは顔を上げ、目を丸くする。

 傍に来た彼に、デイジーは楽しそうに声をかけた。


「お疲れ様でぇーす!ローラさん、待ってますよー」

「そういうきみは何してるの」

「幸せなオリビエさんを一目見ようと!」

「それはどうも。暇なことしてないで帰りなさい」


 いつかも聞いた2人の会話。その話し方はやはりいつもの彼と違って、なんだか気安い。

 ローラは複雑な思いで、そんなオリビエを見ていた。

 オリビエはローラに目を向け、微笑する。


「すぐに着替えてきます。もう少し待っていてください」

「…はい」

「どこ行くんですかぁ、どこ行くんですかぁ~!?」

「とりあえず、うるさい子が居ないところに」


 デイジーにそう返しつつ、オリビエは寄宿舎の中へと消えた。


「逃げられたっ」


 デイジーが不満気に唇を尖らせる。けれども一瞬で笑顔に戻ると、ローラを振り返って言った。


「しょーがない。邪魔者は退散します!また報告聞かせてくださいね!」


 ローラが苦笑しつつ「お疲れ様」と返すと、若い侍女は綺麗な黒髪を揺らしながら去っていく。

 嵐が去った後、ローラはひとり小さな溜息を零した。


 ◆


 その後、着替えを済ませたオリビエがやって来ると、2人で城を出た。

 王都に向かって並んで歩きつつ、オリビエは「酒場でいいですか」と前と同じように訊いた。


「あ、はい。どこでも」

「酒を飲むことしか考えてないんで、そういう場所しか知らないんですよね」

「大丈夫です」


 答えつつ、ローラの頭は全然別の事を考えていた。


―――いつまで敬語使うんだろ…。


 デイジーとはあんなに気軽に会話しているのに、彼の自分に対する態度はいつまでも堅苦しい。そんな特別扱いは、してくれなくてもいいのにと思ってしまう。


「オリビエさん…デイジーと仲良しなんですね…」

「――はい?」


 ローラの声が小さかったらしく、オリビエが体を屈めて耳を寄せる。突然近付いた彼に驚きつつ、ローラは慌てて「あ、いえ、なんでもないです!」と返した。


「デイジーがどうかしました?」


 そこだけ聞こえていたらしい。


「デ、デイジーって…」


 ローラは焦りつつ、続く言葉を探す。


「…えっと、綺麗な子ですよね?!」


 苦し紛れにそう繋ぐと、オリビエはきょとんとした顔で目を瞬いた。


「…そうですか?」

「え!そうでしょう??」

「いや、よく分からないです」


 オリビエは苦笑しつつまた前を向いて歩き出した。


「俺はあなた以外の人を、綺麗だとか思ったことがないので」


 何の気負いも無く返された言葉に、ローラは一気に耳まで赤くなった。気付かれないよう、慌てて顔を俯ける。前にも同じようなことを言われたはずなのに、感じ方はまるで違っていた。

 心がほかほかするのを感じつつ、ローラは密かに頬を緩ませた。

 さっきまで胸に生まれかけていた正体不明のもやもやは、不思議と綺麗に消え去っていた。


 ◆


 到着した酒場はすでに想像以上のにぎやかさだった。

 開け放たれた入り口から、男達の話し声や笑い声が聞こえてくる。

 馴染みの無い雰囲気に戸惑いつつ、ローラは先に入って行ったオリビエの後を追った。

 酒場に居るのはほとんどが男性だ。たまに女性も混じってはいるが、派手な化粧をしている人や、大瓶片手に男と混じって豪快に笑っている人など、全く違和感がない。

 盛り上がる熱気に包まれ、ローラの足は一瞬竦んだ。

 こういう場所は初めてである。きょろきょろと辺りを見回していると、周りの人達も自分を物珍しげに見返す。


―――う、浮いてる…?


 不安になりつつオリビエを見ると、彼はひとりさっさとカウンターに向かっていた。


―――置いて行ってる!!


 ローラは慌ててその後を追った。そうしながら、ふと初めて食事したときのことを思い出していた。

 そういえば、彼はこういう人だった。

 あまりに自分のペースで動く彼に、腹が立った記憶がある。当然だが、そこは相変わらずらしい。

 彼にとっては慣れた場所でも、ローラにとっては初めての場所なのに…。


「…んもぉ」


 ローラは顔をしかめつつ、カウンター席に座ったオリビエの隣に腰掛けた。


「いらっしゃい!」


 店主らしき初老の男が、2人のもとへ素早くやって来る。


「麦酒を2つ」


 迷い無くそう注文された瞬間、ローラは反射的に口を挟んでいた。


「――麦酒飲めませんっ!」


 オリビエが目を丸くしてこちらを見る。やってしまったと思ったが、手遅れだった。


「飲めないんですか??」

「飲めません!私、甘いお酒がいいですっ!」


 ローラは開き直り、力強く訴えた。2人のやりとりを見ていた店主が、あははと楽しそうに笑う。


「あんた、こんな綺麗な女性相手に麦酒飲ませちゃだめだよ~~」

「そうなの?酒が甘いのは俺、許せないんだけど」

「私は苦い飲み物が許せませんからっ」


 オリビエの主張に対してそう返すと、店主はまた豪快に笑う。


「任しとけって!お嬢さん、いい果実酒があるから待ってな!…で、お前は麦酒ね」


 くすくす笑いながら去る店主を見送り、オリビエはローラに目を向けた。


「…失礼しました」

「…いえ」


 うっかり素が出てしまった。気恥しい思いで目を伏せると、隣でオリビエがぽつりと呟いた。


「でも、最初の食事の時は…飲んでましたよね」

「あれはっ…!」


 ローラはまた勢いよく顔を上げた。


「出てきちゃったから仕方なく、我慢して飲んだんですっ」

「我慢してたんですか??なんのために?」


 そうくるかと思いつつ、ローラは「だって、”飲めない”なんて言えないじゃないですか!」と訴えた。


「…そういうもんですか」


 不思議そうな彼の様子に、ローラはムッとしつつ「普通そうですっ」と返す。


「…ふぅん」


 オリビエはそう呟いて頬杖をつく。いまいち納得し切れていないのがその表情から伝わる。

 どうやらはっきり言わないと伝わらないタイプらしい。ローラはやれやれと嘆息した。


「…オリビエさん、女の人と出かけたことないんですか?」


 ローラはふと疑問に思ったことを聞いてみた。

 そういえば前に一度食事した時には、絶対女性と出かけたことなど無いと勝手に断定した。けれども、彼には確か恋人が居たという話を聞いた気がする。


「いや、無いことはないですけど」

「文句言われません??」

「文句?」


 オリビエは少し記憶を手繰ったようだが、結局涼しい顔で「言われたことないですね」と答えた。


―――なんで???


 思わず顔をしかめていると、オリビエが失笑する。


「文句が無いはずがないって顔してますよ」

「そう思ってますから」


 さらに開き直って答えると、オリビエは笑ってローラに「じゃぁ、どうぞ。言ってみてください」と促した。

 そう言われると困ってしまう。

 オリビエは、黙ってローラの言葉を待っている。

 いきなり文句を並べるのもどうなんだろう。自分を好きだと言ってくれた人に対して。

 ローラが迷っていると、オリビエはその沈黙を良いように解釈して頷いた。


「無いんですね、良かった」

「――ありますから!!!」


 勝手に話を締めようとしたオリビエを遮り、ローラは一気に捲し立てた。


「オリビエさんにとっては酒場って慣れた場所かもしれませんけど、私にとっては初めてなんですよ!?前に連れていってもらったところだってそうでしょう?オリビエさんには知り合いばっかりでも、私には知らない人達なんですっ。それなのに私のこと置いて好き勝手動いちゃって、先に座りたいところに座るし、勝手に食べたいもの頼むし、断りも無く飲み始めるし…。――緊張というものを知らないんですか?!」


 ローラの文句を、オリビエはあろうことか爆笑で受け止めた。

 そんな2人の前に、果実酒と麦酒がそれぞれごとんと音を立てて置かれる。


「楽しそうだねぇ。あい、どうぞ~」


 店主はそれだけ言うと、また去っていく。

 肩を揺すって笑うオリビエを呆然と見ていると、やがて彼は「あぁ、すみません」と、グラスを手に取った。

 一応話は聞いていたらしい。口に運ぶ前に、ローラの方を窺う。


「…飲んでもいいでしょうか」

「普通、乾杯とかすると思います」

「じゃぁ、乾杯」

「…はい」


 軽くグラスを合わせ、オリビエがお酒を飲み始める。ローラもグラスに口をつけた。店主が選んでくれた果実酒は、確かに美味しかった。

 うんっと満足気に頷くローラの隣で、オリビエがしみじみと呟く。


「なるほどねぇ…。そういうことか」

「…はい??」

「初めて食事をしたとき、明らかに何か不満気だったんで、何だろうと思ったけど、あなたは何も言わないし、何か悪いこと言ったかと考えたけど、どうも会話も上の空だし、その後は必死で逃げられるし…。さっぱり意味が分からなかったんですよ。…なるほど…」


 かつての自分を省みて、ローラは赤くなった。身勝手な不満は例によって顔に出ていたらしい。

 そして確かに、初めての食事の記憶は不満以外に何も残っていない。

 

「良かったです」

「え?」

「その程度のことなら、直せそうなので」


―――その程度…。


 そう言われると、その通りなのだが。物凄く心が狭いと言われたような気がして、ローラはちょっとムッとした。


「すみません、細かくて。オリビエさんの昔の恋人さんのように、心広くないんです」


 皮肉めいたローラの言葉を、オリビエは軽く受け流す。


「いや、どうでしょうね。たぶん、もっと大きな不満を抱えていたと思いますよ。何も言わない人達ばかりだったけど」


 ”人達”という言葉に引っ掛かりつつ、ローラは「そうなんですか?」と問いかけた。

 オリビエは昔を思い出しているのだろう、ふと遠い目をする。


「付き合うようになるのは、何故かあまり自己主張しない子ばかりで…最初のうちはいいんですが、そのうち不満が溜ってくるのか、暗い顔をするようになったり、突然泣かれたり…、でもその理由を聞いても、何も答えない。こちらも苛立ってきますからね、言いたいことがあるならはっきり言えと怒って、また泣かせると。我ながら非道な男に思えてきますよ。それでも無理して頑張り続けようとするのを見ていると、なにやらいたたまれなくなって終わりにする。…そんなことの繰り返しでしたね」


 ローラは意外な思いでオリビエの話を聞いていた。

 気が利かないだけで女性には優しいタイプの人だと勝手に思っていたのだけれど、違うのだろうか。


「…はっきり言う人、全然居なかったんですか?」

「居ないですね。そういう人とは気は合うんですが、恐らく男としては見られてません」


 ローラは思わず吹き出した。その反応に、オリビエは不思議そうな顔をした。


「…なんですか?」

「いえ、オリビエさん私のこと大人しいと勘違いしてるんじゃないかなと思って。見た目だけなんです。本当は小うるさいんですよ。妹なんて、私に色々言われたせいで、何も言えない子になっちゃったくらいで」


 よくよく考えると、まともに話すのは初めてなのだ。彼の好みに自分が本当に合っているのかどうかは、怪しい気がしてくる。

 がっかりするかと思ったが、オリビエは意外にも嬉しそうに笑った。


「いいですね。どんどん言ってください。そうでなくてもあなたは顔に出るんで、分かり易くて助かります」

「…それは、どうも」


 褒めているつもりなのかもしれないが、複雑な気分である。それでも言いたいことを言ったので、何やらすっきりとしていた。


 その後は食事をしつつ、また他愛もない話を続けた。

 その中で、昨夜少し聞いたオリビエの家族の話もまた改めて出た。

 オリビエは4人兄弟の2番目で、家はやはり農場を持っているということだった。長男が結婚してそこを継いで、父親と一緒に世話をしているらしい。彼と弟達は外で仕事をして、家にお金を入れているという。

 父の話になると、彼は苦々しい笑みを浮かべて言った。


「父親は頑固者なんで、息子からの金は受け取らない主義なんです。渡そうものなら憤慨して投げ返す勢いですよ。なので全員こっそり母親に渡してます。…使っているかどうかは、怪しいんですが」


 そう言って穏やかに微笑む彼からは、家族への愛情が窺える。彼の家の雰囲気までもが伝わってくるようで、ローラの胸は温もりに満たされた。

 昨夜はそんな彼と自分を比べて沈んだりしていたが、不思議と今日はそんな気持ちも湧かなかった。


「家はとても狭かったですよ。兵士になって寄宿舎暮らしになった時、相部屋でも広いと感じたほどです。でもそんな家だから、家族との距離はとても近かったですね」

「仲が良かったんですね」

「いいときもあれば、激しく喧嘩するときもありで…。男兄弟の喧嘩は死闘ですよ」


 想像して、ローラはくすくすと笑った。

 昨日彼がローラの部屋を狭くないと言ったのは本心からだったようだ。気を遣われたと勝手に思ったが、もともとそんなお世辞を使える人ではない。

 彼の人となりが掴めてくると、自分の誤解の方が可笑しかった。


「うちは本当に私が一方的に怒るばかりでしたよ」

「そんな感じですね」

「どういう意味です?」


 冗談っぽく突っかかるローラを、オリビエは楽しげに笑う。ローラもつられて笑い、場は和んでいく。最初に言いたいことを並べたせいか、もう緊張もわだかまりも何処かへ消えていた。

 お酒はどんどん進み、気がつくとランバルドの話になっていた。

 ローラは興奮気味に、普段誰にも言えない文句を吐き出した。


「前に3日以内にやって欲しいって仕事頼まれたんですけど、実際3日後に渡したら”デイジーは1日でできたけどね”って嫌味っぽく言われたんですっ。だったら1日でやってって言えばいいのに!3日って言うから3日かけたんですっ。私だって暇じゃないんだから、他にやることあるんだから!!」

「そういう言い方、得意ですよ。あいつと比べるとお前なんて、という比較はよくされました。自分が人のことばかり気にしてるから、それが効果的だと思ってるんです。実は自分が一番されたくないことなんだなと分かって、以後俺の反撃もそればっかりですよ」

「なんて言ったんですか?!なんて言ったんですか?!」


 普段誰も賛同してくれないので、やたらと気持ちがいい。全く褒められたことではないのだが、悪口大会はかなり盛り上がった。

 そして自然の流れとして、キースの名前も出た。


「ランバルドはキース隊長を馬鹿にしてたんです。その実力は何も知らないくせに。それが悔しくて、一度隊長にあいつと手合いしてやってくださいとお願いしたことがありますよ」

「…で、どうなったんですか??」


 ローラが身を乗り出すと、オリビエは苦笑した。


「隊長に断わられました。”あいつを見返したいなら自分でやれ”と。”なんで俺が頭を下げてまで、あんな小物の相手をしないとならないんだ”と怒られて」

「あ、あらら…」


 少々残念ではあるが、それでもローラにしてみればそんな彼はいかにも彼らしくて、嬉しくも思える。


「本当に大きな人は、自分の大きさを誇示しないんですよ」


 しみじみと呟くオリビエの言葉に、胸が温かくなる。少し前までキースの名前を思い出すだけで苦しかったのに、今はとても穏やかだ。

 彼の存在は、変わらず消えていないのに。


「でも、私…。オリビエさんの気持ち分かりますよ。…やっぱり、悔しいです。一度、やっつけて欲しかったですよね」


 賛同を求めるローラに、オリビエはただ優しく微笑みを返した。何も言わなくても分かる。その胸の内はきっとローラと同じだ。


―――嫌いじゃない…。


 ローラの胸に新しい想いが生まれていた。


 違う部分もある。共感できない部分もある。

 でも、一番大事なところが、一番譲れないところが同じだから。


―――私、この人嫌いじゃない。


 ◆


 夢中で話をしている間に、随分時間が経ったようだった。気付いたら夜更けで、2人は店を出ることになった。

 昨日言っていた通り、そこでの食事はオリビエがご馳走してくれた。

 お金を払い終えると、オリビエは「行きましょうか」と言って席を立った。


「はい」


 ほろ酔い気分でローラも席を立つ。ちょっと足元がおぼつかない。そんなローラをよそに、オリビエはまたさっさと出口へ向かおうとする。


―――また!


 ローラは反射的に手を延ばし、背後からオリビエの上着を掴んで引き止めていた。

 動きを止められたオリビエが、目を丸くして振り返る。ローラはそんな彼を睨みつけて言った。


「置いて行ってます!!」

「あ、そうか」


 そう言って、オリビエはぷっと吹き出した。


「なんですかっ」

「いや、すみません。気をつけます」


 オリビエは言葉通り、今度はゆっくりと歩き出した。

 クスクス笑う彼について、服を握ったまま店の外に出る。夜になって冷えた空気が、ふわりと体を包んだ。その冷気が、酔った頭を醒ましてくれる。

 ローラは深呼吸すると、肺の中までそれで満たした。

 ふと気付くと、そんな自分をオリビエは微笑みを浮かべて見詰めていた。

 真っ直ぐな視線に、また鼓動が騒ぐ。ローラは自分がまだ彼の服を握っていたことに漸く気付くと、慌てて手を離した。

 なんだかんだで、彼と話をするのは楽しかった。

 前回とたいして変わらない彼が、前回とは全く違う印象になっている。

 本当に不思議だと思った。


「…家まで送ります。もう遅いので」

「すみません」


 1人暮らしになってから夜道が前より怖く感じるので、その申し出は有難かった。2人は並んで歩き出す。


「…オリビエさん」


 ローラが呼びかけると「はい?」とオリビエが応える。足元を見て歩きながら、何気なく口を開いた。


「次は、うちに来てくださいね」


 オリビエからすぐに返事が無くて、ローラはハッと我に返った。思わず立ち止まって弁解する。


「あ、変な意味じゃなくて!!――やっぱり家は落ち着くし、私料理好きだし、安く済むし…!」


 慌てるローラを、オリビエは小さく笑った。


「変な意味の方がいいです」

「――変な意味じゃないです!!!」


 ムキになって返すローラに、オリビエが声をあげて笑う。

 ローラは真っ赤になりつつそんな彼を見ていたが、ふともうひとつ、伝えたい気持ちがあることに気付いた。

 躊躇いつつまた口を開く。


「…あと…、敬語、使わなくていいです…」


 それはローラがずっと気になっていたことだった。

 今日一日沢山話をしたけど、やっぱり彼の口調は変わらなかった。変に畏まって、他人行儀で…。

 ――デイジーに対しては、自然なのに…。


「…どうしてですか」


 不意にオリビエがそう問い返した。

 理由を聞かれるとは思わなかった。ローラが答えられないでいると、オリビエが重ねて言った。


「俺が上級兵士で、あなたが侍女だから?」


 ローラは思わず目を見張る。彼の言葉で、突然前に交わした会話が甦った。


 ”オリビエ様は上級兵士様ですから、私のことは”ローラ”でいいです。敬語なんて使われる身分ではないので、そんなにかしこまらないでくださいっ”


 ”そんな理由で”ローラ”と呼んでいいと言ってもらっても、嬉しくないです…”


 すっかり忘れていた会話。だがもしかして…。


「…まさか。私が前に”侍女だから敬語使わないで”とか言ったから…」

「言われましたね、そんな事」

「それに逆らって敬語続けてたんですか?!」

「…そうですよ」


 ローラは唖然としつつ目の前の男を見た。


「…呆れた」


 思わず口から出た正直な感想に、オリビエが失笑する。


「納得いかないことは、したくないんで。父親譲りの、頑固者なんです」


 ローラは目を丸くして目の前の男を見た。

 初めから、彼の中で自分は”侍女”ではなかった。その間に身分の差も無かった。つまりはそういうこと。


「まだ言います?”侍女だから”って」


 オリビエの問いかけに、ローラは苦笑しつつ首を振った。


「違いますよ。友人としてです。私も、敬語はやめるので」


 オリビエの口元に、笑みが浮かぶ。


「――そういうことなら」


 そしてローラに対し、すっと片手を差し出した。


「改めて…、よろしくローラ」


 ローラも笑みを浮かべ、その手を握り返す。


「よろしく、オリビエ」


 知れば知るほど不思議な人。

 でも悪くないと思えた。


 なんだか楽しくて、もっと知ってみたくなるから。

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