プロローグ ~霧の中で~
そこは、深い霧がかかったような場所。
どこを見渡してもところどころおぼろげな影が浮かぶだけの真っ白い世界。
どうしてこんなところに迷い込んだのだろう?
どこから来たのか覚えていないのに、帰り道がわかるはずもない。
だけどそこには一人きりじゃなくて、何人もの人が行き交っている。
霧と同じような味気ない色のない服を着て、現れては消えていく人々。
帰り道を聞こうとしても、誰も振り返りはしない。
誰も俺に構う暇などないのだろうか。それとも、呼びかける声が聞こえないのだろうか?
大きな不安を抱えながら、俺は辺りを見回した。
どうやって帰ればいいんだろう。
まるでここに人間など存在しないかのように誰もが通り過ぎていく。
それでも俺はここにいて、帰り道を探している。
また一人、すっと俺のそばを通り過ぎた。
その手を掴もうとするより早く、その人は霧の中へと溶けて消えた。
何人も、通り過ぎては消えていく。一体どんな顔をしていただろうか。覚えていないのは、霧が深いせいなのか。
それからまた何人もの人を見送った。
何度目だろう。誰かいないかと、後ろを振り返ったのは。
ちょうど、目の前を髪の長い一人の女が通り過ぎようとしていた。
「待って……!」
体温も、その感触も曖昧だったけれど、確かに俺は彼女の腕を掴んだ。
引き止められた女は、ゆっくりとこちらを振り返る。
どんな顔だったのか、見たばかりなのにハッキリと思い出せない。この世界と同じように、俺の頭にも霧がかかっているのかもしれない。
「ここはどこ? 君は、帰り道を知ってる?」
俺がそのようなことを聞くと、女は表情を変えた。
その質問に彼女はうんと小さく頷いた気がする。
だけどその目は、不安そうな、驚いているような……
不意に彼女の顔が眩しく光って、世界が白紙に戻る。
そして、気がつくと俺はいつもの天井を見上げていた。
……夢か。
色のある世界に、俺は心底安堵した。
まだ不安が少し残っている。久々に見る悪夢だ。
寝起きとはいえ、なんだか妙に体がだるい。仕事で疲れているせいだろうか。
酒のせいかもしれない、頭にも鈍い痛みがある。
起き上がりたいが、まだこの重い体を動かすほどの気力はない。
ため息ともあくびともつかない息を吐いて、俺は顔を横に向けた。
その時、俺は自分の目を疑った。
夢で見た女が、そのままの姿で自分の隣に横たわっていたのだ。