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求婚≠ロマンチック!? 【グラオベン大陸恋物語 短編集】  作者: straightree
第四章 〜仮面のゴンドリエール〜
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 耳に届いた声は水路の反対側から話しかけられているかのように遠い。

 何もかもが夢のようにとらえどころがなかった。視界が歪む。カップが大きくなり、小さくなり、左右にぶれる。

「アルベロ」

 そんなオルテンシアの肩をトマソが遠慮がちに叩いた。

「聞いているかい? 心当たりはあるかとコラッジョ殿が聞いているよ」

 アルベロが行方不明になった件を言うならばオルテンシアに任せる、と考えてくれたのだろう。トマソの瞳に宿る気遣わしげな色に感謝を覚えながら、オルテンシアは咄嗟に首を横に振った。

「…………ああ、あ、うん。心当たりはないよ。ちょっと思い出したことがあるけど、関係ないと思う」

「思い出したこととは?」

 間髪入れずに返された答えに内心しつこいと思いながらも、唇を尖らせ、演技を続行する。

「今回の件には関係ない感じだよ。僕の父さんが死んだのもその近くだから」

 それっきり、オルテンシアは押し黙ったままだった。コラッジョーゾがトマソに語る声が頭の中を反響し次第に消えていくのをうろんに聞く。肩に置かれたトマソの手で時折相槌は打ったが、オルテンシアが口を挟むことはなかった。

 どれだけそうしていただろう。二人の声が止んだことに気付いて、ようやくオルテンシアは瞬きした。視界が明瞭になり、視点がゆっくりとカップに合う。

 カップからは湯気が遠退き、冷えきっていた。

 コラッジョーゾが立ち上がりトマソに頭を下げる。

「――長々と失礼しました。そろそろお暇します。時間を割いていただきありがとうございました」

 あろうことか、歩いて帰る、と言い張ったコラッジョーゾに、オルテンシアも椅子から立った。

 彼は方向音痴だと自己申告したではないか。

「凍死したいの? 送って行くよ。――あんたがわかるところまで」


「休暇も今日までだな」

 既に慣れた様子でゴンドラに飛び乗ったコラッジョーゾは、空を仰いで溜め息を吐いた。

「ガンヴィッロは美しい街だな。しばらくぶりに景色を楽しんだよ。また三日は海ばかりだ。――ああ、あそこの橋の向こうでいい。あそこからならわかる」

「ルチェーナに帰るのか?」

 コラッジョーゾの示した目的地はすぐ目の前だ。あと水を三回か四回押せば辿り着く。

「ああ、船に乗ってな。ルチェーナへの定期便で帰る。その先は取り調べ再開だ」

 定期便――定期船は貴族の乗るような船ではなく、商いのために出るような船だ。四日に一度は船を出すとはいえ、余程の急ぎでなければ乗客は働く庶民ばかりである。

「わざわざ犯人の男の言葉を確認するだけに定期船なんかで来たのか?」

 言外に貴族なのに、と含ませてオルテンシアは嘲笑わらった。

 だがコラッジョーゾは笑わなかった。

「そうだ。冤罪や虚偽は困るし、それが動機だったからな」

「それが動機……?」

 聞き返したオルテンシアに肩を竦め、コラッジョーゾは水路にかかった橋を見上げた。数瞬太陽が遮られ、ゴンドラに橋の影が落ちる。

「――お前のお陰で楽しんだよ。仮面をぶつけられたり、転ばされたりな」

 大嫌いな貴族の客は破格の賃金をオルテンシアに渡した。

「嫌みか? 皮肉か?」

 ゴンドラが軽く左右に揺れる。止まる直前にコラッジョーゾが石畳へと跳躍した。

「いや……感謝だよ! 楽しかった!」

 呆然と石畳を見上げたまま、オルテンシアは櫂を握り締めていた。

 なんて顔で笑うのだろう。

 ……まさかこんな顔をするなんて。

 子どもみたいに、くったくなく。

 コラッジョーゾが背を向ける。隊服の腕章がひらりと舞った。

「せいぜい船旅の無事を祈っててやるよ! 渡し賃分くらいはな!!」

 叫んだオルテンシアはひとつの決意を固めながら、水路へと舳先を戻し、トマソの診療所に向けてゴンドラを漕ぎ出した。


  †  †  †


「だめだよ、オーリ」

「まだ何も言ってないわ」

 洗濯後の乾いた包帯を腕を使って巻きながらオルテンシアは頬を膨らませた。

 薬の残量を確認しながら、トマソが首を振る。

「君がそんな顔をしてる時は何かたくらんでる時だ。悪戯や誰かに迷惑をかけそうなことをする時にね」

「さすがに長い付き合いね」

 トマソが家を――高台に立つ城を出て、この場所で診療所を開いてから六年が経つ。身体の弱かった母ジェンマは開設当時からトマソの患者だ。つまり、オルテンシアがまだ一桁の歳の頃――アルベロを始終泣かせていた頃からの付き合いになる。

「しばらく母さんを頼んでもいい?」

 オルテンシアは上目使いにトマソに頼んだ。

「オーリ、そこまで言ったら何を考えてるか聞かなくてもわかるよ。だめに決まってるだろう?」

 トマソは薬瓶を棚にしまい振り返った。眉を寄せ、唇を引き結んでいる。鳶色の瞳は冷たく細められ、呆れたように手が額に当てられた。

「それでも頼みたいの」

 ふぅ、と吐かれた溜め息から逃げるつもりはない。真っ直ぐにトマソを見つめ食い下がったオルテンシアは、勝利を確信した。

 トマソが肩を落としたのだ。

「行くのかい?」

「ええ、行くわ」

 強く肯定し、オルテンシアは握った左手を見せつけるように目の高さまで挙げた。トマソに指輪を示し、苦く笑う。

 意図は伝わる筈だ。トマソだってアルベロを弟のように可愛がっていたのだから。

「わかったよ。ジェンマのことは気にしなくていいから。――君はアルベロと違って言い出したら聞かないからね」

 強情だ、と暗に言われるも、オルテンシアは笑った。そうでなかったらアルベロのかわりにゴンドリエールは出来ないし、知りたいことの答えも得られない。

「ありがとう、トマソ」

 指輪を一撫でし、うっすらと緑の瞳を眇める。

 ようやく手がかりを得たのだ。

 訳もわからぬまま半身を失った一年は長かった。犯人が公都ルチェーナにいるというならば、オルテンシアはそこに向かうのみ。

 自分で言うのも変な話だが、目的へ猪突猛進がオルテンシアの人生観だ。

「行く前にもう一仕事してくれるかい?」

 トマソの要望を断る理由はないので、表情だけで続きを促す。

「親父のところへ送ってくれ」

 オルテンシアはこっくりと頷いた。容易い御用だった。


「約束のない者は入れられないぞ」

 城へと続く水路はしっかりと鉄柵に守られている。左右の通路、その左手から声がかけられた。見れば水路番が不審そうにゴンドラを睨み付けている。

 その言葉にトマソが片眉を上げた。

 ……まぁ我が家に入るのに約束が必要だとか言われたらああなるわよねぇ。

 だが――。

「と、トマソ様!?」

 石造りの番小屋から慌てて出てきた男が、ガシャンッと柵を揺すり、同僚か部下だろう水路番に青くなって怒鳴る。

「おいっ、開けろ! すいません、こいつほんとに雇ったばっかりで……」

 呆気にとられた水路番に舌打ちし、男が脇のレバーを引いた。鎖の巻き上げられる音と共に水滴を垂らしながら、徐々に鉄柵が口を開けていく。

 水を押したオルテンシアは心中で嘆息した。

 実は城の中までトマソを送ったのは初めてだ。多少の問題はあったが、オルテンシアごとあっさりと中に入り込めたことに驚きを覚えた。

 ……トマソってやっぱりえらい人だったんだね。

 トマソが変人トマソ(エッチェントマソ)と呼ばれるような変わり者でなければ、オルテンシアが関わることは一生なかっただろう。

 ゴンドラから通路へと足を下ろしたトマソはオルテンシアを手招きする。てっきり待たされると思っていたので、オルテンシアは狼狽した。

 その様子にトマソが苦笑する。

「なら、ここで待ってるといいよ。すぐに済むから」

 こくりと頷き、ゴンドラの上できょろきょろと周囲を見回す。

 以前何度か客を運んだことのある大聖堂は美しい薔薇窓が左右に造られ水路にとりどりの光を落としていたが、この城の水路は薄暗い。三方を石壁に囲まれており、開口部は大運河への出入り口しかなく、強い太陽光でその先は真っ白になっている。松明を灯す台があるが、日中は自然光だけにしているのだろう。

 トマソは最奥の階段を軽快に上がって行った。

 ……定期船が出るのは確か昼前だったわよね。

 昔、父がよくオルテンシアを乗せて港に連れて行ってくれた。その時ゴンドラから見上げた船は子供のオルテンシアにはこの世で一等大きな船に思えたのだ。

 父親っ子だったオルテンシアを父は連れ回した。一子相伝と言うべき――大抵は父親が息子に教えるが、息子がいなければ弟子をとることもあった――ゴンドラの操船術をオルテンシアが覚えたのは、そんな経緯があったのだ。

 逆に、アルベロは母ジェンマの体質を濃く受け継ぎ、少し身体が弱かった。父も母も、どうして逆に生まれなかったのかと心底残念がった。

 何故ならゴンドリエールは男の仕事だから。

 十二歳の時にオルテンシアはトマソの診療所で手伝いを始め、アルベロも父と共にゴンドラに乗り本格的にゴンドリエールへの道を歩み始めた。でも実は、これは両親も知らなかったが、たまにオルテンシアはアルベロのふりをして父とゴンドラに乗っていた。

 トマソはだから二人の入れ替わりに慣れているし、しかも今も尻込みせずに協力してくれるのだろう。

 ――で、ルチェーナに着いたら犯人はどこにいるのかしら?

 ガンヴィッロの場合、城の側に警ら隊の詰め所がある。犯罪者は大抵はそこで牢に入っているか、どこか流刑地に送られることになる。

 ……もう流刑地に送られたってことはないわよね。コラッジョがわざわざガンヴィッロまで聞きに来たくらいだもの。

 きっと公都警ら隊の建物のどこかにいるに違いない。

 ――そこに入り込めるかしら。うーん……無理かもしれないわよね、厳重に警備してるだろうし……じゃあ、コラッジョに頼んで……でも貴族に頼むなんてしゃくだわ!

 どうしよう、と櫂に顎をのせ考え込んだオルテンシアは石段を降りる音に顔を上げた。トマソは本当に僅かな時間で紙を二巻き手にして帰って来た。

「ほら、親父に一筆書かせた。通行証兼身分証明書だ。これがあれば万が一見咎められても大丈夫だろう」

 慌てて櫂を抱き込み、トマソの手から渡された巻物を開く。

「これを見せれば無料ただで定期船に乗せてもらえるから。君のことだからどうせ密航でも考えていたんだろう?」

「バレてた? だって余分なお金なんて僕にはないしね」

 はぁっ、と呆れた溜め息を溢され、さらにトマソはもう一巻きを開く。

「これは犯人に面会する時に警ら隊の人に見せるんだよ? 親父の、ガンヴィッロ卿の署名入りだから、その男がよっぽど凶悪で牢の中で暴れてる最中でもない限り会える筈だ」

「こういうのが至れり尽くせりって言うの?」

 感謝を上手く言葉に出来ず、オルテンシアは軽口を叩いた。

「馬鹿なこと言ってないで、本当に気を付けるんだよ?」

「うん、わかった」

 とりあえず巻きなおし、オルテンシアはトマソに通行証兼身分証明書を渡すと、櫂を握る。くるりと舳先を入れ換えると、水を押した。

 ゴンドラが光へと滑り出す。

「……ありがとう、トマソ」

「頼むから、無茶はしないで。アルベロとジェンマに合わせる顔がなくなってしまう」

「わかってるって!」

 目を細め、オルテンシアは快活に笑った。

 事情を知っているだろう犯人がわかったのだ。切れ者の隊長の存在は多少目障りだが、見付からなければいいだけの話。

 ――待ってて。必ず見つけるわ、アルベロ。

 指輪に目を落とし、オルテンシアはぐっと視線を強くする。

 緑の瞳が太陽光を拒むように濃く色を変えた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。またお気に入り登録もうれしく思っています。次話も早めに更新したいと思います。よろしくお願いいたします。

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