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「……やっぱり黙って売っちゃおうかしら」

 夕陽に染まる、幾つも並んだ色とりどりのドレスを眺めてロッテは呟いた。全部で十着、全て嫁入り道具として用意されていたものだ。

「ダルト様もエーアリヒ様もだめだとおっしゃっていたじゃないですか」

「だから、黙って、よ。どうせ着ないしね」

 今ロッテはミネラや他の歳の近い侍女たちが着なくなった服を直して着ている。

 自分の服を届けてもらえるように半月前に村長宛に手紙を書いた。今頃読んでいるだろうから、多分服や荷物が届くのは後半月はかかる。その間まさかドレスを着るわけにもいかないし、動きやすいからといって侍女の制服を着て皆に気まずい思いをさせたくはなかった。

 ルーザたちはやっと最近話してくれるようになったのだ。針のむしろのような空気には閉口する。

 サイズ直しを手伝ってくれていたミネラが糸を切って、ぱんっと服を広げた。

 気安い関係になったミネラとはロッテもよく話をするようになった。再三再四敬語をやめて欲しいと伝えたが、固持するミネラにもう半ば諦めている。

「着る機会ならありますよ。秋になったら感謝祭ですもの」

「そっか……ザクテンでもやるのね、感謝祭」

 収穫を大地に感謝する祭りが感謝祭だ。

「盛大にやりますわ。その時はどんなに貧しくても新しいドレスを着て意中の男性と踊るんです」

 ロッテの村も一昨年は確かに秋に村総出で騒いだ記憶がある。その年、ロッテは粉屋の息子に申し込まれ丁重に断ったものの、友人に羨望の眼差しを頂いた。去年は若い男は戦に取られていなかったから忘れていたのだ。

 今年は戦が終わった高揚感も手伝って、今までよりも皆が感謝祭を心待ちにしていることはミネラの輝く瞳から容易に想像出来る。

「ミネラも踊るの?」

「勿論です! もう布に刺繍をし始めたんですよ!」

 ひとしきり刺繍の図案やドレスのデザインを聞いていたロッテの心にひとつ疑問がわいた。

 憂鬱になって、瞳を曇らす。

「ダルトも誰かと踊るのかしら……」

 ふと考えたことが口から勝手に漏れていた。

 はしばみ色の瞳を真ん丸く開いたミネラが吹き出す。

「ロッテ様と踊られるに決まってるじゃないですか! あんなに仲がよろしくていらっしゃるのに、おかしなことをおっしゃいますね」

 ――でも、あたしたちが夫婦なのは形だけだしね。

 寝室はあれ以来二人で使っている。

 柔らか過ぎる寝台では熟睡出来ないと公言し、使用人用の固い寝台を二つ置かしてもらった。夜毎に、ロッテの私室の目隠しの衝立を運び入れ、互いが見えないようにしている。

 日中は確かに仲が良い。性悪という不名誉かつ不快な噂が立つのはロッテもダルトも望まないから、殊更だ。だが、ロッテにしてみればそれは友人の、もっと言うと兄妹きょうだいにも似た近さだ。

 ――それに、ダルトとは五年でさよならするもの。

 自由になりたいと言った。それをダルトは快諾して、必ずザクテンを豊かにすると誓った。

 そんな状況での複雑な想いは顔に出ていたらしく、ミネラが所在なさげに笑いを引っ込める。

「ごめん。もしかして、なんて思っちゃっただけだから気にしないで」

「ですが……――はい?」

 ミネラが答えかけたその時、丁寧ながら強く扉が叩かれた。

「入ってよろしいですか?」

 聞きながら返事も待たずに入室したのはエーアリヒだった。


 ケントニス城には現在、家令が存在しない。前任者は財産を持ち逃げし、次をダルトは任命しなかった。

 今はエーアリヒがそれを兼任している状態だ。

 入って来た彼はミネラの手元の服に顔をしかめ、さらに開いているクローゼットの扉の中身に注視している。そのひどく懐古的にも見える視線を訝しく思いながらも、ロッテは眉根を寄せた。

「あんまり女の舞台裏をじろじろ見るもんじゃないわ」

 つかつかとクローゼットに近寄ると扉をバタリと閉める。ふっと身体から力を抜いたエーアリヒは、非難を無視して冷静に反応した。

「…………右半分はザクテン領主夫人の服としては相応しくないように思われますが?」

「ドレスは動きにくいのよ。あんたわざわざそんなことを言いに来たわけ?」

「いいえ。リーゼロッテ様に用がありましたからこちらに参ったのですが。しかし、見過ごせないものもあることを貴女は知る方がいい。あれらの服は王の娘でありザクテン領主夫人の貴女に相応しくはありません」

 険がこもった瞳でエーアリヒを見据えたロッテだったが、彼はそれを気にも止めなかったようだ。

 怒りを圧し殺し、ロッテは黒ずくめのエーアリヒを見つめる。髪も瞳も黒であれば、上衣も下衣もブーツまで黒だ。陰気くさいが、端整な容貌のエーアリヒが着ると不思議と印象的でもある。凛とした声がまた、涼しげだ。

 ……でも、外で働く格好じゃないわ。

 家令兼任だが、ダルトの補佐にあたるエーアリヒは当然事務的な仕事を主としている。だからロッテのように泥を気にする必要はないのかもしれない。しかし、その滑らかな質感の生地、控えめながらも複雑な刺繍や装飾から高級品なのだろうとロッテは判断する。

 そのエーアリヒが着ている服より、ロッテのクローゼットの中身ははるかに高価だ。それどころか、ふんだんに宝石や真珠があしらわれているドレスさえある。

 もしもロッテがそれを着ているのを見て、戦で疲弊しているザクテンの人々は何を思うだろう。

「働くことが第一のザクテンで相応しい服がドレス? あんたが求めてるのはただの貴族に対する体面でしょ。冗談じゃない! 相応しいか相応しくないかはここの皆が決めるわ。――で、あんた本当は何の用なの?」

 言っても無駄かも、と溜め息を吐きつつ、ロッテはエーアリヒにきちんと向き直った。

「ダルト様がお呼びですが、どうなさいますか?」

 無表情のまま、声音だけは凛々しく、エーアリヒは口を開いた。

 ――それを早く言いなさいよ!!

 強張った表情で手持ち無沙汰に佇むミネラにロッテは頑張って微笑みかけた。

「行くわ。――ミネラ、気にしないで。それクローゼットにかけておいてくれる?」

「わかりました。行ってらっしゃいませ」

 華奢なエーアリヒの背中を見つめながら、ロッテは私室を送り出された。


  †  †  †


「王さまからなぁ、褒賞金が届いたんだ」

 執務室の長椅子に行儀を気にせず座っていたダルトは顔をしかめて複雑そうに笑った。

「喜ばないの?」

「そりゃ嬉しいさ。ザクテン領を立て直すたしに出来る。だけどなぁ……」

 首を後ろに傾け天井を向いたダルトは唸る。

 ロッテはダルトの投げ出された足を避けると向かい合わせの長椅子に座った。蜜茶の色をしたスカートがふわりと広がる。

「何か気になることがあるの?」

 テーブルに置かれた書状を手に取り、目を剥いた。書状には破格の額が書かれていた。

 ――いち、じゅう、ひゃく、せん……ってほんとに?

 これは確かにたしになる。

 王ハイダルの好意だろうか。それとも、また何か隠されているのだろうか。

 だからダルトは微妙な顔をしているのだろうか。

「いや……いい。何でもないさ。――エーアリヒ、あんたの調べたことと照らし合わせて予算に組み込みたい」

 珍しく歯切れの悪い答え方をしたダルトにロッテは首を傾げる。

「こちらにございます」

「さぁ二人とも手伝ってくれ。どこから配ればいいと思うか?」

 エーアリヒが執務机に分厚い書類を三束ばさりと置いた。

「信頼出来る者を各町村に送り、報告を受けたものをまとめました。右は町村ごと、中は被害箇所の種類別で記してあります。左はそれらの修理や購入費用とまた今期の収穫高の予想を凡そでありますがまとめておきました」

 それは半月前にダルトが命じたザクテン領の被害の報告書だった。

 ロッテはその種別の方を手に取るとぱらぱらと捲る。文字が読めないわけではないが、明るいと言うわけでもない。だが、書類には見出しに絵も書かれており、とても分かりやすいものだ。

 風車の絵が書かれたページでロッテは手を止めた。

「……ナーズ村、二基全壊、シュトルイム村、一基半壊、クヴェレ町……二基半壊、三基全壊……他にもこんなに?」

「こちらは人的被害です」

 エーアリヒが静かに差し出した書類をダルトは素早く手に取った。

 一枚、二枚、とページを捲り、ダルトはつと動きを止めた。

「リモン……」

「え?」

 低く短く呟かれた人の名に、ロッテは反応する。

「いや、なんでもねぇ」

 小さく首を振ってダルトは書類を執務机に置いた。

「エーアリヒ、あんた優秀だ。王さまがあんたを重宝すんのもわかるような気がすらぁ。配偶者や子供や親のことまで助かるよ。それから帰って来ても怪我をして働けない奴のことまで。――ありがとう」

「……いえ」

 ダルトはゆっくりと笑う。

 ロッテも驚いていた。確かに、ダルトは半月前にこう言った。

『援助が必要な者がどのくらいいるか、設備や家の被害状況と備蓄の有無、それから戦で死んだのが何人くらいいるのかもだな。あとは家畜もか。――村や町毎に調べて欲しい』

 複雑に命じられたことをこうも簡単に調べ上げている。

 ……ほんとにあの王サマの側近だったのね、エーアリヒって。

 本人はいけすかないがその能力はザクテン領が豊かさを取り戻すために必要だ。

「優秀ついでに褒賞金の分配案をこれを参考にいくつか出して欲しいや。そうだな。一人あたり五十でどうだ?」

「銅で、ですか?」

「銀だが……だめか?」

 エーアリヒが溜め息を吐く。

「銀二十が限度です。あなたは多分……亡くなった兵士以外の方にも分配されるおつもりでしょう?」

「ああ、おいらはそうしてぇ」

「ではいくつか案を出しましょう」

「助かるよ。ありがとな」

 途端、エーアリヒの無表情が変わった。苦いものを食べたらこんな顔になるのではないだろうか。

「労いの言葉は必要ありません。あなたの補佐がわたしの仕事ですから」

 淡々と告げた言葉にダルトは苦笑を見せる。

 長椅子に戻ると勢いよく腰を落とした。

「そうかい? でもありがとな。――それでロッテは重要視した方がいいと思うことはあるか?」

 ダルトとエーアリヒのやり取りを聞いていたが、急に振られて驚いたロッテは思わず自分を指差した。

「あたし!? えっと…………今の話を聞いててちょっと言いづらいけど、銀二十って亡くなった兵士へのおわびでしょ? でも、もう少し減らしちゃダメなの?」

 ダルトが怪訝そうな顔をしたのが視界に入った。それが徐々に険しく変わっていく。

 若干怯んだが、言いかけてしまった。ひとつ息を吸うと、ロッテは申し訳ない気持ちを隠し、口を開く。

「冷たいこと言うのはわかってるけど、でもお金もらってもそれでその人が帰ってくる訳じゃないし……そんなに睨まないでよ……」

 何故睨まれているのか、ロッテにはなんとなくわかった。多分、先程ダルトが呟いた名が理由だろう。

 ――リモンって、ダルトの親しいひとなのね。きっと……亡くなったんだわ。

 みるみるうちに灰茶の柔和な瞳から穏やかさが消えていく。

 不意に、足元から不安がのぼってきた。

 知人の一人もザクテン領にはいない。ダルトに拒否されたら、ロッテにはもう支えとなる誓いさえなくなる。

 じわり、と目頭が熱くなるのを感じて、ロッテは横を向いた。ダルトを見ることは怖くて出来なかった。

「睨んでねぇよ……それで?」

 少しだけ硬さを残した声がロッテの耳に届く。促されるままに、自分の考えを言葉にした。

「う、うん。それよりも亡くなった兵士の人がどれくらい働いていたかをね、調べて分けた方が……」

「つまり家族の中で、または町村の中で、どのくらい経済に影響する仕事を担っていたかを調べるということですか? 仕事量まで? それだと分配まで時間がかかってしまいますが」

 それは当然だろう。しかも分配が遅ければ今年を乗りきれない者もいるかもしれない。

 ロッテはこくんと頷くと再び室内に目を向けた。

「うん、だから二段階で……先におわびを配って、調べてから本格的に褒賞金を分けたらどうかなって……」

 ちらりと伺うようにしてダルトを見る。首を捻った格好でダルトはエーアリヒを見上げていた。

「そんなこと出来るか?」

「今言ったように時間はかかりますけどね、可能ですよ」

 応じたエーアリヒに、ダルトはひどく哀しげに笑うと、うん、と呟く。

「……だったら……レジーやおばさんには悪いことするけどなぁ……時間がかかってもその方がいいかもしれないな。エーアリヒ、そっちでいくつか案を頼む」

「わかりました」

「ロッテも……呼び立てて悪かったな」

 小さく首を振って、ロッテは逃げるように執務室を辞した。

 ダルトの灰茶の瞳をどうしても見ることが出来なかった。

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