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 マルゴット自身はルッカに慰められていたものの、婚約者としての滞在は苦痛なものになってしまった。

 フェルナに着いて一月を越えてもジェネローゾと個人的に会話したのは数える程しかない。その会話も余り良い思い出ではなく、微笑みはおろか、優しい言葉をかけられた覚えもなかった。

 それでもその数少ない機会に、どうしても聞きたいことがあったのに――。

「どうしてかしら……」

 手紙を書いたのはジェネローゾかどうか確認するだけの簡単な質問。

 枕元にそっと手紙を置いて眠るのが習慣化している。乳白色の手紙を表にしたり裏にしたりしながら、マルゴットは毎晩悩んでいた。

 ……失礼にならない聞き方でしたらいくらでも思い浮かびますのに。

 その問いを口にするのがひどく恐ろしかった。

 ジェネローゾに怒られたり、呆れられたりするのが怖いだけではない。

 ――もしも殿下に違うと言われてしまったら……。

 そしてその可能性は高いように思う。

「そんな答なんて聞きたくないわ……」

 マルゴットには何故それが怖いのかわからなかった。

 聞かなければ、と思う。機会、というのは多くはないが、なかったわけではない。

 信じられないことに一度だけジェネローゾと二人きりになる時間があった。ところがその時もジェネローゾは怒って――激怒していたし、マルゴットの口はというと饒舌とは言い難い状態で、しかも彼はマルゴットを誤解している。

「リノチェロンテ殿下のことを好きなわけではないですのに……」

 重く溜め息を吐き、マルゴットは手紙を見つめた。

 乳白色の手紙はマルゴットの気持ちを温かいものに変えてきた。慣れぬ船旅に不安で仕方なかった時も、新しい婚約者に戸惑いを捨てきれなかった時も、いつだって心に灯が、ぽぅ、とともるような、そんな宝物ともいえる存在である。

 けれど、フェルナで日々過ごす内に、効き目は薄れてきてしまったのだろうか?

 焦りと不安はジェネローゾの態度と比例し、もう手紙だけでは落ち着かなくなってしまった。

「せめて……これを書いた方がジェネローゾ殿下だと確認出来たら……」

 だが、確認したところでどうだというのだ。枕に額を擦り付け、マルゴットは悲しい気持ちになる。

 ジェネローゾに嫌われていることに違いはない。

「でも、少なくとも手紙を書かれた時はわたくしのことを嫌っていなかった筈よ……なお悪いかも」

 自分の言葉に落ち込む。つまりは会ってみてマルゴットを嫌いになったということだ。

 嫌われる理由は多分――マルゴットが王女としては浅はかな行動と言動を頻発するから。

 ジェネローゾは若くしてフェルナ公キッソーゾの補佐をしていると聞いている。その彼から見てマルゴットは物知らずだと思えるのかもしれない。

 マルゴットとてセトルの王女だ。他国の賓客を王妃に代わり応対したこともあるし、これまで十四年間培ったものもある。

 何故その仮面がジェネローゾには使えないのか? ルッカにすら完璧な王女として接することは出来る。威圧感が理由だというのなら、ジェネローゾよりも怖い相手は多々いた。

 疑問ばかりが増えていく。

 ――寝不足だと馬車に酔ってしまうわ。

 明日もまた視察が組まれている。

 無理にでも寝なければ、とマルゴットは手紙を枕元にそうっと置いた。安眠は期待出来そうになかったが、自らの内から湧き出る問いにマルゴットは答えを持たなかったから仕方のないことなのかもしれなかった。


  †  †  †


「――変更?」

 いつものようにマルゴットが主室に出る。

 そこには外務大臣でありセトル使節の接待を責任するグリッロやフェルナに滞在するアルノルート卿の他に、当然のようにルッカもいる。彼は最初の視察の時からずっとマルゴットと行動を共にしており、ガッビアーノ宮の中で誰よりも気安い存在になっていた。

 そのルッカが満面の笑みを見せる。

「今日は義姉さまは疲れが出て倒れたことにしたの。ね、サレッゾ」

「どうかルチェーナの町を存分にお知り下さい」

 穏やかに微笑んだグリッロに困惑し、マルゴットは周囲に視線をさ迷わせる。

「けれど、わたくしが視察に行かなければ……」

 アルノルート卿まで頷きを返すのを不審に思いながら、マルゴットは戸惑いながら口を開いた。

「セトルの方々は私が大臣閣下と共にご案内しますから、王女殿下はルッカート殿下とどうぞ――ただし、お忍びとはいえ護衛をつけていただきますがね」

 不意に喜びが胸を熱くする。

 ――とうとうルチェーナを自分で歩けるのだわっ!!

 いまだジェネローゾに確認出来ていないものの、手紙に書かれた活気を肌で感じることが出来るのだ。これ以上嬉しいことがあるだろうか。

「あ、ありがとうございます!!」

 躓きながらも礼を口にし、マルゴットは瞳を輝かせた。

「ではお召し替えを。その格好では騒ぎになってしまいますからの」

 グリッロとアルノルート卿の穏やかな顔を見返し、マルゴットはゆっくりと頭を下げた。それでも少ないと思える程、嬉しい変更だった。


 マルゴットは簡素なドレスに着替え、洗い立てのまっさらなエプロンを着けていた。

「義姉さまは何を着られてもきれいねっ!」

 そう言うルッカもまたシャツに半ズボンという膝小僧が微笑ましい格好だが、天使のような容姿を損なうものではなく、粗末な服の内から光るような神々しさがある。

「ルッカも似合うわ。素敵よ。――さ、わたくしをどちらに案内してくださるの?」

 手を繋いで歩きながらマルゴットは微笑んだ。

 護衛は近すぎず遠すぎずの距離を保ったままついてくるが、気にならないよう気配を消してくれている。そのあまりに慣れた様子に、マルゴットは首を傾げた。

「ねぇルッカ。あなたはよくルチェーナをお忍びで歩くのかしら?」

 ん? と顔を上げたルッカはマルゴットの視線の先を辿り、納得したように頷く。

「彼らは兄さまの護衛だよ。僕は兄さまによく連れて来てもらうんだ。最も父さまが倒れてからは兄さまもお忍びで出歩くお時間が取れなくて、久しぶりなんだけど」

「ジェネローゾ殿下が……?」

 少しだけ寂しそうに俯いたルッカの頭を撫で、マルゴットは新たに沸いた疑問を口にする。

「では、ジェネローゾ殿下も予定の変更をご存知なのですね?」

 護衛から視線を戻しながらルッカを見下ろすと、幾度か言い淀む様子を見せている。軽く首を傾げ先を促したマルゴットの手をぎゅっと握ったルッカは微笑わらった。

「――実は、うん。兄さまには口止めされたけど、サレッゾを説得したのは兄さまなんだよ?」

「ジェネローゾ殿下が!?」

「うん。義姉さま来てすぐの時に言ってたじゃない? 兄さまが予定を調整してた」

 歓迎会の夜のことか。

 あの時あんなにも無表情だったというのに、彼は何故考えを変えたのだろう。信じられない想いで護衛を振り返って、彼らを見つめる。

 よもやジェネローゾがグリッロを説き伏せたとは思いも寄らないことだった。彼は怒ったり呆れたりしてはいなかったというのだろうか。

 ……でもあんなに冷酷な目でわたくしを見ておりましたのに。

 ジェネローゾのことがよくわからない。

 仕草や表情は確かにマルゴットを嫌っているかのようなのに、どうしてマルゴットの望みを叶えてくれようとするのだろう。

 ――望み……?

 ハッと気付いてマルゴットは護衛からルッカへ視線を滑らせる。

「ジェネローゾ殿下にお礼を――」

「言っても知らないふりすると思うよ。兄さま意地っ張りの照れ屋だから」

 口角を上げて笑うルッカにマルゴットは首を傾げる。

 ――意地っ張りはともかく照れ屋はどうなのかしら?

 あの冷酷な瞳が照れだというのか。心中で首を振り、溜め息を溢す。

「行こう義姉さま! 僕が兄さまに見せてもらったところ、義姉さまに教えてあげる!!」

 手を引っ張るルッカに我知らず複雑な笑みを見せてしまい、ルッカの顔が曇った。慌てたマルゴットが声をかけるより早く表情が悪戯っぽく変化する。

「兄さまじゃなくて残念かもしれないけど僕で我慢してね?」

 にやっと笑ったルッカに今度こそ狼狽し、マルゴットは口をパクパクと開け閉めする。

 暫く口もきけずルッカの手に引かれるまま、マルゴットはルチェーナの街にくり出した。


 ……すごいわ!

 活気、というものはやはり自分の目で感じるのが一番良い。

 ――何をされているのかしら? あら、あんな風にはしゃいで! あっちはなに? それに、あら喧嘩? いいえ、労いの声を掛け合っているのね! 素晴らしいわっ!!

 肌が粟立つ程マルゴットは感動していた。ぎゅっと握った小さな手の強さに、ルッカが顔をしかめつつそれでもマルゴットを嬉しそうに見上げていることにも気付かないまま、周囲を見回している。

 馬車から見る比ではない。肌にぶつかるルチェーナの街の活気はマルゴットの想像を軽く凌駕していた。

 ――ジェネローゾ殿下もこの光景を見ているのだわ!

 目に焼き付けておこうとマルゴットは忙しなく顔を動かした。

 ――彼らの生き生きとした様子から殿下は何を思われるのかしら? わたくしは同じ目線に立てるように努力しなければ。

「ありがとう、ルッカ」

 溢れた感謝の言葉に、ルッカが不思議そうな顔で見上げてくる。

「義姉さま……?」

「わたくしが知りたかったことは、多分――ジェネローゾ殿下の視点なのかもしれないわ。民の生活というのは、わたくしたちに教えを与え、そして導いてくれます。彼らの顔がこのまま輝きを失わないように、わたくしも努力したいと思います」

 ジェネローゾの隣に立って、共に育てていけることは無上の喜びだ。何故なら彼は自らルチェーナを歩き、その活気を愛す、民を見つめる君主であるのだから。

 統治する者としてこれ程理想的な責任感を持つ者はいまい。王女としてしか必要とされていなくとも、素晴らしい伴侶であるといえる。

 たとえマルゴット自身が嫌われていたとしても。

 それすら忘れようと思える程の歓喜がマルゴットの胸を震わせていた。


読んでいただきありがとうございます。ユニークが1200人を越え、非常にうれしい! 次話更新を楽しみにしていただけるような物語を書いていければなと思っています。よろしくお願いします。

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