その2 生首峠
秋田市からD市へと向かうルートは、現在では国道13号線が主流となっているが、以前は秋田市南部の集落から抜ける山道があった。この山道を夜歩いていると、坂の上からぽーん、ぽーん、と鞠が弾むようになにかが落ちてくることがある。
ある旅人がそれに出くわした。目の前に来たそれは、落ち武者の生首だった。旅人が腰を抜かすと、生首は無念の表情でぽーん、ぽーん、と坂を下って暗闇へ消えていったということだ。
◇◇◇
どうやらこれもリミナル・スペースの一例といえそうです。町境であり、峠に関する怪談ですから。古来、人里と人里の境というのは、川や湖沼、山などで区切られているものでした。そういった場所は人の存在しえない異界とされていたのです。慣れない場所では人は不安になりがちですから、変なものを見聞きした気持ちにもなります。境界=異界に怪異が起こりやすいというのは、そういったことに起因するのでしょう。
それにしても、妙にグロテスクな怪談です。落ち武者というのも、武者でもなく庶民でもない、境界上にある存在といえるかもしれません。
実は翌日、なんの偶然か、仕事の関係でこの峠を車で通ることになったのです。
帰り道で21時にはなっていたかと思います。朝はそれなりに往来のある道も、夜には私たちの車だけでした。助手席に上司を乗せ、運転は私がしていました。
街灯もない真っ暗な山道。左右から背の高い杉林が鬱蒼と押し寄せ、車の進行に合わせて月の光が時折射しては空しく消えていきます。頼りになるのはハイビームにした自車のライトだけ。
突然、視界の左端に人影が見え、私は息を呑むと同時にブレーキを踏みました。
「おい、なんだよ!」
前につんのめった上司が文句を言い、私は肩で息をします。
「すみません」
「なにかいたのか?」
「たぶん……」
私は急いで車を出ました。道路の左側は荒れた田んぼと林でした。雲間が切れ、月が顔を出しました。人と見えたのは、田んぼのあぜ道に刺さったカカシでした。
「あれかあ」遅れて出て来た上司が拍子抜けした声をあげています。「ありゃ間違えるわな」
それは古風な女性型マネキンを利用したカカシでした。昭和時代の呉服店のショーウィンドーに立っているような。栗色のショートカットの髪と白い顔。ただしマネキンと違うのは、首から下はいかにも着古した野良着だということです。それがじっと道路を向いて立っていて、つるんとした肌に描かれた目が無機質に虚空を見つめています。
冷気が皮膚を刺します。
「いやあ、びっくりしました。すみません、戻り――」
と、私は体を反転させかけ、言葉を失いました。
田んぼの横は林になっているのですが、その入り口に、大きな鳥居がくずおれているのです。
夜闇でよく見えませんでしたが、朽ちかけた木製の鳥居で、立っていれば自動車一台くらいは優に通れそうなサイズです。その鳥居の向かって左の支柱が折れ、片膝立ちのような格好で崩れています。ですから、その中を通ることはできません。黒々とした木々の群れが背後に広がっています。風はかすかに吹いていたように思いますが、枝でも踏もうものならシンバルのように鳴り響きそうなくらい辺りは静まり返っていました。
私はなぜだか突然身震いするほど寒くなり、急いで車に乗り込みました。
それは上司も同じだったようで、すぐに座席に滑り込んできます。シートベルトも差し込む前に発進させました。ふたりとも無言でした。
再び会話が持たれたのはそれから20分は経っていたでしょうか。
「見ましたか、あの鳥居?」
「ああ」
「なんだか気味が悪いですね。なんで撤去しないんだろう。奥に社でもあるんでしょうかね」
「あった」
「見えたんですか?」
「うん。でも知らないほうがいい」
「え?」
上司がこちらを向きました。私はハンドルを握りながら横目で見ましたが、その目が真っ赤に充血しているので驚いてしまいました。我知らず首筋に鳥肌が立ちました。
「青出くん、きみはまだ若い。これは俺が持っていくから」
「なにをですか?」
しかし彼はそれ以降ピタリと口をつぐみ、どんなに訊いても返してくれなかったのです。
さらに翌日もその話題が進展することはありませんでした。上司は会社を無断欠勤したからです。1週間もすると、彼の失踪の噂が流れました。私は私用スマホに電話してみましたが、繋がることはありませんでした。家も引っ越したみたいで、訪ねたときには売家の札が立っているばかりでした。その後、会っていません。
なにが起こっているんでしょう? 推測できるかたがいらっしゃれば教えていただけないでしょうか。あの心霊写真。姿に異変があったのは私のほうなのに。
これ以降、私は秋田県の怪談を集めるのにのめり込んでいきました。
◇◇◇
秋田県は日本の首都であることを知っていましたか?
→ 知っていた………「その3 空室に棲むモノ」へ
→ 知らなかった……「その1 ぽぽろーどの謎」へ




