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「どう思う……?」

「そうですね。ロッテ様の言いたいことはわかります」

 ミネラが同意を示してくれた。だが、彼女の顔は晴れない。

「日持ちするパンなら持ち帰れるし。そうすれば自分とこの蓄えを崩さなくてもしばらく暮らせるんじゃない?」

 ロッテは私室でミネラと感謝祭の食事のことを話していた。エーアリヒは扉の側で立ったまま、会話に加わらずにいる。

 もうすぐ日も暮れる。そろそろダルトが戻ってくる頃だろう。しかしロッテはこの問題をダルトに持ち込むつもりはなかった。

 感謝祭の食事を決めるのは代々の領主夫人の仕事だという。ザクテンが豊かになりロッテが村に帰されたとしても、そして悲しいがダルトが新たにお嫁さんを貰ったとしても、誰かの記憶に残りたいと思うから。ロッテは純粋に皆が喜んでくれる食事を提供したかった。

「家で食べることが出来れば嬉しいですけれど、非日常な食べ物も喜ばれるのではないかと思いますよ」

「そっか、そうね。いつも家で食べるのと同じじゃねぇ……」

 長椅子に腰かけたロッテは頷くしかないミネラの答えに肩を落とした。

「――ねぇ、聞いてるんでしょ? 感謝祭用のパンと持ち帰り用のパン、二種類作ったら予算的に無理?」

 相も変わらず無表情のエーアリヒを振り仰ぎ、たずねる。

「戦が終わって初めての感謝祭ですから、盛大になされば良いのではないですか? 小麦の収穫量が予定よりも多いですから、多少無理しても大丈夫でしょう」

 拒否されるだろうとダメ元で聞いたロッテは拍子抜けし、ぽかんと口を開けた。まさか同意してくれるとは思ってもみなかった。

「いいの?」

「ええ、調整は必要になりますけれど。リーゼロッテ様がザクテン領主夫人ですから。皆も喜びましょう」

 ロッテの侍女兼話し相手と化しているミネラも、エーアリヒの嫌みを何度も耳にしている。思わずというようにロッテを見たそのミネラの顔も、驚いたように目を見開いていた。

「……じゃ、じゃあそんな感じで」

「では作り直してまいります」

 あっさりと扉から出ていったエーアリヒの華奢な後ろ姿を呆然と見送り、我に返ったロッテは小卓に近寄った。

「ミネラもどう?」

「いただきます」

 ぬるくなってしまったお茶をカップ二客に注ぎ、ロッテはミネラに手渡す。最初は慌てていたミネラも今ではロッテが働いても目を剥くこともないし、こうして一緒にお茶の時間を過ごしてくれるようになった。

 こくり、と一口飲んで二人で顔をしかめる。お茶を置く時間が長すぎたせいで渋味が出てしまっていた。無言でミネラと自分のカップにお湯を足し、薄めてなんとか飲み干す。

 カップを回収し小卓に戻した背に、感慨深い声音でミネラが声をかけた。

「もう半月もないですね」

「感謝祭? そうね。ミネラのドレスは完成したの?」

 振り返り、ロッテは口角を上げて笑う。

「あと少しというところですわ。――ロッテ様はどうしますか?」

 首を竦めたミネラはクローゼットの扉を開け放つと、左半分のドレスを示した。ロッテはゆっくりと首を振る。

「あたしは……参加しないわ。当日は普段着でいい」

 ドレスを着れば多分、ダルトと踊りたくなってしまうだろう。

 そして頼めば彼はきっと踊ってくれる筈だ。けれどそれはロッテの望むような理由ではないから。

 首を振るロッテにミネラは一着ドレスをクローゼットから出した。

「何を言うのです! ドレスがないわけでもありませんのに……これはいかがです? 淡い黄色、ドレープの緩やかな袖は踊った時に蝶々のように見えますよ!」

 クリーム色のシフォンの柔らかなスカート。その下、黄色の布地に縫い止められた無数の宝石がミネラがドレスを持って移動するとちらちらと瞬いた。彼女は衝立にそれをかけると、またクローゼットに戻る。

「それからこちら! 秋の装いに相応しい赤葡萄の色ですわ。装飾は少ないですけれど、この凝ったタックを見て下さい! それにうっとりするような触り心地ですわ」

 言われて目をやると、ミネラはそれも衝立にかけた。

「後は……そうですね。こちらの深緑のものも素敵ですけれど、ロッテ様には……」

「いいのよ、はっきり言ってくれて」

 苦笑を溢しながら言うと、ミネラは深緑のドレスをクローゼットに戻す。

「ええ、余りお似合いにはなりませんわ。わたしは同じ緑でもこちらの黄みがかった方が良いかと。それに紺も、青も素敵です」

 三着も同時に運んできたミネラに、ロッテは強く首を振った。

「だめよ、着ないわ。あたしは……踊らないのよ」

 長椅子にどさりと座り込み顔を背けた。

 窓から見える空は茜から藍に染まり、たなびく雲が薄紅の幻想的な色を見せている。

「ロッテ様、感謝祭なのですから。どんな高価なドレスでも皆は納得しますわ」

 そういうことではないのだ、と言おうと向き直ったロッテだったが、ミネラに機先を制される。

「それにロッテ様がドレスをお召しになっていなかったらダルト様ががっかりされますわ」

「そんなことある筈ないわ!」

 間髪入れずに反論し、ロッテはすぐに後悔した。

「……ごめんなさい。ミネラが悪いわけじゃないの。ドレス、選ぶわ。でもなるべく地味なものにしたい」

 雷にでも打たれたかのような顔をしたミネラに謝罪し、ロッテはクローゼットの前に立った。

 残りのドレスは淡い色のものが多い。だが、似合わないと言われた深緑の他にもう一着だけ濃いドレスがある。

 その一着を取り出しかけ、立ち直ったミネラに止められた。

「黒なんていけませんよ。感謝祭ですのに。それにまるでエーアリヒ様のようです」

「……それは、嫌ね、なんとなく」

「差し支えなければ――あの赤葡萄色のドレスがよろしいと思いますよ」

 言われて仕方なしにロッテは身体に当ててみた。

 それはしっくりとロッテに調和した。青い瞳がやや赤みの強い紫に引き立てられ、より濃く見える。

 細かいタックが身頃をつくり、装飾は裾に複雑に縫い合わされたサテンリボンのみ。膨らんだスカート部分と襞の裏地の色は僅かに違い、動く度に波のように見えるだろう。広がる袖は薄手の生地で決して重くは見えず、全体的にミネラの言った通り驚く程の肌触りだ。

「そちらにしましょう。よくお似合いですよ。ドレスに合わせて装飾品も決め――……はい?」

 他のドレスをクローゼットに戻したミネラが、装飾品の収まる棚を開けかけた途端に、控えめなノックが響いた。

「ロッテ? いるか?」

 ダルトの声だ。

 慌てて赤葡萄色のドレスもクローゼットにしまいこみ、ロッテは自ら扉を開ける。

 目に見えるくらいにほっと安堵したダルトは、中には入ろうとせず――ロッテの私室へ彼が足を踏み入れたことは一度もなかった――ロッテを手招きして廊下へと呼び出した。

「傷は大丈夫か……?」

 促され、歩き出したロッテは気遣う言葉に気恥ずかしさを抑えようと努力する。

 跳ねだそうとする心臓を厳しく叱りつけ、軽く左手を振って答えた。

「よく洗って軟膏を塗ったわ。元々たいした傷じゃないし、二、三日で元通りよ」

 何故かダルトは困ったように眉をしかめて笑っていた。その灰茶の瞳を見返し、内心首を傾げる。

 ……なんかあったのかしら? 別に好きって気付かれた様子はないし、怒ってるわけじゃなさそうだけど。

 それ以上は言葉もなく、若干の気まずさを感じながら、領主の執務室に入った。

 中には当然のようにエーアリヒがいた。ダルトの後ろにロッテの姿を認めたエーアリヒは珍しく含み笑いを見せる。

 慌ててロッテはぶんぶんと首を横に強く振った。エーアリヒの口からロッテの秘めた気持ちを伝えられたら嫌だ。

 ダルトの背中が揺らぐ。

 エーアリヒとロッテを交互に見比べ、首を捻るが、答えなど出されてはたまらない。ダルトの長身を執務机に押し出し、ロッテは定位置の長椅子に座った。

「お前らいつのまに仲良くなったんだ?」

 執務机の角に腰掛け、ダルトは机の上の鵞ペンを弄びながら、室内を見通す。一見無表情へ戻ったエーアリヒはあっさりそれを無視したのでロッテは肩を竦めてみせた。

「い、いいじゃない、そんなこと! それよりなんで集まったわけ!?」

「……エーアリヒ?」

 無表情を作りきれず、やや肩を震わせていたエーアリヒは口ごもったまま、目だけで笑む。

「――失礼いたしました。そろそろ本格的に感謝祭の用意をと思いまして。ダルト様もリーゼロッテ様も出来れば昼の間も領主、領主夫人でいていただきたいのですが」

「おいらの一存じゃロッテのことは決めらんねぇからな。どうする?」

 怪訝な顔を引き締め、ダルトがエーアリヒの話を継いだ。

「そうね。感謝祭はみんなが楽しみにしてるし、今年は戦が終わって初めての感謝祭になるもの。絶対に良いものにしたいわ」

「ああ、おいらもそう思ってる。じゃあいいんだな? って実はルーザたちにはもう言ってあるのさ。ロッテは断らないと思ってな」

 ふっと瞳を和ませたダルトに胸がざわめく。

「んじゃ、エーアリヒ。おいらたちは構わねぇ。今回の優先順位は感謝祭だ」

 勝ち誇ったように自らの椅子から立ち上がるとエーアリヒは書類を二束、ロッテとダルトそれぞれに渡した。

「去年は省かしていただきました。こちらは一昨年とその前の年の感謝祭の簡単な経費です。さて、わたしの方で出来ることは進めさせていただきましたが、他はお二人の意見を聞いてからと思いまして」

 その日、ロッテもダルトも夕食は書類片手に取った。執務室は深夜まで灯りがついたままだった。


  †  †  †


「ロッテ様、こちらは?」

「表玄関のところに。そうだ、誰か針の上手いひとはいない?」

「それならば――……」

 目に見えて忙しくなってきた。感謝祭を六日前にして、ケントニス城はてんてこ舞いだ。

 それはロッテもだったし、ダルトもだった。今や寝室は別となり、お互いの私室で寝ている。寝る時間がばらばらだし、日中もほとんど顔を合わせない。

 これはロッテにとって苦いものだ。ダルトの姿を目にするだけで安堵を覚えるというのに。

 仕方ないとはいえ、ひどく寂しい気持ちになる。

 一方、エーアリヒとは話し合いも兼ねて嫌という程、顔を付き合わせているのだからたまらない。話すのは良いが、必ず一言嫌みを言われるのだ。ロッテでなくとも拒みたくなるというものだ。

「――ですから、わたしの意見を受け入れてくださればいいものを」

「あんたは回りくどいのよ。だったら最初からそう言えばいいじゃない!」

「それはリーゼロッテ様の理解力の問題ですよ」

 腹が立つことこの上ない。一事が万事この調子だ。

 ロッテは今、ダルトの姿を探し、エーアリヒを見れば姿を隠すを繰り返す状態だった。それももう通用しなくなりそうで、溜め息を禁じ得ない。

「ロッテ様、パンに練り込むハーブですけど……」

「足りない?」

 厨房で働く使用人がロッテの姿を見つけると小走りで近寄ってきた。

 持ち帰ってもらうパンに薬草畑で育てたハーブを乾燥させて入れるように言い出したのはロッテだ。だが、摘んだハーブの数がまだ足りなかったらしく、申し訳なさそうに使用人は項垂れる。

「じゃあ、もう少し採ってくるわ。厨房に直接持ってくから待ってて」

 ロッテは近くにいたミネラに一声かけると中庭に向けて歩き出した。

 ロッテの薬草畑がある中庭は当日開放する予定にないので準備に駆けずり回るひとは誰もおらず、廊下は徐々に閑散としてくる。すれ違う使用人と気安く声を掛け合いながら、ロッテは中庭へと歩を進めた。

 ――成功すればいいわ。

 感謝祭は一大行事だ。ダルトにとってはザクテン卿として初の大仕事となる。

 皆が楽しめるような感謝祭となれば、ダルトもきっと心から喜んでくれるだろう。灰茶の瞳が煌めくのを想像し、ロッテはほんのりと頬を染めた。

 ――今もきっと目をきらきらさせながら準備してるんだろうな。

 小さな木の扉に手をかけ、きぃ、と軋む音をさせると途端に柔らかな土と緑の匂いがする。明るい光が満ちる中庭に出て、ロッテは空を見上げた。

 四方を城に囲まれた四角い空は高く、黄みがかった水色だ。魚の鱗のような雲がゆっくりと流れていく。

 ……あたしがダルトのあの目をずっと見ていたいと思うのは間違いなのかしら? 五年が経ったら、ザクテンが豊かになったら必ずここを去らなけりゃならないの?

 そもそもロッテがセトル王の娘でなかったら出会うはずもないひとだった。

 ダルトの姿に誰より安堵を覚えるのも、ダルトの仕草に逐一翻弄されるのも、単に事実的な配偶者としてだからだったら?

 ……離れればどうということもなくなるのかしら? 忘れてまた誰かを好きになるのかしら?

 考えかけてロッテは首を振る。

 数日前にも迷い、結局エーアリヒのお陰であいまいなまま終わった。

 恋をしている自覚はある。ぼんやりとした望みも持っていた。

 けれど、ロッテは今はっきりと自分の心が求めるものを見出だしていた。

 ――ダルトが好き。だから、ここに、ザクテンにずっといたい。

 身代わりなんて嫌だ、と言ったかつての自分が聞いたら驚愕するだろう。

 強引に父王に命じられ、ロッテはこの地にやって来ることになった。その点だけは父に感謝したいと思う。

 つらつらとそんなことを考えながらささやかな薬草園の脇の納屋へバケツを取りに再び歩き出したロッテは途中で、うっ、と怯んだ。

 ……最悪。なんで通り道にエーアリヒがいるわけ!?

 またあの冷たい視線で見られたら堪らないし、嫌みを聞くのは面倒だ。思わず立ち止まったロッテは身構える。

 冷言を待ったが凛とした声が響くことはなかった。微動だにしない姿にさすがに疑問が沸き、首を傾げる。

「え、エーアリヒ?」

 緑の瞳に生気がなかった。

 それは虚ろにロッテを見ているのに、何も映してはいない。青ざめた表情と歪められた眉に慌て、まろびながらロッテはエーアリヒに駆け寄った。

「エーアリヒ――!!」

 途端にぐらりと身体が揺れる。

「ちょっと大丈夫!? どうしたの!?」

 間一髪抱き止めた身体は予想外に軽い。元々の身長差が余りないから、ロッテと変わらないくらいかもしれない。

 ――でも男のひとなのにいくらなんでも軽すぎる。ちゃんと食べてんのかしら?

 覗き込んだ顔は蒼白だったが、ロッテを間近で見返した。ようやく焦点の合った目は見開かれ、身動ぎして離れようとする。

 それを許す程、ロッテは無知ではない。

 立ち眩みのようだ。足に全く力が入っていなかった。手を離せば、地面に倒れ込んでしまう。

「離して……下さい……」

「馬鹿言わないでよっ!」

 いつもの凛とした声が嘘のように弱々しい声だ。戦慄く唇は紫に近い。

 叱咤し、きょろきょろと辺りを見回した。

 ……どっか横になれるとこに運ばなきゃ。

 さすがにロッテ一人では抱え上げられないし、両腕をエーアリヒの脇から背へ回す。引っ張って行く内に誰かに行き会うだろう。

 そして、それは予想以上に早かった。

 抱きなおし、動き出そうとした刹那――。

「何してんだ?」

 首だけで振り返ったロッテは安堵に笑みを浮かべた。

間の悪い男=ダルトです。

今回も長々と読んでくださりありがとうございました。

感想等は泣いて喜びますので、よければお願いします。またお気に入り登録ありがとうございます。うれしいです! 

もう一、二話で終了予定です。今しばらくお付き合いくださいませ。

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