第8話 得宗家の笑い声
元弘二年 正月
鎌倉の正月は、雪と霧が町を白く染める。鶴ヶ丘の山々が凍てつき、海からの風が石畳の道を吹き抜け、松飾りが軋む音を立てるこの季節、幕府の中心地は一見華やかだ。東勝寺の鐘が新年を告げ、僧たちが経を唱える。寺社は北条の庇護下にあり、鶴岡八幡宮の石段では神官たちが得宗の高時公に奉納の舞を捧げる。市場は正月飾りで賑わい、商人たちが門松や鏡餅、酒を並べるが、声は控えめだ。民衆は重税に耐え、霜月の粛清の傷が癒えぬ中、新年を祝う。得宗館は正月の宴で灯りが絶えず、内部では酒と笑い声が響く。石垣が高く、堀が深く掘られた要塞のような館は、北条の権力の象徴。得宗専制の頂点に立つ高時公は、二十一歳の若さで、すでに酒と女に溺れていた。御内人たちが得宗の直属として、宴を盛り立て、御家人を監視する。政村流の粛清後、得宗の権力はさらに強まり、鎌倉の空気は重く、七里ヶ浜の波音が不気味に響く。古戦場の砂浜は、雪に覆われ、白く静かだが、血の記憶を隠している。
私は千代丸を抱いて、屋敷の座敷で新年を過ごしていた。生後一ヶ月。子は元気に乳を飲み、小さな手で私の指を握る。侍女のお梅が、炭火を焚き、正月の雑煮を運んでくる。餅と野菜の煮物、温かい味噌の香り。鎌倉の武家正月は質素で、門松を立て、鏡餅を飾り、家族で祝う。だが、父の死の影が残る。霜月の炎、血塗れの廊下。子を抱く喜びは、儚い。氏邦殿は得宗館の宴から帰るのが遅く、酒の匂いをまとって戻る。顔色が悪く、目が虚ろだ。
ある夜、正月の宴の後、氏邦殿が座敷で語った。
「千代……得宗の宴は、腐っている」
私は子を寝かしつけ、問うた。
「何が……?」
氏邦殿は酒を控えめに飲み、窓から外を見た。雪がちらつき、庭の梅の木が白く凍る。遠く、東勝寺の灯りが揺れている。
「高時公の笑い声だ。あの館で、毎夜響く」
得宗館の宴は、鎌倉の権力の中心。広大な座敷に絨毯を敷き、屏風を立て、家紋の六連銭が金糸で輝く。酒は都から取り寄せた上等なもの、肴は海の幸、山の幸。女たちは都の遊女や御内人の妻、時には捕らえた敵の娘。得宗の高時公は、酒に酔い、女を抱き、笑う。御内人たちが取り巻き、諂う。宴は夜通し続き、時には血が混じる。裏切り者の首を飾ったり、拷問を見世物にしたり。過去の霜月騒動のように、宴の最中で粛清の命令が出る。高時公の笑い声は、狂気に満ち、館の壁を震わせる。鎌倉の民は、それを恐れ、寺で祈る。鶴岡八幡宮の神は、そんな得宗を守るのか。
氏邦殿は続けた。
「昨夜、高時公は女を三人抱き、酒を浴びるように飲んだ。御内人の平頼綱が、政村流の残党の首を差し出した。血が畳に滴り、皆が笑った」
想像した。得宗館の奥座敷。灯りが赤く、酒の匂いが充満。女たちの白粉の香り、血の鉄臭。高時公の目が濁り、唇が歪む。笑い声が響き、御家人たちが強引に杯を傾ける。逆らえば、霜月の刃。氏邦殿は側近として、そこに座る。優しい彼が、血の宴に染まる。
「夫君……あなたは、笑ったのですか」
氏邦殿は首を振った。
「笑えぬ。だが、生きるためだ。得宗の暴走は、止まらぬ」
高時公の暴政は、鎌倉を腐らせる。重税で民を苦しめ、寺社を操り、御家人を粛清。元寇の記憶が残る町は、平和を装うが、反乱の兆しがある。後醍醐天皇の動きが、噂される。都からの使者が、密かに来る。だが、得宗の目が光る。市場では商人たちが声を潜め、寺の僧たちは経を唱えながら、得宗の終わりを祈る。七里ヶ浜の雪浜は、白く美しいが、波が血を洗うよう。
私は子を抱き、窓から外を見た。雪が積もり、町を白く染める。得宗の笑い声が、風に乗って聞こえる気がした。
この笑いが、北条を滅ぼすのか。子を抱く私は、ただ祈るだけ。




