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《第二章》になります。今回は《第一章》よりもかなり過去の話になります。最後までよろしくお願いします。

 馬車がひとつ、ガタン、と揺れた。

 むやみに汚すまいと窓枠を掴んでいたリーゼロッテの指はあっさり外れ、このまま馬車の外に突き抜けてしまうのではないかと思えるほど頼りない感触を座面が返してくる。慌てて掌を引き抜き、よりバランスを崩すはめになって顔からクッションに着地を決めた。

 痛みはない。中身はなんなのだ? それに、これは中に匂袋でも仕込んであるのだろうか。とても良い匂いがする。

 柑橘類と、そう、二年前に死んだ母が好きだった花の薫りだ。ロッテの瞳に、そしてロッテの父親の瞳と同じ色をした花を母は愛でていた。こじんまりした庭にこれでもかと植えていたのだ。

 不意にロッテは怒りを覚えた。

 突然身形の良い男たちに囲まれた時も、突如馬車に押し込められた時も、動揺の方が大きかった。それに、貴人に逆らってはいけない、と周囲にも母にも常々教えられてきた。

 しかし、いくらなんでもこれはひどい。説明もなしに――はたしてこの豪奢な馬車で平民で汚れた仕事着のままのロッテが腰を下ろしていいのかどうかもわからぬまま――もうずっと走り続けている。

 汚しそうで怖かったから揺れる車内で立ち続けていた。強張った膝が反射的に立ち上がろうとしたロッテを座面に無様に突っ込んだままの姿で止めている。

 そして、そのまま寝た。


  †  †  †


 セトルはコールヤ湾に一部を面した森と湖が国土に点在する王国だ。今この国で貴賤問わず一番民の口に上るのは、先の戦の英雄のことだろう。

 ダルト・ベッツィーク。

 彼は農夫ながら隣国ガヤの将軍を単身討ち取るという無謀かつ勇気ある行為の末、故国に戦勝をもたらした。

 目立たない容姿の青年だという。良く言えば朴訥、悪く言えば凡庸。故郷でも、あのダルトが……と誰もが言葉を失ったと伝わっている。

 つい一月程前の話だが、噂は風を越す早さで国中を駆け巡り、セトルは戦の荒廃を忘れたかのように興奮に湧いていた。

 それはロッテを彩る生活も変わらない。

 細かい、くずのような干し肉しかない肉屋に行けば、

「ダルトは今は王宮でもてなされているそうだ!」

と老いた親爺が話し、品数の少ない穀物屋に行けば、

「肉屋の話を信じるんじゃないよ、もう褒美の領地を与えられたそうじゃないか!!」

と夫を徴兵されたおかみさんが話す。

 村のあちこちで若い娘がダルトのような気骨ある男を旦那にしたいと話に花を咲かせ、村に残った男たちは酒場でダルトを誉め称えた。ロッテも会話に加わることがあり、誰も彼もが浮かれていた。

「薄い金の髪に灰茶の目をしてるんだって!」

「歳は!?」

「まだ二十歳らしいわ!」

「独身かしら?」

「素敵っ!!」

 そう噂していたのは確か三日前。

 何故、とロッテは自問する。

 用足し以外に馬車から降りることすら許されず、囚人のような扱いを受けた。疲労から既に抵抗する気力はない。馬車を降りたのに、まだ振動しているような気がしていた。

 固くなった首を捻りながらその建物を見上げる。

 馬車から降ろされた先程はそこがどこだかわからなかった。二日間水以外何も口にしていなかったから頭に霞がかかったようだ。

 入り口を屈強な兵士が守る。今までロッテが目にしたどの館よりも大きく、荘厳で、林立した塔も多い。

「……おう、きゅう……?」

 そこはセトル王国の要、王のいるセトル王宮だった。


 呆然としたまま身支度を整えられる。継ぎの当たった、しかも汚れたままのドレスとエプロンはあっさりと剥かれ、風呂へと放り込まれた。

 疑問を唱える間もなく縺れた髪を櫛削られ、ようやく軽食を与えられた後、ロッテの脳が急速に回転を始める。

 見たこともないような豪奢な部屋。

 嗅いだこともないような芳しい香り。

 感謝祭で村中の料理を集めても足りない程の軽食・・

 着ていることさえ忘れてしまう軽い質感の滑らかなドレスに、足裏の厚くなったロッテの足を覆う靴にも煌めく宝石が縫い付けてある。耳には宝石と、首には繊細な金鎖。どちらも真っ青な宝石が揺れる。

 年頃の娘らしく舞い上がったロッテだったが、帰ってきた思考のおかげで一瞬で冷えた。

 何かおかしな事態に巻き込まれている。

 青々とした生気の溢れる瞳を怪訝そうにしかめ、部屋の端に並ぶ女たちに疑問をぶつけたが、彼女たちは目を伏せたまま微動だにしない。しびれを切らし、問い質そうと姿勢を正したロッテの前に、今度は貴人が現れた。

 忘れるものか。ロッテを馬車に押し込んだ男だ。

 文句を言おうと口を開いた機先を制し、男はロッテを鋭い視線で眺めると満足そうに呻いた。

「それらしく仕上がったものだな。とはいえ、陛下も何を考えておられるやら。あのような下賎の放言など突っぱねてしまえば良かったのだ」

「は?」

「ついて来るがいい」

 促されたというよりは命令だった。培った庶民魂はロッテから文句を奪う。仕方なく後に続き、唐突に――。

「これが余の娘か? ルイーザの子か?」

 ロッテはぽかんと壮年の男を見上げていた。

 玉座に腰を下ろすセトルの王を。

「リーゼロッテと申す者です。確かにルイーザ・バウアーの娘だそうで、歳は十七ですから勘定は合いますな」

「ふむ……。ルイーザの面影が確かにあるな」

 驚愕はゆるゆるとやってきた。

 ――余の娘って……どういうこと!?

 全ての音が耳を滑っていく。

 王の――ハイダル・クローネス・セトル・ヴァハルフヘントの言葉を、狼狽したロッテは聞いていなかった。

 ――あたしの父親は王様だったの!?

 母からは何も聞いてはいない。

 村でも、ロッテの父のことに触れる者は誰もいなかった。ロッテ自身も母の口の重さから聞くことを諦めていたのだが。

 ……母さんがなんにも言わなかったのはそのせいなの?

 ぐるぐると思考は空回りする。

 ――でも何で今頃……っ!?

 没頭していたロッテは突如、襟首を押さえつけられた。

 大きく喘いだ途端、気骨心がむらむらと沸き上がり、自分を押さえ込む男を睨み付ける。ロッテは平民だ。だが、心まで貴人に好きにさせるつもりはない。

 その挑戦的とも言える目付きに貴人の顔色がどす黒く変わる。

「おいっ答えろ!」

 さらに押さえつけられ、ロッテが怒りで爆発しそうになった時、静かな、けれど背筋が粟立つ程に冷酷な声が空間に響く。

「その者は余の娘ではなかったか?」

 ハイダルが瞳を眇めた。背後で息を飲む音がする。

「その手を不敬罪に問うても良いのだぞ?」

 言葉尻は優しいものだというのに、この寒々しさはどうしてだろう。これが威厳というものか。

 ロッテの首から重みが消える。

「へ、陛下、私は――」

「黙れ」

 片手を振ると、貴人はすごすごと玉座の間を出ていった。

 ……助けてくれたのかしら。

 とりあえず感謝を込めて見上げると、ハイダルは柔和に微笑み返した。

「十七年放っておいた父を許して欲しい」

「許してって別に……」

 許すも許さないもない。いまだ実感が沸かず、ロッテは混乱の極みにあった。

「詫びのかわりに良い話をしよう」

 玉座のハイダルはロッテと同じ青い瞳を細め、笑みを深める。

「お前は余の娘である王女マルゴットのかわりにダルト・ベッツィークに嫁ぎ、ザクテン領に向かえ」


  †  †  †


 しん、と静まり返った玉座の間にはたくさんの貴族がいた。だが、誰より早くロッテは口を開く。

「は……はい? 今なんて言いました?」

 聞き返したもののロッテは正確に把握していた。

 ザクテン領はガヤとの戦で焼かれた野も多い、内陸の領地だ。そこへ王女のかわりに行けと言う。

 しかも――嫁げ、と。

「え、えぇぇえ!?」

 思わず腰を浮かし、驚愕に叫んだ。

「冗談ですよね!?」

 礼儀も恥も外聞も忘れ、ハイダルに詰問する。

「冗談は好かぬ。あのような荒れ地にたった一人の王女を向かわせるわけなかろう。ましてや農夫に王女をくれてやるわけにはいかぬ。お前はちょうど年回りも良いし、下賎の出だからベッツィークと話も合おう」

 汗が落ちる。息が上手く吸えず、パクパクと口を動かした。

 蒼白な顔をしているがロッテはショックを受けたわけではない。青々とした瞳を怒りが支配している。

 ――あたしは便利な道具なの!?

 つまりは王女の身代わりとなれ、と言いたいのだ。

 ――突然連れて来といてふざけんじゃないわっ!!

 伏せていた身体を今や完全に起こし、玉座を睨み付けたロッテをハイダルは意に返さなかった。

「余の娘らしく毅然と向かえ」

「余の娘!? 一体いつあたしが承諾したって言うわけ!? お断りよ!!」

 敬語も忘れて叫んだロッテは、だんと足音を響かせた。玉座の間にいる貴人たちが、ぎょっとするように目を見開いた。

「大体あたしは王女じゃないわ!! あんたの娘だって証拠があるわけでもない!! 絶対に嫌――……」

 激高に口が回らず、ぎりり、と奥歯を噛み締めた時、柱の影から覗く少女にロッテは気付いた。

 ふっくらとした頬に染みひとつない肌は艶々と輝き、栗色の髪は毛先まで整っている。ロッテのように痩せてもいないし、栄養の行き届いた肢体は若い鹿のように伸びやかで、満ち足りた少女だ。

 密集した睫毛が縁取る大きな鳶色の瞳でロッテを上から下まで観察し、愛らしい少女は眉をしかめていた。

 ハイダルがロッテの視線を追い、ひとつ頷く。

「余の娘マルゴットだ。お前の異母妹になるな」

 純粋に不思議そうな表情の中にも、瞳に小さな蔑みを悟って、ロッテの頬は赤くなる。

 羞恥心ではない。

 周囲の貴人もまた、同じような表情を浮かべ、健康的な――ぶくぶくと肥えた者すらいる。

 村では食べる物すら事欠く日々だった。ガヤとの戦は働き手を容赦なく奪い、帰って来ない者も多いと言うのに。

「……あんたたちが始めたガヤとの戦のせいで国民が飢えてるってのになんであんたたちはそんなのうのうと贅沢してんのよ」

 ぼそり、と小さく呟いた言葉だったが、玉座の間は成り行きを見守る静寂が支配していた為に、その場の全ての者に聞こえていた。


読んでいただきありがとうございました。次話は現在執筆中です。遅筆なので全く進まず……がんばります。誤字や脱字等気になるところがありましたら、教えてください。よろしくお願いします。

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