④
ちょっとだけ残酷な場面が出てきます。
「ぶぁっくしょんっ!! …………あれ?」
自分のくしゃみで目が覚めた。いまいち状況が理解出来ないまま、ダルトは部屋を見回す。
少し先にある踞った人影に、ああ、と額を押さえた。途端、動きに負けて肩からぱさりと落ちたのは寝台に畳まれていた薄い上掛けだ。自分に掛けられたらしい上掛けとクッションを抱く人影を交互に見つめ、ダルトは苦笑すると立ち上がる。
カーテンを引き忘れた窓から柔らかい光が注いでいる。月光を背に、身体を守るように小さくなって寝ているロッテに、ダルトはしばし立ち尽くした。
――小動物みてぇだなぁ。
捲し立てるように話す少女に抱く感想ではないが、今は随分と印象が心許ない。
……おいらなんかじゃなくて誰かもっと良いのがいただろうに。
馬車の扉を開けた時、素直にきれいな子だなぁ、とダルトは思った。特に、生き生きとした青い瞳に一瞬引き込まれた。思わず出た言葉に自分でもおかしみを感じる。
『あんたがおいらのお嫁さん?』
馬車の中にセトル王の娘がいることは事前に知っていた。だが、それでも確認してしまうくらい驚いたのだ。
正直、マルゴットのような清楚上品な娘が乗っているだろうと考えていたので、彼女の言葉使いにおやっと首を傾げかけた。活発そうな姿は村の娘たちと大差なく、それゆえにダルトはきれいだと思った。
働き者が美しいという認識は、農夫には共通だ。勿論、彼女が働いているとは思えなかったが――王女だと思っていた――それでも快活そうな娘で、司祭を怒鳴り付けた剣幕には思わず拍手しそうになったくらいだ。
「おいら、ほんとにロッテみたいな子を嫁さんにもらうようなことしてねぇんだけどなぁ……」
呟きながら、目を閉じる。
「おいらは、人殺しなんだ……」
† † †
小競り合いが終わった平原のそこかしこで呻き声がしている。
途中で見えなくなった幼馴染みを探す為、夜間にそっと天幕を抜け出していたダルトは唇を噛んだ。
人が死んでいく。
なのに自分には何もしてやれない。
松明を掲げ、ダルトは平原を歩く。遠く幾つか松明が揺れているのは、同じように友人や肉親を探す両国の兵士がいるからだろう。
地に伏した顔を照らし、そして安堵することを繰り返しながら、耳を閉ざすことも出来ず。
――死んでくのはおいら達平民ばっかりだ!
悔しさで歪んだ視界。そしてついに見付けてしまった。
「り、リモン!」
すがり付いた先の身体には血がこびりついている。激しく上下を繰り返す胸に生きている安堵を覚えながらも、その呼吸の荒さに恐ろしくなった。
切羽詰まったダルトの声にリモンは腕を伸ばす。慌ててその手を取ると、リモンはゆっくりと微笑んだ。
「あーあーしくじった……今年は俺……お前と小麦を植えらんねぇなぁ……」
一人二人と見知った顔が欠けていく。それが戦では当然のことだった。それでもリモンが死ぬのは不思議な感じすらする。
涙も出ない。
「もうすぐ種蒔きの時期なのになぁ……」
あと一月も過ぎれば小麦を植える季節だ。去年は到頭小麦を作れなかった。村に残った女と老いた男たちだけでは充分な小麦は収穫出来ないだろう。
今年こそ、と意気込んでいただけに、リモンが悔しそうに呻く。
なんて答えたらいいかわからずに、ダルトは首を振り続けていた。
「戦はいつになったら終わるのかなぁ……」
ダルトの顔を素通りし、リモンは虚空を見つめている。思わず肩に手をかけると、うつろにリモンは薄く笑った。
「母ちゃんとレジーに謝ってくれるか……帰れなくって悪いってな……」
「リモンッ!!」
目を閉じようとしたリモンを慌てて揺する。
「お前はもう帰れ……戦なんか勝手に終わらせて帰っちまえよ……俺みたいに死んだらなんもなんねぇよ……」
くっと奥歯を噛み締めて、ダルトはリモンの肩を強く掴む。痛みを覚えた様子がないのは、もう痛覚すら麻痺しているということか。
目の前でリモンの命が溢れていくのをダルトはどうすることも出来ずにいた。狼狽えるダルトをあやすように繋がれた手をぎゅっと握った幼馴染み。
「黄金の波をもっかいこの目で見たかったなぁ……」
「リモン……!? リモン……!!」
もう叩いても揺すっても、幼馴染みは動かなかった。
松明が消えても、ダルトはリモンの側に膝をついていた。
戦から帰ったら結婚するんだ。そう嬉しそうに話していたリモン。昼過ぎまで隣で剣を奮っていたリモン。
共に種を蒔き、小麦を育てて来た兄のような幼馴染み。
そのリモンが今際の際に言った言葉に、ダルトは決意した。
「――おいらは帰るよ、リモン。帰って種を蒔くんだ。戦なんか終わらせてやる」
ダルトはすっと立ち上がると、セトル兵士の天幕とは別方向に――セトルとガヤの国境に向けて歩き出す。
目指すはガヤの夜営地。
まさか、たった一人で、しかもうだつの上がらない農夫が、ガヤの夜営地奥深くまで見つからず入り込めたなど、奇跡と言う他ない。
ガヤの将軍は勇猛果敢だ、と聞いていた。
だが、粗末な剣はあっさりその首に吸い込まれ、ダルトは軽く捻りを加える。叫ばれると面倒だから、喉を潰し、肌身から離さない鎌で首を掻き切った。
血が溢れる。
その場にあった上掛けに首を包むと、滲んだ血が白を赤く変えていくのがいっそ愉快だった。
生まれて初めて、明確な意思で人を殺した。生きるか死ぬかの戦場で流されて相手を傷付けてきた時とは全く違う。
……こんなに簡単に人は死ぬ。それがわかってるから貴族は誰も前線に出ないんだ。
ザクテン領主が死んだのは偶然だ。流れ矢に当たったのが死因だった。たくさんの死者のほとんどが近在のかき集められた平民で。
……もうこれ以上は付き合ってらんねぇよ。
来た時のように淡々と夜営地を後にしたダルトは、見咎められることなくセトル兵士の天幕に戻った。
「どこへ行ってた!!」
ダルトは帰って早々に上官に捕まった。
上官と言っても彼はザクテンの兵士だ。出自は農民である。それがわかっていながら、ダルトは彼に詰問されるがままになっていた。
「なんだそれは……?」
粗方文句は言い尽くしたのか、やっと上官はダルトの持つものに注意を払った。
血塗れに無表情のまま、ぽいっと手に持つものを放り投げる。地面に二、三度バウンドしたそれはごろりと上掛けから出てきた。
何事だろう、と起き出して来ていた兵士たちが息を飲む。
「将軍だ……」
「ガヤの将軍の首だ……」
ざわめきはさざ波のように広がり、兵士たちを奇妙な高揚感が支配する。
「明日一番にこれを掲げて降伏を迫ればいい。それで戦は終わる」
誰一人首を拾わない中、最初に動いたのはダルトだった。
あわあわと動転する上官を見限り、上掛けに首を包みなおす。重いそれを肩に担いだ。
「ど、どこ行くんだ?」
同じ村の青年がそう聞いた。
「奥の偉いさんのところへこれを置いてくる。――リモンが死んだ。おいらは帰りてぇ」
リモンが……、と背後で呟く声を無視して、ダルトは夜営地深くまで歩いて行った。
翌朝、平原に首がひとつ掲げられた。
その日の午後には休戦協定が結ばれ、セトルとガヤで一年余りに渡り繰り広げられた戦は一応の終わりを迎えた。誰もが肩を叩きダルトを労うが、一晩経ってしまうとダルトを襲ったのは後悔だった。
……もう一日早けりゃリモンは助かったんだ。
勿論、成功の確率は限りなく低い。小競り合い直後であり、前線に立つ者全てが戦に飽いていたから、見張りの兵士の気もどこかうろんだったのだと思う。それでも、リモンが死んだ事実はダルトを打ちのめしたと言うのに。
そのままダルトはセトル王宮へと連れて行かれた。
真っ黒の服を着た王だという壮年の男は威圧感があったが当然畏敬の念を抱ける筈もなく、色とりどり華美に飾った王妃や王太子、貴族たちに落胆さえ感じる。
……こんな贅沢ばっかしてる奴らのためにリモンが死んだ。
内心煮えくり返っていたダルトに、王は褒美を取らせる、と言った。
「冗談じゃねぇ! ご褒美なんかいらねぇよ、おいらを帰してくれっ!」
「お前にザクテン領と余が娘を与えよう」
叫ぶダルトを一切無視し、王は告げた。
「いらねぇよ!」
吐き捨てたダルトの望みが叶うことはなかった。
† † †
……もっと鼻持ちならねぇ女が来るかと思ってたんだがなぁ。
ダルトは手に持つ上掛けをロッテに掛けようとして、ぱさりと下に落とす。はぁと小さく溜め息をついた。
彼女をクッションごと抱え上げる。思いの外、軽い身体を慎重に寝台に下ろす。
なるようになれ、と投げやりでさえあったのに。思わず、帰してやる、とまで言ってしまったのはどうしてだろう。
ん、と小さな呟きを漏らしたロッテは、まるで小さな子供のように頼りない。幼い寝顔をじっと見下ろし、もう一度溜め息を溢してダルトは忍び足で寝室を出た。
「ま、実際問題帰してやるって言った以上はおんなじ寝台じゃ寝れねぇよなぁ……」
しん、と静まり返った廊下には人っ子一人いない。
ザクテン領自体が人口が少なくなってしまったし、ケントニス城に侍女や下男を一頃のように雇う余裕もないからだ。最も農夫だったダルト自身は身支度に手伝いを必要とはしないし、食事や洗濯だって自らする。ただ、領主としての体面があると言われ、仕方なしにケントニス城に住んでいる。
「でもこんだけ広いと人が少ないのが余計目立つよなぁ。抜け出すにはちょうどいいけどさ」
ダルトは真っ直ぐに外に向かい、使用人が使う裏庭の納屋に入り込むと、農具がたくさん積まれた間でごろんと横になった。
「早いとこ豊かにしてあいつを自由にしてやらなきゃな……」
呟きながら、すぅっと眠りに落ちる。最後に脳裏に浮かんだのは、何故か不安気に瞳をさ迷わすロッテの姿だった。
次話もなるべく早く投稿します。読んでいただきありがとうございました。