糸口
俺の疑問なんて簡単なもので、ジョッキひとつ空にしただけですっかり忘れてしまった。久々の仲間との会話が楽しかったからというのもある。
会うたびに会話に上るのは大学時代の話だ。
「映画研究サークルって言っても映画行ったの何回だよ結局?」
「とりあえず、四年あっても両手で足りる程度じゃない?」
「しかもメインはカラオケとかドライブとか」
「まずサークル入って、彼氏彼女見つけて、脱退して、それから個人的に映画見るっていう」
「本末転倒だっつうの!」
個室内が笑いに包まれる。その中で、ふと永沢が夏美の顔を見た。
「そういや夏美って、サークルで何度か告白されてなかったっけ? 振られた奴何人かが気まずくて退会してった記憶が」
「えー? そうだったかな」
とぼける夏美。永沢の隣で枝豆をつまみながら、ぼそっと結城が呟く。
「そりゃ本命がいるんだから当然だろ」
「えっそうなの?」
「にぶっ、お前鈍いよっ! 健治並みだよ!」
永沢は「だって俺自分にしか興味ねーし」と言って焼き鳥をつついた。まあ、イケメンで女に困らなさそうな奴の言いそうな台詞だ。それはそうと、なぜ俺を比較対象にするのかがわからない。
夏美がそこで何も言わないのが気になるが、まさか俺が本命とか、そんなことはないだろう。大学時代に夏美は「健治を好きになる人はよっぽどの変わり者だね!」とかなんとか言ってたのを覚えてるし。俺もそこまで自惚れるほどの男じゃない。
「……そーいえばさ、みんな、仕事どう? えっと、結城くんって今なにやってるんだっけ?」
微妙な間が空いて、夏美が話題を変えた。
「俺? ちょっと説明しにくい」
「えっなに? 言いづらいの……まさか怪しい仕事? ホストとか」
「そういうのは永沢が専門だろ。俺の容姿で勤まるか。平たく言えばインターネット関連。あとは言っても多分わからない」
「あのね結城。俺をなんだと思ってるわけ?」
「すけこまし」
「そりゃないぜ!」
思わず吹き出してしまった。俺は二人をしみじみと眺めて言う。
「仲いいよなお前ら」
「どこがだよ!」
見事にハモってまたしても全員が大笑いする。大学時代ってよかったな、と思わず懐かしくなってしまう。腹を抱えていると、会話の矛先が俺に向いた。
「健治は広告会社だっけ? 毎年休み前は忙しい忙しいってよく聞くけど」
「いや、印刷屋っていうのかな。紙っていうより特殊な印刷専門の。機械の部品とか、看板とか」
「Tシャツとか手袋にも印刷できるんだって」
横から説明を付け足す夏美に、矢島が突っ込んだ。
「なんで夏美が詳しいんだよ」
「いやー、前に聞いたから」
そう言われて記憶をたどっても、さっぱり思い出せない。夏美には時々呼び出されたりして会ってはいるのだが、もう最後に会ったのは三か月程前だ。それ以降は色々忙しかったのもある。
「そんなの話したっけ」
「ほら、映画のときに」
言われて思い出した。それがその最後に会った日だ。
「あの微妙な恋愛ものの?」
「えっ、いい作品だったじゃない」
「そうだな、おかげで安眠できたし」
「もう!」
帰りに喫茶店に行って、なにか色々とくだらないことを喋ったような気はする。その時何気なく話題にしてたのかもしれない、会話の内容までは思い出せないが。
それにしても、その言葉に男三人の反応は耳ざとい。
「なんだ映画って」
「おいおいデートかよ? やるねぇ」
「なに言ってんだよ。なんか試写会当たったけど友達にキャンセルされたからって。ただの代役だよ」
矢島に小突かれながら成り行きを説明すると、向かいから結城が水を差した。
「嘘だな。本当は最初からお前と行きたかったんだろ」
「え?」
「そっ、そんなんじゃないわよっ。何言ってんのよ」
矢島や永沢まで「そうだそうだ」とか言い始めたので、ますます夏美が口を尖らせる。言われっぱなしもなんなので、俺は夏美に加勢した。
「俺相手なら気を使わないからってだけだろ。男同志仲いいもんなー俺達?」
そうそう……って女だろっ! とかいうノリツッコミを期待して肩を叩いたが、夏美はぽかんと口を開けて何も言わなかった。
一瞬場が静かになる。もしかして空気が読めてなかったのだろうか俺は。冗談とはいえ男に例えるのはさすがに言い過ぎたかもしれない。口を開いて謝りかけたが、そこに夏美がようやく笑って返した。
「だよねー。私、姿はこうだけど中身オッサンだからね! さー飲もう飲もう。あっ、もうない? 追加追加!」
それから梅酒やら日本酒やらカクテルやらビールやら、夏美が勢い余って色々注文し、酒宴は大いに盛り上がった。それでもぐでんぐでんに酔っぱらわない夏美はザルだ。俺は自分がそんなに強くないのは自覚しているので酒量は抑えている。過去に駅のホームで寝てしまってスリに遭った、なんて無様なマネをしてからは。
日本酒片手にすっかり酔っぱらった矢島が、座った目で俺を見る。
「いやー、それにしてもさ、どうするよゴールデンウィークは?」
「へ?」
何を今さら言っているんだろう、もう連休も終盤なのに。そういえばカレンダーを見ていないが、出勤日を忘れたら困る。帰ったら見ておこう。
そう思う俺の隣で、お猪口に視線を落とし、矢島はさびしそうに呟いた。
「俺彼女いないからここに居ても暇なんだけど、実家も兄ちゃん夫婦に子供までいるから帰りづらいっつーか。お前実家帰る?」
「いや、今さら帰るつもりはないけど」
「そうか、じゃあお互い暇同志だな。デートすっか!」
「あのなあ」
投げキッスをよこす矢島に向かって、俺はげんなりした表情を返した。
「冗談に決まってるだろ、俺もやだよ。あー、ゴールデンウィークまだ初日だってのに、ひとりで長い連休なにすっかな」
「……え?」
急に酔いが引いていく。なにか、聞いてはいけないことを聞いたような気がして。
「今、なんて」
「なにって、ひとりで連休なにしようかと」
「そうじゃなくて……今日は、なんだって?」
「ゴールデンウィーク初日だけど。なにお前、もう休みボケ入ってるの?」
初日。その言葉を聞けば、俺がくたびれたスーツを着ていたことに合点がいく。接待の夜から着替えていないのだ。あのとき酔っぱらって、首元が苦しいからネクタイも脱いだ。今の服装はまさにそれだ。だが、今までの数日間はどう説明すればいいのだろう。
俺は確かに家で数日を過ごしていたはずだ。でも、何をしていた?
思い出せない。なんとか閉ざされた記憶の扉をこじ開けようと試みる。自分の内へ、内へ、語りかけるように。
わずかだが、ぼんやりと頭に浮かんでくる。部屋を出てはいない。だけど、ご飯は食べたような。ベッドで寝てもいない。なぜか毛布にくるまっていたような。
ところどころのシーンに、誰かの影を感じた。その姿も顔も、ぼやけた光のようではっきりしない。
それが誰で、何をしていたのかはわからないが、俺は確かに誰かと数日間家で過ごしていたのだ。
そしてその記憶は、とても大切な、忘れたくないなにかだったような気がする。そう思うと胸がざわついて、俺はこの部屋の連中が話す声すらも、まともに耳に入らなくなっていた……。




