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「大変申し訳ありませんが午後の予定は変更させて下さい」

 昼餐のためにガッビアーノ宮に戻ってきた一行は食後のお茶に勤しんでいた。ところが、グリッロは午後に予定されていたコールヤ湾の観光――恐らく観光なのだろうとマルゴットは予測していた――は変更すると言う。

「どうしましたか? 天気は晴れているようですのに」

 顔を窓に向けたマルゴットは燦々と光を放つ太陽を眩しく見つめる。

「空模様は確かに変わりはないのですが……海がいけません。風が強く波が高いのですよ」

 四角い窓から見える海までは距離がありすぎて、波の具合までは見えなかった。

 しかし、横でしきりにルッカが頷くのは彼が港町育ちだからだろう。マルゴットにはフェルナに到着した昨日とまるで同じ風にしか感じられなかったが、セトル王都アクステンブルクが森と湖に囲まれた街であるからわからなくても当然だった。

「では午後は何をするのですか?」

 首を傾げながらグリッロを振り返ると、彼は思案することなく口を開いた。

「ガッビアーノ宮をご案内――」

「するのは今度こそ僕の役目だよね!」

 ルッカが満面の笑みでマルゴットを中心に一周すると、ドレスを掴んで下から覗き込んだ。彼の頭をひとつふたつ撫で、マルゴットは伺うようにグリッロに目をやる。

 ルッカが口を開いた途端に目を覆い、頭を抱えたグリッロはそれでもゆっくりと頷いた。

「セトルの方々はこちらで案内しますから、殿下には王女殿下をお任せします。ただし、本当に、くれぐれも、羽目を外さぬように」

 こくん、と頷いたルッカから目を離し、マルゴットに姿勢を正して相対する。

「ジェネローゾ殿下は、午後の予定変更時にはルッカート公子に王女殿下を案内させるようにと言っておりましたので、どうかルッカート殿下にお付き合い下さい」

「わかりました。行きましょう、ルッカ」

 ルッカは喜んで手を伸ばした。その手を掴んでマルゴットは導かれるように歩き出す。


 ガッビアーノ宮は広大な宮殿だ。

 コールヤ湾に面した広い平原に建立されているので階数は少ないが平面的に大きい。セトルの王宮は逆に湖に囲まれているため立地条件は悪かった。王都も狭かったので必然的に王宮も小さい。その代わり階数は倍はある。

 ルッカに手を引かれ、少ない階段を降りはじめたマルゴットは、あ、と口中で呟いた。

 忘れていた。

「――ねぇ、ルッカ。案内はまた今度でいいからお願いしたいことがあるの」

 小首を傾げたルッカにマルゴットは自分に宛がわれた部屋に向かう。

「これ、兄さまの?」

「お借りしたのだけど汚してしまったの。洗って返したいのだけど、どこで洗えばいいのかしら?」

「義姉さまが自分で!?」

「ジェネローゾ殿下の服ですもの」

 答えたマルゴットは自分の唇から自然と溢された言葉に目を見張ったが、それでもルッカは首を捻っていた。

「そしたら、洗濯場かな? ――こっちに近道があるよ」

 ぐいっと強くマルゴットを引っ張るとルッカは駆け出した。たたらを踏みながらも彼を追い、マルゴットは鳶色の瞳を丸くする。

「る、ルッカ! これ近道というより隠し通路ではないですか!!」

 冬場に使われるのだろう。暖炉の横の壁が音もなく開き、ルッカの半身が吸い込まれていく。

 真っ暗闇の通路をルッカが迷わず進むのを効かない視界で瞠目しながら、マルゴットは先導されるままついていくしかない。

 ルッカと繋いだ手とは逆の手をぎゅっと胸に抱き込んだ。暗闇の中、婚約者からの借り物と生じた疑問を落とさないように。


 次に日の光を見たのは、どこかの庭だった。

「この裏が洗濯場だよ。道具を借りてくるからちょっと待っててね?」

 ルッカが駆け足で角を曲がっていく。

 庭にぽつんと残された。 何故自分でやろうと考えたのだろう。それまではどんなにお気に入りのドレスだろうが小物だろうが、借り物であっても侍女や女官に任せていた。

 昨夜、エリーザが拾ってくれようとした時もそうだ。何故か触られたくはなかった。

 ――どうして?

 あの時は、服にジェネローゾの温もりが残っていたような気がしたからだ。優しさではなく叱責だったが、ジェネローゾ自らが上衣を貸してくれた。

 ……わからないわ。

 だが上衣を借りた経験がないわけではない。いくら首を捻って考えてみても、答えは見付からなかった。

「考え事……?」

 遠慮がちに声をかけられてマルゴットは覚醒する。

「ええ、ごめんなさい。それが服を洗う道具?」

「そうだよ。これが水を張る桶、これが石鹸だって。それから何だかわからないけど、板」

 下草の生えた地面に桶を置いたルッカがクリーム色の石鹸と溝の刻まれた板を取り出した。それを桶の脇に置き、桶を掴んで立ち上がる。

「お水を汲んでくるね!」

 止める間もなくルッカは駆け、すぐ先の水場に桶を突っ込んだ。重そうに持ち上げたところで慌ててマルゴットも一緒に桶を運ぶ。

「で、どうするの?」

「さぁ……わたくし自分で洗うのは初めてで」

「洗い場にいるひとたちは踏んでたのだけど。そうするとよく汚れが落ちるって」

 言って、マルゴットとルッカは顔を見合わせた。

「とんでもありませんわ! ジェネローゾ殿下の服を踏みつけるなど――」

「そうよね。僕にも出来ないや」

 互いに肩を落とし、きょろきょろと周囲を見回した。しかし運が良いのか悪いのか、誰も通ることがない。

 ルッカは思い出すように目を瞑り、あ、と声を出した。

「あとは……擦ってたよ、ごしごしと」

 板を指差したルッカにマルゴットは頷いた。

「その方法を採用しましょう」

 にっこり笑って、マルゴットは服をそっと水に沈めた。空気が泡となり、そして紺碧が色を暗く変えていく。

 マルゴットは石鹸を手に取った。

「えっと……洗うには泡立てなきゃよね?」

「僕がやる!」

「お願いね、ルッカ」

 水しぶきを立てながらルッカが桶に両手と石鹸を突き入れた。掌の間に石鹸を挟み擦ると、小さな泡が桶に溢れた。

 再びマルゴットとルッカは顔を見合わせると、互いに小さく笑みを交わした。


「何をなさっておいでです……?」

 泡まみれになったルッカに笑い転げていたマルゴットだったが二人の背後から怪訝そうな声がかかる。

 慌てて振り向いた先には、下働きだろう娘を三人従えた女官がいた。正面からならともかくも背後から声をかけることは不敬に当たるが、マルゴットたちがここにいることが余りに不自然だったのだろう。

 興味深そうにマルゴットたちの手元を――もっと言えば桶の中を覗き込んだ下働きの娘の一人が目を丸くした。同時に別の一人か口許を押さえ、最後の一人が大きく叫び声を上げた。

「きゃああっ!!」

 なにかおかしいのか、と女官を見上げれば彼女もまた唖然としている。

 その時、兵士が二人血相を変えてばたばたと庭に駆け込んで来た。

「何事だっ!?」

「いかがしました!? ……え?」

 ルッカとマルゴットを囲む女官たちの後ろから覗き込み、彼らもまた絶句した。

「そ、それはまさか……公太子殿下の上着では……」

 女官が震える声で聞いてくる。

「そう、です、けど……」

「いけなかった……?」

 何か失敗したのだろうか、とマルゴットとルッカが恐る恐る答えると女官は目を覆ってしまった。答える様子のない女官から娘たちに目を向けると、先ほど率先して近寄って来た娘が口を開く。

「その……あたしは洗い場で働いてるんですが……生地の違いで洗う方法が変わるんです」

「殿下方の服は良い生地を使用しておりますから、もっと丁寧に洗うものです。特にその上着は複雑な造りですから擦るなどもっての他、縮んでしまうと思いますよ」

 復旧した女官が大きく溜め息をついた。

「私共に言って下されば洗いましたのに」

「す、すみません! わたくし知らなくて……」

「義姉さまを叱らないで!」

 肩を落とし慌てて謝罪したマルゴットを、ルッカが手を広げて庇う。ぽたり、ぽたり、と下草に泡が落ちた。

「殿下方を叱ったりなど出来ませんよ。――さ、それを貸して下さい。ミア、エイミール、洗い場まで持って来なさい」

 ちゃぷん、と水音をさせて娘たちが桶を持ち上げ、歩き出す。女官はもう一人の娘に石鹸と洗濯板を持つように指示し、兵士たちは首を振り振り、その場を後にした。


「やってしまいましたわ……」

 しゅん、としたままのルッカを見ながらマルゴットもまた溜め息を溢す。

 ただ自分の手で綺麗にしてジェネローゾに返したかっただけなのだが、どうしてこうやること全てがまともでないのだろう。

「ジェネローゾ殿下は怒るでしょうね……」

 脳裏に浮かぶ面影は能面のように表情がなかったが、きっとあの冷酷な声で言われるのだ。それを考えると気が重い。

「大丈夫だよ。――多分」

 ルッカの最後の一言にマルゴットが安堵を覚えることはなかった。


更新が遅くなり申し訳ありませんでした。読んでいただきありがとうございます! また、誤字や脱字、感想等ありましたらお待ちしています。次話もよろしくお願いいたします。

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