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「おきれいですよ」
「気休めはやめてちょうだい、エリーザ。わたくしは自分が美しくないことを知っているわ」
鏡の前で顔をしかめたマルゴットは、ふぅ、と息を吐いた。
「失敗は出来ないわ。お父様の名代ですもの」
これからマルゴットの歓迎会がある。未来の公妃が民の前で恥をさらすわけにはいかない。
気合いを入れてお茶を一息に飲み干すと、エリーザが目を丸くした。最もここまでマルゴットが緊張することは今までなかったから当然の反応かもしれない。
――もう失敗ばかりしているもの。これ以上ジェネローゾ殿下に呆れられたくはないわ。
鏡に映る娘は可もなく不可もない造作をしている。鳶色の瞳は少しだけ目尻が垂れており、髪と同じ栗色の睫毛は密集していたが長さがない。
……どうして兄妹でこんなに違うのかしら?
王太子である兄シュリヒトは母から新緑の瞳を受け継いだ神秘的な美青年だ。宮廷における人気も高く、年頃の娘たちの宴出席率は兄の存在で簡単に変わる。それは母譲りの美貌で、王妃の母もまた年は重ねていたがしっとりとした美しさを持っていた。
父もだ。父王ハイダルも整った顔立ちをしているのだが、マルゴットは何故か肉親とはまるで似ていない。
唯一マルゴットが気に入っていたふっくらとした唇と共に、今は全てが子供っぽい気がしている。
――せめてドレスだけでも大人らしい装いにしてみたけれど……。
今夜選んだドレスは背伸びして作ったものだった。
身頃は深いグリーンで、ピタリと身体に添う。スカートの膨らみは控え目だったが、斜めに大きめの襞が寄せられたものだ。
二年もの間、マルゴットはドレスを新調しなかった。侍女に裾を足してもらい着てきたのだが、さすがに今回はセトル王国の面子もある。
久しぶりの出番に張り切った仕立て屋はさらにフリルをつけましょう、と言ったが、マルゴットは頑として受け入れなかった。その為に自分の衣装の中でも異質な、悪く言えば地味なドレスだった。けれど、スカートの裾に縫い止められた無数の模造真珠が上品だと思う。
大人びた雰囲気を醸し出すドレスを選んだのには理由がある。
……最も、ジェネローゾ殿下が求めていらっしゃるのは見た目ではなく性質でしょうけれど。
きっと、マルゴットの失敗はジェネローゾに伝わっているだろう。新調したのは一枚ではなく、マルゴットのドレスの中には華やかなものもたくさんあったが、派手に、そして可愛らしく着飾って、彼の気分をさらに逆撫でしたくはない。
「何を言っておいでだか。さ、これで終いです。直に大臣閣下がお迎えにいらっしゃいますよ」
本物の真珠とエメラルドをあしらった王女の証であるティアラを髪に止め、エリーザは満足そうに頷いた。背後の侍女たちもしきりに頷いている。
そして、一体いつ扉が開いたのだろう? 鏡の中にルッカがぴょこりと姿を現した。反射的に部屋にいた全員が振り返るが、ルッカは気圧された様子もなく、にっこり笑う。
真っ白の装いは金糸で細かな刺繍が施され、白金の装身具を着けている。何よりその容姿が一番目を惹いた。
「迎えに来たよ――サレッゾが続き部屋で待ってる」
「姫さま、しゃっきりなさいませ」
瞬間的に肩を落としたマルゴットにエリーザが声をかける。
「わかっているわ。――ルッカ、グリッロ大臣に今行くと伝えて」
「わかった!」
どこからお入りになられたのです!? と尋ねるグリッロの声を耳が拾い、マルゴットはくすり、と笑った。
――ジェネローゾ殿下の言い分も最もね。確かにどこにでも出没されるもの。
スッと鏡台の椅子から立ち上がる。緊張は頂点を過ぎた。ルッカのおかげで少しだけ落ち着いたようだ。
「行ってくるわ」
頭を下げたエリーザの頭頂部を見つめ、マルゴットは主室へと移動した。
「お待たせいたしました」
そこにいたのは、ルッカとグリッロ、そして覚えある男だった。
「アルノルート卿、お久しぶりですね。息災でしたか?」
セトル王宮にフェルナから客人が訪れていたように、フェルナのガッビアーノ宮にもセトルの者が赴任している。友好国の証であり、それは互いに互いの国を支援している、という他国への表明でもあった。
アルノルート卿はマルゴットと共に帰国することになっている。もう一年余りをフェルナで過ごしていた。
マルゴットが声をかけると、アルノルート卿は穏やかに微笑んだ。
「はい。拙いながらもフェルナにおける技術を学んでいるところで。マルゴット王女殿下におきましてはご健勝の程何よりです。セトルに変わりはありませんか?」
「ええ。父も兄も元気ですわ。あなたもこれから?」
「はい。末席にて殿下の勇姿を拝見させていただきますよ」
笑みを深めたアルノルート卿にマルゴットは苦笑する。
「では、ますます失敗は出来ないですわ。――行きましょう。グリッロ大臣、案内をお願いします」
「僕も!」
「ええ、ルッカもお願いしますね」
マルゴットはルッカと手を繋ぐと、グリッロの先導で部屋を出た。
ジェネローゾと顔を合わせるのが恐かったが、逃げ出すことも出来なかった。
† † †
宴は滞りなく進んだ。
国の賓客であるマルゴットは空の玉座を挟んでジェネローゾと左右対称に壇上に座る。その為の距離が嬉しかったが、逆に物足りない気もして不思議に思った。
視線だけで広間を見回すと、各々が楽しそうに会話に興じている。アルノルート卿はグリッロと、着飾り楽を奏でる芸人を前に何事か難しい顔で話し込んでいた。
――芸人は楽しいけれど、わたくしもっと外に出てみたいわ。
予定を脳裏に描いて、マルゴットは穏やかな笑顔を張り付けたままそう考える。もしマルゴットを注視しているひとがいたとしても上の空なことには気付くまい。それほど完璧に仮面を被っていた筈なのに。
「退屈そうですね」
突如かけられた声に、ハッと我に返ったマルゴットの横にはジェネローゾが立っていた。
すっと血の気がひいた。
ジェネローゾの無表情に、心臓が嫌な音をたてて収縮する。
「聞きましたよ、あの上着をだめにしたとか――」
「も、申し訳ありません! わたくしが無知であった為に……」
慌てて立ち上がって謝罪しようとしたマルゴットだがやんわりと止められた。
「皆の見ている前でセトル王国の代表が頭を下げるものではない」
あ、と軽く口許に手を添える。
分かりきったことなのに、ジェネローゾと対峙していると王女としての仮面をどこかに置いてきてしまう。
「それに構いませんよ」
思わぬ言葉に反射的に顔を見上げると、彼は眉間にしわを寄せたまま仏頂面でマルゴットを見た。
「わたしの為に自ら洗ってくれようとは嬉しい限りです」
……あまり嬉しそうには見えませんわ。
彼もまたフェルナの代表。フェルナ公子としての言葉で、内心は煮えくりかえっているのかもしれない。
「ルッカが教えてくれましたよ。……どうしました?」
怪訝そうに見たことに気付いたのか、ジェネローゾが眉間のしわを深める。
「い、いえ。あの……お叱りを受けると思っていましたの」
震えぬように口に出したつもりだったが、マルゴットの声は妙に掠れてしまった。
「マルゴット王女はわたしが怖いですか?」
ジェネローゾが瞳の色を深めると、一歩近付いてくる。反射的に距離を取ってしまい、視線を泳がせマルゴットは慌てた。
「怖い、とは違うような気がします……」
彼が感情的になると紺碧の瞳はさらに青みが増すのではないか。そう瞬間に考えたマルゴットは、刺激すまいと言葉を選んだのだが。
「では何故そのように怯えておられるのだ。わたしと相対している時は言い淀むことが多いように思えるが?」
ジェネローゾは追求の手を休めてはくれなかった。
妙に淡々としたその問いに追い詰められ、結局マルゴットの仮面は剥がれてしまう。セトルの王宮では、どんなことでも穏やかに笑って遜色のない理由を話せたというのに。
「わ、わたくし意見を言うことに慣れていないのですわ。だから――このようにお話することが良いことか判断がつきませんの」
結局、真実を吐露してしまったことがマルゴットには不思議だった。
ジェネローゾに嫌われて、万が一婚約を破棄されてしまったらマルゴットの居場所はどこにもない。それがわかっていながら、彼に当たり障りのないことを何故か言えない。
……どうして?
フェルナに来てから、もっと言えばジェネローゾに会ってから、マルゴットは疑問がわいてばかりだった。もしもセトルの面々が――アルノルート卿も含めて、こんなマルゴットを知ったら恐らく全員が全員、首を傾げるに違いない。王女はどうにかなってしまったのか、と。
戦々恐々ジェネローゾに視線を向けると、さらに色を変えた瞳を間近で見てしまい、また間違ったのだ、と思う。
「そうか……しかしそれでは困る」
重く息を吐いたジェネローゾの口から出た言葉に、不安が募った。
ところが。
「――叱責じゃないでしょ、兄さま。意思はきちんと伝えて欲しいって意味でしょ? 兄さまこそちゃんと伝えなきゃ」
明るく登場したルッカに、マルゴットは救いを見た。張り詰めた空気が、ふっ、と緩む。
「ルッカ、どこからわいて来た?」
「虫みたいに言わないで、兄さまってば」
顔を歪めたジェネローゾに快活に笑って、ルッカは壇上に登って来た。
見物人がいた――皆それぞれに楽しんで忙しそうだったが――ことに再び思い至ったマルゴットは、こっそり周囲に目をやる。
どうやらおおっぴらにこちらを注視する者はいないらしく、安堵の溜め息を吐いた。その溜め息を兄弟は違うように解釈したらしい。
「ほら、兄さま」
「あなたを責めているわけではありません。ルッカの言う通りです。あなたの意見が聞きたい。フェルナでしたい事、見たいものはありますか?」
「見たい、もの……?」
おうむ返しに呟いて、マルゴットは脳裏に思い描いたことを口にして良いのかと自問自答する。
マルゴットの望み――それは自らの足で、手で、目で、肌で、フェルナの街を見てみたいという、他国の王女としては無茶な願望だった。
そもそもセトルでもマルゴットは自分の願いを口に出したりしなかった。
出す必要もなかったし、出す理由もなかった。むしろ意見などあるものかと皆が思っていたのではないだろうか。
……どうして? ルッカがいるからかしら?
心の内に湧いた疑問に首を振りながら、マルゴットは馬車から見た光景を想う。
「港を、港を見てみたいです。ルチェーナの町並みを、店や人々を。もっと普通に――視察ではなく体験と言いますでしょうか? 生活を間近で見てみたいと思っています……」
手紙から想像した以上の活気。共に育てる為に知りたいフェルナのこと。
「仰々しいのは望んでおりません。少人数で、その……」
俯いて望みを話すマルゴットをルッカが微笑みながら離れていく。二人きりにしてくれようと配慮したのだろう。
心細かったが、けれど、わかっている。ルッカがいるから要望が口をついて出てきた訳ではない。ルッカはジェネローゾの言葉を通訳してくれただけだ。
……ジェネローゾ殿下だから? わたくしの夫となる方がわたくしの意見を求めてくれているからかしら?
だが王女として振る舞えないのは初めて会った時もそうだった。
……では、手紙を書いた方だから?
多分、そうだ。そう納得して、マルゴットは顔をあげた。
そして目に飛び込んできたものに身体を震わせる。
「大それた望みを申しました。……忘れて下さい」
ジェネローゾの冷酷な顔。
言わなかった方が良かった、とマルゴットが瞬間的に後悔した程。それは無表情に限りなく近いものだった。
紺碧の瞳が夜の海のように色を変えているのを見て、マルゴットはぎゅっと拳を握る。
――また、やってしまったわ。
どうして自分はこうなのだろう。
望みは言っても良かった筈だ。ただし、求められたものは王女として節度ある望みだったのだ。
……わたくしの価値はセトル王女という身分だけ。わたくし自身は、誰にも、価値のないものだったことを、忘れてはいけなかった。
その場の空気を変える者も既に壇上にいない。恐れながらもジェネローゾを見ていると、彼は小さく溜め息をついた。
「――覚えておきましょう」
たった一言、それだけでジェネローゾは離れていく。萎縮したまま、ゆっくりと椅子に腰かけたマルゴットは、その後誰の目にも明らかな程、心ここに有らずの状態だった。
ユニークが1100人を突破しまして、嬉しい限りです! よければ感想等お待ちしています。次話もよろしくお願いします!