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別れの宴会

 その夜、キャリーは寝る前に喉が渇いて、1人厨房へと向かった。

 寝巻きの上にガウンを羽織り、髪はおろしたままで歩く。夜の廊下は、しんと静まり返っていた。


 厨房の手前には食堂がある。そこに近づくにつれて、ふと楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてきた。

 明かりがついているところを見ると、どうやら誰か居るらしい。こんな時間に何をしているのだろうと訝りつつ歩く。

 その時、ふと廊下の向こう側からこちらに向かう大きな人影が目に入った。

 人影は小脇に木箱を抱えた兵士だった。間も無く深緑色の軍服を認め、それがオリビエであることを認識する。同時に彼の目も、キャリーを見つけた。

 彼は何かに驚いたように足を止めた。


「お疲れ様です」


 キャリーが挨拶しても、オリビエはとっさに反応出来ないようだった。髪を下ろしているので誰だか分からないのかもしれない。そう思って近寄ると、彼はまじまじとキャリーを見て、「あぁ…」と漸く口を開いた。


「…妹さんか」

「キャリー・ワイルダーです」


 改めて名乗ると、オリビエはふっと微笑んだ。


「そうだったね、キャリー。何してるの、こんな所で」

「オリビエさんこそ…」


 言いながら彼の持つ箱に目を向ける。オリビエはその視線に応え、ちょっと笑った。


「酒だよ」

「お酒買ってきたんですか?」

「いや、上司から届いたんだ。今日は打ち上げだよ」

「…打ち上げ?」


 オリビエはにっこり笑って「明日、あっちへ戻るんだ」と言った。

 

「あぁ…!」


 そういえば彼らは王都からの一時的な応援部隊だったのだ。復興作業が一段落したとして、呼び戻されたのだろう。

 今日でお別れだったのか。ほんの少し寂しさを感じながら、キャリーはぺこりと頭を下げた。


「…お疲れ様でした」

「もう寝るところ?」


 突然オリビエに問いかけられ、キャリーは目を丸くしながらも「はい」と答えた。


「じゃぁ、おいで」

「え?」


 聞き返したが、オリビエは食堂に入っていった。キャリーは戸惑いながらも言われた通りその後を追った。大きな背中を見ながら食堂の明かりに包まれる。そこには20人程の兵士達が長机を囲んで座っていた。

 机の上にはグラスと簡単なつまみが用意されている。オリビエがやって来たのに気付き、皆がこちらに顔を向ける。その中には、以前自己紹介してくれたジミーの姿もあった。

 ジミーは直ぐにキャリーの姿を見つけ、「おっ!」と眉を上げた。


「――ローラの妹!」


 他の兵士達にも一斉に注目され、キャリーは硬直する。オリビエは彼らいる長机の中央に、持っていた木箱を置いた。


「バッシュ隊長からだ」

「やったぁ~!」


 すかさず兵士達はそれに群がって開けにかかる。オリビエはジミーの向かいの空いている席に腰を下ろした。


「どうしたの、オリビエ」

「ん?」


 ジミーがちらりとキャリーを見遣る。キャリーはどうしていいのか分からず、所在無く立ち尽くしていた。


「そこで会ったから連れて来た。最後に一緒に飲もうと思って」

「”連れて来た”って…。”何事??”って顔してるぞ!」

「あ、いえ、そんな…」


 キャリーは慌てて顔の前で両手を振った。オリビエは自分の隣の空いている席をキャリーに差し示して「座らない?」と促す。それでとりあえず安堵し、キャリーは「あ、はい。座ります」とオリビエの隣へ急いだ。


「えー!隊長の隣ぃ??ずるいなぁ!」


 なにやら兵士が不満気に野次る。

 キャリーが隣に腰を下ろすと、オリビエは目の前にグラスを置いてくれる。そして手早く酒瓶の栓を抜くと、キャリーのグラスに注いだ。

 赤い液体がゆっくりグラスを満たすのを、キャリーはただじっと見つめていた。


「隊長、妹さんお酒飲めるんですか?」


 誰かの言葉でオリビエの手が止まる。


「飲める?」

「――聞くの遅いだろ!!!」


 ジミーがとっさに突込みを入れる。その場の兵士達がどっと沸いた。


「ごめんね、こいつ好きなように動くから。嫌なら嫌って言っていいからね」


 ジミーが笑いながらキャリーに謝ってくれる。周囲の楽しげな空気がキャリーにも伝播して、自然と頬が緩んでしまう。


「いえ、大丈夫ですっ。いただきますっ」


 キャリーはそう言って、有難くグラスを手に取った。

 お酒は卒業パーティの時に少し飲んだだけで本当はまだ慣れないが、折角の機会に遠慮するのも勿体ない気がする。彼らはもう明日、帰ってしまうのだから。

 人見知りの自分がこの場に居たいと思うなんて凄いことだ。それはたぶん、誘ってくれたのがオリビエだからだろうけど。

 ちらりと隣を窺うと、その視線に気付いてオリビエも振り返る。

 キャリーは慌てて「あ、あの!」と口を開いた。


「私お礼言ってなくて…。あの、前にライアードさんに意見してくださって有難うございましたっ。すっごく助かりました!」

「…あぁ」


 もう一ヶ月も前のことだ。今更なお礼に、オリビエは曖昧に応える。


「大丈夫だよ。コイツ、趣味でやってるから」


 ジミーがすかさず口を挟んだ。


「お前、人聞きの悪いこと言うな」


 オリビエが目を丸くする。ジミーはそれを無視して、キャリーに話を続けた。


「こいつ上司に楯突くのが趣味なんだよ。昔兵士だった頃もそんなことばっかやってて最終的に隊を追い出されて。――な??」

「あったね、そんな事」


 昔を思い出したのか、オリビエは苦笑を洩らす。そしてグラスを傾けながら隣のキャリーを見遣り、ふと手を止めてジミーに抗議した。


「っていうか、お前もっとマシな話しろよ」

「事実だろー。妹相手にかっこつけても無駄だっつーの」


―――妹相手に…?


 ジミーの言葉に引っ掛かり、キャリーは目を瞬いた。前もこんな違和感を感じた気がして記憶を手繰る。だがその思考はジミーの問い掛けで中断された。


「妹さんは王都で働かないの?」

「あ、はい。採用されたのが離宮だったので…」

「お姉さんと離れちゃったんだ」

「そうなんです」


 そう答えて、キャリーは慌てて「あ、私がここに居たこと、姉には秘密にしておいてもらえますか?」と付け足した。

 隣のオリビエが、キャリーに目を向けて問う。


「…どうして?」

「あの…姉さん私が離宮でお仕事するっていうのを凄く喜んでて…。別に私はどこでもいいんですけど…なんとなく…もしかしたら、がっかりしちゃうかもしれないので…」


 言いながら、自分の言葉が兵士駐屯地という仕事場を蔑視しているように思えてきて、キャリーは口を噤んだ。彼等に対して失礼だ。

 だがジミーはそんな風に思うことはなく「いい子だねぇ」としみじみ言ってくれた。


「妹さんは恋人居るの?」


 突然の踏み込んだ問いに、キャリーの頭は真っ白になる。慌てて「いいえ」と首を振ったが、多分顔は赤くなった。

 そんな会話を聞きつけた他の兵士が、すかさず「レイシーは??」と割って入った。やはり彼も、気になるのはレイシーらしい。キャリーは失笑しつつ「恋人が居るって言ってました」と正直に答えた。


「だよね~~」


 兵士の情けない声にみんなが笑う。不意に隣でオリビエが「レイシーって?」と兵士に対し聞き返した。

 場が、一瞬固まる。


「――隊長、流石!!」


 誰かの声をきっかけに、その場はまた笑いの渦に包まれた。

 キャリーにとってもオリビエの問いは意外なものだった。あんなに可愛くて愛想のいいレイシーが目に入ってない人が居るとは思わなかった。むしろ男の人たちは彼女にしか興味がないと思っていたのだが。

 自分だって”妹さん”という認識でしかないのだし。


「何が”流石”なんだよ」


 オリビエが意味が分からないというように呟く。ジミーは首を捻りつつ「不思議だよなぁ」と唸った。


「お前に寄って来る女はレイシーみたいなのばっかりじゃん。なんでこいつなんだよって思っちゃうよなぁ~。シンシアだってさぁ~…」


 ジミーの言葉にオリビエは何も言わない。女性の名前が出たことで、キャリーは興味津々に身を乗り出した。


「オリビエさん、恋人いらっしゃるんですね!」

「いや、いないよ」


 オリビエが即座に否定する。キャリーは”あれ?”というように目を丸くした。


「もう別れたんだよな」


 ジミーの言葉にオリビエが頷く。ジミーは芝居がかった調子で頭を抱え、「身の程知らずめ…」と呟いた。


「あの子いい子だったじゃん。美人で明るくて感じ良くてさぁ~。お前には勿体ないくらいだったのに、何が不満だったわけ??」


 なにやら昔の話を蒸し返し始めたらしい。その口調からしてジミーもそのシンシアとかいう子を気に入っていたのだろう。

 オリビエはそんなジミーの追及に黙秘を決め込んだらしい。ただ黙ってお酒を飲んでいた。

 彼の横顔を見ながら、キャリーは呟く。


「オリビエさん、モテそうですもんね」

「えぇぇー!!!」


 ジミーが驚きの声を上げる中、兵士達は揃って「おぉぉぉー!!」と沸いた。

 何かおかしなことを言っただろうか。戸惑うキャリーに、ジミーは身を乗り出す勢いで詰め寄る。


「どのへんがそう思うの?!?!ふっつーじゃん!!無駄にでかいだけで!!全然愛想もないしさぁー。自分勝手だしさー」

「えっ…」


 改めてそう聞かれると答えに困ってしまう。キャリーの中でオリビエは全然”普通”ではないのだが…。


「隊長、いつ洗脳したんですか?!」


 若い兵士がからかうように遠くから声を掛ける。


「記憶に無い」


 オリビエの返事に、兵士達がまた笑った。


「無意識の洗脳の方が得意じゃないですか?」

「狙うと外すみたいですねー」

「――うるさい!余計なお世話だ、お前等!」


 その場はまた陽気な笑い声に包まれた。楽し気な雰囲気に、キャリーの気持ちも浮き立ってくる。珍しく飲んだお酒も手伝って、緊張感はすっかり消えていた。


「オリビエさん、好きな人居るんですか??」


 勢いでそんなことを聞いてみると、みんながぴたりと笑うのを止めた。

 全員が自分に注目する。

 その反応に、キャリーは一瞬不躾な事を聞いてしまったと後悔しかけたが、オリビエはとくに躊躇うこともなく「居るよ」と答えてくれた。

 安堵して、また嬉しくなる。


「わぁ…どんな人ですか??」


 更に問うキャリーを、ジミーは頬杖をついて眺めている。その顔には意味深な笑みが浮かんでいた。


「そうだなぁ」


 オリビエはグラスに目を落しつつ、僅かに黙考した。


「すごく分かり易い人だよ。好きな人は好き。嫌いな人は嫌い。それ以外に、全く興味ない」

「…そうかぁ?普通に愛想いいと思うけどな」

「それは興味が無い証拠だ」

「お前よりは好かれてると思うぞ、俺」


 ジミーも彼女を知っているようだ。揶揄するような言い方に、キャリーは思わず「オリビエさんのことは…」と呟いた。


「嫌いらしい」


 オリビエが実に軽い調子で答える。ジミーはまたわざとらしい程に大きな動作で「あいたたたた…!」と額に手を当てた。


「絶望的だな」

「そうか?嫌われるほうが”興味ない”よりはマシだろ」

「前向きだねぇ~」


 ジミーが呆れたように苦笑する。

 どうやらオリビエの恋は今のところ片思いらしい。

 そうなるとそれ以上追及は出来ずに、キャリーはそっとお酒を口に運んだ。


 ◆


 その後も楽しく盛り上がり、お酒が全部無くなった頃にはかなり遅い時間になっていた。

 片付けを終えると、部屋に戻るために皆で食堂を出た。

 キャリーは最後までオリビエの後ろにくっついて出る。ふとその目が、彼の袖の綻びに留まった。

 作業中にひっかけてしまったのだろう。「オリビエさん」と呼び掛けると、彼は足を止めて振り返った。


「ここ少し破けてます。明日までに直しておきます」

「…あぁ」


 オリビエは自分でもそれを確認したが「これは、いいよ」と遠慮した。


「でも…すぐですよ?」

「いいんだ」


 オリビエはふっと微笑する。


「戻ったら、きみの姉さんに直してもらうから」


 オリビエの目を見ながら、キャリーは思わず固まった。「おやすみ」と言い残し、オリビエは去っていく。

 遠ざかる背中を、キャリーは息を詰めて見送った。


 ”確かに似てる…”


 ”隊長が女の子を見る理由、他に考えられないじゃないですか”


 ”妹相手にかっこつけても無駄だっつーの”


 突如、頭の中で何かが繋がった気がして、キャリーはハッと目を見開いた。

 呆然と見詰める先には、遠ざかる上級兵士の広い背中がある。


 ”嫌いらしい”


 これでお別れだろうか。

 また会えるだろうか。


 それは分からない。


 けれども彼がキャリーの心に忘れられない強烈な印象を植えつけて行ったことだけは、確かだと思えた。

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