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子を抱いて炎を見た ~北条最後の女~  作者: 灰色の千代


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第9話 元弘の報せ

元弘二年 三月

鎌倉の春は、桜の花びらが散る中、潮風に混じって不穏な空気が漂う。鶴ヶ丘の山々が淡く緑に染まり、海からの風が石畳の道を吹き抜け、市場の商人たちが声を上げるこの季節、幕府の中心地は表向きは穏やかだ。東勝寺の鐘が朝に響き、僧たちが経を唱える。寺社は北条の庇護下にあり、鶴岡八幡宮の石段では神官たちが得宗の高時公に祈りを捧げる。市場は桜の飾りで賑わい、絹や香料、春の野菜を並べるが、民衆の目は険しい。重税に耐え、霜月の粛清の記憶が残る中、都からの噂が広がる。「後醍醐天皇が動く」「元弘の乱が始まる」と。鎌倉の歴史は、反乱の予感で満ちている。源頼朝が幕府を開いて以来、得宗専制が頂点に達した今、高時公の館は宴の灯りが絶えず、石垣を高く積み、堀を深く掘って守られている。御内人たちが得宗の直属として、密偵を放ち、噂を監視する。政村流の粛清後、得宗の権力は強まったが、反発の火種がくすぶる。七里ヶ浜の波音が遠く聞こえ、古戦場の砂浜は桜の花びらで覆われ、血の記憶を隠すようだ。

私は千代丸を抱いて、屋敷の庭で桜を見ていた。生後三ヶ月。子は元気に笑い、私の袖を掴む。侍女のお梅が、温かい茶を運んでくる。桜の花びらが舞い、池の水面に落ちる。鯉が跳ね、春の陽光が庭を照らす。鎌倉の武家屋敷は、春支度で障子を開け、屏風を軽くする。食事は新鮮な魚と野菜中心。市場から仕入れた山菜の煮物、熱い味噌汁。侍女たちが調理し、子のために柔らかい粥を作る。武家の妻は、春の寺参りを欠かさない。鶴岡八幡宮の石段を上り、安寧を祈るが、心はざわつく。得宗の暴政が、町を腐らせる。

ある日、氏邦殿が得宗館から帰り、深刻な顔で座敷に座った。刀を脇に置き、酒を控えめに飲む。目が血走っている。

「千代……元弘の報せが来た」

私は子を寝かしつけ、問うた。

「何の……報せですか」

氏邦殿は窓から外を見た。桜の花びらが散り、風が強い。遠く、東勝寺の灯りが揺れている。

「後醍醐天皇の挙兵だ。笠置山で反旗を翻した。元弘の乱……幕府への挑戦だ」

心臓が鳴った。元弘二年、三月。都からの使者が密かに鎌倉へ来る。噂は市場で広がり、商人たちが声を潜める。「天皇が得宗を討つ」「楠木正成が蜂起した」と。寺の僧たちは経を唱えながら、天皇の動きを語る。鶴岡八幡宮の神官さえ、得宗の目を恐れ、祈りを変える。得宗館では高時公が宴を続け、笑い声が響くが、御内人たちが密偵を放つ。反乱の兆しは、桜の花びらのように散らばる。鎌倉の石畳は、馬の蹄で鳴り、得宗の兵が巡回する。七里ヶ浜の浜辺では、漁師たちが舟を隠し、噂を交わす。古戦場の血が、再び流れる予感。

氏邦殿は続けた。

「高時公は、鎮圧の命令を出した。九州へ遠征する。俺も……行くことになる」

想像した。得宗の館の奥座敷。灯りが赤く、酒の匂い。高時公の目が濁り、御内人たちが諂う。宴の最中で、反乱の報せが入る。笑い声が止まり、刀が抜かれる。得宗専制の刃が、都へ向かう。後醍醐天皇の野心は、鎌倉を揺るがす。楠木正成のような武将が、蜂起する。元寇の記憶が残る町は、平和を装うが、戦の気配が濃い。

「夫君……無事で帰って」

氏邦殿は頷き、子を抱いた。千代丸の小さな手が、父の指を握る。

「この子のためだ。北条を守る」

だが、心は重い。元弘の報せは、風に乗って広がる。寺の鐘が鳴り、桜の花びらが舞う。鎌倉の春は、血の予感で満ちる。

この乱が、北条を滅ぼすのか。子を抱く私は、ただ待つだけ。

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