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 執務室の空気が凍りついた。

「兄さま以前に言っていたじゃない。公太子のリノ兄さまを補佐するのが役目だって。今だって父さまが寝込んじゃったから、父さまの代理をしてるんでしょう? だったら僕が公太子になるから、義姉さまをちょうだい」

「ルッカ!?」

 衝撃が荒波のように襲いかかるが、ようやく口を開いたマルゴットは悲鳴のようにその名を呼んだ。けれどルッカは滔々と話し続ける。

「そもそも兄さまは義姉さまと話をする気もなければ仲良くされる気もないみたいだし、ちょうどいいでしょう? 僕が公太子になれば義姉さまと僕が結婚しても何も問題はない筈よ? 義姉さまは公太子妃の名目でフェルナに来るんだもの。――最初はリノ兄さま、次がジェネ兄さま、だったら僕でもかまわないでしょう?」

 そう、理論的には確かにそれで構わない筈だ。

 唖然と口を開けたままマルゴットはジェネローゾへ視線を送る。

 ジェネローゾは顔を歪めていた。

 ……なんて答えられるのかしら?

 むくむくとマルゴット自身が戻ってくる。それになんとか蓋をして、マルゴットは瞳から表情を消した。

 ルッカがぎゅっと掌を痛いくらい握りしめてくる。

 圧迫するような緊張感が執務室を支配していた。

「……冗談でもそのような妄言を口にするな」

 やっと口をきいたジェネローゾにルッカは微笑みすら浮かべ、まるでわざと逆撫でするように口調を変える。

「どうして冗談だと思うの? 僕は本気だし、義姉さまは――マルゴットさまはお話すらしない方に好きも嫌いもないとおっしゃっていたもの」

「ルッカ!! だめよっ!!」

 ――ジェネローゾ殿下になんてことを言うの!?

 表情を変えたマルゴットの視線は時計の振り子のようにルッカとジェネローゾを行き来した。

 ルッカの瞳が好戦的にジェネローゾを捕えている。

 背筋が粟立つ程の冷気が、ジェネローゾから流れてきた。足元から震えが昇ってくる。

「……出ていけ」

 低く、地を這うような声は呟きよりも小さかった。けれどマルゴットの耳は正確にそれを聞き取り、激怒を肌が感じ取る。

「マルゴットさまを僕にくれる?」

 ルッカはあっさりとジェネローゾの怒りを無視し、にっこりと笑う。なまじっか愛らしい容貌をしているためにむしろ恐怖すら覚える、冷ややかな笑顔だ。

「もう一度言う。執務室を出ていけ、邪魔をするな。――マルゴット王女、あなたも出ていってくれ」

 くるりと背を向けたジェネローゾを見て、ルッカが満足そうにマルゴットを見上げてくる。慌ててマルゴットはルッカの手を引き、執務室を後にした。


「兄さまってば本当に意地っ張りなんだから」

 扉の前で腕を組んだルッカは吐き捨てるように言い切った。今しがた執務室で見たもの、聞いたことが信じられなくてマルゴットは目を見張る。

「義姉さま大丈夫……?」

 ルッカがマルゴットのドレスを掴むと、そっと揺らした。

 向き合ったマルゴットは小さく頷く。

「ルッカ、さっきの……」

 衝撃から抜けきれないまま、ぽつりとマルゴットは呟いた。

 二人の兵士から隠れるようにマルゴットを促したルッカは、角を曲がり、隠し通路を通り過ぎると、頬に手を当てる。小首を傾げ、上目で見上げる愛らしいルッカの瞳に、先程までの不穏な感情はなかった。

「僕、本気だよ? 義姉さまが大好きだし、でも――」

 ふと遠くを見つめ、苦悩するように目をぎゅっと瞑ったルッカは呻いた。

「でも、僕知ってるんだ」

「ルッカ……?」

 心配になってマルゴットはルッカの肩に手をかける。子供と言うには太く、それでも少年と呼べる程ではない細い肩。パッと目を開けたルッカはマルゴットの手を取った。

「義姉さま、ついてきて」

「ルッカ、どこへ――」

「しぃっ! 静かにして」

 再び隠し通路に戻る。どこへ、と疑問を浮かべながらも、マルゴットはルッカの後に続く。

 ……知っているってなにをかしら?

 時折漏れる光を弾き、ルッカの跳ねる金髪がキラッと煌めくのを見ながら考えていると。

「低くなってるから気をつけてね」

 囁いたルッカの言葉通り、隠し通路の脇道の天井は随分と低くなっている。ルッカは大丈夫だったが、マルゴットは腰を屈めなければならなそうだ。

 ドレスをたくしあげ、頭を低くさせる。脇道に入り込んだマルゴットは、ルッカの顔が目の前にあることに驚いて声をあげかけた。

 が、ルッカの掌が素早くマルゴットの口を塞ぐ。反対の手でシーッと人差し指を唇に当てると、静かに、と身振りで示してきた。こく、と頷くと唇から掌が離れていく。

「僕、義姉さまも好きだけどジェネローゾ兄さまのことも大好きなんだ」

 ふふ、と唇を斜めにしてルッカは悪戯っぽく笑っていた。

 どこからか光が漏れているのだ。それも先程髪を煌めかせていた以上の量の光。開口部が近いのかもしれない。

 ルッカの背後を覗き込むと隠し通路に光の帯が溢れている。足音を忍ばせた二人はその中でも一際光が漏れる場所を目指した。

「……義姉さま、ここから覗いてみて」

 言われるままにマルゴットは指一本分程の隙間から中を覗く。

 手前に見えるのは本の上の部分だ。たくさん並べられているのを見るからに、書棚の裏に当たる部分だろう。その向こうには書類に溢れた机がある。積まれた本と雑多な紙の束。

 執務室だった。ちょうど一番奥が先程ルッカと二人でくぐった扉だ。

 そして。

 ――ジェネローゾ殿下……。

 きちんと撫で付けられた前髪に乱暴に手を突っ込むと、彼はぐしゃぐしゃと髪を乱していた。眉間に寄せられたしわは、数さえわからなくなりそうなくらい深い。

 そして唐突にこちらへと歩いてくる。

 思わず息を飲んだ。こんな風に覗いたことがバレたら、ちょっと想像もつかない程に恐ろしい目に合いそうだ。

 だが、ジェネローゾに気付いた様子はない。彼は力なく椅子に座ると、机の上の書類を片付けはじめる。紙を束ね、本を積み上げ、そして一番下にあったものを起こし――。

「な……に……?」

 二人が執務室に入った時に聞いた、カチャン、という微かな音の正体。

 何故、そこにあるのだろう。執務室に籠りきりだったジェネローゾが、何故それを一番時間を過ごす場所に置いているのだろう。

 そして、何故それを持ち上げ、見つめているのだろう。

「……わたくしの、肖像画……?」

 ジェネローゾは身動きひとつせずに、椅子に座って掌ふたつ分の大きさの肖像画を眺めている。

 栗色の髪を結い上げ、鳶色の瞳を和ませて、今より幼いマルゴットが微笑んでいる。ジェネローゾの背後にいるマルゴットからは、それがいつ描かれたものかわかる程に細部までしっかり見えた。

「……あれは確かリノチェロンテ殿下に贈ったものだった筈です。十二歳の時に描かせた絵だわ……」

 声を抑えてマルゴットは吐息と共に言葉を発する。

 ……どうして?

 疑問がぐるぐると頭の中を回っていた。答えが欲しくて隣のルッカを見やると、ルッカは微笑む。

「あれね、ここ二年の間ジェネ兄さまの宝物なんだよ」

「わたくしの肖像画が宝物……?」

 宝物とはどういう意味だろう。

 ――宝物ってことは大切なもの、って意味よね……。

 マルゴットの宝物はあの手紙だ。それを読む度に、温かく、どこか嬉しい気持ちになる。

 では、ジェネローゾもマルゴットの肖像画を眺め、同じような気持ちを覚えるのだろうか?

 ……でもそれは、どうして?

 もう一度、ジェネローゾに目をやると彼は片手で顔を覆っていた。

 広い肩が小さく震えている。

 そんな風に感情を現すジェネローゾをはじめて見たマルゴットは、目を反らすことも出来ずに、思わず隙間に手をかけた。

 ルッカがマルゴットの手を抑えてそれを止める。

「義姉さま、ちょっとそちらの壁際に下がって」

 言われるままにマルゴットは背を壁に当てる為に身体を反転させた。

「こうですか? え!?」


 突然、光が飛び込んできた。

 否、マルゴットが光へ飛び込んでいる。宙を浮く一瞬の感覚と共に、大きく悲鳴をあげていた。

「きゃあああっ!!」

「――マルゴット王女!?」

 がたん、と椅子を倒して立ち上がったジェネローゾの横に無様に背から倒れ込む。慌てて散らばった本の中から身体を起こし、何が起こったのか悟ったマルゴットの顔面がすっと色をなくした。

 蒼白な顔をしたままマルゴットは助けを求めて自分が出てきた隠し通路の開口部に目をやる。

「後はちゃんと兄さまとお話してね!」

 愛らしい笑顔を浮かべてルッカが片目を瞑って見せた。

「る、ルッカ!!」

 そんな、と途方に暮れたマルゴットの横で、ジェネローゾが息をひとつ吐く音がする。その冷ややかに落とされた音を浴びて、我知らず背筋がすっと伸びた。

「……そんな場所でルッカと何を遊んでおいでです」

「そ、その――」

 叱られるのはわかっていた。マルゴットたちのしたことは覗き行為だ。どう贔屓目に見ても一国の、それも他国の王女がすることではない。

 それでも。

 勇気を振り絞ったマルゴットは、ルッカからジェネローゾに視線を移した。

 大きく息を飲むと、手を組み、真っ直ぐに彼を見つめる。

「決心をしました」

 言葉にした途端に動揺は消えた。

「なにを……」

「殿下と共にフェルナを育てる覚悟です。フェルナはセトルと全く違う、けれど素晴らしい国だと思いましたから」

 執務室の窓からはフェルナで初めての夜に見たあの景色と同じ、海と港とルチェーナの街並みが明るい太陽光に晒されている。その下の人々の生活を、昼間の光景を思い出しながら、マルゴットは微笑んだ。


 ジェネローゾは微かに首を傾げると、目で見える程に狼狽した。

 衝撃を受けた顔というのもマルゴットが初めて見るジェネローゾの表情だった。

 ……そして、こんな顔をされるということは、わたくしへの手紙を書いたのはジェネローゾ殿下ではないのね。

 予想していたが、予想以上の落胆を、そして悲しみを覆い隠し、マルゴットはジェネローゾを見つめ続けていた。

 だが――。

 慌てたように動いたジェネローゾは、執務机の引き出しを乱暴に開ける。

「まさか!?」

 がさがさ、とそこを探っていたジェネローゾが呻いた。再び上げられた顔はマルゴットを素通りし、色を深めた紺碧の瞳はルッカを刺す。

「ルッカ!! お前まさかここに入っていたものを――」

「うん、サレッゾに渡しておいたよ? だって兄さまそれ書いたのリノ兄さまが亡くなった直後なのに出す気配ないのだもの」

 あっさりと肯定したルッカに、ジェネローゾはドンッ! と机を叩いた。

「勝手に執務室に入るなとあれほど言っただろうが!」

 怒鳴るジェネローゾにマルゴットは、びくっと首を竦める。それをちらり、と横目で見たルッカはわざとらしく溜め息を溢した。

「兄さま、僕を怒る前に義姉さまに言うことあるでしょ? 僕は退散するから頑張ってね?」

「ルッカ!!」

「ルッカ!?」

 言ったが早いがルッカは身を翻す。ジェネローゾの怒気を孕んだ声にもマルゴットの助けを求める声にも振り向かず、隠し通路へと消えていった。


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