⑥
更新遅くなりました。短編を投稿して少し寄り道を…ごめんなさい!
――あ……。
胸に荒波のように響く衝撃に、呆然と自らの掌を見つめた。
別に振り払われたわけでもない。乱暴を受けたわけでも暴言を吐かれたわけでもない。壊れ物を扱うかのようにそっとどけられただけだ。さらに言えば、ショックを受ける相手ではない筈である。
それでも――。
オルテンシアはのろのろと顔を上げた。
ひそめられた生真面目そうな眉。凍てついた冬の、空色の瞳が訝しむように細められる。
それはそうだろう。二度も下敷きの害を被ったのはコラッジョーゾであって、オルテンシアではないのだ。
「で、これもさっきのもトマソ殿がくれたものか? ……彼は一体何を考えているんだ」
潰れた通行証兼身分証明書を拾い、呆れたようにコラッジョーゾが呟いた。
「トマソは……」
先程から答えに詰まってばかりだ。泣きたい気持ちに声を震わせる。
情けなさに胸が締め付けられた。
胸の内側から溢れ出すのは多分、後悔だ。真実を求めたことに対してではなく、嘘を重ねることが怖くなる。
母に、周囲に、そしてコラッジョーゾに。心を隠し続けて一年が経つことにも。
今さらになって。
――もう収拾がつかないくらい、嘘をついてきたのに……。
それを口上で誤魔化してきた報いが、こんな形で返ってきているとでもいうのか。
「トマソじゃないんだ……でも、あんたには言えない」
「言いたくない、じゃなく、言えない、なのか?」
じっ、と冬空色の瞳を見上げて、オルテンシアは小さく笑った。
苦笑いだった。
「それは俺が貴族だからか?」
「違うよ。確かにそれもあるけど、それだけじゃない」
自嘲気味に呟く。
握りしめた掌に揃いの指輪が食い込んで、鈍く痛んだ。同時に、アルベロに対する罪悪感がこれ以上ない程ふくらむ。
オルテンシアは結果的にアルベロの居場所を奪ったようなものなのだ。しかも今コラッジョーゾに説明出来ないのは、ただ自分が罪に問われない為で。
「……ごめん」
形の良い唇から溢れたのは、謝罪の言葉だった。
「僕は多分あんたが知りたいと思ってることの答えをあげられる。だけど……ごめん。僕には無理だ」
保身の為に吐く嘘はひどく後味が悪い。それにやっと気付いて俯いてしまったオルテンシアは、温かく大きな手に金の髪を混ぜられた。
ハッとする。
アルベロも父もよくこうしてオルテンシアの動きを止めた。激高し、突っ走りがちな心を、感情の浮き沈みが激しい内面を、掌の温もりが静める。
それをこの男が知っている筈がない。
だが思わぬ形で与えられた懐かしさと、何故か安堵が胸を襲った。
「気にならないと言ったら完全に嘘になるが。泣かす趣味はないんだよ、俺には。――ひとつだけ聞かせてくれ」
ゆっくりとしなやかな指が離れていった。名残惜しいわけではないが、視線はコラッジョーゾの手を追ってしまう。
こっくりと頷きつつ、オルテンシアは続きを待った。
「水路に落ちたゴンドリエールに心当たりがあるんだな?」
コラッジョーゾの問いは伺うというよりは確認に近い。
答え方がわからずにオルテンシアは迷った。
落ちたのは自分の半身――。多分アルベロに違いないし、その理由を確かめにルチェーナに向かうのだ。
困りきって肩を竦めると、眉を下げて笑いかけ、笑っていいものか迷う。だから中途半端になってしまい、鼻から抜けるような笑い声をたてた。
今度は自分から溢れた乾いた笑いに当惑するが、コラッジョーゾは目線を合わせて頷いてくる。
「それで充分だ」
オルテンシアに通行証兼身分証明書を返し、コラッジョーゾは船室を出ていった。後に残されたオルテンシアは手渡されたものを呆然と見つめる。
――伝わった、のかしら……?
きっと気付いたのだろう。気付いてもなお聞かないでいてくれる優しさが後ろめたさを増幅する。
床にへたり込みかけ、叱咤した。
梯子を掴んで自分の寝台に上がり、ごろんと横になる。幅の狭い寝台だ。
向かいの上段はカーテンが引かれないまま荷物が置いてあるのが見える。持ち主はいなかった。
――気を抜いちゃだめ。何があるかわからないんだから。
女だと知られたら、というだけではない。力の弱そうな子供だと侮られ、荷物を奪われたり理不尽に暴力を振るわれることだってあるのだ。
トマソに進められた通りの、いわゆる一等の個室を利用することはなかったが、今いる三等にも個室があった。素直にそちらを借りていれば、と嘆息する。コラッジョーゾだけではなく同室の者達にも気を張っていなきゃならない。三日間で神経がまいってしまう。
――帰りは個室を借りよう。
思いかけ、オルテンシアは項垂れた。
……あたしは、ちゃんと犯人からアルベロが水路に投げ込まれた理由を聞き出せるかしら……。
するりと巻かれた紙を広げる。潰れたりしてはいないが、折れている部分もある。大人の掌二つ分より僅かに大きいそれには、トマソの父の名で牢への立ち入りを許可するように要請されている。
ぼんやりとそれを眺めていると、バタンッと乱暴に扉が開いた。
コラッジョーゾが戻って来たのか。
そう思って身を起こし、寝台から見下ろすと、扉からずかずかと入って来たのは見知らぬ二人の男だった。何事かと警戒したオルテンシアだったが、彼らはどうやら同室らしい。
「悪いな、坊主。早い者勝ちだ」
怪訝そうに見ている中、向かいの寝台の上下段から荷物を持ち出す。
「何が?」
「広い寝台のある二等の部屋が空いてるってんで移るのさ。差額はいらねぇって言うんだから豪気な話だ! 最も坊主の大きさじゃこの寝台で十分か」
二人の男はげらげらと笑い声をあげた。
「変なの。普通は無理だよ」
「遊ばせとくのももったいねぇってことじゃねぇの!」
彼らは笑いながら出ていくが、オルテンシアにしてみたら不思議に思えども安眠が保証されるのだ。異を唱えるつもりなど毛ほどもない。寝台は狭いが個室状態であるなら、願ったり叶ったりだ。
広げた通行証兼身分証明書を色褪せたザックに戻し、オルテンシアは低い天井を見つめていた。
† † †
ルチェーナまでの船旅は寄港することもなく三日、と聞いた。三日目の早朝には時化でも来ない限り到着するらしい。
一日目の晩、オルテンシアは凪いだコールヤ湾の海面を舳先からじっと見下ろしていた。遠くに微かにオレンジの燭が幾つも浮かぶ。波が月光を反射して煌めく色とは違うから、あれがコールヤ湾に住む人々の焚いた灯りだろう。
――アルベロがあそこの人達に助けられたってことはあるかしら? でも連絡ぐらいは出来るわよね……。
不意にせりあがる考えに背を向け、オルテンシアは自分を罵った。
――そんなのって都合が良すぎるわね。
思えばアルベロが居なくなって一年余り。これ程考え込んだことがあっただろうか? そんな時間は取れなかったし、そんなことを思ったこともなかった。
同時に二つのことを進行するのが苦手なオルテンシアが考え事をするのは、客を待つ僅かな時間だけで。しかも、自分のしでかしたことに気付いてさえいなかった。
――あたしはゴンドリエールになりたかった。男に生まれてればって。あたしはアルベロよりも巧く出来るって。昔はいつもそう思ってた……。
船が海水を割るのを眺め考えるのは、自分の浅ましさだ。
「そうやって思わなくなったのはいつからよ……?」
自分への問いを思わず唇に乗せる。けれど答えは簡単だ。
皮肉気な笑顔を浮かべ、オルテンシアは両腕を柵に乗せると体重を預ける。
最初はただジェンマの思い込みに合わせただけだった。これ以上、母に精神的に気落ちされるよりかは、アルベロの服を着て、アルベロが元気なふりをしている方が良かった。
次に収入の問題に突入した。
けれど、何よりもオルテンシアがゴンドラに乗りたかったのだ。
アルベロの格好をし、アルベロの名を名乗り――ゴンドリエールを続けている理由。
「トマソの……言う通りね」
自嘲気味に呟いて、空を見上げた。欠け始めた月と瞬く星々。次いで、視線を下ろすと海と空がひどく曖昧なことに気付く。
水平線がまるで自分のようだ。
存在自体がどっち付かずで。
「本当は、どうすれば良かった? どうすれば誰も傷付けずに済んだのかしら……アルベロの事も母さんの事も放ってはおけなかったけど……」
呪文のようにぶつぶつと口中で呟いて、ふっと力を抜く。
「あたしが、現状を受け入れさえしていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかしら」
それが全てだ。
問題を複雑化させたのはオルテンシアだった。
最初から、コラッジョーゾと女の姿で会っていたらどうなっていただろう。少なくとも、彼にアルベロのことを躊躇なく告げられた筈だ。協力を請われたかもしれないし、逆に申し出たかもしれない。保身の為に口をつぐむ必要も嘘を捲し立てる必要もない。
一昨々日まで遡り、尻餅をついて唖然としたコラッジョーゾを思い出す。
空色の瞳を見開いていたコラッジョーゾ。
――でもまず転ばしたりはしないわよね。あたしはゴンドリエールじゃないんだし。
つまり初対面は仮面を投げ付けたところになる。
それを想像し、オルテンシアはちょっとだけ笑ってしまった。
「どっちにしても悪くない初対面ね」
手をひらひらと振って、ぺたりと柵に寄りかかる。
みし、と木のしなる音がしたのはその時だった。それが甲板を踏む足音だと頭のどこかで警笛がなる。
首だけ捻って斜め後方を見ると、足音の主は予想通りの人物だった。
「こんなところにいると危ないぞ、アルベロ」
どうして、と思いかけ監視されていたのかも、と考える。素直過ぎると言われたオルテンシアの顔から疑問を感じ取ったのか、コラッジョーゾは何かを示すように首を振りながら背後を仰いだ。
「舳先でうろちょろしてる子供がいるって知らせてくれたんだ」
船は衝突の事態などに備えて不寝番が見張り台にいる。一際高いマストの上をつられて見上げ、オルテンシアは今度こそわかりやすく首を傾げた。
「なんであんたに知らせたんだ?」
「昼間一緒にいるところを見たんだろ。で、自分で落ちる気はないよな?」
「当たり前だろっ!」
噛み付くように答えて睨む。コラッジョーゾは肩を竦めて、オルテンシアの左隣で柵にもたれた。それを視界から追い出し、オルテンシアは目を閉じる。
冬の風を切りながら走る船。ずっと外にいたせいで指先は凍えるように冷たくなっている。
だが、冷えた身体だというのに左半身だけが妙に火照って緊張していた。
「船室で寝ないのか? こんなところで立ったまま寝るのは正気の沙汰じゃないぞ」
オルテンシアがゆっくりと目を開けると想像よりも近い位置にコラッジョーゾがいた。
「……目を閉じたからってすぐに寝られるわけじゃないよ」
悄然と答え、これみよがしに溜め息を吐いた。そのままコールヤ湾を見下ろし無言を貫くが、コラッジョーゾが立ち去る気配はない。
いよいよ困ってしまった。
コラッジョーゾは先程までのオルテンシアと同じように、遠くの海面に視線を投げている。
「あんた、いつまでここにいるんだ?」
「いくら眠れないって言ってもな。ここでうたた寝でもされて船から落ちたら問題だろう? ――お前くらいの年で寝ないなんて、どんな悩みだ?」
右を向いたコラッジョーゾは少しだけ困ったようにはにかんだ。大きな掌がぽんっと頭にのせられる。
それがからかいではなく、優しさから来る気遣いであることを、疑うのはもう難しかった。
その温かさを突っぱねるにはまた嘘をつかなければならない。
オルテンシアは気が進まなかった。
……変な人。
何故、自分はこんなことを言おうとしているのだろう。
まじまじとコラッジョーゾを見て、自らの心境の変化よりも、コラッジョーゾの掌のせいだと思い込む。
言葉は勝手にオルテンシアの唇から溢れていた。
「……あんた、嘘をついたことある?」
次回は更新早めにしたいと思います。読んでいただきありがとうございました。感想等お待ちしています!