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 クライドは寝台から窓の外を眺めていた。

 束の間、ヨルナはそれに見とれる。

 射し込む陽光が金の髪に乱反射し、淡く浮かび上がっているようだ。顔かたちが彫像のように整っているから神々しさが際立ち、余計に声をかけづらい。

 扉を入ってすぐで立ち竦んでいるとこちらを振り向きもせずにクライドが声を出した。

「そんなところに突っ立っていると朝食が冷めてしまうのじゃないか?」

「……ごめん、実は既に冷たかったりして」

 寝台脇のテーブルに盆を置き、苦い思いを隠してヨルナは謝った。

「ほんと悪いんだけど、我慢してくれる? それか、あったかいのが欲しかったら食堂へどうぞ。でも案内は誰かに頼んでね」

「僕はこれでかまわない」

 向き直ったクライドが微笑む。

 感嘆すら覚える端正な笑顔だ。普段は余り美醜に頓着しないヨルナでさえ、一瞬言葉に詰まる。

「……あんた良い所のお坊っちゃんでしょ? あたしなんかじゃなくてもっと別の人を選びなよ」

 眉尻を下げたヨルナは困った顔を隠そうともせずに、単刀直入に頼んだ。

「昨日のあれはキスじゃなくて人命救助の人工呼吸なの。だから求婚なんかじゃないのよ」

「僕では不満か?」

「不満というか……」

 言い淀み考え込んで瞳を伏せた。

 適齢期はとうに過ぎた。

 ヨルナはもう十七で一族では婚期を逃した娘だと思われているし、だから誰もがヨルナとキリクに興味を持っている。キリク以外に求婚者がいなかったわけではないが、キリク以外に応えるつもりもなかったのだ。

 それは、キリクとネリの話を聞いてしまう前と変わらない。

「十三回も求婚を断っているのは何故だ?」

 クライドが不意に声音を柔らかなものに変えた。

「おかしいでしょ? 十三回も求婚されたらふらって来て当然だって言われてるわ」

「別に。僕は結婚の打診をもう何十回も断っているからな」

 え、と聞き返したヨルナをクライドは見つめた。

「おっしゃる通り僕は裕福だ。地位ある立場でね。お陰様でありとあらゆる家から適齢期の女性の絵姿が送られて来る。面倒なんだよ」

 スープを一口啜り、クライドは顔をしかめる。冷たさと面倒なのとどちらに嫌気が差したのかヨルナには判断出来ない。

 かちゃん、と盆にスプーンが投げ出された。

「だから最初の内に断った。花嫁は自分で選ぶからお膳立ては不要だ、とな」

「自分で選ぶ……」

 選べるものなら、とヨルナは思う。羨望の視線をクライドに向け、小さく溜め息をついた。

「キリク、というのが十三回断った相手か?」

「――そうよ。兄さんの、ネリの親友なの」

「何故断った? 結婚が嫌なのか? それともキリクが嫌なのか?」

 キリクが嫌な筈がない。

 嫌なのは求婚してくれた理由だ。それなのに照れて舞い上がった自分に腹が立つだけだ。

 けれど、それを上手く伝えることが出来なくて。だから、ヨルナは意識して眉をひそめるとまず嘆息した。

「……キリクのそばだと落ち着かないもの」

 手をひらひらと振り、ヨルナは大袈裟に肩を竦めて見せた。

「彼はただ兄さんに対する義務感であたしに求婚してるだけなのよ」

 端正な顔を訝しげに歪めたクライドは先を促すように視線を向ける。

「兄さんとキリクが話しているのを聞かなければ、あたしはもうとっくにキリクのとこへ嫁に行ってたでしょうよ。いまでも……聞かなきゃ良かったと思う時があるわ」


『それでもヨルナを頼めるかい?』

 うっすらと赤みの射した頬をしたネリが杯を傾けながら、傍らに座るキリクに悪戯めいた笑みを見せた。胸をドキドキさせたまま耳を澄ませたヨルナは、さっと血の気が引いたのだ。

『今さら何を言うんだ。親友の頼みを拒むわけないだろ?』

 そう低く、唸るような声で答えたキリク。表情は見えなかったけれど、ヨルナは声に微かな不快を感じ取った。


「……キリクがあたしに求婚するのは兄さんに頼まれたからなのよ!」

 吐き捨てるように呟いてクライドから顔を背けたヨルナは服の裾をきゅっと握りしめる。

 この話を他人にするのは初めてだった。《住まう舟》の中では決して出来ないし、クライドならと思ったことは否めない。

 だが、自分に言い聞かせてきたことを話すのは、考えた時以上に心を抉った。

 聞かなければ良かった、と思ったことは嘘じゃない。けれど、納得のいく唯一の理由だったから自分の耳を疑うことも出来なかった。

「あの人はあたしだから求婚したわけじゃない。誰だっていいんだから。他に仲の良い女の子がいっぱいいるくせにね」

 この《住まう舟》の中にもキリクに熱をあげている娘はいるし、彼女たちと親しげに話すキリクの様子だって見ている。それにキリクと同じ商人の中にはわざわざヨルナに、キリクはモテるんだ、と教えてくれるお節介な男たちもいた。

 それでも、キリクはネリとした約束を貫いている。義理堅く、優しいキリク。

 ……その優しさが愛情から来るものだったら良かったのに。

「義務感以外のなにものでもないくせに。苛々するったら」

「苛々、ねえ……」

 腹立ち紛れにテーブルを叩きかけ、ヨルナは寸前で止まった。

「ごめん。変なこと聞かせて。忘れてくれる? 馬鹿なこと言ったわ」

 自嘲気味に謝罪してゆらゆらと視線をさ迷わせたヨルナは不自然なまでに話題を変えた。

「――きれいな手ね?」

 クライドはそれでもそれ以上を追及することなく、ヨルナの話題に乗ってくれる。

 整った容姿がやや冷酷に見えたが、意外に優しい。彼は苦笑すると自らの手を翳す。

「そうか? 一応剣も相応に遣えるから掌は硬くなっているし、男にきれいもないと思うが。それにヨルナの手もきれいではないか?」

 繁々と手を見下ろし、うーん、と唸った。日に焼け、そばかすが浮いている。指先は荒れ、少しばかりひびが入っていた。

「あたしの手はダメよ。仕事で傷だらけ。荒れてるし、爪も欠けてるもの」

 節くれの目立つ指にはいくつもの古傷が陣取り、掌は厚くなっていた。

「それは生きるための手だ。確かに貴婦人方の手とは違うが、働く手も決して醜いわけではない。――ヨルナは何を仕事にしているのだ?」

「あたしは網の点検とか、まあ漁の雑事かしら。継ぎ接ぎの古いものだし魚にあるヒレとか色んなものが引っ掛かるからすぐに傷むの。漁から帰って来たらすぐに調べて……本当は新しく作るか、もっと大きな網があればいいんだけど、フェルナの品は高いから」

 コールヤ湾の《住まう舟》の殆どが海洋公国フェルナの港へと漁獲の品を運んでいる。勿論、キリクのような商人を介してだ。足元を見られているのか、大抵は僅かな代金が支払われるばかりで大金が転がりこむのは稀だった。

「網の原料は陸の物だもの。大きな網があれば今より獲れる魚の量も増えるし、もう少し漁のキツさもマシになるかなって思うんだけどね」

 諦めの混じった溜め息を落とし、ヨルナはクライドの寝台の端に腰を下ろした。

「フェルナは海沿いを細く長く治める国だし、どこよりもたくさんの港を持ってるわ。兄さんやキリクはフェルナに魚を安く買い叩かれるのが我慢ならないみたいだけど仕方ないの」

「フェルナ以外の国を頼ればいい。フェルナだってその殆んどを他国から輸入しているのだから。というよりも、だからこそ価格が高く設定されているのだろうが」

「他の国って一番近くてもザクテンやセトルだけど、そこから直接買えないでしょ? そりゃザクテンは豊かで広大な内陸国だし、セトルも魚を高く買ってくれるけど、港が限られてるわ」

「……なるほどね」

 小さく微笑んだクライドの瞳に才知を見出だし、ヨルナはずっと不思議に思っていたことを聞いてみることにした。そもそも、それさえなければこんな目に合わずに済んだのだ。

 聞く権利はあるだろう。

「クライドはどうして女装してたの?」

 言動から彼が良家の子息だとわかるし、剣が遣えるにも関わらず荒れていない掌から日常的に手入れが可能な環境にいる証拠だ。そんなクライドが――似合っているどころか美少女にしか見えなかったが――何故女物の豪奢なドレスを着ていたのか。

「二つ上の従姉と入れ替わってみたのだ。……恥ずかしながらドレスの裾に絡まってな。お蔭でこの様だ」

 額を押さえて苦く笑うクライドについ笑みが溢れた。咎めるように見上げたクライドだったが、ふっと微笑みを返す。

 見つめあってクスクスと笑い合う二人に、控えめに声がかけられた。ただしちっとも悪いと思っていなさそうな声音で。

「――お取り込み中悪いんだがね」

「兄さ……キリク!?」

 弾かれたように開け放たれた扉を見たヨルナは小さく叫び声をあげた。

 長身のネリの横に、キリクの姿がある。なんの感情も浮かんでいないその顔に僅かに怯えながら、ヨルナは立ち上がった。

 キリクとネリとクライドを順に見つめ、急に動揺する。

 ――兄さんはともかく何でここにキリクがいるの!?

 おめでとう、など聞きたくはない。特にクライドと一緒にいる時に。

「君がキリクか。僕はクライド、ヨルナの婚約者だよ」

「クライド!! 何を――ち、違うわよ!? あれはキスじゃなくて人命救助の人工呼吸なんだから!」

 間髪入れずに反論して、はた、と気付いた。

 きっとキリクは安心している筈だ。ネリとの約束を反故することになっても、別に好きでも何でもない相手と結婚しなくて済むのだから。

 ……こんな風に言い訳する必要なんて、ない。

 弁解しようとキリクの気持ちが変わることはないのだ。

 下を向いて、涙を堪える。泣いている、などとキリクやネリに知れたら、また同じことになるかもしれない。責任感の強い二人のことだ。

 これ以上キリクを縛り付けるのは悲しかった。

「照れ屋だね、ヨルナは。最もキリク、君はよく知っているだろうけど」

「……ああ」

 前を向かずに控えめに笑みを作る。わざとらしくはないか、と気にしながらもヨルナは顔をあげた。

 キリクを見るのは怖かったから、じっとクライドを見つめながら。

「で、勿論僕たちを祝福してくれるだろう?」

 端正な顔立ちに完璧な微笑を乗せてクライドが決定的な言葉を投げかけた。

 反射的にキリクに視線を向けかけ、意思の力を総動員してクライドに視界を固定する。きっときっと彼は真剣な顔をしている筈だ。

 そして多分――どこかほっと安堵している。

「ヨルナを、幸せにしてくれるならな」

 案の定、真摯な声が聞こえた。目の奥がつんと痛くなる。

 膝から力が抜けるのを阻止しながらも、どうにかしてこの場から逃げたい一心で視線をさ迷わせた。

「……ヨルナ、ちょっとおいで」

 その狼狽に気付いたのか、ネリが扉にもたれたまま手招きする。口調は優しかったが、有無を言わせぬその顔に、ヨルナはクライドを振り返りつつ、キリクの脇をすり抜けた。

 決して彼の顔を見ないように。

 後ろ髪引かれる思いのまま、ネリが扉をバタリと閉める。中から、当然だ――とくぐもったクライドの声が聞こえた。

 ふぅ、と溜め息をひとつ溢したネリは廊下の反対側にヨルナを誘う。二人に聞こえないように十分に距離を取ると、彼はヨルナを覗き込んだ。

「クライドと結婚してしまって本当に後悔しないね? 今ならまだ――」

「わかってる。わかってるけど、あたしは……」


 キリクが好きだ。

 キリクが好きだ。

 ――でもキリクはあたしを好きなわけじゃない。


 見上げた兄はいつになく険しい顔をしていた。

「明日、父さんに――長に全てを話す。それまでによく考えるんだ」


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