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 光沢ある紅い絨毯がひかれた謁見室に、海洋公国を治める筈のフェルナ公の姿も、初めて会う婚約者の姿もなかった。

 空の玉座に慌てふためく侍従を大臣が問い質している。

 ……なにかあったのかしら?

 マルゴットはフェルナを訪れるにあたり正式な招待を受けた。出迎えがまったくいない状況は確かに異様だ。ましてや、未来の公妃であり、公太子の婚約者でもあるのだ。

「こちらの不手際のようで……」

 頭を掻き掻き大臣が眉を下げる。青くなった顔色と震える語尾に、彼の心情が手に取るようにわかった。

 続きを促すため、マルゴットは小さく首を傾げる。

「実はフェルナ公、キッソーゾ陛下はリノチェロンテ殿下が亡くなられてから心労で臥せっておられましてな。今日も余り芳しくはないようで、ジェネローゾ殿下がこちらで王女殿下をお待ちしている筈でしたのだが……」

「そ、その! 殿下は所用で! 今しばらく! 今しばらくお待ちを!」

 侍従の額に浮かんだ玉のような汗を気の毒に思い、マルゴットは微笑んだ。

「わかりました」

 中規模の謁見室は大きな窓が設けられていて、開け放たれたカーテンの間から光を反射し波白く泡立つ青い海が見渡せる。手前に広がる公都ルチェーナの白と赤茶の街並みや港に停泊する色とりどりの船との対比が見事だった。

「こちらの部屋からの眺めは素晴らしいものですね。そう、海が……」

 どうにか侍従と大臣の気を紛らわしてあげようと、目に入った海を持ち出した。

「船から見る海とは違う気がします。色も、波の感じも――」

「王女さまはフェルナの言葉がお上手なんだね!」

 突然、子供の高い声が響き渡った。


 マルゴットは心臓が止まるかと思える程驚いた。

 だが、たしなみ通りに穏やかに身体ごと振り返り、そうして感嘆に目を見開く。

 淡い金色の巻き毛に海を珠にして磨きあげたかのような青い瞳。白い肌に薔薇色の頬をした――天の御遣いかと思う程に愛らしい少年がそこに立っていた。

 桃色の唇をひき、彫像にも似た優雅な笑みを見せている。まるで名のある芸術家の造った作品のようだ。完璧な比率で造られた身体が扉を開いた構図で絵を描かせたら、宮廷画家は泣いて喜ぶかもしれない。

 唯一の人間味と言えるものは頬に微かに散ったそばかすだ。強い日差しの結果だろう。

 誰? とマルゴットが思うより早く、大臣が声をあげる。

「殿下!! 本日はこちらに出入りはするなと言われておいででしょう!」

「別にジェネ兄さまは何も言ってなかったからいいかしらと思って!」

 悪びれる風もなく少年は快活に笑った。額を押さえた大臣を覗き込んでから、ふふっとマルゴットに近寄ってくる。

「僕はルッカだよ。セトルのマルゴット王女さまだよね?」

 物怖じしないはきはきとした言葉で隣に立った子供に、あ、と気付いた。

 以前に数回やり取りしたリノチェロンテの手紙に書かれていたのだ。二人の弟公子のことが。

「ルッカ……ジェネローゾ殿下の弟君のルッカート殿下でいらっしゃいますか?」

「ルッカって呼んでね。殿下はいらないよ? よろしく、義姉ねえさま!」

 顔いっぱいに笑みを浮かべたルッカにつられて笑い返した。子供らしく満足そうに瞳を輝かせ、くるっと侍従を見据える。

「で、兄さまはまだなの?」

「それがまだ執務室から出ておられないとのことで……」

 肩を竦めた侍従は身の置き所がないと言うように小さくなってしまった。ルッカはぷくりと頬を膨らませる。

 その様子はセトルで見かけた栗鼠にそっくりだ。

「まったく兄さまってば、義姉さまは国賓でしょうに。照れているのかしら?」

「殿下のお気持ちは一介の侍従である私には……」

 大人顔負けに腕を組み大きく頷いたルッカに、侍従は項垂れる。

「うん、そうだよね。それはわかってるよ。――義姉さま、僕でかまわないよね? ガッビアーノ宮を案内してあげる!」

「きゃっ!」

 手を引っ張られて思わずあげた声に頓着せずに、ルッカは嬉しそうにマルゴットを見上げてきた。

 侍従が足早にルッカとマルゴットに駆け寄り、腕を広げて止めようとする。

「ちょっ――殿下! ジェネローゾ殿下に叱られますよっ!?」

「いいのいいの! 義姉さま行こう!!」

「え……けれど……」

 本当にいいのだろうか?

 挨拶ぐらいはきちんとすべきではないか? と迷うマルゴットに気付かず、ルッカが滑らかに呟く。

「兄さまは放っておいて、まずは父さまに会うべきかしら? 今日はお加減が悪いらしいけれど……やっぱりお元気な時がいいのかしら? 中庭に咲くお花はとてもきれいだけどまだ日差しが強くて大変だし、噴水も――僕は好きだけど義姉さまは水に入ったりはされないよね。港、は宮殿を出ちゃう。執務室はだめ、兄さまがいるし――義姉さまはどこが見たい?」

 その上目使いにマルゴットは目を奪われながらも、ずっと思っていたことを口に出した。

「そ、それならば行きたい場所があります」

「じゃあそこに案内するね! で、それはどこかしら?」

 躊躇いはあった。

 公宮内にあるのかどうかもわからないし、立太子の儀直後のフェルナで、しかも弟公子の婚約者となった身でだ。

「……リノチェロンテ殿下はどちらにおいででしょうか?」

 罪悪感もある。

 四年という月日よりも、たった一通の手紙に惹かれてしまった自分。まだリノチェロンテが亡くなって三月と経っていないのが嘘のように、フェルナに行くのが楽しみになってしまった理由が、申し訳なかった。

「そっか……義姉さまはリノ兄さまと婚約されてたんだものね」

「――では、わたしが案内しよう」


 冷たい声にぎょっとしたのはマルゴットだけではない。ルッカもまた丸々と目を見開き、二人は同時に扉を向いた。

「じ、ジェネ兄さま!?」

「マルゴット王女、遠路遥々おいで下さり感謝する。出迎えが遅れたようで申し訳ない」

 雨の降った後の土のような焦げ茶の髪は前頭部から撫で付けられ、秀麗な額が覗く。眇た瞳は紺碧の色だ。

 ジェネローゾ・アズーリ・フェルナ・ヴィットーリオ。

 陽気で愛らしい弟ルッカとまるで似たところがない、マルゴットの婚約者だった。

 何か問題でもあるのだろうか? マルゴットが首を傾げたくなる程――当然、自制はした――厳めしい顔付きだ。貴公子然とした容貌なせいか、眉間に深く寄せられたしわが目立つ。

 しかも紺碧の瞳は思わずくるりと目を背けたくなる程に峻烈だった。

 マルゴットの自室に飾られていたリノチェロンテの肖像画ともまるで似ていない。彼はどちらかといえばルッカと似ている。

 先に硬直を溶いたのはそのルッカだった。

 パタパタとジェネローゾに駆け寄り、まとわりつくように彼の服の裾を引っ張る。

「ずるい兄さま! 僕が案内しようと思ってたのにっ!」

「お前はまだ勉強が残っているだろう、ルッカ。教師が探していたから連れて来たぞ」

 再び固まったルッカに頓着せずに、ジェネローゾはつかつかと近寄ってくる。

「……兄さま」

「マルゴット王女、こちらへ。ルッカは戻るように」

「はーい……義姉さま、またね!」

 肩を落としたルッカは、可愛らしく顔の横で手を振った。

 それに返事をする余裕がマルゴットには実はない。

 ……この方が本当にあの手紙を書いたのかしら?

 そう思わずにはいられない。マルゴットを拒絶する雰囲気がジェネローゾにはある。少なくとも歓迎をされているとは思えなかった。

 射竦めるような視線に侍従も大臣も所在なさげに立っている。味方はどこにもいなさそうで、当然といえば当然だ。ここはセトルではない――最もセトルでも軽んじられることは多かったが。

 不意に寒々とした冷気に襲われながらも、マルゴットは促されるままに謁見室を後にした。


  †  †  †


「――弟が迷惑をかけたようで申し訳ない」

「いいえ! そんなことはありません……」

 少しも悪いと思っていなさそうだが、マルゴットは否定した。ルッカの快活な笑みで、マルゴットの密やかな緊張は溶けたのだから。

 ただし、今は別の意味で強張っている。

 ――わたくし、なにか気に触ることをしたかしら……?

 ジェネローゾの硬い声音に身の置き所が探せない。

 ……やっぱりリノチェロンテ殿下のことを口に出したのがいけなかったのかもしれないわ。

 ふと、恐怖を感じた。

 もしもジェネローゾが怒って婚約破棄を言い出したら、セトルの父はどう思うだろう。想像すら恐ろしいが激烈に責められることは間違いない。

 前を歩くジェネローゾの広い背を見上げていると、感情の伺えない声がした。

「折角フェルナまで来ていただいたが、兄が亡くなり、父も臥せっているので今はわたしが政務をとっております。ですから、あなたと話す時間は多分そうはないでしょう」

 思わぬ言葉に足を止めたマルゴットは少しだけ青くなった。

 ――やっぱり歓迎されていないみたいだわ……。

 つまりは、機嫌を損ねてしまったということだ。

 暗鬱な思いでその背を見上げていると、くるりと身体を入れかえジェネローゾがマルゴットを見据えた。

「滞在は二月との話ですが、良ければ離宮へ移られたらどうですか?」

「そんな……」

 目障りだということか。それとも会ってみたらマルゴットにそれほど興味がなくなったのだろうか。

 いや、もともと興味はない筈だ。ジェネローゾがマルゴットと婚約したのは、リノチェロンテが亡くなってしまったからであって、彼が望んだわけじゃない。

 多分、あの手紙を書いたのはジェネローゾではないのだ。だからこれはフェルナに嫁いで来たら、離宮に封じる、という暗示かもしれない。

 眉根を寄せたジェネローゾから目を反らしたのを景気に彼はつと指を上げた。

「そこを右へ行けばすぐに兄上に会えますよ」

「……殿下はいらっしゃられないのですか?」

 そのまま動こうとしないジェネローゾに軽く首を傾げると、きゅっとさらに深く眉を寄せた彼は足音をたてて右に折れる。

 ――またご機嫌を損ねてしまったみたいだわ……。

 溜め息を堪え、無言の背を追いかけて角を曲がったマルゴットの視界は真っ白に変わる。明るい光に手をかざし、ゆっくりと顔を巡らせた。

 一面の青い空と緑の下草が生えた丘。整えられた中庭に白い壁も美しい廟が建つ。

「ここが公家の墓所になります」

 白い石柱に手をかけてジェネローゾは立ち止まった。

 振り向いた顔に表情はひとつもない。

 紺碧の瞳は全く色を変えず、薄い唇は真一文字に結ばれている。髪の毛に一筋でも乱れがあればマルゴットは恐れを感じずにいられたのだが。

「この廟は歴代の公族が眠る場所です。兄上もここに。それで――わたしは席を外した方がいいですか?」

 低い声で問うたジェネローゾに小さく首を振る。

「……少々の時間で済みますからお待ちいただけますか?」

 返事を待たずマルゴットは緑の絨毯にゆっくりと膝をついた。


 指を組み頭を垂れる。

 ――許してください。わたくしはフェルナ公太子妃にならなければなりませんし、あなた以外の方からの手紙に心惹かれてしまいました。

 つと上げた視界に映るジェネローゾはじっとマルゴットを見つめている。その激情を秘めた視線にもう一度下を向いた。

 ――殿下の弟君はわたくしのことがお嫌いなようですが、わたくしは、わたくしの意思で決断いたしました。海風吹く、活気に溢れるこの国をジェネローゾ殿下と……。

『わたしと共に国を育てる決断を』

 そう書かれた手紙を読んだのは少し前のことだ。十四歳のマルゴットは初めて自分に意見を求めてくれた手紙の主に――惹かれたのだ。

 ……お手紙の中身を書かれたのはきっとこの方ではないのでしょう。けれどフェルナのどこかにわたくしのことを少しでも考えて下さるひとがいるのなら――わたくしの決断は変わりません。

 許して下さい、ともう一度心中で謝罪して、マルゴットは立ち上がると――。

「ジェネローゾ殿下、もう一度最初からやり直させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 生真面目な顔で背筋を正した。

次話もよろしくお願いします!

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