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 軽やかにルッカが去ってしまった執務室には重い空気が充満する。

 それでもこれだけは聞かねばなるまい。

「あ、あの……お手紙を書かれたのは一体どなたなのでしょうか?」

 弾かれたように振り向いたジェネローゾは言葉に詰まると目を反らした。

「フェルナを訪れる前はジェネローゾ殿下だと思っておりました。フェルナに来てからは誰か別の方が書いたのかもしれないと……どうか真実を教えて下さい。あの手紙はわたくしの――宝物なのです」

 すがるようにジェネローゾの横顔を見つめて、マルゴットは懇願した。

 ジェネローゾはマルゴットを見ないまま、口を開く。

「……あれはわたしが書いたものです」

 目を見開いたマルゴットは気付いた。ジェネローゾの耳元が真っ赤に染まっている。

「書いたが出せなかった……わたしの本心だ」

 歪めた頬は苦々しげで、けれどマルゴットは再三ルッカが言っていた言葉を思い出した。

「失礼だったなら申し訳ありませんが……まさか、照れておいでですの?」

 サッとジェネローゾの頬にまで朱が差す。彼は視線をさ迷わせながらも、苦笑と共にマルゴットと向き直った。

「わたしも、本心を話すのが苦手でね。特にあなたには……」

 目を反らすことも出来ずに、マルゴットは正面から彼を見てしまった。

 目許に照れを滲ませた気恥ずかしそうな微笑。紺碧の瞳がマルゴットに向けて和むのは、初めてで。

 それがどうしようもなく嬉しくて、マルゴットの胸に高鳴りを寄越す。

 しばし見つめ合い、マルゴットは微笑んだ。

「では、やはりお伝えするべきですね」

 マルゴットの二度目の婚約が決まり手紙を読んだあの日。それから心の中で何度も反芻し、もう短く簡素な文面は覚えてしまった。

 そこから受ける真摯な想いとフェルナで出会ったジェネローゾとは解離している。彼は自分には始終苦虫を噛み潰したような顔をしているか、怒っているかのどちらかであったが、今日マルゴットにルチェーナを見せてくれたのもそのジェネローゾだった。

 ひとつゆっくりと息を吸う。

「フェルナはセトルとは全く違います。確かに、日差しも強く、風もセトルの比ではありませんし、習慣も言葉も違う。けれど、わたくしはこの国の活気に驚きました。素晴らしい国だと思います」

 セトルにもこの活気が戻ればいい、と羨ましく思う程。

 マルゴットには目に毒な柔和な笑みを深めたジェネローゾに、彼は真実を手紙に書いていたのだと思う。

 ……殿下はフェルナを誇りに想っておられるのね。

 そのフェルナを――。

「ジェネローゾ殿下と共にフェルナを育てる……わたくしにそのような大それた力があるとは思えませんが……」

 マルゴットは王女だ。その身分でセトルとフェルナの架け橋にはなれる。だがマルゴット自身が今現在何かを出来るわけではない。

 それでも。

「たゆまぬ努力を致します。その覚悟をしました」

 真っ直ぐにジェネローゾを見つめて、マルゴットはそう告げた。

 頬が火照る。

「そして――わたくしは手紙を書いた方を、わたくしに意見を言ってくれとおっしゃってくれた方を――お慕いしております」

 ジェネローゾは目を見開いた。


「それは……わたしをその、そういった意味で好きということですか……?」

 怪訝そうに、けれどどこか熱がこもった問いがジェネローゾから発せられた。

 頷きかけたマルゴットだったが、彼は続けて口を開く。

「しかしあなたは兄上の婚約者だったし、フェルナを訪れてすぐに兄上にお会いしたいと言わ――」

「ただ、リノチェロンテ殿下に謝罪をしたかっただけなのです。わたくしは四年も婚約した方よりもたった一通の手紙に心惹かれてしまいました」

 彼に最後まで言わせず、マルゴットは言い切った。

 そしてあの時、罪悪感と不謹慎さを胸に謝罪をしたのは、王女ではない。

「わたくしは父より政略結婚に心の意味を見出だすものではない、と教えられてきました。また、政略結婚は王族の義務だと思っています。リノチェロンテ殿下との婚約はそういうものでした」

 私室に肖像画を飾っていたのも、別に好きだったからではなく、ただそこに置かれたインテリアのひとつだ。先程のジェネローゾのように、じっと見つめた覚えもない。

「けれど――ジェネローゾ殿下のことは王女としてではなく、ただのマルゴットとして、好意を抱いております。そういう意味ですわ」

 王女としてしか好意はない、ただのマルゴットとしての好意は受け付けない、と言われるのは嫌だったが、けれど言わずにはおれないマルゴットの本心だ。

 すがるように見上げたジェネローゾは真顔だった。

 しかめても、怒っても、微笑っても、無表情でもない、真摯な顔。遜色ない容姿のせいで、どこか厳しささえ感じさせる顔でマルゴットを見下ろし、彼は一歩前に出る。

「あなたはわたしの婚約者だ。ルッカには絶対に、いやルッカだけでなく誰にも、あなたを渡す気はない」

 断じる声に歓喜が胸に溢れる。

「マルゴット」

「はい」

「手放す気はありません。そちらの覚悟も出来ていますね?」

 ゆっくりと頷いた。

 ジェネローゾがまた一歩近付く。その足さばきに戸惑いと期待を感じながら、マルゴットもまた何かを待つように鳶色の瞳を揺らめかせていた。

 一歩、一歩、と足を進め、手を伸ばさずとも触れるような距離で彼はようやく止まる。躊躇いながらあげられた手がマルゴットの同じくらい熱い頬に触れた。

 吐息がかかるような近さで覗き込むと、ジェネローゾは眉間にしわを刻む。しかし、その目許も頬も耳も先程以上に赤く――。

「わたしと共に生きる覚悟を。わたしの妃としてだけではなく、わたしの――愛する妻として」

 憮然とした表情で照れを隠したジェネローゾの言葉に、胸を掻き乱される程の喜びを覚えながらも。

 ……確かにルッカの言った通り、意地っ張りで照れ屋なのね。

 と、マルゴットは心中で思うのだった。


  †  †  †


 ジェネローゾとマルゴットの結婚を待たずにフェルナ公キッソーゾは亡くなった。

 そして今日は今後祝日としてジェネローゾ公の御世で祭典が行われることになるめでたい日だ。

 ガッビアーノ宮殿だけではなくルチェーナ中が、愛らしい妃を迎える祭りの雰囲気に酔う中、星と月の光が注ぐ屋上にぽつりと人影があった。

 マルゴットがルッカに連れられ夜景に感嘆の声をあげたあの屋上だ。

「――やりとげましたな、殿下」

「サレッゾ……」

 階段を昇って来た外務大臣グリッロに、少年は微笑んだ。心からの笑みであろう筈なのに、少しだけ憂いが見え隠れする。

「殿下も知っておられたのでしょう? リノチェロンテ殿下が国庫に手をつけておられたことを」

 少年の隣に立ってルチェーナの街並みを見下ろしたグリッロの問いに返答はなかった。

「周囲には驚く程の出来た公子だと思われていた方でしたが……。亡きキッソーゾ陛下は公子の裏に全く気付いてはおられなかった……知っておられたのですね」

 遠くの港に明々と光が灯っている。ルチェーナ全体が真昼のように明るい。

「リノチェロンテ殿下があのままフェルナ公となっておられたら、この美しきフェルナはどうなっていたでしょう」

「最悪。想像もしたくないよ。知ってた? リノ兄上はね、ガヤにセトルの情報を流していたんだ」

 森と水の王国セトルとガヤ王国は三年と少し前まで小競り合いを繰り返していた。戦はセトルの勝利で終わり、マルゴットの異母姉が英雄と呼ばれる男に嫁いだことは聞いていたが。

 ある時、見付けてしまったのだ。

 セトルとフェルナは友好国だ。当然セトルの王宮にフェルナの者も数人いた。

 彼らのうちの一人がリノチェロンテに出した書簡にはセトルの戦略が書かれていたし、逆にガヤから送られて来た書簡には感謝の言葉が書かれていた。そこにはさらにセトルの貴族すら関わっており、嫌悪に吐き気すら覚えた。

「兄上はうかつだよ。僕なら燃やしたりして証拠は残さないようにするけど」

「……本当のことですか? あの方ならありえるでしょうが……まさかそこまで……」

「僕はガッビアーノ宮の中を自由に行き来していたんだよ? 僕しか知らない抜け道もあるし」

 ふふ、と微笑ってルッカはグリッロを見上げた。

「ほら、毎年マルゴットさまの肖像画が贈られてきたでしょう? あれをリノ兄上は捨ててたよ。リノ兄上にとってはマルゴットさまはただのお飾りでしかなかったんだ。……ま、後でジェネ兄さまがこっそり拾って隠してたけどね」

 彼は、リノチェロンテは意のままにならないことに目を背け続けてきた。そのくせ、野望だけは大きい卑屈な男だ。ルッカとジェネローゾを見る目付きはうろんで、いつか自分から玉座を奪うのではないかと猜疑心の塊のようだった。

 ジェネローゾは違う。

 厳しいことを言うけれど、それはルッカだけではなく、自分にも厳しいから、それに気付いた時に公平な方だと思った。そんなジェネローゾがリノチェロンテを詰るでもなく、そっと肖像画を隠す姿を見て、胸を打たれた。

「ガヤがセトルを征服したら半分をフェルナに併呑する密約が交わされていたんだ。でも、そんなことしてどうするの?」

 そもそも戦うのはリノチェロンテでなく、兄が密約を交わしていたガヤ王でもなく、セトルとガヤの民人だ。リノチェロンテは卑怯にも自分が安全な場所にいて、領土を拡大させようとした。

「血で得た玉座は血で購うことになるというのに兄上はわかっておられなかった。そう、父上も――」

「だから偽者だと?」

 不慮の事故、と内外には伝えてある。

 実際にそうだったのかは定かではない。リノチェロンテが亡くなったのはルチェーナの娼館だった。

 執務の補佐をしていたのは実質ジェネローゾで、彼は責任を放棄し、遊び回っていたのだ。

 そして刺された。

「そうだよ。でも兄上の外面の良さと内面の歪みが招いた自業自得ではないかしら」

 あの日、飛び込んできた急使に宮廷医師たちは色めきたった。偶然か神の思し召しか、ルッカはそれを聞いていた。

 慌てる彼らにルッカは力説したのだ。

『リノチェロンテ兄上は品行方正な方です! 娼館など行く筈もない!! それは兄上に対する侮辱だっ! その男は兄上を貶めたんだっ!!』

 そう言って急使を、リノチェロンテの遊び仲間を閉じ込め、リノチェロンテはその間に息絶えた。最も急使に促され、すぐに宮廷医師たちが向かっても助かったかどうかは誰にもわからないが。

 父であるフェルナ公キッソーゾは真実に気付いて落胆し、そしてリノチェロンテの死因を不慮の事故として処理させたのだ。

「末恐ろしい方ですな、殿下は」

「でも僕は野心がないもの。ジェネ兄さまにとってかわろうなんて思っちゃいないよ」

 邪気など全く見せず清々しく笑って、ルッカは柵にもたれ掛かる。

 その笑みが徐々に陰った。

「それに――僕は本当はフェルナ・ヴィットーリオを名乗れないことも知っている。本当の父のことも」

 グリッロが目を見開くのを横目で捕らえ、力なく笑う。

「……いつかジェネ兄さまも気付く。僕が何をしたか、僕が何者か」

 怖い、と思った。

 ジェネローゾに嫌われることはルッカが世界を無くすことと同義だ。それ程に自分はジェネローゾに心酔している。

「その時は――助けてくれるよね?」

 揺らぐ目を見て、念を押すとルッカは伸びをした。

「だからそれまでは黙って見ててね、サレッゾ」

「……あなたさまは間違いなくフェルナ公子ですよ」

 絞り出すように告げたグリッロに天使と見紛う微笑みを見せたルッカは階段に向かって駆け出した。

「少なくともリノチェロンテ公子よりはずっと。民の命が決して軽いものではないことを知っておられるのだから。国の行く末を案じる心こそがフェルナ公子の持つべき未来への心なのですから」

 グリッロの独白は、フェルナ公ジェネローゾとセトル王女マルゴットの結婚に湧くルチェーナの街に、静かに吸い込まれていった。


読んでいただきありがとうございます! 以上でマルゴットを主人公とした《第三章》は終了です。《第四章》は同じく海洋公国フェルナが舞台ですが、ゴンドラが出てくる予定です! 次章もよろしくお願いいたします。良ければ下の☆を★に! 

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