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 貴人に対する暴言ともとれる言葉に目を細めたハイダルだったが、ロッテは声を抑えたまま低く唸った。真っ直ぐに睨みつけ不敵に嘲る。

「きれいな服着ておいしいもの食べて、誰がそれを作ってるか考えたことなさそうね。それを作ってる方がどんなに苦しんでるか知らないからそんな風にのほほんとしてるんだわ」

 腹が立つ。

「外を歩いたことあんの? ガヤの奴等が何をしたのか知ってる?」

 腹が立つ。

「国境近くの村や町がどうなってると思う!? 心から安心して笑ってるひとなんていないわよ!!」

 微動だにしないハイダルと眉間にしわを寄せた貴族を見回し、ロッテは甲高く笑った。

「馬っ鹿みたい。こんな奴等の為にみんな倒れるまで働いてるなんて。それもこれもあんたたちが危機感もなくこんなとこで贅沢三昧してるからじゃないの。さっさと戦を終わらせてくれてたら考えたけど、でも――」

 美しいドレスにどれ程の働き手が関わっているのだ。一着で村の食事が賄えるくらいの価値があるのではないか。

 先程のテーブルいっぱいの食事。運んできた女はそれを軽食だと言った。ふんだんな調味料、瑞々しい果物や野菜。舌でとろける柔らかい肉。

 どれもこれも贅沢な品だ。

 煌めく宝石があしらわれた首飾りををぶちり、と千切ると、ロッテはぽいっと紅い絨毯に投げる。激怒でめまいすら感じながら、ぎりりと唇を噛んだ。

 ……あたしはこんな奴等の命令を聞きたくない!

 ロッテの母はかつて言った。

『偉い人は偉いだけの責任があるの。どんなに悪く冷たく見える人でも、みんなの生活を良くするために政をとってくれてる。貴い人たちに従いなさい。彼らはわたしたちを導いてくれるのだから』

 けれど、ロッテを導こうとするこの王宮の者たちは戦があったのにも関わらず国民を省みない者ばかりではないか。大体、国を救った英雄を下賎だと言う者たちが国を動かしているのだ。

「こんな国の為にあたしは結婚なんかしない。そこの王女サマが行けばいいのよ。あたしは嫌」

 つん、と顎を反らし、ロッテはそっぽ向く。

 王に逆らったのだ。身の危険はとうに感じているし、不敬罪に問われる覚悟も出来ている。

 ただ、ロッテは唯々諾々と従うような従順さは持ち合わせていなかった。


  †  †  †


 良い匂いを撒き散らし、クッションが跳ね返った。

 狭い空間にむせかえる程なのは、ロッテが先程からずっと投げ続けているせいだ。

 今どの辺りかもわからないが、既に行程の三分の二は進んでいる。もうザクテン領に入ったに違いない。

 あれからロッテはすぐに馬車に押し込められることになった。嫌みなことに嫁入り道具は全て揃え終えられていた。

 胸やけする程の香りに深く溜め息を溢す。

 鍵のかかった窓からは顔を出すことすら許されなかった。けれど最初に乗った時より幾分扱いはまともになってはいるから我慢しようと思う。少なくとも用足し以外にも一行が休憩時に馬車から降りて深呼吸することは出来たし、夜はきちんと上級の宿に泊まった。風呂にも入らせてもらえるし、食事だって出る。

「……腹が立つことにかわりはないけど、ま、命があっただけマシか」

 ずんっと沈む柔らかな寝台に腰かけ、横の卓から紅い果実を取り上げたロッテは自嘲気味に呟いた。かし、と小さく音をさせて噛むと甘酸っぱい香りと瑞々しい果汁が口に広がる。

 ……お金ってほんとあるとこにはあるんだね。

 果実を咀嚼しながらもそんなことを思う。

「村唯一の旅籠とは全然違うわ」

 ロッテが住んでいた村を離れたのは今回が初めてだ。ただ、村の旅籠に急な客人が来た時は手伝いにも行ったし、また客人の多くは村人と経済状況の変わらない平民だった。

「そっか……あたしの父さんってほんとに王様だったんだなぁ……」

 食べながら行儀も悪く寝転んだ。

 そもそも、ロッテは母が何で生計をたてていたのか知らない。薬草を育てるだけでは二人が生きていくことは難しかった筈だ。

 お金は大丈夫か、と聞くと、母は複雑そうに微笑むだけだったが、生活を出来るだけのものが支給されていたに違いない。それは多分、ロッテや母ルイーザが大切だったわけではなくて――。

『あなたはわたしからもあのひとからも愛されて産まれてきたのよ』

 どうして自分には他の子供のように父親がいないのか。ロッテが問い質した時に、そして折に触れて、母は優しく、けれどどこか寂しそうな笑みを浮かべてそう言った。

 今ならその理由がわかる。

「あたしは父さんに愛されてなんかなかったんだね……」

 まず真っ当な父親なら十七年もの歳月に母子を無視したりはしないだろう。母が亡くなった時ですら、連絡を寄越さなかった。

 しかも会ったばかりの娘を道具扱いし、終戦の後始末――彼等にとっての――の為に嫁に行かせたりなんかしない筈だ。

 ロッテは愛らしい異母妹を脳裏に浮かべた。

 セトル王女であるマルゴットは友好の証にコールヤ湾に面した海洋公国フェルナの公太子と婚約していると聞く。ただ父ハイダルがマルゴットではなくロッテを選んだのは政治的な配慮ではなく、愛娘をたかが農夫にくれてやるのが嫌だったのだ。

「ダルトも気の毒なひとね。たった一人で勝利をもぎとったってのに、感謝もされてないなんて」

 寝台から立ち上がり窓を開けた。三階の部屋は到底抜け出せる高さではない。埋めることを諦め、中庭を見下ろし、果実の芯をぽいっと放る。せめてこうしておけば何年か後にはまた果実が戻ってくるだろう。

 ――ダルトはどんな男かしら?

 王宮でロッテが知ったのは噂ほどあてにならないものはないということだ。

 ハイダルには二人の子供がいる。王太子であるシュリヒトとマルゴットだ。

 村にだって噂は聞こえてくる。壮年の偉丈夫である王と神々しさすら感じさせる王妃。兄シュリヒトは王妃の血を色濃く受け継ぐ美青年であるのに妹王女はまるで似ておらず醜いと言われていた。ところがどうだ。確かに系統は全く違うが、マルゴットはとても愛らしい少女だった。

 であるから、ロッテが村でしていた噂話はあてにならない。

「……ま、百聞は一見にしかずって言うし、どうせ明日明後日にはザクテンのお城に着くでしょ。それに最後の機会が残ってるしね」

 ともかく今はこの旅から逃れられないのは確かなのだから。


  †  †  †


 ザクテン領に入って三日たった。ロッテは不意に馬車の震動が止んだことに気付き、身体を起こす。

「着いたの?」

 呟いたと同時に馬車の扉にかけられた鍵が外され、外側に向けて開かれる。明るい光が射し込むと同時に、ふっと何かの臭気が漂ってきた。

 臭気と言ったが臭いわけではない。どこか懐かしい、けれど濃い匂いだ。

 ……土? の匂い、だわ。

 ザクテン領主の住まうケントニス城前の地面はむき出しなのだろうか? 今まで三つの城を経由し、六つの街道筋の宿に泊まってきたが、全て馬車に合わせ煉瓦が敷かれていたのに。

 とにかくこの狭い空間に別れを告げようと立ちかけたロッテだったが、人の形に光が陰る。

 扉の枠に手をかけ、中を覗くシルエットは道中の従者の細身のものとは違った。

「――あんたがおいらのお嫁さん?」

 目を細めて顔を確かめようとして、ロッテはぽかんと口を開けた。

「ダルト・ベッツィーク……?」

「そうさ。――司祭さまが待ってんだ。早く来いよ」

 ここのところ鼻持ちならない宮廷の貴族しか接してこなかったためか、その口調に涙が滲みそうになったが、それよりも――。

「司祭!?」

「……? なんであんたが驚いてんだ。結婚すんだろ?」

 ぐいっと腕を捕まれ、引っ張り降ろされる。

「おいらは王女様なんか全然望んじゃいなかったけど、仕方ねえしな」

「なんですって!?」

 驚愕に見上げた先にあったのは、白金の髪に燦々と光を受け、日焼けしそばかすも浮いた、苦笑を溢す農夫の青年だった。


 故郷に帰ったら、ロッテは村の皆に訂正して回ろうと決意していた。

 ダルトは――目立たない容姿どころか純金の輝きを頭に抱く、印象的な男だった。灰茶の瞳はやや細く弧を描き、正統派には程遠いものの、笑顔が実に良く似合う。

 馬車からケントニス城の中のこの教会まで、ダルトはころころと表情を変えている。しかも寡黙どころか能弁で快活。凡庸と言った酒屋の親父に見せてやりたいとさえ思う。

 呆気に取られたまま隣を歩んでいたロッテは口を挟む隙もない。

 ……変わったひとね。躁の気があるのかしら?

 自身も母の薬草作りを手伝っていた。その為かロッテは病に詳しい。余り村に降りない母の変わりに病状を診て、薬を与えるのはロッテの役目だった。

 ――ここザクテンにタルガの苗があればいいんだけど……ってちがーう!!

 彼は言ったのだ。

『おいらは王女様なんか全然望んじゃいなかったけど』

 余程の行き違いがあったのか。

 父ハイダルの言葉ではまるでダルトが、王女が欲しい、と言ったかのようだった。マルゴットは海洋公国フェルナに嫁ぐために、代わりに白羽の矢がたてられた、とロッテは理解していたのだが。

 それが違うというのならば、何故自分はここにいる。

 恭しく司祭の前で頭を垂れながらも、ロッテは考え続けていた。

 ハイダルが持たせた書状を侍従が司祭に渡し、封が解かれる気配がする。

「ふむ……陛下に承知したと伝えておくれ」

 柔らかな老いた声と重そうな衣擦れの音に、ロッテの隣に立つダルトの長身が沈んだ。横目で伺うときれいと思える横顔が目に入る。片膝をついた姿に一瞬息を飲んだ。

 まさに農夫と言えるようなチュニック姿なのに、まるで物語の騎士のように堂々と見えるのだから。

 老司祭がゆっくりと口を開く。

「陛下のお言葉だ。心して聞くように――余ハイダル・クローネス・セトル・ヴァハルフヘントは、先の戦の功を労い、ダルト・ベッツィークにザクテン領を与える。今この時より、ダルト・ザクテン・ベッツィークと名乗るが良い。また、余が娘リーゼロッテ・バウアーを褒美として授ける」

 ぎりぎりと奥歯を噛み締めながらその言葉を聞く。我慢だ、我慢、と自分に言い聞かせる。機会は必ずある。その時まで、じっと待つのが最善の方法だ。

「ただし……なんと! 陛下は本当にこのようなことを!?」

 紙が微かに音をたてる。

 ハイダルはまだ何か隠していたのだろうか。ロッテが眉をひそめると同時に、視界の端のダルトの顔が歪んだ。その憎悪とも呼べる苛烈な表情に目を奪われる。

「そのまま伝えよ、とのお言葉です」

 侍従が冷ややかに答え、司祭が再び言葉を紡いだ。

「い、言っておく。ザクテン領を任せるとはいえベッツィーク共々登城は許さん。彼の地で静かに暮らすが良い」

 ほっと息を吐いた。これ以上ない朗報だ。あの男の顔など見たいと思う筈がない。

 最も、ダルトはどうだろう。これ以上屈辱的なことがあるだろうか。

 ザクテン卿を名乗り、セトルでは二番目に広大な領地を頂く者が、王に拝謁出来ない。

 やはり心の中では農夫ゆえに蔑視しているということだろう。もやもやとした気持ちがわいてくる。

 とはいえ政治のことは皆目わからないロッテだったが、何故ダルトにザクテン領が下賜されたのが。戦の舞台になったが、ザクテンは豊かな地だった。

「変なの……」

「リーゼロッテ殿? 何か?」

 呟きにいぶかしそうに司祭が応じる。慌てて、ロッテは俯いたまま首を振った。

 まだだ。

 まだ待つのが得策だ。あと少しの筈なのだから。

 ……多分、きっと、この後よ。

 それまでの時間はさっさと進めるに限る。でないと村に帰るのがさらに遅れる。

「いえ。どうぞお話を続けて下さい司祭様」

「そうですか……? では、これよりザクテン卿ダルト殿とリーゼロッテ嬢の婚姻の宣誓を行います。異のある者がいるならこの場で名乗り出るように」

 待ち焦がれた機会がやってきた。

「あたしは嫌よっ!!」

「おいらは嫌だっ!!」

 寸分違わず重なった声に、思わずロッテは婚約者の顔を見つめた。唖然としたその顔は、まるで鏡を見るかのようにロッテと同じ表情を浮かべていた。


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