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 祭り用の蝋燭に火を灯し、ダルトはそのゆらゆらと揺れる炎を見つめていた。

 こうして見ると、それはロッテに似ていた。

 青い瞳は生気に溢れているのに、どこか不安気に揺れている。立ち位置を常に探しているかのようだったロッテ。

 働き者で、ころころと変わる表情に憧れにも似た眩しさを覚えた。太陽の良く似合う溌剌とした容姿はダルトの目を引く。

 今だってそうだ。ここにはいないことはわかっているのに、どこかに探している。

 小さく溜め息を吐くと、蝋燭が呼気で激しく揺れた。

 ――ロッテを手放す覚悟をしなきゃなんねぇのに……。

 慌てて蝋燭に手を翳しながら、ダルトは目を眇る。

 今日は感謝祭当日だ。

 初めて会った日からダルトはロッテの自由を願い続けてきた。彼女の自由はダルトの願いの延長上にあり、ザクテンを必ず豊かにしてロッテを村に返してやると誓った。

 少し前の自分なら笑って彼女をエーアリヒと添わせてやっただろう。

 けれど、今はどうしても覚悟が出来ない。

 情けなくて、彼女の顔が見れなくて、ロッテを避け続けている。

 半月程前、彼女が怪我をしたあの日からロッテとエーアリヒは妙だった。最初は迷惑だと怒鳴ったせいかと思っていた。

 ……あれだって本当においら頭が真っ白になっちまっただけなんだ。

 その後、ロッテの傷がなんともなかったことに心底安堵したのだが、二人は二人だけに通じる目線で会話していた。

 そして六日前――抱き合っていた二人。

 目の前が真っ暗になり、思わず二人に背を向けて。

「……自覚した瞬間に失恋なんて笑っちまうよな。馬鹿だ、おいらは」

 今さら気付いたところで何も変わらないのに、まだぐずぐずとしているのだから。

 そう、ダルトはいつのまにかロッテを愛していた。

 ――まず、エーアリヒと話をしなけりゃなぁ。っつってもあいつどこに行ったんだ?

 そう言えば今日は昼過ぎからその姿を見ていない。もう感謝祭のために城の門が開放されているから、二刻はダルトのそばを離れていたことになる。

 顔も見たくないと思える程だが、彼はダルトの側近だ。エーアリヒがいなければダルト一人で広大なザクテン領を治めることは難しく、故にエーアリヒはどんなにダルトが無視しても堪えた様子もなく傍らで仕事を進めていた。

 おかしい、と直感的に思う。

 彼は感謝祭で浮かれて職務を放棄するような性格ではない。

「なぁ。エーアリヒ見なかったか?」

 とりあえず通りがかった下男に聞いてみる。

「俺が最後に見たのはロッテ様の部屋のそばですけど」

 瞬間、踵を返していた。

 人混みを掻き分け、ロッテの私室までの近道を走る。

「だ、ダルト様!? 何をなさって――」

「悪い!! 緊急だっ!!」

 背中にかけられる使用人の咎めの声に律儀に返事をしながら、広間を通り抜けようとして――ダルトの視界の端を無視出来ない存在が横切った。

 後ろ姿だろうと、一瞬だろうと、決して彼女を間違えたりはしない。

 ――ロッテ!!

 赤葡萄の色をしたドレスがひらひらと人込みに見え隠れする。

 バルコニーへの扉を出たロッテを見て、ダルトは急停止した。方向を変えるべく足を別の方角へ向け、踏み出し、ダルトは阻まれる。

「すまん! どいてく、れ……?」

 反射的にぶつかった女性に目を合わせ謝罪したダルトはその違和感に軽く首を傾げた。

 開放されてすぐに門をくぐった気の早い領民だろう。目の覚める、華奢だが蠱惑的な美貌の女だ。

 ――なんだ……? どっかで会ったことがあるのか?

 盛り上がる胸元に視線を向けないようにしながらも、繁々と眺める。

 ――確かにどこかで見た………………っ!?

 衝撃よりも後悔が先に立った。

 ロッテがここ数日ダルトに向けていた悲しそうな顔が、胸を過る。

「……エーアリヒ、か?」

「わたしとリーゼロッテ様のことは誤解だと理解していただけましたか?」

 艶然と微笑んだエーアリヒに頭を抱え、ダルトは呻いた。

「……やられた」

「リーゼロッテ様はバルコニーでダルト様をお待ちですよ」

 聞いた途端に感情が振り子のように襲って来た。

 ロッテはエーアリヒを選んだわけではなかった、という安堵。

 けれど、あんな態度をとった自分を許してくれるだろうか、という不安。あんなに、いつかロッテを自由にしてやると言っていたにも関わらずだ。呆れられたかもしれない。

 混じりあった思いは動きかけたダルトの足を止める。

「ダルト様……?」

 不思議そうに名を呼んだエーアリヒの声は右から左へと抜けていった。

 ロッテの自由についてここのところ考え続けていた。

 今回はただ自分が誤解しただけだ。実際エーアリヒが女だとわかり、驚愕よりも安堵が先になるくらい、想いはダルトの心に育ってしまった。

 しかし、もし、今度は本物の男をロッテが連れて来たら。ダルトは自分の想像に身震いしながらも、決意をひとつする。

 ――本当は、おいらが幸せにしてやりてぇし、ザクテンが豊かになるとこを見せてやりてぇけど。

 ロッテが欲しているのは自由だから。

 それがロッテの幸せというなら、笑って送ろうとダルトは決めた。

 ……ロッテの幸せの為においらがしてやれることは多分それだけが唯一だかんな。

 苦く笑んだダルトは足を叱咤し、バルコニーに向かう。

 希望を捨てる気はそれでもさらさらなかったが――永遠に、自分への愛が手に入らない未来を迎えるために。


  †  †  †


「――ロッテ」

「エーアリヒを見たのね?」

 呼ばれた自分の名に振り返ることなくそう呟いて下を覗くと、ロッテは小さく溜め息を吐く。袖の広がったドレスを引っかけないよう気を付けて柵にもたれかかった。

 エーアリヒのドレス姿はロッテも目を離すことにも気力が必要なくらい眩いものだった。

「すっごく綺麗で、いくらあんたに教えるためでも見せるの躊躇っちゃった」

 おどけたように言葉に出すが、背後からの返事はない。

 二人の間に沈黙が落ちる。

「……最初の時より小麦畑が増えたね」

 闇の中、見えもしないのに、ロッテはそう言った。

「そうだな」

 靴音を響かせ、ダルトが横に立つ。

 俯いたままロッテは軽く笑った。

「あたし、ここが見渡すかぎり金色でいっぱいになればいいなって思うわ」

 かつて荒れ地だった小麦畑は今は黄金に変わっていて眼下に広がっている。

 しかし、ルーザたち農夫は皆が言う。

『ガヤが焼いちまう前はそりゃあ見事な景色だった』

『ロッテ様はザクテンの出身じゃないから見たことないんだろ? こんな規模じゃなくってね、本当に一面が金色なんだ』

『視界いっぱいの黄金の波さね』

 口々に言っては少し寂しそうに荒れ果てた畑を見るその表情に心が揺れた。

 そして、見てみたいと心底思った。

「ああ。おいらはこの荒れた地を豊かにしたい。おいらは農夫だから、おいらに出来る方法で」

 ダルトが至極当然と言った風に軽く頷く。そのあまりにもあっさりとした物言いに思わずダルトの方を見た。

 彼は、真っ直ぐにロッテを見つめていた。

「ロッテはどうするんだ?」

 意味が理解出来ずに首を傾げると、表情が変化する。

「もしも……もしも今すぐ帰りたいってんならおいらに止める権利はねぇ。宣誓を仕切ったのは司祭さまじゃなくてエーアリヒだから、無効を宣言すりゃあいい。あんたは王の娘だし、元の家に戻っても、ここよかましな生活が出来るさ」

 衝撃に目を見開く。

 遠回しに、すぐに帰れ、と言われているのだろうか。

 心臓が異様な程鼓動を打ち、胸が痛い。締め付けられるようなこの感覚の理由は既に知っている。

 父王ハイダルに感謝すら覚える程、ロッテはダルトに出会えたことが嬉しい。この気持ちは憧れだけではないから。

 ――そう、あたしがダルトを好きだから……ショックを受けて当然なのよ。

 努めて冷静にそう分析する。でないと、泣いてしまいそうだった。

 だが。

 ……でも似てる。

 ダルトのその顔が、黄金の波を懐かしむルーザたちの複雑な表情に酷似している。

 細められた灰茶の瞳としかめられた眉が――寂しそうに見えた。

「……あたしは見たいのよ」

 ダルトがきょろきょろと周りを見回す。それに首を振って返し、ロッテはひとつ深呼吸して心を落ち着ける。

「ザクテンが豊かになるところが見たいの。ザクテン(ここ)にずっといちゃいけない?」

 それを聞いた彼の余りの狼狽ぶりに自然に笑みが溢れる。

 一体どうしてロッテがダルトの側よりも良い生活を求めるなどと思ったのだろう。帰りたいと思っていると考えたのだろう。

 ロッテの気持ちは決まっている。

「それはおいらの、奥さんとしてか?」

 灰茶の瞳に浮かんだ困惑が徐々に消え、かわりに喜色が昇った。

 ロッテは深く頷く。

「そうよ。あたしはこのままダルトの奥さんでいたい。ダルトが――」

「好きだから?」

 語尾を遮り、ダルトはそう言った。

 口許は軽く笑んでいるが、灰茶の瞳は炯々と、真摯なものを宿している。

 念を押すかのような言い方は――意思の確認。

 ロッテは小さく睨みながら、ダルトを見上げた。

「そうよ。何? 悪い?」

 腰に手をあて、開き直り宣言すると、ダルトが微苦笑する。

「いや。おいらもロッテを愛してる」

 心臓が一瞬止まった。

 けれど感じたのは衝撃ではなく、どこか予想していたかのような安堵で。

 それでも、恥ずかしさと嬉しさは極上のものだ。

 照れの残る目許を覆ったロッテは、はぁ、と溜め息を吐いて柵から身を乗り出す。

「……随分あっさり言うのね」

「おいらには物語集の騎士さまみたいに膝を折って求婚なんて真似は出来ねえよ」

 ぐいっと大きな掌に腕を引かれて、気付けばロッテはダルトの腕の中だった。

 視線を上に移すと、ダルトは顔を背けている。だが、見上げる精悍な顎の線の延長にある耳は、真っ赤に色付いていた。

「いつか、黄金に染まる景色を見せてやるから――」

 ロッテはダルトの胸に頬を寄せる。早鐘のような鼓動を耳に聞きながら、瞳を閉じた。

「だからおいらの側にいるといい」

 ゆっくりと頷くと、ぎゅっと抱き締められる。幸福感に酔いながら、ロッテはまだ見ぬ実りの光景を想像していた。

 そう遠くない未来に見るであろうザクテンの姿を。


  †  †  †


 後に、セトルから独立したザクテンは豊かな農業国として周辺諸国に羨望を受けることになる。

 またセトル王ハイダルは晩年、ダルトは信頼に足る男だった、余の最も大切な娘を任せる相手として申し分なかった、と話していたという。


長い話を読んでいただきありがとうございました。またお気に入り登録及び評価を大変嬉しく思っています。

今回でリーゼロッテを主人公とした《第二章》は終了です。次回《第三章》は港町に舞台を移したいと思います。

良ければ下の☆を★に! よろしくお願いします。

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