表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

出会いの日

 ローラの言葉に、オリビエは暫く何も応えなかった。

 重苦しいほどの沈黙に、ローラの鼓動は早鐘を打つ。今更に、自分の言葉の重大さに思い至った。

 深く考えずについ口にしてしまった誘いだったが、オリビエの無表情な目を見ていると、胸の奥から突如として恐怖が湧いて来る。

 張り詰めた緊張感に、ローラの体は小さく震え始めた。

 不意に去りかけていたオリビエが、再びローラに向き直った。ローラはその動きにびくりと身を強張らせた。

 オリビエの手がすっとローラの顔に延びる。

 触れられると思った瞬間、ローラは逃げるように固く目を閉じた。


―――嫌…!!


 暗闇の中、軽く頬を叩かれる感覚で、ローラは目を開けた。

 何度か瞬き、恐る恐る顔を上げる。目の前に立つオリビエは、ただ静かにローラを見下ろしていた。その目に先ほどとは違う恐怖を覚えて、ローラは自分の頬に触れながら後ずさった。


「…何を考えているのか知りませんが、あなたが俺を見ているかどうかくらい分かります。…馬鹿にしないでください」


 落ち着いた低い声で、オリビエはそう言った。

 叩かれた頬に痛みはない。けれどもその言葉の衝撃は、ローラの胸に引き裂かれるような痛みを生んだ。

 体が震える。

 激しい自己嫌悪に潰されそうになりながら、ローラはその場に崩れ落ちた。

 とても立っていられなかった。


―――何を、しているんだろう、私は…。


「…ごめんなさい」


 震える声で、ローラは漸くそれだけ口にした。

 俯くローラの目に、もうオリビエの姿は映らない。その目から溢れ出した涙で、何もかもが霞んでいく。

 頬を伝い落ちる涙を拭う気力も無く、ローラはただ何も無い床を見詰めていた。


「すみませんでした…帰ってください…」


 目を閉じて、ローラは力無く呟いた。

 悲しくて苦しくて、自分が惨めでたまらない。

 寂しくてたまらなくて、自分を想ってくれているはずの人に縋った。その想いに応える覚悟も無いくせに。

 そんな汚い自分を、全て見抜かれていた。


 振りかかる髪が、涙を隠してくれる。オリビエがまだそこに立っているのを知りながら、もう顔を上げられそうにはなかった。

 不意にローラの目の前に、オリビエは膝を着いて座った。

 それを感じながらも、ローラは顔を俯けたまま動けない。


「…何があったんですか?」


 オリビエの穏やかな声が問い掛ける。ローラはそっと目を閉じて、ゆっくり頭を振った。


「何も…」


 何かあったわけじゃない。全て、今更なこと。

 ローラは自嘲的に笑った。


「何も、なくなってしまったんです…」


―――ただ、それだけ…。


 目の前に座るオリビエは、黙ってローラの言葉を待っている。もう抑え込む気力も無く、ローラは押し出されるままに語っていた。


「恋をしていたんです…。一度も叶わない恋でした。ずっとずっと想って、結局何も残りませんでした。彼は今もう、愛する人と出会って結婚してしまいましたから…」


 ローラの頬にはいくつも涙が伝う。惨めな自分を知らしめるように。

 彼を前に、するべき話ではない。微かな理性がそう自分に言うのを聞きながらも、止まらなかった。蓋をしていた想いが、堰を切って溢れ出す。


「10年以上一緒に暮らした妹も、私が育てたようなものなんです。でも学校を卒業して、独り立ちして、遠くへ行ってしまいました。…残された私は、やっぱり空っぽなんです」


 話しながら、胸に広がっていく虚しさを感じていた。

 ずっと認めたくはなかった。こんな自分を。

 今の自分には、もう何も残っていない。

 頑張って妹を育てた自分も、ひたむきに恋をした自分も、いつしか居なくなって、ただの空っぽな自分が残っただけ。

 ローラは力無く笑みを零した。


「寂しくて、何かで埋めたくて、あなたに縋ろうとしました。誰でも良かったの。あなたなら、受け止めてくれるだろうって…」


 ”馬鹿にしないでください”


 オリビエの言葉が再び、苛むように甦る。その言葉に、何も反論はできなかった。


「…ごめんなさい」


 ローラの呟きを最後に、部屋にはまた静けさが戻る。

 目の前に座ったオリビエが、動く気配は無い。

 そしてローラも、もうその場から立ち上がれる気はしなかった。


「ローラさん」


 名前を呼ばれ、ローラは小さく「はい」と応えた。オリビエの低い声が耳に届く。


「キース隊長にあなたが恋をしなければ、今の俺は、ここには居ません」


 突然出たキースの名前とその意外な言葉に、ローラは思わず顔を上げた。目を見張って目の前のオリビエを見る。彼は穏やかに微笑んでローラを見詰めていた。


「…え?」

「初めて俺があなたの存在に気付いたのは、まさにあなたが彼に告白した瞬間でした」


 オリビエの言葉とともに、ローラの頭に遠い昔の記憶が鮮やかに甦った。

 食堂で兵士達に囲まれて食事をしていたキースのもとへ行き、大勢の前で自分の気持ちをぶつけたあの日。


「…あなたも、あの場に…」

「居ましたよ。一緒に食事していたわけではないですが、キース隊長のななめ後ろに、たまたま座っていたんです」


 そんなことは当然有り得ることだった。

 でもあの時は必死で、キース以外の人は見えてなくて、誰がその場に居たかなんて記憶にない。

 オリビエは当時を思い出すかのように目を伏せて、ふっと笑みを浮かべた。


「堂々と自分の思いを告げたあなたは、今まで俺が見てきたどんな女性より輝いて見えました。俺の中では、衝撃的な出会いでしたね」


 何も言えず、ローラは目を見張ったままオリビエを見ていた。

 驚いたせいか、いつの間にか涙も止まっていた。


「とはいえ、目の前で他の男に告白したわけですから、それ以上の感情は持ちようがなかった。しかも相手は若い上級兵士でしたから」


 オリビエはそう言って苦笑した。


「俺は当時まだ兵士で、その時所属していた隊の上級兵士とは犬猿の仲でした。あなたもご存知だと思いますが、ランバルド・カーチスという男です。意見が食い違う度つっかかって、相当嫌われてましたね。まぁ、こっちも嫌いだったんですが。…そんなわけで、上級兵士っていうのはくだらない人間だと、思い込んでいたフシがあって」


 またも意外な話に、ローラは目を瞬いた。

 ランバルド・カーチスという名の上級兵士は確かに知っている。正直、ローラにとっては苦手な男である。

 ランバルドは地位の高い者に媚びへつらい、ローラのような下の者を明らかに見下してる感がある。だが基本的に女性には愛想がいいせいか、周りの評判は悪くない。

 それでもなぜかローラに対してだけは容赦なく威張ってくるので、どうしても好きになれなかった。


「突然現れて、公爵の推薦だとかで上級兵士におさまったキース隊長には、当然反発の気持ちしかありませんでした。18歳の若造で、女の様な外見で、近寄る女を適当に食い散らかしていると聞けば、尊敬の念など湧くはずもなく…」


 それは、そうかもしれない。ローラは妙に納得しながら彼の話を聞いていた。

 当時自分もキースの節操の無さに呆れたことがあったのだ。

 いつしかそれも、不思議とどうでもよくなってしまったのだが…。


「なんであんな男に、と正直思いました。その程度の女なんだと、納得するつもりでした」


 オリビエの目が真っ直ぐにローラを見る。

 不思議と目を離すことができなくて、ローラもその視線を受け止めていた。


「けれどもその後、どうしてもあなたを目で追ってしまうようになりました。キース隊長を見るあなたは、悔しいほど綺麗だったんです。ひたむきで真剣で、本当に隊長のことしか見えていない。そんな目を向けられる隊長に、同じ男として……嫉妬すら覚えました」


 オリビエは罰の悪い表情になり「そんな気持ちが湧くのも、腹立たしかったですが」と笑った。

 そんな風に自分を見ている誰かが居ることなど、ローラはその当時まるで気付いていなかった。

 けれどもオリビエの言葉は愛の告白というよりは、文句のように聞こえる。

 ローラは彼の言いたいことが見えず、ただ黙って話を聞いていた。


「ただどうしても困ったことに、俺はあなたを嫌いになれなかった。あなたの人に対する態度の違いは、本当に分かりやすくて、好き、嫌い、興味無し、の区別が面白い程にはっきりとしてますよね」


 今度はローラが罰の悪い顔になる番だった。それは正直、否定できない。


「それを見ていたら、いちいち俺と同じだった。俺の好き嫌いをそのまま再現しているかのようで…ひどく共感させられました」

「…本当ですか??」


 ローラは思わずそう訊いた。オリビエは失笑とともに「本当です」と言った。


「バッシュ隊長は、好きですよね」

「…はい」

「アーロン隊長も好きですよね」

「はい」

「デイジーはよく分からないけど、憎めない」

「…は、い」

「そして、ランバルド・カーチスは嫌い」


 全く異を唱えることができず、ローラはますます赤面した。そこまで分かりやすい態度をとっているという自覚はなかったのだが。

 ランバルドのローラに対する対応も、もしかしたらこちらの感情が相手に伝わった結果なのかもしれない。


「あの人と…犬猿の仲だったんですか?」

「そうです。あいつです」


 ”あいつ”という呼び方にローラは思わず吹き出した。そういえばさっき呼び捨てにしていた気がする。どうやら未だに嫌いらしい。


「まぁ権力には勝てなくて、結局俺は毎回最低評価をくらってましたね。上級兵士の昇格試験を受けるには上司の推薦が必要なので、あの男の下に居続けたら、今の俺は無かったです。…でも幸い、あっちの方から俺を放り出しました。問題行動が多いため、自分の隊には不適切として」


 オリビエはそう言って、肩を竦めた。

 問題行動とはどういうものだろうと疑問に思いながらも、オリビエを見ているとなんとなく想像がつく。彼のことだから、従わないと決めたら頑なにそれを通すだろう。

 ローラに対してもそうだった。


「バッシュ隊長に”次の上司の希望はあるか”と問われましたが、正直誰でもよかった。どうせ誰についても大して変わらない、そんなことを思っていました。だから、あえてずっと気になっていた男の名前を出したんです。正体を見極めてやるつもりで」


 そこまで言って、オリビエは一度言葉を止めた。その目がローラを映す。


「…誰の名前を出したか、分かりますよね」


 問い掛けられて、胸が熱くなる。彼の言いたいことが既に伝わって、言葉が出ない。

 オリビエは顔を赤くするローラを見詰めながら、ふっと優しく微笑した。


「…あなたの目に、狂いはなかったですよ」


 突き上げるような想いに、ローラは固く目を閉じた。

 鼻の奥がつんと痛くなるのを、暗闇の中で堪える。

 先ほどとは違う涙が、溢れ出してしまいそうだった。


「隊長のもとについて、初めてあなたの気持ちを理解しました。俺は、あの人の下に居られれば、一生兵士の身でもいいと思った。見た目や年齢に惑わされた自分を恥じて、深く反省させられました。…同時に、あの人を選んだあなたへの想いも、はっきりと自覚するハメになりましたが」


 オリビエの声が心地よく耳に響く。かつて大嫌いだと思ったはずの、その声が。


「隊長の教えを受けられたのは、わずか1年にも満たない期間でした。けれど、それまでの10年に勝るとも劣らない価値ある時でした。そして俺は隊長から、上級兵士に推薦して頂いて今があります。あなたの想いに、人生を変えられた男がここに居ます。――何も残らなかったはずがない」


 ローラは目を開くと、そっと顔を上げた。

 その頬には、抑えきれなかった涙が伝って落ちていった。

 それを見ながら、オリビエは少し声を落として続ける。


「…妹さんも、同じですよ。どこに居ても、彼女の今の幸せは、全てあなたがあってのことです。

俺も親に育てられ、今があります。親の偉大さは、仕事をする身となった今、嫌というほど実感しています。親の庇護の下にあるはずの年齢で、1人の人間を社会に送り出すまでに育て上げた。その苦労は、俺には想像もつかない。…俺はあなたを、心から尊敬しています」


 心の奥に凍り付いていた何かが、ゆっくり溶け出していく。それが涙となって流れていく。

 暖かくて、心地のよい涙だった。

 忘れたくない大事な想いを、認めてもらえたからか。

 精一杯頑張った自分を、褒めてもらえたからか。


「私…」


 ローラは掠れた声で囁いた。


「本当に…好きだったの」

「…はい」

「顔とかじゃなくて…あの人の全部が好きだったの」

「分かります」

「キャリーのことも…すごく頑張ったの。何度も挫けそうになったの。あの子さえ居れば幸せだったとか、言えるほど強くなくて…」

「…当たり前ですよ」

「あの子の卒業式では、あの子の成長より、やり遂げた自分に感動して泣いてたの…」


 オリビエの大きな手が、ローラの頭に触れる。まるで子供をあやすように、ゆっくりと撫でる。

 その温もりにも、また涙が零れた。


―――ずっと誰かに、褒めてほしかったの…。


―――頑張っても頑張っても報われない気がして…。


 

―――それが一番、悲しかった。



 目を閉じて、頭を撫でられる心地よさにひたってみる。しばらくそれを繰り返したオリビエの手は、やがてローラの頭から離れて行った。

 それを感じ、ローラはそっと目を開いた。

 その視界に、じっと自分を見詰めるオリビエが映る。


「……ずっと、あなたが好きでした」


 オリビエが、穏やかにそう言った。

 以前聞いたはずの言葉。それなのに、何故だろう。

 全く違う響きに聞こえるのは…。


「気付いた時には、とっくに叶わない想いでした。知れば知るほどあなたに惹かれ、それでもどうにもなりませんでした。俺はあなたのことを、ずっと隊長の恋人だと思っていたので…。とても、敵うはずがない。諦めるしかなかったんです。でも…それが俺の誤解だったと分かって……。時間をかければいいものを、伝えずにはいられなかった。突然のことで驚かせたのは、承知しています」


 オリビエは言葉を止め、ふぅっと吐息を漏らした。


「…キース隊長を見ていたあなたに、簡単に選んでもらえると思ってるわけじゃない。どちらにしろ結局叶わないかもしれません。それでも、納得いくまで伝えたいという気持ち、あなたになら、分かってもらえると思っています。…それでもどうしてもダメなら、その時は…きちんと諦めます」


 オリビエの真剣な目に、何も言う事ができない。そんな想いは、分かりすぎるほど分かる。

 それなのに自分は今までただの一度も、彼の想いを真剣に受け止めようとはしなかった。

 悪いところばかりを見付け出しては、簡単に結論を出して逃げていた。

 本当に何一つ、彼を知らなかったくせに。

 そんな自分を、彼は始めから全て見抜いていたに違いなかった。


「俺の好きなあなたを、軽く扱わないで下さい。誰でもいいという気持ちで受け入れられても、嬉しいはずはない。そんな風に、他の誰かに縋って欲しくもない」

「…ごめんなさい」


 改めて、ローラは心から謝った。先ほどまでの情けない自分が、冷静になった頭に甦る。――心底恥ずかしかった。

 オリビエが穏やかに微笑む。そしてすっと立ち上がった。


「…さて」


 彼に釣られ、もう動けないと思っていたはずのローラも、気付けばその場から立ち上がっていた。

 そして目の前のオリビエと向き合った。

 オリビエはニッと笑みを浮かべて言った。


「言いたいことを言ったので、今度こそ帰ります」

「あ、はい…」


 ドアへと向かうオリビエの背中を慌てて追いかける。

 靴を履く彼を見守りながら「また明日…」と声を掛けた。

 オリビエは振り返って笑顔を返してくれた。


「はい。制服直してもらいに行きます」

「あ、はい。直します」

「夕食、ごちそうさまでした」

「いえ…」

「次は俺がご馳走します」


 さらりと出た言葉に、ローラは虚を突かれて固まった。オリビエもそんなローラを見て動きを止める。

 返事を待つような彼の目に、ローラの顔には自然と穏やかな微笑みが浮かんだ。


「――はい」


 明日からは何かが変わるかもしれない。

 何故かそう思えた。


 昨日までと何も変わらないはずの今が、とても明るく見えるから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ